KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

奈路ってなん奈路(だろう)?・八反奈路!

2024年05月23日 | 四国の山


先週、船窪のオンツツジ公園の駐車場で、下山後に車に乗り込んだ途端に太腿の表と裏

が攣って悶絶した話を、通いの接骨院で『太腿が攣った』と話をしたら、『太腿の表・裏

どっち?』と聞かれたので『両方!』と答えたら、『それはそれは痛かったやろ』と仰っ

た。両方がいっぺんに攣るのは珍しいそうで、しかも太腿は普通でも痛いらしい。

原因は分からないが膝の影響も少なからずあるかもしれない。もうあの痛みは経験した

くないな~と思いながら、『さて今週はどこを歩こうか?』と考え、YAMAPを探索。

周りの活動日記を見ているとどうやらどこも今年は花付きがあまり良くない様子。そろ

そろシロヤシオでも、と思っていたが、シロヤシオは特に不作のようだった。

それならお花は諦めてブナの新緑でもと思い、久しぶりに八反奈路に出かけることにし

た。八反奈路はもちろんヒノキで有名な場所だが、途中のブナの林も見ごたえがある。

前回は二日酔いでヘロヘロだったが、今回は膝。なんだか毎回不安要素を抱えての登山

となる八反奈路だった。


大豊ICを降り本山町に入り、モンベルアウトドアヴィレッジの横を通って、県道から

北に栗ノ木川に沿って車を走らせる。途中には『本山一揆殉難之碑』が建っていたが、

このあと登山口から続く『滝山』と書かれた道標が山なのか場所なのか意味が分からな

かったが、本山一揆は滝山一揆とも呼ばれていて、その一揆の舞台となったのがどうや

ら滝山という山ではなく場所のことのようだった。

殉難之碑を過ぎ三差路を左に折れてさらに登って行くと、最終民家の上に路肩が広くな

った場所がある。前回は四輪駆動の車だったのでさらに登山口まで、未舗装の道を走っ

て行ったが、今日は無難に路肩に停めさせてもらった。

毎週金曜日にはなんとここまでコミュティーバスが来るようだ。








舗装路から斜め上に続く未舗装の道を登って行くと草刈り機の音が鳴り響いてきた。歩

いて行くと何人かの人が道の脇の草刈り作業をしていたので、軽く挨拶をして通り過ぎ

る。







未舗装の道は突き当りになりその先に高い位置から流れ落ちる滝を見渡せる。案内板に

『幣木ケ滝』と書かれているが、GoogleMapには『滝山大樽の滝』となっている?








広場の脇の取り付きには『滝山一揆(岩屋)』『高石吉之助の墓』と書かれた立派な道標。

その次は『滝山』と書かれた道標が続いていく。この時点で滝山はこの場所の南側にあ

るピークだと思っていたが、そのピークは『きびす山』で、滝山ではない事があとから

分かった。







道は滝の上部へと回り込みながら急登が続いていく。いつものことだが奥様たちのお尻

を見ながら『なんだ坂、こんな坂』と口ずさんでみても、機関車が登坂を力強く登って

行くイメージからは程遠く、煙突から勢いよく出る煙の代わりに、『ハア~ハア~』と上が

った息が出ていく。











先週の太腿が攣った要因を少しでもなくそうと、コンディショニングタイツを新調した。

着圧効果で疲労の軽減につながるというタイツだが、半月板損傷でガタついていた膝も、

締め付けられてガタつきがなくなりいい感じだ。ただしウエスト部分がポッコリ下腹の

下で折れてしまって、お尻が半ケツ状態。腰への効果は期待できそうにない。(笑)








20分ほど急登を登り続けただろうか『中段の滝』の案内板を見て、『ふ~う』とため

息一つ。道はまだまだ楽をさせてくれない。










すると『楽々コース』の道標。しめしめと思いながら楽々コースへと歩いて行くルリち

ゃん
の後ろをついて行く。あっちゃんといえばロープがかかっている反対の斜面を見逃

すはずがなくひとり登って行く。すると楽々コースはほんの一瞬でローブ場の上に出た。

『なんじゃ~』・・・・・。







正面に大岩壁が現れる。この岩を下から斜めに上り詰めると、やっと道は緩やかになっ

てきた。











滝へと流れる沢沿いの道になり、さっきまでの急登でたっぷりと搔いた汗が、その沢の

水の冷気で幾分が冷やされ涼しく感じる。沢の手前で『墓』と書かれた案内板の先で

沢を渡ると『左馬之助の妻の墓』と書かれた真新しい墓標が立っていた。

ここまでずっとそうだが、『一揆(岩屋)』『墓』と書かれた案内板が立っていたけれど、

せめて登山口に説明版でもあれば別だが何のことかさっぱり分からない。

左馬之助とは高石 左馬之助の事で、滝山一揆の中心人物。その人物像はは土佐藩側と

馬之助側では全く異なるが、史実としては「鳥でないと登れない」「木こりさえも通わな

い」といわれた「滝山」の山上に砦を築き、地の利を知り尽くした戦いとなったとある。

土佐藩側は予想以上の犠牲者をだした戦いだったが、45日間の戦いのあと左馬之助

最終的に滝山を去ることを決断した。その際に怪我をしていた妻『ぬい』は、足手まと

いになるからと、敵方に殺されるよりは夫の手で殺してほしいと懇願し、この地で

馬之助
が泣く泣く首をはねたとされている。その後左馬之助は子供たちを連れ、現在の

四国中央市に逃げ延びたという。

そんな歴史が全く分からずただただ『???』と佇む奥様たち。











その妻の小さな石祠の前には朽ち果てた建物の跡と横には五右衛門風呂が転がっていて、

生活していたような痕跡があるが『木こりさえ通わぬ』というこんな場所で、だれが?




墓からもしばらく沢沿いの道が続いていく。スズタケの色が濃くなってくると、沢を流れ

る水は極端に少なくなり、登って行くと作業道に出た。











その後二度ほど作業道を横断すると目線の先の杉林の中に尾根が見えた。あの尾根まで

登れば、あとは比較的緩やかな尾根道となる。そう言い聞かせながら登って行く。











白髪山から南に延びる尾根に出た。ここで行動食を口に入れ水分を補給する。次のピーク

へ一度だけ急登になるが、あとはピークを巻いて行く道で少しづつ緩やかになって行く。














すると少し前であっちゃんが屈みこんで何やら写真を撮っている。『何かいるんですか?』

と尋ねると、黙って指さしている。指さす場所には杉の枯れ葉の上に落ち葉が何枚か落ち

ているように見えた。『???』。ただよ~~く見ると落ち葉と同色のカエルがいた。

見つかっていないと思っているのか、それとも『早くあっちに行け』と思っているのか、

じっとして全く動かない。











背より高いスズタケの道を抜けると、八反奈路と白髪山への分岐。ここから八反奈路へと

下って行くと、すぐにブナの森の中になる。目の前が一瞬緑の霧がかかったような一面

の新緑が目に飛び込んでくる。広々とした緩やかな斜面に立つブナの木。

ブナは「森のダム」とも言われ、ため込んだ雨水を徐々に放出をして森に潤いを与えると

云われているが、まさにその通りこの森はとても生き生きとしている。






















そしてブナの森の先には今度はコケの日本庭園だ。徳島の山犬嶽は割と狭い場所にコケ

岩が密集しているが、この場所はやはり緩やかな斜面一面にコケ岩が広がっている。

そのコケ岩の数だけで云うと、山犬嶽の比ではないかもしれない。コケ岩の上に落ちて

いる枝をきれいに掃除すれば、足立美術館にも負けない庭園美術館になれる?



















タコの足のような太い根を覆いつくしているコケ。この木が枯れ木なのでここまでコケが

付くのだろうか?地表を這うように広がっているコケの根は迫力がある。

道は少し不明瞭になっいていくが、テープを見つけながら更に奥へと歩いて行く。














すると見覚えのある大きな根下りヒノキが見えた。倒木の上に芽吹いた樹が倒木を覆うよう

に根を張り、やがて倒木が風化してなくなることで、根下がりヒノキになる。

近づいて行くと根の立ち上がりは人が立って入れるくらいの高さだ。

ロープが張られた中には『四天王』と書かれた銘板があり、四本のそれぞれ違う形のヒ

ノキが立っていた。














四天王からも西に向かって踏み跡が続いている。足元が悪い場所は木道になっているよ

うだが、ずいぶんと手を入れられていないのだろう、木道自体も朽ちかけている。







銘板にはキャッチコピーが書かれているが、その内容が??『どういう事』って思うも

のばかり。











ただどれもが個性的で、なかには首を傾げたくなるほど複雑な形状をした根下がりヒノキ

がある。このヒノキは男女が社交ダンスを踊っているようにも見える。










『なぜ曲がったか?』と書いてあるが、その答えがどこにも書いていない。おそらく工

石山の『根曲がり杉』と同じように、幼木の時に強風で曲がってしまいそのまま成長し

てしまったのかな?それよりもこの曲がった状態で、これだけの巨木が倒れないのかが

不思議で仕方ない。

















『竜のおっちゃん』と書かれたこれも傾いたヒノキ。『なぜ竜なの?』『なぜおっちゃん

なの?』と巨木の前で頭をひねるが答えが見つからない。唯一幹の途中の膨らみと折れ

た枝の場所が竜に見えないことはないかと、三人で取りあえず納得をする。










『竜のおっちゃん』の前に枯木を横にしたベンチ?が並んでいた。そのベンチに腰かけ

おっちゃんを見ながらお昼ご飯にする。奥様たち二人の話声以上に大きく鳥の鳴く声が

鳴り響いている。











お昼ご飯を食べ終えた後、奥様たちは白髪山へと登って行った。私はやはり膝の具合を

考えて、奥様たちはアタック隊。私はその後方支援といえば聞こえはいいが、前回の

人の森
と同じように、この八反奈路でもしばらくまたカメラの練習をすることにした。














八反奈路は山中にありながら平坦な地形をしていて、木材の搬出に適さないため、白髪山

の檜を販売することで、莫大な利益を上げていた土佐藩も八反奈路のヒノキを伐採するこ

ことができず現在に至り、そのため、八反奈路に自生するヒノキの巨木の樹齢は500〜

600程になる。高知では平坦で緩やかなことを『なろい』といい、そこからここの八反奈

の名がついたようだ。

独りだけになった森は鳥の鳴く声だけが聞こえてくる。カメラをタイマーにセットして、

根下がりヒノキの反対側まで走る。10秒間のタイマーではなかなか間に合わず、何度も

繰り返す。














今度は違う場所でシャッタースピードの設定を変えて撮ってみる。これもタイミングが

合わず、またスピードの設定が難しく何度も繰り返す。

住宅の室内の写真ではよくある写真の手法だが、初めてにしてはこんなもんかな?

樹齢500年から600年の木々の足元で、60年そこそこの若造が、何をウロチョロ

してるんだろうと思われているかな?











結局ウロウロしているうちにコケ床を踏み抜いたり、転びそうになったりで膝の調子が

悪くなってきた。帰りの道でも急坂の下りが待ち受けている。ひどくならない内に森の

撮影会は終了することにした。











八反奈路から白髪山からの尾根に一旦登りそのまま尾根を南に下る。杉林のトラバス―ス

道を過ぎ、尾根から外れ下って行くと沢沿いの道になる。














途中には左馬之助の弟の墓がある。弟の高石吉之助は兄とその子供たちと一緒に滝山から

離れる途中で、もともと負傷をしていてこの場所で息絶えたそうだ。逃げ延びた左馬之助

の墓だけは、この山中にはない。







それにしてもここの滝の案内板はそれぞれで名前が違っていてよくわからない。『中段の

滝』
が近くまで行くと『二段の滝』になっていたり、下では『幣ケ木滝』と書かれてい

るのが『康積保真天の滝』となっていたりと、四段に分かれるそれぞれでも名前が違っ

ていて紛らわしい。














左馬之助や農民たちが立てこもったという『岩屋』にこそ寄らなかったが(史実を事前に

知っていれば立ち寄っただろう)、滝のそれぞれの滝壺まで寄り道しながら、下の滝の見

える広場までもどった。










広場から林道を道の脇の草花を眺めながら車を停めた場所まで戻る。靴を履き替え、窮

屈なタイツを脱いで着替えているうちに、思っていたより早く奥様たちが降りてきた。

白髪山までの登りのコースタイムが45分のところを1時間かかったそうだ。八反奈路

の分岐までも今日はコースタイム以上かかっていた。











車に乗り込み汗をたっぷり掻いた身体のクールダウンに、モンベルに立ち寄ってアイス

クリームを食べる。

再訪した八反奈路は前回同様、四国なかでもその特異で豊かなな自然と、木々が過ごし

てきた時間軸の長さを改めて感じることができた楽しい一日となった。