BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

誰の分まで生きているのか─

2012年02月07日 | 凡日記


昨日撮った桜。

スマフォ以前の
ケータイにもかかわらず
いい画が撮れたので、
自慢のアップロード。

春です。

夜は虫の声がみんみん聞こえます。
夏だとしても異常だ。


   


ラジオを聴いていて。
まぁラジオというのは
スクールオブロックですが。

自分は誰のために生きているか。

誰のおかげで生かされているか。
誰の分まで生きているのか。

誰かのために何かしているか。
誰かを喜ばせようとしているか。
誰の影響を受けているか。
誰かの支えがあると実感しているか。

誰かが死んで、その無念にも過ごせなかった
今の時間をどう思って過ごしているか。

誰、というのを、何、に置き換えたとき、
それは利己的で、かつ、
自己完結しどうでもよくなってしまいそう。

自分は何のために生きているのか。
その答えが見つからなかったら?
虚無に無目的に生きていくか、
生きる希望なく草場の陰に隠れるか。

誰のために生きているかと問えば、
親のためか子のためか、
友のためか恋人のためか、
はたまた世界の人々のためか。
世界の人々はちと荷が重いな、
それは御免だな。

でも少なくとも、
自分さえよければとか
思わなくて済む。
人に迷惑をかけたくなければ
悪いことしようとか
自分だけ苦しみ背負って
葬られようとか思うまい。

人の役に立とうとか
喜ばせたいとか思えば
おのずと自分の存在意義というか
この世の役割というものが
見えてくるような気がする。

誰の分まで生きているか。
高校時代の亡き友人の分か。
今もたまに思い出す。
イラストを描くのが好きな友人だから、
イラストを描いて周りを
喜ばせようと意識することがある。

ふと、ラジオでも、
高校時代の亡き友の話が
出ていたから、
改めて思い返した。

たまに思う。
先に逝って、正解だったかもよって。
でも改めて思い返す。
もったいないね、
あともう少しだけ我慢すれば
こんなにも面白いことがあるのに。

今、代わりに、
存分に楽しませてもらっているから。
亡き友人に生かされて。

いろんな人のために生きている。


   


昼は生暖かい風があって、
頭がぼんやりしますわい。

頭がぼんやりした状態で
日記を綴ると、
こんな感じになりますよっと。