日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

コールマイン

2009-12-07 23:17:21 | アート
目黒区美術館で開かれている「文化資源としての炭鉱」展を
見に行く。会場は休日ということもあってかすごい人。
アートとして何かを見つけにいくのか、それとも
ある社会資料として展示を見に行くのか、そのどちらでもあるのか
よく分からないけれど、人でごった返していた。

http://www.mmat.jp/event/tanko/part1.html

種さんの歌で「カナリア」という曲がある。それは
炭鉱のカナリア、という英語の表現をベースに書かれた曲なのだが、
炭鉱夫は坑道に下りるときにカナリアを連れて入る。
というのもカナリアにはどんなかすかな毒ガスも鋭敏に感知する
能力があり、死をもって炭鉱夫に危険を知らせてくれるのだ。
カゴの中のカナリアがぐったりしたら、毒ガスがあふれ始めた印、
早く入り口に引き返して逃げろ、とかそういうサインなのだ。

あと僕は福岡の出身ということで炭鉱はわりと身近な存在だった。
炭鉱の近くで育ったわけではないが、筑豊炭田や三池炭田など
同じ県内の場所ということで何か近くに感じていたのだ。

などといろいろ考えながら展示を見に行ったら、
結局僕は炭鉱のことも、炭鉱で働いていた人々のことも、その炭鉱が
あった時代の日本のことも、戦後史も、労働運動の歴史も、
なーんにも知らなかったんだなあ、ということが分かった。
「筑豊のこどもたち」という土門拳の写真も、もと炭鉱で
働いていたおばあさんたちが筑豊のボタ山の前で何もかも
達観したような笑顔で立っている集合写真も、見ているだけで
語りかけてくる。しかし、それをどう受容したらいいのか分からない。
社会格差の是正とか貧困の削減とか、言うのは簡単なんだ。



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2 コメント

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Unknown (YK)
2009-12-08 21:13:40
昔私は北海道の炭鉱の社宅に住んでいました。父は炭鉱夫でした。この展示をを聞いて是非行ってみたいと思っていました。
アリステア・マクラウドの小説には炭鉱で働く人たちが主人公になっていて、その生き方が光り輝いています。
私にとって「炭鉱」は過去ではなく、生きている気がします。
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Unknown (KEROYONNET)
2009-12-11 00:00:26
炭鉱展は日曜美術館でも紹介されていたようですね。記憶の中にある炭鉱。「青春の門」の中の炭鉱も展示されています。ぜひ行かれてください。
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