ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

打ち始め

2010年01月16日 | 手打ち蕎麦打ち
            
新年初の研究会、新たなメンバーAさんを迎えて“打ち始め”が行われたが、参加者は12名でやや寂しいスターになった。本田さんの“ゆず切り”三度目の挑戦と自分で持ち込んだ“高遠そば”で何とか盛り上がる事を望んだが、皆意外に感心が薄くやや期待外れだった。“高遠そば”は醤油が一般庶民に普及する以前の江戸時代初期、信州伊那高遠山間部が発祥地と伝えられ、焼き味噌を辛味大根の汁で溶き、ねぎを加えてそば汁にした物で、後に会津の殿様保科公がそば打ち技術と辛味大根の栽培を導入して、会津では辛味大根の搾り汁にたまり醤油を好みの量をたらして食する、と書物には記載されている。
30数年前JA塩川婦人部の婆さん達が打った“高遠そば”をご馳走になり、あまりの美味しさに大感激した。その後会津若松の桐屋で、メニューにあったので喜び勇んで注文したら、当事は辛味大根おろしは小皿に少量添えられただけの物で失望。つい最近までは思い出す事も無かったが、先日コラッセ福島県物産館で大内宿えびす屋の出店があり、Hさんから「“高遠そば”を食べて来たがしょっぱくて不味かった」と写真添付のメールでよみがえった。これを見ると“ぶっかけそば”に辛味大根おろしを少量盛られた物で、どう考えても桐屋同様に“紛い物”としか思えなかった。そんな訳で、まだ畑には辛味大根がたくさん残っていたし、皆に知ってもらう良いチャンスでもあったので、この“高遠そば”の汁でも試食してもらった。
            
夕食にも炊き込みご飯と少量の天婦羅で味わった。家族の反応も珍しい物を口にした程度で、風味は十分あっても辛味の足りない失敗作の辛味大根が原因、これには品質の良い激辛さがポイントだ。今秋には原点に戻り野生に近い条件で栽培してみるか。