私の恩人が急逝されました。残念で悲しい気持ちでいっぱいです。
6月初め頃、仙台の病床から電話をいただいて、市長選の動向を心配されて
これからの一関市を語り合ったのが最後となりました。・・・「退院したら電話
するから、また一緒に何か美味しいものを食べに行こう」という会話が最後になり
ました。お会いする度に、市政について熱く語り合った事が思い出されます。
東日本合唱祭や「ミュージカル平泉」の牽引者として合唱を愛する人の中では、
とても有名で市勢功労者表彰も受けていますが、忘れられないのは文化センターに
響く興紀さんの「ブラボー」の感嘆詞。我が家では、3人の子供達が桜中の特設合唱部に
所属し、先生方の熱心な指導のもと「全国大会で金賞」を取る事ができました。
そうなると、家族の追っかけも夢中になり、高松で開催された全国大会には50人
近い応援団となりました。この全国大会のチケットがプラチナチケットで、なかなか
手に入りません。この際も興紀さんにご配慮いただいた記憶が蘇ります。
様々な合唱大会や吹奏楽、太鼓道場部の活動に行く度に、大きな感動を受けます。
東日本合唱祭や様々な演奏会に行くと響く「ブラボー」の感嘆詞。私が知る限りでは、
興紀さんと文化会議所理事長の内田先生の声は確認できます。私も声をかけたいと思いますが、
非常に難しい。私も感動を素直にあらわしたい、「ブラボー」を会得したいと思い、興紀さんに
相談しました。まずは、一般的な「ブラボーのマナー」を聞き、何よりも難しい「タイミング」
に慣れていきました。最近は、新型コロナウイルスの影響で、合唱を聞きに行く事もなく
なりましたが、興紀さんが活躍するグリークラブの合唱で「ブラボー」と感嘆して、
喜ばれた事が思い出されます。様々な子供達の演奏会でも「ブラボー」を忘れません。
思い出が次々に浮かんできます。そばが好きだった興紀さんを案内して、湯沢市の
「かえで庵」に案内して「皆瀬牛と手打ちそば」を喜んでいただき、また行く約束を
していましたが、それはかなわないこととなりました。
一関のまちづくりをいつも気にかけられ、多くの助言をいただきました。
新型コロナウイルスが収束したら、興紀さんが大切に育ててこられた「東日本合唱祭」
に出かけて、素晴らしい歌声に感動したら大きな声で「ブラボー」と興紀さんに聞こえる
ように「天君に向かって感嘆」したいと思います。
さようなら、そして、本当にありがとうございました。