セビリヤから戻ってきてもう一週間が過ぎた。
なのにいまだにアンダルシア地方を旅行している
気持ちがしてならない。なんか心をあっちに置いてきた
みたいだ。いまだに脳裏にセビリヤの街角とか、
あの乾いた空気や抜けるような青空が浮かび
上がってくるもんなあ。すっかり依存症になってるよ、アンダルシアの。
久しぶりに日本の高校のときの同級生と国際電話で話す。
アンダルシア旅行がどれだけよかったか、を話したいんだけれど、
あまりよく伝わらない。ひとつには言葉と表現力の限界なんだろうけど、
そもそもアンダルシアに行ったことのないやつにはいくら
説明してもこのよさは分かってもらえないのかも。
ふと高校の同級生から、「自分自身のことを好きな気持ちと
嫌悪する気持ちの割合はどのくらいか?」などと心理学的な
質問を電話でされる。僕は「8対2ぐらいで自分のことが好き」と答える。
彼は120パーセントぐらい自分ことが嫌いらしい。
僕も20代前半の頃は自分のことがほぼ100パーセントの割合で
嫌いだったんだけど、そのうちちょっとずつの割合で自分のこと
を好きになれてきた。
まあ、もともと自分ことを嫌いな人間に恋愛なんてできないもんなあ。
買ってきた絵葉書にはセビリヤの堂々とした大聖堂と白い旧市街。
「いろんな街角でいろんな人に出会う」というのは種ともこの
歌詞に出てくるけれど、まさに人生はその真っ最中なんだと思う。
セビリヤですれ違った人々、カフェやバルで言葉を少しだけ
交わしただけの人々。これからどんだけの人とすれ違っていくんだろうかな。
なのにいまだにアンダルシア地方を旅行している
気持ちがしてならない。なんか心をあっちに置いてきた
みたいだ。いまだに脳裏にセビリヤの街角とか、
あの乾いた空気や抜けるような青空が浮かび
上がってくるもんなあ。すっかり依存症になってるよ、アンダルシアの。
久しぶりに日本の高校のときの同級生と国際電話で話す。
アンダルシア旅行がどれだけよかったか、を話したいんだけれど、
あまりよく伝わらない。ひとつには言葉と表現力の限界なんだろうけど、
そもそもアンダルシアに行ったことのないやつにはいくら
説明してもこのよさは分かってもらえないのかも。
ふと高校の同級生から、「自分自身のことを好きな気持ちと
嫌悪する気持ちの割合はどのくらいか?」などと心理学的な
質問を電話でされる。僕は「8対2ぐらいで自分のことが好き」と答える。
彼は120パーセントぐらい自分ことが嫌いらしい。
僕も20代前半の頃は自分のことがほぼ100パーセントの割合で
嫌いだったんだけど、そのうちちょっとずつの割合で自分のこと
を好きになれてきた。
まあ、もともと自分ことを嫌いな人間に恋愛なんてできないもんなあ。
買ってきた絵葉書にはセビリヤの堂々とした大聖堂と白い旧市街。
「いろんな街角でいろんな人に出会う」というのは種ともこの
歌詞に出てくるけれど、まさに人生はその真っ最中なんだと思う。
セビリヤですれ違った人々、カフェやバルで言葉を少しだけ
交わしただけの人々。これからどんだけの人とすれ違っていくんだろうかな。