ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

昼食会

2016年06月23日 | その他
             
福島駅西口の居酒屋で13時から同じ釜の飯を食った気心の知れた仲間の昼食会が開かれた。
偶然にも過日亡くなったM君の49日だったそうで、話題も葬儀では語り尽せなかった現役時代の懐かしい思い出話で終始した。殆んどは各自の現役時代の失敗談が順送りで披露され、今では笑い話も当時は深刻な状況で如何にして乗越えたか、余にも豊富で自分もそれらの何例かの場面には居合わせた筈なのに、何としても思い出せなかった部分は時の経過とボケ(記憶喪失)なのだろう。
ランチタイム客の中では恐らく唯一の飲み放題の客ではなかったのかなと思うが、SH君から「今度は外が見える明るい所で」と提案もあったし、次回は昼食付き日帰り温泉で楽しむのもいいのかなーと思った。

さくらんぼ

2016年06月10日 | その他
             
さくらんぼは高価で金額に見合程の美味さも無いとほとんど無関心だったが、行きつけのJAここら黒岩店で“正光錦”と云う品種が偶然目に飛込むと同時に懐かしい思い出が蘇った。
昔の事で何年前の事かは思い出せないが「生甲斐のある職場作り」のキャッチフレーズで職員の意識改革の名目で合理化がスタートして、受身であった番組制作も自ら提案して取材に関る様になり、自分の第一作目がこの“正光錦”を生み出したさくらんぼ畑での4分程のインタビューを主体にしたローカル番組だった。
伊達町(現伊達市)伏黒の果樹農家に長年道楽で品種改良を続けている面白い人がいて最近やっと1つだけ物になったと、同じ果樹農家の親父の実家から得た情報だった。
“正光錦”の正光は自分の名前だった事は確かで、姓は確か佐藤ではなかったかなと思う。
現在さくらんぼの一級品と云えば“佐藤錦”だが「山形の佐藤さんに“佐藤錦”で先を越されてしまったので俺は名前をとった」の言葉も鮮明に残っていた。
梨は過去の果物と勝手に解釈して自ら進んで食べる物ではなくなり、さくらんぼは高価な事からそれ以上の物だったが、思い出と共に味わってみると果汁が口いっぱいに広がりチョッピリ酸っぱくて適度の甘さは正に果物の宝石、安ければふんだんに食べられる愛すべき物なのだが。

ブログ本

2016年06月09日 | その他
   
10日程で編集を終えて発注していた昨年のブログ本10冊目が届いた。
製本用に変換する製本会社側のソフトに原因があるのか、ローマ字を含む文章では一行のローマ字が占める文字数により文字間隔が微妙に乱れを生じてしまい、そんな部分は文の追加や削除で調整するしか方法が見つからず、これが結構面倒で気分が乗らないと中断してしまい毎年今頃になってしまう。
タイトルの道楽三昧の内容も3年前の心疾病発覚後は実質「アマチュア無線」と「男の料理」だけになり、今回は309ページで年々薄くなるばかりだが、何時まで続くか生存の証として継続したいと思う。

映画鑑賞

2016年05月23日 | その他
             
フィギュアースケート選手の羽生結弦が特別出演すると各局のTVワイドショーでも放送された「殿、利息でござる!」を観てきた。
物語は仙台藩吉岡宿(宮城県大和町吉岡)の住人達は重税に苦しみ、その中の9人が千両(3億円相当)の大金をかき集めて殿様に貸し付けて、その利息で町を復興させようと画策した搾取される側から搾取する側に廻る実話の映画化で、期待していた以上に大変面白かった。
14日に全国一斉公開された事と、ゆなが藩(いわき市)の「超高速参勤交代」と同様のご当地映画の親しみもあってか、平日なのに観客はほぼ5~60人で日頃には考えられない大入りだった。
昼過ぎに終り「月1回師匠のそばを食べる」ノルマも達成出来るので、運動会の写真をプリントして13時半過ぎ頃“手打ちそばよしなり”に着いた。
カウンターも6席程あって日本古来のそば屋らしからぬ師匠発想の洋風の洒落た店は、この時間でもほぼ満席なのに珍しく空席があり直ぐに座れた。
カウンター席からは厨房の師匠の作業の様子が明瞭に聴こえる。タイマーが鳴りそばが茹で上がった、空かさずそばを〆る氷水の中の氷がぶつかり合う激しい音がして、音が止まると30秒程でビンビンと冷たく硬く締まった星の浮かぶ光るそばが目の前に現れる。
そばは年間を通して“あいづのかおり”だそうだが、そばが一番不味くなると言われている6月から8月の間も年間を通して何時も変らぬ味のそばは、自分には不可能な正に師匠の職人技だ。
そして絶対に真似の出来ない天ぷら揚げもそば茹でと同時進行だから、手元に届いた時にはうっかりすると口が火傷をしてしまう程で、また調理人としての心意気が十分過ぎる程感じられて、必ず旬の野菜がさり気なく添えられているから、自称男の料理人としても嬉しくなってしまう。
今月はスナップエンドウだったが、HPで紹介していた福島県アスパラ発祥地田島産のアスパラだったら最高だったが、そばが出されてから単品注文と知り、そばが食べ終わってしまうので断念してしまった。

M君逝く

2016年05月18日 | その他
             
福島で定年退職した同年代8人でスタートした飲み会仲間のM君が13日に亡くなり今日葬儀が行われた。
3年前の昼食会に「最近身体の調子が良くなくて」と奥様運転の車で送迎されて参加したのが最後だった。
その後電話をしても本人が出る事はなく、奥様も口止されていたのか容態は不明で1年程前からか入院しているらしいと分ったが、誰も逢う事は叶わずこれで仲間も5人になってしまった。
我々は大都市だけだったTV放送が各県に送信所が建設されローカル放送もラジオ並に始まり、教育TV本放送開始直前の昭和34~36年の大量採用組で、ほぼ全員がTV番組制作要員として仙台と東京からスタートした同じ釜の飯を食ったTV草創期の仲間。職場には映画や舞台からヘットハンターされて来た人達が大勢いる中で徒弟制度の下で修行した事から結束も硬いのかなと思う。
K君が一番先に退職する確か一年前「みんなフグなんてクッタゴドネベ、エッテミッペ」とM君の提案で職場近くの割烹旅館でフグを食べ、この時「退職後も春と秋に気軽に集まり昼食会をやろう」とM君が再提案、全員が賛成してこの会はスタートした。
会則など硬苦しいものは一切設けず、ただSH君の提案で会の名前はリーダーシッペのM君一任で付ける事になり、後日知らされた「**の会」の二文字は書く事も東洋漢字で見つける事も困難な“ふくふく”或いは“フグ”とも読む我々凡人には読めない格言とかで、さすが趣味の古文書研究家ならではの技だった。
そして、私費で古文書収集もしている間に歴史上重要な書類も発見して個人で保管するよりは博物館でと、県立博物館へ数点寄贈していた様だ。
また現役時代には誰よりもローカル局発ドキュメンタリー番組制作に関り、福島初の技術選奨を受賞するなど多くの名作を残し、それらの作品は福島局のアーカイブスコーナーで多分今も視聴出来るのではないだろうか。こんな事からもM君は常に我々の模範でもあった。合掌!

プレゼント

2016年05月04日 | その他
             
愛実が部活で学校へ来たついでに立ち寄り「遅くなってゴメン」と誕生日のプレゼントにスターバックスのコーヒーを置いて行った。
そう云えば昨日が76歳の誕生日。昔から誕生祝いなどやった事が無く忘れていたが、プレゼントを手にして医学の力で生存している事に感謝しながら終活の再検討も必要かなと思った。
孫達からの手紙は入っていなかったが、せめて愛実が成人を迎えるまでは見届けたいが、閻魔様のご機嫌次第なのかな。

旧友会春の旅行

2016年04月28日 | その他
    
旧友会恒例の春の旅行が桑折町の自然と歴史を訪ねて行われたので、相変らず体調に不安があり「万が一迷惑をかけてしまう事があっては」と悩んだが、近場なので3年ぶりに参加した。
桑折町は羽州街道と奥羽街道の分岐点のあった宿場町で、半田銀山や伊達郡役所もあった歴史がたくさん残る町だ。
参加者は15名、福島駅西口へ集合して4台の車に分乗して現地へ向かったが、朝から一日中生憎の強雨で、散策が予定されていた街道分岐点は車中から見学、半田山公園も新緑の山道を往復しただけだったが、自分にとっては身体への負担も無く好都合だった。
そんな事で桑折御蔵ではお茶と団子を頂きながら、留まるところを知らない運営責任者のお話をタップリ伺い、史跡郡役所で半田銀山資料展見学後は、うぶかの郷で入浴と豪華な弁当を頂ながらのんびりと懇談した。

チュウリップ

2016年03月30日 | その他
             
昨日福島気象台観測開始以来史上二番目の早さで桜の開花宣言があった。
言うまでもなく地球温暖化の影響に因るものだが、我が家のチュウリップも満開になった。しかし今年は赤一色のしかもミニチュウリップと思われる程で全くの期待ハズレだ。考えてみると、お徳用各色混合60球980円に手を出したのが間違いのもとで、表紙の球根の色も微妙に異なるのに、買う時も植える時も気付かなかった自分にも責任はあったが“各種混合”の表示は販売元の過大表示ではないのかな。
マー!何時になっても繰り返してしまう貧乏人の安物買いの銭失いは、育った環境で何とも仕方ないが“不治の病”困ったものだ。

花壇

2016年03月25日 | その他
             
風はまだ冷たいものの花壇のヒヤシンスは今が盛りと咲き誇っているが、そんな中で例年ならつぼみがようやく出始める頃のチュウリップが二輪だけ満開なのだ。
この球根、秋にお得用と表示された100球ネット入りの安物で、球根の大きさは変らなかったのに今咲いている物は何故かミニチュウリップ。他にもこの時期にしては葉の生育状態が遅れて、まさか土壌の放射能汚染に因るものでもないだろうが、何となく我が身と共に気がかりだ。
そんな事を気にかけながら、午前は循環器科へ午後は眼科で月1回の定期検診を受けて来た。
検査結果は花の散り際に同調かな?なんて予感もあったが、何れも小康状態現状維持で安心出来るかな。

春の雪

2016年03月01日 | その他
             
朝寝坊した訳でもなかったのに眼を覚ますと部屋が異常に明るく感じて、カーテンを開けると水分を多量に含んだ大粒の雪降りだった。
この冬は過去に例の無い異常気象の天気予報士泣かせだそうで、ほとんど外れてしまうFTV斉藤さんの前夜の予報も今朝は見事に的中した。殆んど毎回謝罪で登場する斉藤さんも今夜は多分得意顔で現れるだろう。
昨年は着雪でNagara NTD-3040通称ハエたたきアンテナのエレメントを折損と同時に電柱からの落雪で車庫の屋根を破損したので心配したが、積雪も10cm程で10時前には降り止んだ。
今日は高校の卒業式。こんな日の春の大雪に卒業生は皆驚いたと思うが、自分の入学式の時には4月の春雪が式の終わり頃から突然降り出して大雪になった。当時は高下駄が主流で二枚歯に挟まった雪が大きな団子になり歩行困難、全員が高下駄を両手に裸足で帰った風景が懐かしく蘇った。と同時に高下駄は進学校生のエリート意識のシンボルでもあり、実業校就職組のしかも貧乏人の自分には高級品で平日の通学は平下駄で滅多に履く事は出来なかった。