日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

アートの存在する意義

2009-05-11 22:41:17 | アート
今日は昼間、落合で打合せがあって、ふらふら出かけていった。
そのあと夜8時、別の企画のため井荻に出かけていった。
井荻って西荻から近いと思っていたけど、大して近くなかった。
なんか荻のつく地名ばっかりあって、惑わされるぜ。荻窪、上荻とか。

職場で回ってきた回覧物に、アメリカの有名アーチストのインタビューが
乗っていた。それはこんな風だ。
絵画は描いたあと、アートとして作品が残るけれど、
演劇は後に残らない。食文化だって、おいしい料理は
食べてしまったら後には何も残らない。でも、何も残らなかった
としても誰も、それぞれのアート性を批判しない。
なぜならそこにはアートを発信する側の、
伝えようというココロが残っているから。
アートというのは実は成果物ではなくて、伝えようとする
ココロのことなのだ。

作家から、伝えようとするココロが作品の中にあるのなら、
誰にも見向きもされない絵画も、誰にもおいしいといわれない
料理だって、それはアートになるのだ。

画像は荻窪駅前。10年前も荻窪に住んでいた。ひとつの
ホームグラウンドみたいなもんだ。



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