goo blog サービス終了のお知らせ 

「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

東京電力福島第一原発事故処理及びこれからの電力供給のありかたを考える(素考)

2011-11-06 11:39:46 | マニフェスト2011参考資料
 「想定外」ということで、誤魔化してはならないのがこの度の東京電力福島第一原発におけるメルトダウン・メルトスルーという前代未聞の事故である。
 「未知」なものであれば、「想定外」という表現でもよいが、「未知」ではなく、知っていたが、しかし、「想定」をしなかった。よって、正確には、「未想定」と表現すべきであり、「未想定の災害」それすなわち「想定をしなかった人災」が起こった。

 この人災は、日本の原子力発電の歴史を振り返れば、起こるべくして起こったと言える。

 日本が原発導入を決めた決定的理由は、1953年12月のアイゼンハワー米大統領が「原子力は、これまで大量の人間を殺害するための兵器であった。それを人類の平和と繁栄に役立つための有効な道具に転換する。それが原子力発電である。」という言明にある。この宣言に最初に反応し積極的に行動したのが当時35歳の国会議員中曽根康弘氏であり、原子力開発予算2億3500万円を引き出す主軸的役割を果たし原子力の平和利用が日本でも始まった。
 もうひとつの導入理由は、アメリカの原子力委員会が、「10年以内に確実に、原発のコストは石油、石炭よりも安くなる」と確証があるように言い切ったコスト面の魅力である。二酸化炭素を出さない原子力への期待を高めることに巧妙に利用した感があるものの温暖化対策などの理由は後付けの理由であった。

 原発は、導入当初から、通産省(現在の経済産業省)と電力会社という民間企業との壮絶な闘いの中で、両者の思惑、凄まじい駆け引きによって育ち、それゆえに捻じ曲がり、余計なエネルギーと金を費やしながら発展した。
 地域住民への説得は、原発にはどのような危険性があり、その危険性を防ぐ装置をいかに凝らしていて、その装置がどの程度の地震や津波に耐え得るのかという説明をほとんどせず、膨大な金でもって地域ぐるみを買収する形で原発建設を認めさせてきた。
 結局、原発がアメリカへの信頼感から安全であることを前提に導入し、効率をあげること、コストダウンには努めたが、安全性の向上には全力を挙げなかった弱点が無惨にも露呈したのであった。

 私は、実は、福島原発はもともと地震により配管を含め原発そのものが破壊されたという疑いを抱いている。(Nature25 October 2011 http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/8e0910d585ada373f6410a8504b3673a)それは置いておくとしても、地震によって停電し、津波によって自家発電のためのディーゼルが機能しなくなり緊急冷却装置が機能せず燃料棒がメルトダウンしたとの筋書き通りとするならば、もし、1)当初の計画通り10mの盛土をしての建設、2)ディーゼル自家発電への浸水を防ぐため気密性の高い構造、3)原子力発電同士の自家発電力の融通の仕組みのいずれかがあれば、事故は防ぎえたと考えられ、悔やまれる。

 原発を計画し、それを運転するのが人である以上、人は誤りを犯す存在であるかぎり、原発から事故はなくせないのである。少なくとも何重ものセーフティーネットを仕組みとして入れていかねばならない。セーフティーネットの仕組みがあるかどうかを我がことのようにチェックする組織がこの度の福島原発でもなかったのではないだろうか。原子力は、安全とはいいがたい存在でありながら、「ファウスト的契約」をしてしまった。

 原発が安全でないことがわかった以上、また、コスト面でも、事故リスク、廃棄処理コスト、そして事故による重大な影響も加味して試算すれば、どのエネルギーよりも割高になることがわかった以上、私たちのとるべき方向性は、自ずから見えてくる。

 ひとつは、エネルギーシフト。集中管理、多量生産体制下、電力会社が供給する石油や原子力といったハード・エネルギーから、スマートグリッドを用いつつ地産地消できる地域主体型、地域分散型のソフト・エネルギー・パスの方向へとエネルギーをシフトすることである。

 ふたつ目は、リスクコミュニケーション。原子力事故処理とエネルギー開発の分野ではとくにまず、徹底した公開の原則をもって住民とのリスクコミュニケーションをいれていくことである。

 三つ目は、学際的な英知の結集とそれを根拠にした政策立案。学問の領域にとらわれることなく、各学術団体が得意とする専門性を生かして、科学的な結論を見出して行く討議の場としての「科学アカデミー」の創設が求められる。

 戦前、左翼が世論をリードしていた間は、日本の社会は動かなかった。だが、昭和恐慌を機に、政党、財界の腐敗、癒着を糾弾するという形で、左の革新と右の革新が一致したとき、自由が、そして自由主義経済が葬られ、統制社会となった。いま、電力の分野でも日本の将来の方向性を見出そうと、市民が立ち上がろうとしている。東京都や大阪では、原発の是非を問う住民投票実施の署名が開始されようとしている。ただし、「日本のうるわしき山河、人心を、営利至上主義がズタズタに引き裂いてしまった」(三島由紀夫『楯の会』檄文)であるにもかかわらず、この原発事故に関し右の革新の主張がまだ、あまり見えてきていないところではある。もし、右も左も一致するようなことがあれば、そのときこそ、よい意味にも悪い意味にも日本は動くことになるであろう。

 事故が発生し、放射能による身体・生命へのリスクが高まっている以上、とどまることは許されない。戦前の轍を踏むことなく、歩みださねばならない。

 
*参考文献『ドキュメント東京電力 福島原発誕生の内幕』田原総一朗 文芸春秋
1980年12月
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする