部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
7月には2つの詩の朗読を指導している。
夕だち(村野四郎)・虹いろの魚(村野四郎)である。
夕 だ ち
村野四郎
ヨシキリが
大さわぎして にげまわる
むこうから かけてくる村の人
こちらから かけていく町の人
みんな ひさしへ とびこんだ
夕だちだ 夕だちだ
空のおさらを ひっくかえしたようだ
雨はどうどう
ぼくの顔から せなかのほうへ
滝のように流れおちた
けれども ぼくはおどろかない へいきだ
ぼくは水泳の帰りみち
帽子もかぶらず まるはだかだ
あわてる人々をながめながら
ゆうゆうと 道を歩いてきた
そして ときどき 天のほうをむいて
夕だちを飲んでやった
4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
7月には2つの詩の朗読を指導している。
夕だち(村野四郎)・虹いろの魚(村野四郎)である。
夕 だ ち
村野四郎
ヨシキリが
大さわぎして にげまわる
むこうから かけてくる村の人
こちらから かけていく町の人
みんな ひさしへ とびこんだ
夕だちだ 夕だちだ
空のおさらを ひっくかえしたようだ
雨はどうどう
ぼくの顔から せなかのほうへ
滝のように流れおちた
けれども ぼくはおどろかない へいきだ
ぼくは水泳の帰りみち
帽子もかぶらず まるはだかだ
あわてる人々をながめながら
ゆうゆうと 道を歩いてきた
そして ときどき 天のほうをむいて
夕だちを飲んでやった