ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ラストステージへの花束 前 

2015年08月11日 | えっせー
  ☆ 自分に賭けた二度目の10年間 
 その残りの期間は後3カ月になったが、月日の流れはあまりにも早い。
もしかしたら、私は相当変わっているのかも知れない。
 何故ならおおよその人は「自分の人生はこんなものだ」と、思ったり、諦め
たりしている高齢になってから、「これからの10年間を自分に賭けてみよう」
と考えたからだ。実はそれにはこんな理由がある。
 大昔ダンスで腰やひざや背中など傷めた割には、痛みもほとんどない。
見ためも多少若い。健康診断の数値はパーフェクト。「心的エネルギー」は
半端ではない、と言うのは脳が若々しいことらしく、それには自分でも困惑
させられているが。などのためだった。           
 物書きの道は自然に開かれた。20年前に6冊目の出版と、スタジオ
20周年記念のパーティを開いたが、本当はがんばった自分へのご褒美の
ためで、私の思い通りの華やかで盛大だった。
 そのパーティの後に「これからは第二のスタート」と思った。
 またその10年後に同じホテルでパーティを開いたが、その時には
著書は31冊増えて、37冊になっていた。
 何年か前のことだが、同世代がみんなリタイアしたのをみて「これでは
私は一生仕事だけで終わってしまう、もっと人生を楽しみたい」と、少々
あせったため、思い切って仕事を減らした。
 以前から絶え間なく色々な勉強はしたり、遊んだりしていたが、それから
もっと楽しい人生にしたい思ったからだ。そのお陰で地元に友人も沢山増え
私的には大変楽しく、華やかで、自由でまさしく「第二の青春」だった。
 すべてを言えないが、(ふつうの人では絶対こんなことはないだろう)と
思えるほど、素敵なことを沢山体験出来たのは、本当に幸せだった。
            
 ますます高齢化する現代、自分の年齢をたたき台にして、「心身共ビビッド
にに生きたい」と感じ、早速色々なことを実行しはじた。
 それから、物書きとして「ビビッド・エイジング研究家」を名乗ったのは
多分4年ほど前のことだろう。無論そのためには、夫の介護を最優先にしなが
らも、絶えずアンテナを張り、新しい情報をキャッチしなければならない。
 「どうすれば心身共にビビッドに生きられる」を考え、そして工夫をして
いたが、またそれらが楽しくて仕方がなかった。
           
 そのためには、健康で見た目が若いことが絶対条件なので、試行錯誤しな
がら、一日も欠かさず努力しているが、その成果はかなりあるのではな
いかと自負している。そんな中でも「私はこんなに元気だし、このままで終
わるは嫌だ、だったらもう一度、後10年間だけ自分に賭けてみようか」と
ある日突然思いついた。それをハッキリ決めたのは、確かその年の冬だった
 そのためには、まだいろいろなことをやりたいし、今までのポケットマネー
を全部自己投資しても良いと思った。
 その目的の一番は、また本を13冊出して、目標の50冊にすることだった。

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