思うことを。
世の中のことは平等ではない。みんな同じだという「画一的な話」は実際には違う。身長が高い人もいれば低い人もいる。走高跳をやろうと思えば身長の高い選手のほうが明らかに有利になる。この時点で「平等」ではない。自分の身長を申告してその高さを基準に「何センチ上を跳べるか」という部分を競うのであれば「平等」なのかもしれないが、それは本当に「競技なのか」という疑問も生まれる。
この部分は「どうにもできない不平等」だと思う。世の中は平等ではない。足が速い選手もいれば遅い選手もいる。「平等」を求めるのであれば全員が「県総体」に出ることができるのが「平等」かもしれない。県総体に県内の選手が100人出る。同じ学校の選手であっても3人とは言わずに際限なく出られる。それが「平等」なのかもしれない。が、実際問題はそのようなことをするのは不可能になる。大会運営ができない。何をもって「平等」を叫ぶのか。
が、いろいろと思うことがある。山口県では「高校生全員がPCR検査を受ける」という通達が来た。これは他県では行われていない。同時にこの検査は「任意」であり、受けても受けなくてもよいという形になっている。ここに関して「平等」が成り立つのかどうか。県総体に関して「安心して出場できるように」という謳い文句であった。その時に「偽陽性」であったり「陽性」だった場合の詳細な設定がされていない。
県内でも「検査を行わない」という生徒もたくさんいた。行わなければ「陽性」判定をされることはない。万が一「陽性」判定がされたら県総体に出場できない可能性があるという話が浸透していたら検査を受けないという選択肢もありだと思う。逆に受けることで「リスク」が生じる。「任意」という部分が非常に曖昧。受けるも受けないも「自分で決めてください」という感じになる。自分自身が受けなくても周囲が受けていたらそこから影響を受けることもある。
山口県だけPCR検査が実施される。他県ではそれがないので「陽性」であっても「無症状」であれば県総体に出場できる。山口県では検査をしたので「陰性」であっても周囲に「陽性」がでれば県総体に出場できなくなる可能性がある。「クラスターの発生を抑える」という考え方なのかもしれない。が、実際には「陽性」であっても検査を受けていないからわからないという生徒もいるのではないか。
ここに関しては本当に「平等」なのか。身長の高い低いとは全く違う。生まれ持っての「差」ではない。明らかに作られた「不平等」だと思う。もちろん、「感染予防」に関しては細心の注意を払う必要がある。もしも大会などでクラスターが発生したとなれば「競技団体」が批判を受け責任を取らなければいけなくなる。そのリスクは避けるべきだとは思う。しかし、今回のことに関しては明らかに違う。この「不平等」に対してやり場のない「憤り」を感じる。「救済の方法」はないのか。これは全国的に起きうる問題ではないのか。
「症状が出ての検査」や「発症者の濃厚接触者」として「自宅待機」とは意味が違うのではないか。言い方は乱暴だが「簡易検査をしなければ出なかった」ということになる。もっといえば「検査を受けない」という選択を全員がとれば違う結果になる。新型コロナウイルスに感染したということはもうすでにどこでもあり得る話だと思う。自分自身が感染する可能性は極めて高い。
1年前と比べると「誹謗中傷」の対象になることも少なくなっているのかもしれない。今回、簡易検査によって「陽性」となった保健所の検査を受けて「陽性」認定された生徒が数名いる。この生徒がどのように感じるだろうか。自分自身を責めて欲しくない。自分のせいで・・・と思うと本当にしんどいと思う。自分だけではなく周囲の友人が県総体に参加できないという形にもなるのかもしれない。そうなると自分自身を責め続けるのではないか。そんな不安がある。消えない心の傷を背負ってしまうのではないか。そこまで考えての「一斉PCR検査」だったのか。
うまく書けない。が、自分の中で釈然といない部分がある。私にできることは何か。できることはやりたい。強くそう思う。行動に起こせる部分は起こす。それしかない。うまく書けません。