これが牧野記念庭園に咲いているヒメアジサイです。至る所でアジサイが花盛りで、散歩道でもガクアジサイから手毬のような西洋アジサイまでいろんな種類の花があり、花の色も紫から赤みがかったピンク、白と多彩ですが、ヒメアジサイの澄んだ青空のような青は別格です。ほかの花は青と言ってもちょっとくすんだ紺に近い青だったりします。
ヒメアジサイは牧野富太郎博士が1928年(昭和3年)に長野県の戸隠山近くの民家で発見、普通のアジサイより果房が小さく、花びらが青空のように澄んだ青で女性的で優美な姿に感動して「ヒメアジサイ」と名付けたそうです。小さいアジサイをヒメアジサイと呼ぶこともあるので、博士のアジサイを「マキノヒメアジサイ」と呼んで区別することもあるようです。博士は練馬区の自宅の庭に植えて観賞していましたが、博士の亡き後、区が整備して記念庭園として開放してからはなくなってしまっていました。その後牧野家から株の挿し枝を譲り受けた博士の出身地の高知県立牧野植物園が育てていたのですが、練馬の庭園にないことを知った同植物園が昨年、アジサイを「里帰り」させることになり1株を記念庭園に移植しました。
北鎌倉の古刹、明月院は青いアジサイが境内を埋め尽くしていることで知られます。そのほとんどが博士が命名した日本古来の品種ヒメアジサイで、いつしかこの神秘的な青色が「明月院ブルー」と呼ばれるようになりました。
ヒメアジサイは牧野富太郎博士が1928年(昭和3年)に長野県の戸隠山近くの民家で発見、普通のアジサイより果房が小さく、花びらが青空のように澄んだ青で女性的で優美な姿に感動して「ヒメアジサイ」と名付けたそうです。小さいアジサイをヒメアジサイと呼ぶこともあるので、博士のアジサイを「マキノヒメアジサイ」と呼んで区別することもあるようです。博士は練馬区の自宅の庭に植えて観賞していましたが、博士の亡き後、区が整備して記念庭園として開放してからはなくなってしまっていました。その後牧野家から株の挿し枝を譲り受けた博士の出身地の高知県立牧野植物園が育てていたのですが、練馬の庭園にないことを知った同植物園が昨年、アジサイを「里帰り」させることになり1株を記念庭園に移植しました。
北鎌倉の古刹、明月院は青いアジサイが境内を埋め尽くしていることで知られます。そのほとんどが博士が命名した日本古来の品種ヒメアジサイで、いつしかこの神秘的な青色が「明月院ブルー」と呼ばれるようになりました。
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