尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ヨルゴス・ランティモス「聖なる鹿殺し」、再びの不条理劇

2018年03月17日 20時53分45秒 |  〃  (新作外国映画)
 ギリシャ出身のヨルゴス・ランティモスと言えば、あまりにもぶっ飛んだ「ロブスター」の監督である。独身が罪となり、限られた時間内に結婚しないと動物に変えられる。一体何なんだと思う筋書きだけど、映画そのものは確かに傑作だった。今回の「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」は、2017年のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞。相も変わらず現実界を超えた不条理が身に迫る映画で、ヨルゴス・ランティモスの頭の中は一体どうなっているんだ?

 スティーブンとアナの医師夫婦をコリン・ファレルニコール・キッドマンが演じる英語映画。広角ぎみの処理された映像で、冒頭から何やら不穏なムードが漂う。音楽も不穏そのもの。広い家に二人の子どもたちと暮らす心臓外科医スティーブンに、なんだかよく判らないマーティンという16歳の少年が付きまとう。どういう関係か、なかなかつかめないが、どうやらマーティンの父はかつてスティーブンによる手術中に死亡したらしい。

 それが何らかの医療事故、あるいは事件だったとしても、責任は医師にしかない。ところが、下の男の子が突然足が不自由になり歩けなくなる。つまり「家族に呪いがかかる」わけだが、マーティンには不可思議な力があるのか、それとも予知できるのか。全然判らないが、とにかく不条理そのものの条件を突き付けられて、彼らの家族は翻弄されてゆく。そして究極の選択を迫れるラストが…。これはエウリピデスのギリシャ悲劇にインスパイアされているというけど、どうしてこんな嫌な話を思いつけるのかという感じの映画である。

 映画そのものはホントによく出来ていて、これは傑作じゃないか。でも多くの人が見て楽しめるという映画じゃない。意味を求めても仕方ないけど、そう言えば世界は不条理に満ちている。何の罪科がなくても、戦火やテロで生命を奪われるというニュースが毎日のように報じられる。戦争だからと言って、全員が死ぬわけではない。戦火のシリアであっても、「ある人の頭上に爆弾が落ち、ある人は助かる」のである。それがどうしてそうなったかの理由は見つけられない。

 だから人生は、あるいは世界は、存在した当初から不条理の中にある。この映画はそれを可視化したのだと言われれば、そういうことになるかもしれない。主人公が医師であることからも、アンドレ・カイヤット「眼には眼を」(1957)を思い出した。しかし、あれは医師が翻弄されるのであって、医師の家族の話ではない。その意味で「聖なる鹿殺し」の不条理性はもっと大きい。一体どうなるんだろうと画面から目が離せない。コリン・ファレル、ニコール・キッドマンともに、「ビガイルド」で見たばかり。ニコール・キッドマンは1967年生まれで、もう50歳。でも年齢を感じさせない、素晴らしい存在感。選ばれた出演映画はみな素晴らしく、大女優になったなあと思う。
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