一関市議会議員 勝浦のぶゆき

「新一関市の未来を考え、行動します」

ILC県民集会、国際里山文化圏、そして燃料電池車

2014-06-29 07:44:26 | 日記

6月26日、岩手県民会館で開催された「ILC県民集会」

に参加してきました。講師は、そうそうたる顔ぶれで、

村山 斉 氏(東京大学カブリ数物連携宇宙機構 機構長 他)

駒宮幸男 氏(東京大学素粒子物理国際研究センター センター長 他)

山下 了 氏(ILC戦略会議議長 他)

の3名が、それぞれの立場でILCについての講演を行いました。

約、4時間の講演予定だったため、その長さに少し不安がありましたが、

その心配は無く、あっという間に時間が過ぎ去りました。

5年前に、このブログを立ち上げて、何度ILC関連の事を書いてきたか、

定かではありませんが、多分記事としては、最も多いと思います。

講演の内容やその様子は、新聞やニュースで報道されていますので、

詳しく書きませんが、確か、山下先生が語った「国際里山文化圏」という

フレーズが特に耳に大きく残りました。

先日、日本創世会議が示した、未来の人口予想は、私たちの暮らす岩手、一関市に

とって、大変厳しい数字が示されました。

そのような中で、これからの地方を守り育てていくキーワードとなりそうな、「

里山」と言う言葉に敏感にならざるをえません。講演では、私たちが持つ、

「1000年の文化、古い町並みとの融合、豊かな環境」について、語られていました。

東京から、たった2時間で到着する、地の利、そして、大切に守られてきた文化と自然、

確かな教育力。誘致に向けて、何も障害となるものが無い事をあらためて実感しました。

先日の視察で訪れた真庭市の「里山資本主義」の取組、そして、新たに聞く

「国際里山文化圏」。里山に暮らす私たちが、一日も早く、その優位性に気付き、

その利活用に一歩前進すべきと考えています。

私は、その最初の一歩を、今一関市の最も大きな課題となっている、「新清掃センター」

建設を大きなチャンスと捉え、ILCを誘致する市として、施設を大きな「エネルギー基地』

として建設し、今話題の水素を燃料とする、「燃料電池車」を市内に走らせるための

「水素供給基地」の建設も視野に入れた政策を見据えるべきと考えています。

課題は、山積していますが、夢の実現に向け前に進みたいと思います。

 

 


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日本の勝利を信じて・・・

2014-06-18 21:44:22 | 日記

高校時代、同じグランドを走り回ったラグビー部の友人飯沢君が、

「FIFAブラジル大会が開会」とブログに書いているのを見て、

サッカー部の私も一言書いてみることにしました。

飯沢君のワールドカップデビューは、1978年のアルゼンチン大会だそうです。

私も、夢中になってテレビを見ました。決勝戦のスタジアムを覆いつす紙吹雪が

今でも忘れることができないほど、鮮烈でした。

私は、サッカー部でしたから、1974年の西ドイツ大会から記憶が残ります。

ベッケンバウアー、ゲルトミュラーを擁する鉄壁の西ドイツにトータルフットボール

と言う、初めて聞く言葉と空飛ぶオランダ人「ヨハン・クライフ」の変幻自在の

プレースタイルに胸がワクワクしました。

中学生になって、クラブ活動が始まり、初めてサッカーと出会いました。

当時の桜町中学校の花形スポーツは、バスケットボール、そして、定番の野球です。

そして、私の時代には、「キャプテン翼」もな

サッカー部は、ちょっと、不良っぽい先輩がいて、当時はあまり女の子に注目される

スポーツではありませんでした。

また、実業団のサッカーチームが天皇杯で、大学生と優勝を争っていたような記憶があります。

この40年で(特にこの20年)、日本のサッカーは大きく変わりました。ドーハの悲劇から、

日本のサッカーは一変しました。私の学生時代には、ワールドカップに出るなどということは、

想像もできない事でした。

 

いよいよ20日、ギリシャ戦が行われます。

勝利を信じて疑いません・・・。

 

私は、ずーっとサッカーを応援してきました。というか楽しんできました。

7年ほど前に桜町中学校が、福島のJヴィレッジで開催された「全中」に初出場しました。

その時の美しく整備されたあのすばらしい環境が思い出されます。

中総体の全国大会は真夏に開催されますので、試合当日の朝早く、Jヴィレッジに面する

海岸に散歩に出かけました。

  

朝焼けの美しい海岸で、娘とたわむれた写真は、今では夢のような1枚となってしまいました。

安全神話が崩壊し、それでも原発再稼働を目指す政府を前に、何かが違う事を皆さんが気づいている。

高い電気料金を払っても、原発と決別する覚悟をし、新しいエネルギ革命を目指す

政策にシフトしていかなければならないと私は思います。

 

 

 

 

 

 


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市議会定例会・一般質問登壇

2014-06-15 06:50:43 | 日記

 明日(16日)午後2時頃一般質問に登壇します。

これまで、一般質門には4年半で18回登壇しましたが、

今回は初めて最後の出番となります。

議会での一般質問の発言順番は、基本、次回の議会日程が予定された際の

議会運営委員会において、会派の順番をくじ引きで決めます。

今議会は、1番が公明、2番が関新会、3番が新政会、4番が無会派、

5番が共産、6番が緑清会となりました。

毎回議運でくじを引くのが私の役目ですので、くじ運の弱さを露呈しています。

今議会では、

財政状況と今後の見通し

・ 経済収支比率、公債比率、将来負担比率等の財政指標について伺う。

・  税の収納率と収納率向上対策について

・  新市建設計画以外の主な各種事業、新規事業について伺う

・  新市建設計画策定時の想定を大きく上回る人口減社会の予想に対して、

  今後どのような財政計画を策定していくのか伺う。

生活排水処理基本計画、汚水処理事業について

・  一般廃棄物処理基本計画の生活排水処理基本計画によると、

 半数以上の世帯において生活雑排水が未処理のまま公共河川へ

 排出されており、河川環境の保全が必要であるとありますが、

 市内を流れる河川の現状について伺う。

・  2012年末の汚水処理人口普及状況によると県の普及率は75.4%、

 盛岡市で95.1%、花巻市で85.8%、北上市で85.1%、

 奥州市で74.3%、一関市54.8%です。他市に比べ、非常に普及が

 遅れている現状の中、市は、公共下水道計画区域の見直しを行い、

 今後おおむね10年間での事業完了を目指す方針ですが、その計画について伺う。

・浄化槽の整備手法の統一について

の大きな項目で2項目の質問を行います。

特にも、この数年で市の借金は大きく膨らんでいます。日本創世会議が示した

2040年には、一関市の人口が今の6割程度になる。と言う、驚く数字も

発表されました。今議会では、財政の状況をわかりやすく聞いていきたいと思っています。

今議会から、議場に大型モニターが設置され、映像・音声がアナログ方式から

デジタル化されました。議会改革の一環として9月議会からは、押しボタン方式

による採決方法も導入される予定です。

開かれた議会となり、議員の活動がより身近になり、その活動がしっかりと

市民の皆さんに届くよう努力していきたいと思っています。

 

 

 


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会津で曲りねぎと出会う

2014-06-09 07:43:17 | 日記

休日は、時間を見つけて観光地、商店街めぐりをしています。

角館、十和田に続き、会津若松市に出かけてきました。

会津若松市に出かけるの初めてであり、その歴史に非常に興味がわきます。

飯盛山にのぼり、白虎隊の悲劇の地を歩き、遠く城を望み、同世代の子を持つ親として、

様々な事を思い、幕末に思いをはせ、その後、「七日町商店街」を散策してきました。

「蔵が建ち並ぶノスタルジックな通りで大正浪漫を感じよう」などと、ネットなどに

紹介されている街並みです。

  

古い蔵を上手に活かしながら、まさに「歩きたくなる街」を上手につくりあげていました。

気になったのは、地元の金融機関ですが、看板は良いのですが、建物がマッチしません。

資金力の厳しい商店が、上手に街並みを保存しようとするのであれば、地元商店街の

金庫番として、」看板だけでなく、建物にも気を配ってほしかった・・・(一部改装でも良いのに・・・)

 

朝一では、隣町の「大内宿」により、その観光地を巡り、名物といわれる「ネギ蕎麦」を

食べてきました。

ここはとても素晴らしい。

「江戸時代の町並みを今に残す宿場「大内宿」。「下野街道と呼ばれた会津と日光を結ぶ街道の両脇には、

茅葺き屋根の民家が並び、江戸へ向かう大名や旅人の宿駅として重要な役割を果たしていました。

30軒以上の茅葺き屋根の民家が並ぶ様子は極めて珍しく、現在も100万人以上の観光客が訪れ賑わいを見せています。 」

国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されるまでの経緯

昭和42年 会津茅職人の調査に訪れた武蔵野美術大学の相沢教授(当時学生)が強く保存の必要を村に訴えたましたが、

村は賛成と反対との意見に2分されました。

しかし、相沢教授の熱心な説得と当時の大塚実町長が時間をかけて説得に当たり昭和50年文化財保護法の改正を経て、


昭和56年4月18日 重要伝統的建造物群の指定を受けることに至りました。

 

などと紹介されています。それぞれの民家の軒先の商店のおばさんと話し込んでしまい、予定以上の時間を

ここで過ごす事となりました。

   

名物と紹介されている「ネギ蕎麦」を食べたいと、民芸品を売っているおばさんと話すと、

今では、様々な蕎麦があり、それぞれ工夫しているけれど、「ネギ蕎麦」は、「三澤屋」さんが

良いですよ。と勧められそこで食べることにしました。

観光地ということで、非常にお客さんに慣れているのかもしれませんが、その良心的な対応や

値段の普通さに感心しました。

あまり混んでいなかったので、店のお姉さんといろいろ話をすることができました。

「どこから来ましたか?」と聞かれ、

「岩手の一関です。・・・・・・・世界遺産の平泉の近くです。」

「ああ、私もぜひ行きたいところなの。」

などと、会話していると「ネギ蕎麦」が到着。

見ると、これはまさに「曲りねぎ」です。先ほど、店を紹介してくれたおばさんが言った、

「ネギが違う」とは、この事かな?と思いました。

聞くと、栽培方法も一関と同じのようです。

まさか、この地で曲りねぎに出合うとは・・・

少し気になったのは、ここまでくる道すがらの休耕田の多さです。

今回は、時間が無くて調査できませんでしたが、この地域の生活振りについても

いろいろ調べてみたいと思います。

 

 


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