☆ 自分に賭けた二度目の10年間
その残りの期間は後3カ月になったが、月日の流れはあまりにも早い。
もしかしたら、私は相当変わっているのかも知れない。
何故ならおおよその人は「自分の人生はこんなものだ」と、思ったり、諦め
たりしている高齢になってから、「これからの10年間を自分に賭けてみよう」
と考えたからだ。実はそれにはこんな理由がある。
大昔ダンスで腰やひざや背中など傷めた割には、痛みもほとんどない。
見ためも多少若い。健康診断の数値はパーフェクト。「心的エネルギー」は
半端ではない、と言うのは脳が若々しいことらしく、それには自分でも困惑
させられているが。などのためだった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ae/14a8df581ac2bbc11d274f1ae8770545.jpg)
物書きの道は自然に開かれた。20年前に6冊目の出版と、スタジオ
20周年記念のパーティを開いたが、本当はがんばった自分へのご褒美の
ためで、私の思い通りの華やかで盛大だった。
そのパーティの後に「これからは第二のスタート」と思った。
またその10年後に同じホテルでパーティを開いたが、その時には
著書は31冊増えて、37冊になっていた。
何年か前のことだが、同世代がみんなリタイアしたのをみて「これでは
私は一生仕事だけで終わってしまう、もっと人生を楽しみたい」と、少々
あせったため、思い切って仕事を減らした。
以前から絶え間なく色々な勉強はしたり、遊んだりしていたが、それから
もっと楽しい人生にしたい思ったからだ。そのお陰で地元に友人も沢山増え
私的には大変楽しく、華やかで、自由でまさしく「第二の青春」だった。
すべてを言えないが、(ふつうの人では絶対こんなことはないだろう)と
思えるほど、素敵なことを沢山体験出来たのは、本当に幸せだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0d/e8ccba34cf9c891b009abee446e3c58f.jpg)
ますます高齢化する現代、自分の年齢をたたき台にして、「心身共ビビッド
にに生きたい」と感じ、早速色々なことを実行しはじた。
それから、物書きとして「ビビッド・エイジング研究家」を名乗ったのは
多分4年ほど前のことだろう。無論そのためには、夫の介護を最優先にしなが
らも、絶えずアンテナを張り、新しい情報をキャッチしなければならない。
「どうすれば心身共にビビッドに生きられる」を考え、そして工夫をして
いたが、またそれらが楽しくて仕方がなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/50/b5/4b8d4707af3496650b3f80b7345eaa65_s.jpg)
そのためには、健康で見た目が若いことが絶対条件なので、試行錯誤しな
がら、一日も欠かさず努力しているが、その成果はかなりあるのではな
いかと自負している。そんな中でも「私はこんなに元気だし、このままで終
わるは嫌だ、だったらもう一度、後10年間だけ自分に賭けてみようか」と
ある日突然思いついた。それをハッキリ決めたのは、確かその年の冬だった
そのためには、まだいろいろなことをやりたいし、今までのポケットマネー
を全部自己投資しても良いと思った。
その目的の一番は、また本を13冊出して、目標の50冊にすることだった。
その残りの期間は後3カ月になったが、月日の流れはあまりにも早い。
もしかしたら、私は相当変わっているのかも知れない。
何故ならおおよその人は「自分の人生はこんなものだ」と、思ったり、諦め
たりしている高齢になってから、「これからの10年間を自分に賭けてみよう」
と考えたからだ。実はそれにはこんな理由がある。
大昔ダンスで腰やひざや背中など傷めた割には、痛みもほとんどない。
見ためも多少若い。健康診断の数値はパーフェクト。「心的エネルギー」は
半端ではない、と言うのは脳が若々しいことらしく、それには自分でも困惑
させられているが。などのためだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ae/14a8df581ac2bbc11d274f1ae8770545.jpg)
物書きの道は自然に開かれた。20年前に6冊目の出版と、スタジオ
20周年記念のパーティを開いたが、本当はがんばった自分へのご褒美の
ためで、私の思い通りの華やかで盛大だった。
そのパーティの後に「これからは第二のスタート」と思った。
またその10年後に同じホテルでパーティを開いたが、その時には
著書は31冊増えて、37冊になっていた。
何年か前のことだが、同世代がみんなリタイアしたのをみて「これでは
私は一生仕事だけで終わってしまう、もっと人生を楽しみたい」と、少々
あせったため、思い切って仕事を減らした。
以前から絶え間なく色々な勉強はしたり、遊んだりしていたが、それから
もっと楽しい人生にしたい思ったからだ。そのお陰で地元に友人も沢山増え
私的には大変楽しく、華やかで、自由でまさしく「第二の青春」だった。
すべてを言えないが、(ふつうの人では絶対こんなことはないだろう)と
思えるほど、素敵なことを沢山体験出来たのは、本当に幸せだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0d/e8ccba34cf9c891b009abee446e3c58f.jpg)
ますます高齢化する現代、自分の年齢をたたき台にして、「心身共ビビッド
にに生きたい」と感じ、早速色々なことを実行しはじた。
それから、物書きとして「ビビッド・エイジング研究家」を名乗ったのは
多分4年ほど前のことだろう。無論そのためには、夫の介護を最優先にしなが
らも、絶えずアンテナを張り、新しい情報をキャッチしなければならない。
「どうすれば心身共にビビッドに生きられる」を考え、そして工夫をして
いたが、またそれらが楽しくて仕方がなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/50/b5/4b8d4707af3496650b3f80b7345eaa65_s.jpg)
そのためには、健康で見た目が若いことが絶対条件なので、試行錯誤しな
がら、一日も欠かさず努力しているが、その成果はかなりあるのではな
いかと自負している。そんな中でも「私はこんなに元気だし、このままで終
わるは嫌だ、だったらもう一度、後10年間だけ自分に賭けてみようか」と
ある日突然思いついた。それをハッキリ決めたのは、確かその年の冬だった
そのためには、まだいろいろなことをやりたいし、今までのポケットマネー
を全部自己投資しても良いと思った。
その目的の一番は、また本を13冊出して、目標の50冊にすることだった。