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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

パルマの街角~マジョルカ島5

2006-08-18 05:29:00 | スペイン
スペイン文化はよく「光と影」と表現されるが
確かにそんな感じ。強い日差しの中でできる
くっきりとした影。陰影の中でできるコントラストの中で
すべて成立している感じ。

写真は海水浴場から戻ってくるときに通った通り。
この近くに港湾、大型ショッピングセンター、
なぜかフランス資本のカルフールなどが並ぶ
一大ショッピングセンターが。

ちょっと海まで~マジョルカ島4

2006-08-17 16:25:02 | スペイン
翌朝8時に起きてホテルの窓を開けると
もう日差しが痛いぐらい強くなっている。
急いで朝食を取って外へ。地図で見たところ
ホテルの近くにひとつ海岸があったはず。

ホテルは小高い丘の上にあった。周りには
住宅とホテルが混在していている。僕の泊まっている
ホテルよりもっとデラックスな感じの大型ホテルが
いくつもある。どれも立派なエントランスと
大型のプールが印象的だ。

坂道を降りる。家々の隙間から青い地中海が見える。
大型船の停泊する港も。ここはスペイン本土や
イビサ島など他のバレアレス諸島行きのフェリーの
発着する港にも近いのだ。

10分も歩くと小さな岬へ向かう道に出る。
坂を上ってとぼとぼ歩いていると、海水浴場の看板が。
下を見ると、崖の下が小さな入り江になっていて
砂利の小さな海水浴場になっている。やった。海だ。

地中海のバカンス~マジョルカ島3

2006-08-17 01:01:38 | スペイン
ホテルまでは市内中心部から4キロほど離れているにも
かかわらず、無謀にも歩く。いやあ、いつも僕は無謀なのだ。
炎天下、汗だくになる。時はちょうどけだるい昼下り。
みんな昼寝をしている時間。街も眠っているかのよう。
通りには歩いている人は誰もいない。時々路線バスが
走っていくだけ。
どんどん郊外の住宅街に向かって歩いていく。
これで本当につくんだろうか、と思いながら。
地図は大して見ない。一応、頭の中で覚えこんだつもり。
ホアン・ミロ通りという長い通りを延々と歩く。
通りにはレストランや理髪店やスーパーがぽつぽつ散在している。

地中海のバカンス~マジョルカ島2

2006-08-16 19:01:12 | スペイン
空港を出るといきなり光の洪水だった。
太陽光線があちこちにあふれている。
サングラスをかけないと通りが見えなくなるぐらい
日差しが強い。僕はザングラスというものをかけないので
まぶしいながらもずんずん歩いていく。

バスに乗ってマジョルカの街に。15分ぐらいでもう市内中心部に。
思ったより都会な町だ。人口が30万と聞いていたのだが、
同じ人口規模の僕の実家がある久留米とは大違いだ。
ってここまで来て福岡のことを思い出さなくていいんだけど。

バスは街の中心部への入り口、スペイン広場に着く。
バスターミナル、鉄道駅(SOLLERS行き)がある
にぎやかな広場だ。駅前広場にはカフェテラスがいくつか
並んでいる。この太陽、この日差し、この日向、このテラス。
さてホテルに向かって歩き出そう。

地中海のバカンス~マジョルカ島1

2006-08-16 02:46:52 | スペイン
思うに人生にはバカンスというものがやはり必要で
毎日小難しいことをガラにもなく考えさせられている
自分にはなおさらのこと。浮世の憂さを忘れて
晴れ晴れとした気持ちになれる場所へ。
一点の曇りもない青空が見たい。
などといろいろ考えてバカンス先に選んだのは地中海に浮かぶマジョルカ島。

パリからマドリッドまで飛行機で2時間。
マドリッドから国内線に乗り換えて1時間もすれば
地中海に浮かぶバレアレス諸島最大の島、マジョルカに到着してしまう。
地中海最大のリゾート基地だけあってその規模は半端じゃない。
ドイツやイギリスから団体旅行客が毎日のように大挙して押しかける。
パルマ・デ・マジョルカの空港は立派な国際空港だ。

マジョルカ島のことは昔から知っていたのだが
(どちらかというとその隣のイビサ島にあこがれていた)
上陸したのはこれが初めて!
写真は市内でふと見つけた道路わきのハイビスカス。
街角や家々の軒先にハイビスカスやブーゲンビリアが咲き誇っている。
本当に亜熱帯の島なのだ。僕のおばあちゃんが昔から鹿児島の
南の離島に住んでいて、お盆の度に遊びに行っていたのだが、
おばあちゃんの家の庭にもハイビスカスの大きな木があったっけ。

これがコスタデルソル?~南スペイン7日目

2005-08-29 04:24:43 | スペイン
明日でもうスペインを離れしてしまう。
そんな旅行も終盤戦にさしかかった日、
マラガから近郊電車に乗ってコスタデルソルの
町に出かけてみる。

電車は30分ほどでコスタデルソルの中心地、
トレモリーノスに到着してしまう。
本当にこの近郊線は便利だ。簡単にコスタデルソルの
あちこちの町に行けてしまうから。
駅を降りると歩行者専用の広い広場が日差しの中で
輝いている。その広場を海の方に向かって歩いていく。

サンミゲール通り。どうもこれがトレモリーノスで
一番繁華な通りらしい。通りは緩やかな下り坂に
なっていて両脇にはお土産物屋、服屋、写真屋、レストラン
などありとあらゆるお店が並んでいる。
途中でお土産物屋に立ち寄っては、スペインの
闘牛の絵の入ったステッカーや、マラガという
この地域特産のリキュールを購入する。お土産というのは
思いついたとき買わなきゃ。後になればなるほど
買うのが億劫になるもんね。

しばらくするとサンミゲール通りの坂道は終わり、
トレモリーノスの海岸通りにたどり着く。
通りは、まるでマイアミのよう(行ったことないけど)。
視界の果てまでビーチが続いていて、それとともに
高層のリゾートホテルが続いている。
強い日差しの中をビーチ沿いに歩いてみる。
海岸はパラソルと、海水浴客に所狭しと占領されている。
海岸沿いいのカフェに入って、ビールなど飲みながら
目の前の地中海を熱風に吹かれながら眺めてみる。
コスタデルソルかあ。自分には似合わねえなあ。

海とピカソと闘牛~南スペイン6日目

2005-08-28 18:22:12 | スペイン
毎日、毎日あちこちアンダルシアの町に
出かけていってはマラガに戻ってくる
生活にもうんざりしてきた。気温は相変らず
高いし、一日で100キロ以上移動するのも
結構な体力を要求されるのだ。要するに旅行の中だるみ。

ということで、今日はあまり動き回らず、
ホテルのあるマラガの街を攻略することにした。
よく考えたらマラガの街、これまで全然落ち着いて
見てなかったもんな。

正午過ぎ、マラガの大動脈、アルメダ・プリンシパル通り
を中心街に向かってぼちぼち歩いていく。この通りには
気持ちのいい街路樹が切れ目なく植わっているほか、
市内あちこちに向かう路線バスのバス停が集まっている。
バス停の人々の群れの横を何度もすり抜ける。
途中で郵便局に立ち寄り、日本の友人への葉書を投函。

ピカソ美術館は、旧市街、カテドラル近くにあった。
昔の宮殿、「ブエナビスタ宮」を改装して近年オープン。
そのアンダルシア建築を見学するだけでも
意義がありそうだ。

わくわくして入場すると、12程のかなり広い展示室に、
時代別にピカソの絵画がところ狭しと
展示されている。もう長いこと、パリのピカソ美術館に
行っていないのだが、ふと昔、そこへ行ったことを思い出しだ。
ある人が、「ピカソ美術館へ行くと、絵を前にして
ピカソと対話をしているような気持ちになる」と言っていた
のだけれど、本当にそうだと思う。そしてその感覚が
また甦ってきた、マラガのピカソ美術館でも。
極めつけは、美術館のパンフの表紙絵になっていた
「座るジャクリーヌ」。ジャクリーヌは本当にピカソに
とってミューズだったのだなあ、と実感するとともに、
こんな内省的で、精神的な絵を生産するピカソは本当に
天才だったんだなあ、などと思った。

ピカソ美術館のあとはマラガのビーチに。
陽はすっかり落ちて空は曇りかけている。
途中で闘牛場の脇を通る。闘牛の真っ最中らしく、
観衆の「オーレ、オーレ」という掛け声が中から
響いてきた。盛り上がってんだろうな。
マラガのビーチでは、ネルハの方向まで海岸沿いの町の
明かりがどこまでも見渡せた。

ピカソ美術館(↓)

www.museopicassomalaga.org


たとえ異国の白い街でも~スペイン5日目

2005-08-27 05:21:04 | スペイン
セビリヤから戻ってきた翌日、
マラガ駅から近郊線に乗ってミハスに向かう。
マラガ近郊線は、マラガとコスタデルソルの
保養地を結び、フエンヒローラまでつづく。
僕らは終点のフエンヒローラまで行き(約50分)、
そこからミハス行きのバスに乗り込む。

バスの料金はほんの1ユーロ。
フエンヒローラはリゾート地とはいえ、
近郊線の駅と、バスターミナルの付近は
車と歩行者で溢れ帰り、ひどい喧騒にあふれている。
バスはそんな俗化された街を離れ、
どんどんアンダルシアの山道を登っていく。
山の中腹にミハスはある。

ミハスはアンダルシアの白い村の中でも
交通の便の良さと、観光開発の歴史も手伝い、
もっとも有名なものだ。僕も大学生のころ
福岡に住んでいたとき、ミハスの村のポスターを
何度も旅行代理店で見たことがある。あの
白い壁と白い路地の続く、白い村。

バスはミハスに30分ほどで着く。
バスターミナルのある広場は思ったとおり、
俗化されていて、大型の観光バスがところ狭しと
止まっている。お土産屋もぎっしりと並んでいる。
本当に村は真っ白い。窓枠と玄関を除けば
すべて真っ白の世界。あちこちを観光客が歩いている。
ちょっと岡山の倉敷を旅行したことを思い出す。
有名な、もっとも旅行ガイドや観光ポスターの
ために写真に撮られる村一番の通りに出る。
山に向かって緩やかな上り坂が続く。
その両脇に白い家々。その壁には植物の鉢植えが
かかっている。残念ながら花が咲いてないのだが、
情緒は伝わってくる。坂の上り口にはカフェがあって
カフェの客はビールを飲みながら、その白い道を
眺めている。ああ、白い村までとうとう来たんだな。
なんて妙な感慨に浸る。

アルカサール~南スペイン4日目

2005-08-26 05:44:41 | スペイン
セビリヤ二日目はかつての王宮、
現在はスペイン王室所有となっているアルカサールへ。

アルカサールはムハデル様式の部分と
ゴシック様式に分かれている。
レオンの中庭を抜けて、本殿へ。
アンダルシアの青い空をバックに、建物の黄色が映える。
ムハデル部分の大使の間なんて、目の眩むような
細密な装飾が施された天井が広がっていて、眺めていると
思わず足がすくんでしまう。柱も、中庭も、窓枠も
手すりもすべてイスラム文化時代の名残がそこかしこに残っている。
セビリヤの歴史の深さを再認識。

アルカサールの広大な庭園部分に出る。
ヤシの木や、オレンジ、夾竹桃。
様々な南国の植物が並んでいる。
フランスの庭園とも、イギリス式庭園とも
違う、不思議な趣。静寂や均整の取れた
美しさはないけれど、明るい、陽光の中の庭園。

アルカサールの後、近所のマリア・ルイーサ公園
の中にある、オープンテラスのレストランへ行く。
レストランは入るなり、「バーコーナー」と
「軽食コーナー」と「食事コーナー」に分かれている。
「食事を」と告げると、葡萄棚の下にある、
涼しげな陰の中の、白いテーブルクロスをかけられた
テーブルに案内された。

それまで庶民的で、猥雑なールにしかスペインで
入っていなかったので、少し緊張。
公園の中のレストランなのに高級そうだ。
よく分からず注文した料理は、まるでフランスの
ヌーベルキュイジーヌのように、量の少ない
素材だけで調理したようなものだった。
セビリヤの名物料理ってなんなんだろう、とか
考えながら、まだガスパーチョすら今回の旅行で
食べてない自分に気づくのだった。

オレンジの中庭~南スペイン3日目

2005-08-25 06:42:32 | スペイン
セビリヤ行きの電車は午前10時40分に
マラガ駅を発車した。一日3本しかないセビリヤ行きの電車。
これを逃すと、午後遅くの電車になってしまう。
少し眠い目をこすりながら、冷房のよく利いた車内に腰を下ろす。

二時間半ほどで、電車はまるで空港のように
巨大で近代的なセビリヤ・サンタフスタ駅に
滑り込む。六月末に来てから二ヶ月ぶりのセビリヤ。
一歩駅の外に出ると、その日差しの強さに
面食らう(グラナダでもそうだったが)。
二ヶ月前と気候が全然違う。
どうやら僕は一年でもっとも暑い、
厳しい気候条件の時にセビリヤに来てしまったらしい。

それでも、噴出す汗をできるだけ気にしないようにして、
サンタクルス街にある予約していたホテルに向かう。
街はシエスタの時間であるせいか、シャッターを下ろした店が目立つ。
どれだけ暑いかというと、あまりに発汗量が多くて、
着ていたポロシャツが汗の結晶で(塩分?)胸や
首の周りが真っ白くなってしまった。

憧れのサンタクルス街は相変らず、白くて、熱気の中で
幻想のように広がっていた。歩いていると、建物の
玄関が時々開けっ放しになっていて、その中の
涼し気なパティオを垣間見ることができる。
パティオはタイル張りの壁に囲まれ、日陰の中で
涼しげな鉢植えの植物が配列されている。
こんな暑い午後でもそこだけは別世界。

サンタクルスを抜けて、セビリヤの象徴でもある
カテドラルに入る。世界で三番目に巨大なカテドラル。
途方もない高い天井や、巨大なパイプオルガン、
贅を尽くした金色に輝く祭壇に目を奪われる。
カテドラル出口付近に、昔のモスクの名残である
オレンジの中庭に出る。果実をつけた涼しげな緑の
オレンジの木々がシンメトリーに並んでいる様を
眺めているうちに、ああ、セビリヤにいるんだ、
という実感が。

グラナダは炎天下で~南スペイン2日目

2005-08-24 05:28:58 | スペイン
二日目はマラガのバスセンターからバスに
乗ってグラナダまで日帰り旅行に。
20分もしないうちにマラガ郊外の住宅街は終わり
荒涼とした風景の広がるアンダルシアの荒野を
バスは延々と走っていく。視界にはオリーブ畑
しか見えない。あのいつもの風景だ。

バスは二時間半でグラナダのバスセンターに着く。
バスセンターを出た途端、異常な高温の洗礼を受ける。
気温がマラガに比べて格段に高い。内陸であることもあり
熱気が街自体に充満しているようだ。太陽は容赦なく
照りつけ、軽い熱中症にかかりそうな陽気の中
グラナダの中心部を目指す。

駅のバスセンターでは目当てのアルハンブラ宮殿の
入場券は街の中心街にある銀行BBVAのカウンター
で売っているからそこで買えばいい、とのアドバイス
を受けた。中心街のBBVAに入る。クーラーの効いた
銀行内のカウンターでは人々が長い列をなしている。
列の中にはガイドブックを片手に持った人もちらほら。
僕らのような観光客だ。待つこと、20分。ようやく
カウンターでつたないスペイン語で(英語なんて喋ってくれないから)
「アルハンブラの入場券を」と頼むと、いきなり
早口で何か言われる。ようやく理解したところによると、
どうも銀行では明日以降のチケットの予約をしてくれるのみ
で、当日のチケットは直接アルハンブラ宮殿の窓口で
買え、とのこと。そりゃ、ないぜ。

めげずにアルハンブラ宮殿を目指す。ユネスコ世界遺産。
世界で最も美しいイスラム建築とキリスト教建築の融合。
宮殿は要塞の役割も果たしていたので、グラナダの中心近く
小高い丘陵地の頂上に立つ。丘陵地までの坂を上る。
無茶苦茶、坂の傾斜が急。太陽はもっと強く照りつける。
こりゃ、本物の熱中症になりそう。さっき、バールで
二杯飲んだアルハンブラビール(グラナダの地ビール)
も一気にさめてしまった。

苦行二十分。ようやくアルハンブラ宮殿、入り口の入場券
売り場に到着。これで宮殿が見れると思いきや、
発券所の上に表示された電光掲示板にメッセージが。
「宮殿入場券は本日はソールド・アウト。庭園入場券のみ購入可」
そりゃないぜ、ってまたかよ。

海沿いの国際観光都市~南スペイン1日目

2005-08-23 06:07:42 | スペイン
パリのオルリー空港から1時間半でスペインの
マドリッドの空港に到着。そこから国内線に
乗り換えて1時間足らず。あっという間に
飛行機はマラガ国際空港の滑走路に滑り込む。

マラガの空港は思っていたよりずっと規模が大きく、
空港内にはイベリア航空、エールフランス、
easy jetなどありとあらゆる規模
の航空会社の機体が駐機していた。
空港のターミナルビルを一歩出ると、強烈な
太陽が照りつける。空港を取り囲むように
山肌がむき出しになっている低い山々が視界に入る。
喉の乾きとギラギラした太陽。
ああ、アンダルシアにやってきたんだという実感。

マラガは南スペイン、アンダルシア地方マラガ県の中心。
ピカソの生家があり、かの天才が10歳まで住んでいたこと
でも知られるが、それもさることながら、現在は
国際的に有名な大リゾート地帯、コスタ・デル・ソル
への中継基地として名を知られている。

そそくさとホテルにチェックインしたあと、
マラガの旧市街まで歩いて見た。今週はどうも
feriaをやっているらしく、どこの通りも
ひどい人ごみだ。女性が、老いも若きもフラメンコの
衣装のような派手な色のドレスを着て街を歩いている。
あでやかなその色に思わず目を奪われてしまう。

街の中心にあるカテドラル前の広場のカフェで
ビールなど飲んでぼんやりする。スペインに来て
初めて飲むビール。サンミゲールの生ビール。うまい。
もう午後八時だというのに、カフェでは誰も
食事をしようとはしない。思い思いに喋っては
ビールを飲んでいるだけ。まだまだ宵の口なのだ。

セビリヤの人々

2005-08-07 21:23:21 | スペイン
昨日、FNACから「セビリヤの香り」という
本を買ってきた。これは旅行記と、ガイドブックの
中間のような本で、たとえばこの本であれば、
セビリヤを題材とした文学作品の一部を抜粋して
載せるとともに、それに関係する、より実際的な情報
を説明文としてつけている、そんな構成。
つまり文学も観光も同時に味わえる一挙両得な
書籍なのだ(どっちも中途半端という声もあるが・・・)

実は小生、このシリーズ大好きで、
「ナポリの香り」と「リスボンの香り」も
持っている自分だった。

さて、セビリヤの住民とその暮らしに関する
一文が載っていたので、ここに紹介しよう。
出典は1989発行のAUTREMENT文庫
[Je suis Sévillan]から。ちなみに翻訳は小生。

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街路の様子は多分変わったのだろう。
人々の習慣も、住居も。
けれど、住む人々は変わっていない。
ここに住む人々は相変らず陽気で、開けっぴろげで
感情豊かで、そして友情に厚い。

バールや、タベルヌの話し声は消えるはずがない。
ここの人々はみな、通りで生きているのだから。
マンサリーニャを何杯か飲みながら、
タパスと一緒にビールを飲みながら、
もしくはあのアンダルシアの空の色と、その
太陽のように輝くシェリー酒を飲みながら
人々はいつも大声で話している。

ここではお酒を飲むことは、友情を保つための
ひとつの儀式なのだ。
人々は生活の大半を街路で過ごす。
一年中、外で集まれるだけの温暖な気候のおかげで。
バールで人々は、サッカーや闘牛、
聖週間や春の花祭りの話に講じる。


スペインの白い村

2005-08-04 06:38:49 | スペイン
日本の友達が奇特にも、スペインに関する
ちょっと学術的な書籍のコピーを送ってくれた。
今月半ば、僕がスペインに旅行に行くことを知って
気を利かせて送ってくれたのだ。

「セビリアを見ていない人は奇跡を見ていない人」

という言い回しが本の中にでてくる。
セビリアの旧ユダヤ人街をそぞろ歩くと
本当に奇跡を生きているような気持ちになるからだ。
白い壁、細い街路、通りから垣間見える中庭、
歌声、ギターの音色、乾いた風。
あのセビリヤの街を歩けるだけでも、感激して
しまうと思う。

ユーミンの歌で、

例え異国の白い街でも 
風がのどかな隣町でも
私は多分 同じ旅人

なんて歌詞が昔だったけれど、ほんと、アンダルシアの
白い街に行ったら、僕なんか子供のように
感激してしまうだろうな。
この歌を僕は中学生の頃から知っているけれど、
時間や人生の移ろい、現在を生きることの
儚さがそこに集約されている、なんて昔から
思っていた。って賢いよ、自分。