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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中公新書『日ソ戦争』(麻田雅文著)を読むー東アジア現代史の起点

2025年04月01日 22時03分04秒 | 〃 (歴史の本)

 冬の間はミステリーなどエンタメ系ばかり読んでいた。まあ若い頃から大体そうなんだけど、冬はエネルギー切れでマジメ系の本を読む気になれず「冬眠」している。夏は暑さが耐えきれず、冬も寒さが身に堪える。待ち望んだ春も気温差が大きく、結構つらいものがある。じゃあ、いつスッキリするんだと悩むが、取りあえず春分の日も過ぎると日が長くなり、気持ちが少し明るくなる。ということで、そろそろ溜まってる歴史本や純文学系の本を読み始めることにした。まずは話題の『日ソ戦争』。

 麻田雅文著の中公新書で、2024年4月に出た本が売れている。持ってるのは12月30日付けの本で、すでに10刷になっている。著者は岩手大学人文社会科学部准教授で、読むまで忘れてたけど以前書いた『シベリア出兵」とは何だったか-中公新書「シベリア出兵」を読む』の著者だった。あれは類書がない貴重な本だったが、今度の本も確かに類書がない。出た時に買わなかったのは、まあ大体知ってる話だろうと思ったのである。そして、大体知ってはいたけれども、それでも改めて「日ソ戦争」を全体としてふり返ることに大きな意義があると気付かされた。現代史に詳しくない人は驚くようなことが多いのではないか。必読本。

(麻田雅文氏)

 そもそも「日ソ戦争」とは何か。もちろんソ連が1945年8月9日に日本に宣戦布告して始まった戦争である。日本は8月14日にポツダム宣言受諾を連合国に通告したから、それで戦争が終わるはずが日ソ戦争はなかなか終わらなかった。ソ連が千島列島最北の占守(シュムシュ)島を攻撃したのは、何と8月18日である。その後ソ連軍は南下して、9月3~7日に歯舞群島を占領するまで続いた。「満州国」戦線と南樺太戦線ではもう少し早く終わっているが、要するに戦争期間だけを見れば短い。ソ連軍の占領により多くの悲劇が起きたが、期間的短さから「第二次世界大戦最末期のエピローグ」みたいに思われがちだった。

 しかしこの本を読んで、日ソ戦争こそが「東アジア現代史の起点」なんだと改めて気付いた。朝鮮半島の南北分断朝鮮戦争は、ソ連軍が半島北部を占領したこと(米国が容認したこと)の結果である。ソ連によって成立した「北朝鮮」が現在ロシアに派兵していることを思えば重大性を痛感する。また「満州国」が事実上「ソ連支配地」になった(日本敗北後も国民党政権が覇権を握れなかった)ことは、中国共産党が国共内戦で勝利できた最大の要因となる。「中国革命」によって国民党が台湾に「移転」したことが、現在の「台湾危機」につながっている。日ソ間の「北方領土」問題を含め、日ソ戦争の後始末は未だ決着していない。

(地図=「満州国」戦線)

 ソ連軍はまず「満州国」に侵攻したわけだが、そのルートはおおよそ4つあったけど、ちょっと細かい話になるから省略する。モンゴル人民共和国から内モンゴルを経て「満州国」南西部へ侵攻していたのは知らなかった。作戦内容、戦闘経過などは本書に譲る。南方に兵員を送ってスカスカになっていた「関東軍」はあっという間に敗走した、とまあ、そう言われる割には、案外善戦していた部隊もあったことが判る。それでも居留民を見捨てて家族のみを先に避難させたのは間違いない。ソ連軍による性暴力が頻発したのも知られている。シベリア抑留、残留孤児問題につながる悲劇もあった。日ソ両軍に対し、悲憤、痛憤を覚えざるを得ない。

(地図=南樺太、千島列島戦線)

 僕が今まで知らなかったのは、千島列島の重要性である。独ソ戦(1941年6月)、日本の対英米開戦(1941年12月、ドイツも米に宣戦布告)以後、遅れて第二次大戦に参戦した米ソは同盟国となった。アメリカはソ連が崩壊しないように軍事援助を行うが、そのルートは3つあった。一つが北極海を通るルート、次がイランから南部を通るルート、最後が千島列島を通って沿海州に通じるルート。そして3つ目のルートが4割を占め最大だったという。しかし、千島列島はもちろん日本領であり、千島列島から宗谷海峡を通過するルートは危険である。実際日本軍に拿捕された米艦船は相当あったと書かれているけど、僕は初耳。

 だから、米軍はソ連に対し、千島や南樺太を占領するように求めていたのである。だけど、そういう作戦は実施されなかった。日ソ中立条約があったからじゃないだろう。独ソ戦で疲弊しているソ連には、遠くで戦線を開く余裕がなかったんだと思う。日本はアリューシャン列島を占領したが、1943年にアッツ島守備隊が「玉砕」した。千島は樺太千島交換条約で平和的に獲得した領土だから、そのまま米軍が千島を攻めても構わないだろう。(ソ連に配慮する必要はないはず。)そうして南方の択捉島、国後島などを占領すれば、飛行場を建設して日本本土空襲が可能となる。多分1944年7月のサイパン島占領を待たず空襲できたのでは?

 そういう風に歴史が展開しなかったのは何故だろう? それは本書に書かれていないが、対日戦よりドイツ降伏を優先するのが連合軍の了解事項だった。そして米軍の太平洋方面最高司令官のマッカーサーは、島伝いに南から攻めることにこだわった。フィリピンから撤退したときの「アイ・シャル・リターン」を実現しなければならなかったからだろうと僕は推察する。北方から日本を攻撃する「フィリピン解放抜きの日本降伏」が実現してしまうことは、マッカーサーにとってあり得ない選択だったのだろう。

(ヤルタ会談、左からチャーチル、ルーズヴェルト、スターリン)

 何でソ連が対日参戦したのか? それは言うまでもなく1945年2月のヤルタ会談でアメリカのルーズヴェルト大統領が求めたからである。それまでもたびたび求めていて、ようやく秘密協定でドイツ降伏後3ヶ月以内の参戦に同意した。その後米国は原爆開発に成功し、いろいろとドラマがあったが省略。スターリンの狡猾さが身に沁みて判る歴史ドラマである。南樺太、千島列島でも数多くの悲劇が起こったが、それらは読んで確かめて欲しい。「ロシア軍」とはどういう存在か。この本を読んで考え込まずにはいられない。もちろん日本軍が中国で行った残虐行為は許されない。しかし、国際法も何も関係なしにシベリアに連行したソ連軍の行為を、現在のロシア国民は知ることが不可能である。歴史の真実を追究する自由が奪われているのである。


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