間もなく終戦記念日を迎えるが、そのためか今月は特に戦争にまつ
わるマスコミの報道が、どこでも大変多いようだ。
戦争のため大勢の方の尊い命が失われ、さまざまな犠牲の上で平和
は成り立っている。そんな大きな流れの中で成人したので、色々なこと
を見聞きしたのは、良い経験ができたと思っている。
戦争が終わったとき、私は9歳だった。その前に家は戦災で焼かれ
父と兄を残して母と二人で石川県に疎開をした。
戦争が終わったとき、家に帰れるのが、とても嬉しかった。
いつでもお腹が空いていて、何でも食べたかった小学生時代だが、だん
だんものが豊かになっていった中学、高校時代なども、はっきり覚えて
いるし、戦後の混乱期に、私の周りで起きたいろいろなことなども、まざ
まざと記憶している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ed/fc3e2b0b8a55282120cf7909b0ea2fb0.jpg)
青春時代には、世の中はかなり落ち着いてきて、戦争の悲劇への反応の
ためか、かなり華やかだった。その頃の若者の楽しみは、音楽、ソシアル
ダンス、映画、アイススケートだった。
またあの頃大流行したのは、マンボズボンと、まるでお人形のような
「落下傘スタイル」だった。手足やウエストが細かった私は、ハイヒールを
履いて、そのスタイルがお気に入りだった。いつもとても楽しく、私は十分
にその時代を享受し、青春を謳歌できた。
また、結婚した当時は、その頃「三種の神機」など言われていた、洗濯機
冷蔵庫、掃除機だったが、私が嫁いだ小池家にはすでにその二つがあった。
だんだん生活環境が良くなり、変化していったが、高度成長期には
「昭和元禄」と言われたが、そんな激しい時代の変遷をしっかり見ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/73/a126e8688884ba609c514a60a6f72888.jpg)
日本の歴史から見ても、過去に戦争がなかったのは20年間で、70年
間以上戦争がないのは初めてだが、こんな平和な時代に生まれ育ち、その
時代の恩恵を受けられた私は、何と幸せだろうと感謝している。
時代と共に 女性の地位がだんだん向上し、現在では男性とほとんど
同等になった。しかし生活が向上し、食生活や、環境が良くなると同時に
自然がどんどん遠くなり、破壊されていったのは、大変悲しい事実だ。
また、医学が急速に発達した結果、だんだん平均寿命が延び、時代の
趨勢で少子化がすすんだ。しかし、寿命が延びるのは、決して喜んで
ばかりはいられない現実だ。寿命は女性は世界一、男性も確か今年発表
では世界3位になった。でもその実情は、自立して生きられる健康寿命
より、女性は介護されて生きるのが約9年、男性は5年ほどもあると
言う。と言うことは国の経済を、相当圧迫しているし、家族の負担は
計りしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/52/ed47864dc7f24cedacc02835ed542092.jpg)
私自身は生きている限りは、少しでも社会のお役に立ちたいと思うし
もしも自立して生きられなくなったとしたら、すぐに死にたいとさえ
思っているが、それは神の摂理に反する行為なのでそうもいかない。
でも、生かされているからには、できるだけ介護を受けずに、最後まで
自立して生きたいと心から思っている。そのために、長年健康を維持する
ための努力は欠かさない。しかし誰でも「ピンピンころり」が理想だが
果たしてその現実は、最後の瞬間まで誰にも分からない。
今ではあまり世の中の役に立っているとは思えないが、高齢者として
せめて若い世代の負担にならないように、これからも心して生きてい
たいと心がけている。
わるマスコミの報道が、どこでも大変多いようだ。
戦争のため大勢の方の尊い命が失われ、さまざまな犠牲の上で平和
は成り立っている。そんな大きな流れの中で成人したので、色々なこと
を見聞きしたのは、良い経験ができたと思っている。
戦争が終わったとき、私は9歳だった。その前に家は戦災で焼かれ
父と兄を残して母と二人で石川県に疎開をした。
戦争が終わったとき、家に帰れるのが、とても嬉しかった。
いつでもお腹が空いていて、何でも食べたかった小学生時代だが、だん
だんものが豊かになっていった中学、高校時代なども、はっきり覚えて
いるし、戦後の混乱期に、私の周りで起きたいろいろなことなども、まざ
まざと記憶している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ed/fc3e2b0b8a55282120cf7909b0ea2fb0.jpg)
青春時代には、世の中はかなり落ち着いてきて、戦争の悲劇への反応の
ためか、かなり華やかだった。その頃の若者の楽しみは、音楽、ソシアル
ダンス、映画、アイススケートだった。
またあの頃大流行したのは、マンボズボンと、まるでお人形のような
「落下傘スタイル」だった。手足やウエストが細かった私は、ハイヒールを
履いて、そのスタイルがお気に入りだった。いつもとても楽しく、私は十分
にその時代を享受し、青春を謳歌できた。
また、結婚した当時は、その頃「三種の神機」など言われていた、洗濯機
冷蔵庫、掃除機だったが、私が嫁いだ小池家にはすでにその二つがあった。
だんだん生活環境が良くなり、変化していったが、高度成長期には
「昭和元禄」と言われたが、そんな激しい時代の変遷をしっかり見ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/73/a126e8688884ba609c514a60a6f72888.jpg)
日本の歴史から見ても、過去に戦争がなかったのは20年間で、70年
間以上戦争がないのは初めてだが、こんな平和な時代に生まれ育ち、その
時代の恩恵を受けられた私は、何と幸せだろうと感謝している。
時代と共に 女性の地位がだんだん向上し、現在では男性とほとんど
同等になった。しかし生活が向上し、食生活や、環境が良くなると同時に
自然がどんどん遠くなり、破壊されていったのは、大変悲しい事実だ。
また、医学が急速に発達した結果、だんだん平均寿命が延び、時代の
趨勢で少子化がすすんだ。しかし、寿命が延びるのは、決して喜んで
ばかりはいられない現実だ。寿命は女性は世界一、男性も確か今年発表
では世界3位になった。でもその実情は、自立して生きられる健康寿命
より、女性は介護されて生きるのが約9年、男性は5年ほどもあると
言う。と言うことは国の経済を、相当圧迫しているし、家族の負担は
計りしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/52/ed47864dc7f24cedacc02835ed542092.jpg)
私自身は生きている限りは、少しでも社会のお役に立ちたいと思うし
もしも自立して生きられなくなったとしたら、すぐに死にたいとさえ
思っているが、それは神の摂理に反する行為なのでそうもいかない。
でも、生かされているからには、できるだけ介護を受けずに、最後まで
自立して生きたいと心から思っている。そのために、長年健康を維持する
ための努力は欠かさない。しかし誰でも「ピンピンころり」が理想だが
果たしてその現実は、最後の瞬間まで誰にも分からない。
今ではあまり世の中の役に立っているとは思えないが、高齢者として
せめて若い世代の負担にならないように、これからも心して生きてい
たいと心がけている。