一関市議会議員 勝浦のぶゆき

「新一関市の未来を考え、行動します」

いつもの夏が、そこにはあった・・・2

2020-08-17 21:14:04 | 日記

今年は、想像もできなかった世界的な「新型ウイルス被害」によって、議会活動も切れ間がなく、

忙しい夏となりました。それでも、いつものように暦は日々進み、季節は移り変わります。

好天が続いた初夏から一転、少し長いいつもの梅雨空が続きました。梅雨終盤の7月の終わりには

強い雨が続き、私の住む狐禅寺地区では水田が冠水し、農作物にも被害が出ました。

それでも、8月に入り米の作況に大きく影響が出る頃には、好天も続き少しホッとしました。

 

 

母が亡くなり、早いもので今年は「3回忌法要」を営む年であり、初めて檀家になったお寺の

ご住職に日程調整を伺いながら二度目のお盆を迎えました。昨年、初めて作った盆棚を思い出し

ながら今年も設置し、母を迎えます。

母が亡くなり、お寺との関係が始まりました。全く初めての事で戸惑うことばかりですが、

家に「盆棚」を飾り、将来私も入るであろうお墓に「墓参り」に行く幸せを感じながら手を合わせます。

今年は、暦の配置が「東京オリンピック」を想定したせいか、非常に長い休みが取りやすい

夏となりましたが、残念ながら「新しい生活様式」によって、ほぼ自宅にいる時間が多い夏

となりました。結果、テレビを見ることも多く、「NHKの渡辺恒雄さん」の番組や戦争関連の

映画を見ながら、父や母が子供だった頃の政治の動きや明治以後の時代について考えてしまいます。

「硫黄島からの手紙」を見ながら、戦争に翻弄される時代背景や家族の悲しさが身にしみます。

父は、南方に出征しましたが戻ることができました。生きていれば、もう直ぐ100歳ですから、

100年前というのは想像できる年月なのかもしれません。母は、戦後の混乱期に子供時代を過ごし

ました。残念ながら、父も母も子供時代や青春時代について多くを語りませんでしたし、私も

聞くことがなかったので、今となれば少し残念な思いもあります。

私も来年還暦ですから、50年前を語ることができる年齢になりました。

夏休みの一日、遅れていた母の報告を伝えるため、母の実家「鰺ケ沢」に出かけ、晩年を母と過ごした

おばあさん、そして優しかったおじいさんに報告してきました。

  

母が、透析治療となる少し前の夏、秋田大学に通う息子に手伝ってもらい、車椅子で母を鰺ケ沢の

実家に連れて行き、お墓参りをしました。秋田から鰺ケ沢に向かう日本海の海岸線の美しさは、

素晴らしく、世界自然遺産白神山地を右手に、五能線と並行しながら北に向かいます。今年も

同じ道を走ることができました。沿線にある「不老不死温泉」や「青池」などには寄る事は

できませんでしたが、休憩で立ち寄った「千畳敷」は、いつもと変わらぬ夏の風景がありました。

母が元気で、「じょっぱり」だった頃を家族と思い出話しながら、少し昔を思い出します。

母の「じょっぱり」は私がしっかりと受け継ぎ、子供達と妻にうんざりされる日々です。

母と出掛けた頃、議会改革の議論が本格化してスタートしました。3年が経過し、私的には

多くの議員さんとの議論を重ね、協力を受け一定の成果を積み重ねることができたと思っています。

残り任期も後1年程となります。残された課題解決に努力して行きます。

いつもの夏が、過ぎて行きます。そのような中、大切な人がまた旅立ちました。「餅つき隊」の

岩渕一美さんには、大変お世話になりました。昨年末、自宅療養中の自宅にお邪魔して、

搗きたてのお餅をたくさんいただいた事が懐かしく思い出されます。

ありがとうございました。

今年は、妻と楽しみにしている「登山」(トレッキングか?)は残念ながらほとんど楽しむことは

できませんでしたが、「新しい生活様式」が定着して、様々なキャンペーンを利用して秋の紅葉を

楽しめればと考えています。そのような中、NHKグレートトラバースで、現在300名山を踏破中の

田中陽希さんに偶然出会えた事は私個人的に非常に幸運な事でした。

「新たな生活様式」によって、様々な変化がありますが、お盆明けの17日からは、9月議会に向けての

会議がスタートしました。

いつもの夏が、今年も過ぎ去ろうとしています。

 

 

 

 


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