BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
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現実とリンクした言葉

2005年08月13日 | 雑感散文

 NHK-BS2で放送された『SAMURAI7』は、結局4夜まで続いた。さすがにぶっ続けで見ると、オープニングとエンディングが頭に染み込んでこびり付いて離れない。でも連続して観たおかげで、物語に対する思い入れは相当なものになった。
 戦国の世ではなくなった時代、侍(ここではカンベエ)が「金にも出世にもならぬ仕事」と語って、神無村(侍を雇った農家)を野伏せり(後にそれだけではなくなってしまうのだが)から救うべく命を捨てて戦う様に、震えを禁じえなかった。たかがアニメだというであろうが、原作が『七人の侍』だからというであろうが、何か、自分の中には今まで無かったような、そんな人の生き方をまざまざと見せつけられた様な気がしたのだ。
 「金にも出世にもならぬ仕事」というが、このアニメに出てきた農家たちもそうではないか。「農民はまだ、大地にいた」と冒頭で述べられていたが、如何に時代が変わろうとも、今でこそ、農家たちは苦しい生活を強いられながらも一生懸命に働いているではないか。カンベエは最後に、「この戦は、農民の勝ちだ」といったように、主役もまた、農民だったのだ。先代の農民が如何に苦労して土を守り続けてきたのかが、知りたくなった。

 ところが自分には、何たる偶然か、実際に「金にも出世にもならぬ仕事」のような言葉を聞いたばかりなのであった。第4夜は実習と重なり、ビデオを予約して実習後に観たわけであるが、その実習中に、少々の酒の席があり、先生や大学のOBの方々と話をしていた。自分は「森林科学コース」に所属しているわけだが、ある先生は「君たちはかわいそうだ、森林は金にもならん仕事だ」と語ったが、しかし「今まさに林業は、地球環境を救うために必要とされていることだ。せめて他の人たちにはその重要性だけでも分かって欲しい」と熱く語っていた。
 ものすごい衝撃が走った。その林業にかける熱い思いもさることながら、金でも名誉でも、自らの安定した生活でもなく、「地球環境保護」という大儀の元に命を掛けて仕事を果たすとでも申されるのか。そして、自分が進もうとしている道は、実はそんな重い責を負っているところなのか。
 先生からは、「お前には過剰に褒めたりはしないが、将来何かをやってくれると期待できるものがある」と語ってくださった。酒の勢いもあろうが。「目標の定まっている人には、絶対に事をなせる力がある」とも言われた。自分の目標なんて、まだまだ不明瞭な部分も多いし、第一出任せな所が大きすぎる。林業と農業を調和させた「里山」のあり方について研究したい、あわよくばその里山の発展に寄与したいなどと、自分の力では到底及ばないこと、未熟な自分に出来るはずない、と心底では迷いが渦巻いていた。 先生に認められてもらうというのは一人前でありたい人間にとって非常に誉れで、この上ないことかもしれないが、まだ何の力にもなっていないと自覚している自分にそのような言葉は逆に虚しく感じてしまう。荷が重いのだ。期待されるという事がこれほどまでに責を重くするものかは。先の言葉は、酒による出任せだと信じておきたい。

 アニメの話からそれにそれてしまったが、要するにこのアニメで特別な感慨を抱いてしまったのは、奇遇にもそのような件があったからだ。でももしそんなことが無かったら、あぁアニメっていいなぁ、とかキララがかわいかったなぁ(第1話はそれ故に食いついていた)とかそんな程度(もしくは不浄?)のことしか考えていなかっただろうのに。
 また自分の心が穢れた暁には、ビデオレンタル屋に位って再度このアニメを観ようかな。…でも10時間以上の長丁場はさすがに堪えるぜ。