今日のニュースは、三国連太郎さんの死亡記事に目が止まりました。
ワイドショーですからそのままには受け取れませんが、
長男・佐藤浩市、父と呼ばぬまま別れ「三國さん」「あなた」
の記事を読みました。私には、飢餓海峡や釣りバカ日誌での姿しか
わかりませんが、親としてどうだったのか非常に興味がわきました。
私の父も、大正11年生まれですから90歳、いつ連絡があっても不思議では
ないことを思い、父子の事を少し考えてみました。
今では、どうでもいいことなのですが、私は戸籍上は「非嫡出子」であり、
子供の頃は、大きな悩みを持ち過ごしました。
ただ、佐藤浩市さんのように父を憎んだことは一度もありませんでした。
自分の子供が成長し、いつかおじいちゃんとおばあちゃんの事を話さなければ
いけないなと思っていましたが、子供たちがそれについて疑問や不快感を
示すことはありませんでした。今は、社会全体に独立した家族が多く、
回りに環境の似た同級生が多いため、自然に気づいていったのだと思います。
こんな時、父は私の事、私の将来をどう考えていたのか知りたくなります。
そして、母との出会いや私の生まれた時のことも聞いたことはありません。
グループホームに入ってしまった今となっては叶わないことですが、興味がわきます。
父は、戦時中人間として極限状態での生活を南国で過ごしてきた戦中派で、
我々とは物の価値感が違います。
そのような父に、教育論とかPTAなどと言うものは無縁です。
したがって、家族旅行の思い出もありません。思春期には、いっちょ前に
父や母に反抗したような気もしますが、父から見れば可愛いものだったかもしれません。
3月4月は、別れの季節、新しいスタートの季節です。
SNSや様々な風の便りで、親子の別れや子供たちのスタートのニュースを
知ります。明るいニュースが多くて羨ましくなります。
我が家の子供たちは、・・・親は子に期待をしすぎる傾向があるような気がします。
今日は、友人の母が亡くなり火葬に出席してきました。喪主である旦那さんが、
亡くなった奥さんの人生の3分の一をリウマチという病気と闘った。と言う、
言葉を聞き、数年前に会った時の苦しそうな様子が思い出され思わず
涙ぐんでしまいました。ここ数週間で、3人の同級生の両親が亡くなりました。
ご冥福を祈ります。