ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

義兄逝く

2012年08月05日 | その他
                 
1日9時27分お菓子屋の義兄が84歳の生涯を閉じた。
昨年秋集団検診で初期の肺癌が見つかり、6月中旬手術入院までは健常者と何ら変らなかったが、7月30日深夜容態が急変して再入院「若し手術先が医大でなかったら」と何とも早急過ぎる理解に苦しむ別れだった。
残された家族はお迎えま近な姉と姪子の2人だけになり、義兄の甥子と3人で葬儀場へ4泊5日で無事葬儀の任を終えた。
義兄は和菓子屋老舗の三代目として洋菓子まで拡大繁栄させていたが、後継者も無く15年前都市計画移転を機に廃業、第二の人生は趣味の写真撮影に没頭していた。
この写真は自分の最期を飾ろうと撮影したものでもないだろうが、特に大切に保存していた作品の1枚で、何故か自分は今一番魅かれてしまった。
            
何時しか県展の入選は常連になり嘱託として毎年無審査、中央のコンクールでも数々入選、この作品も二科展で入選、義兄自慢の一枚だった。
数々の個展も開いていたが「東京のペンタックスホールで開いた頃が俺の絶頂期だったない」は自慢話の最後だった。サラリーマンより10年遅れのリタイアーだったが、写真一筋道楽第二の人生は幸せだったと思う・・・・合掌!