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時事散歩Ⅴその9

2016年05月25日 | ブログ
伊勢志摩サミット

 明日5月26日、27日、先進国(主要国)首脳が一堂に会するサミットが伊勢・志摩で開催される。警備の警察官、運営に当たる方々には大変なお仕事であろうが、ぜひ成功させていただきたいものである。交通規制で一時不便な思いをされる地元の人もおられようが、一生のうちに一度あるかないかのイベントが地元で行われるのだ。光栄なことではなかろうか。

 付録みたいな感じではあるが、実はこちらの方が意義深いとさえ思われるけれど、サミット終了後オバマ大統領が広島を訪問されるとのことで、事前通告のこととはいえ、これは結構なサプライズであろう。米国では原爆投下の謝罪と受け止められ兼ねないとの懸念から、大統領の被爆地訪問には根強い反対もあるようだけれど、杞憂に過ぎないのではないか。この国の国民のほとんどは謝罪を要求するような気質にはない。お隣の国の方々とは本質的に異なった歴史・文化・風土・器量を持った国民なのである。

 各国の首脳には、5月の陽光の下、美しい志摩の風景と、この国の伝統の発祥の地ともいうべき伊勢神宮や海の幸に松阪牛、和食の素晴らしさをご堪能いただきたいものである。

 それにしても、今回のサミットを、「中国とロシア(ロシアと中国ではない)が不在では、サミットは欠席裁判となる。伊勢志摩G7を機に再考を」<日経ビジネス2016.05.16号「賢人の警鐘」>の記事には驚いた。書き手の中国贔屓は知れたことだけれど、サミットを何と認識しているのであろうか。

 このG7とは先進国首脳の集まりであり、そのメンバー国は単に経済規模が大きい、軍事力が強大であるからという理由で集まっているわけではなかろう。共産党一党独裁の国家が、真に国家と言えるかどうかも怪しい。国民に指導者を選ぶ権利も与えられておらず、共産党の党利党略で選ばれたトップなど、サミットのテーブルにつく資格などないことは明白ではないか。

 「中国抜きに南シナ海問題に関する議論をし、懸念を表明しても、現実として何が変わるようにも思われない。」とあるが、それは国連安保理の課題である。そこに拒否権を持つ当事国が、その国の核心的利益と表明している問題を議論さえ許してさえないのではないか。そのような国際法さえ無視する国家の指導者をサミットに呼んで、それこそ現実として何が変わるというのか。

 G7は自由と民主主義を標榜し実践している、まさに経済力に加えて少なくとも良識ある行動を志向した国家指導者の集まりなのである。今の民主主義の運用がベストではないにせよ、自由と民主主義をいかにさらに普遍化し、世界の真の平和と豊かさを実現するか。そのための会合である。ロシアは共産党政権が崩壊し、大統領も不完全であろうとも国民の投票で選ばれるようになった。だからG8として参加していたのだ。ウクライナへの軍事介入などの問題で2014年から再びG7に戻っただけの話だ。中国のサミット参加は、民主化という改革が必要である。

 何を基準に「賢人」かは知らないけれど、この件などもこのような考え方があり、「人それぞれの意見は尊重しましょう」の類の問題ではなく、間違った論理はしっかりと間違いですと言わなければ、字面だけ読んで、そうだそうだと考えてしまう人が多くなることが恐い。

 大相撲で横綱白鵬が、どこまで記録を残しても、日本に帰化しない限り親方として相撲界には残れない。それは神事としての日本古来の伝統を維持することなのだ。時代とともにその時代に生きた人々の都合で変えていいことではなかろうと思う。

 サミットも単に経済力で測って原則や参加資格を曲げてはならないのだ。現状の中国をサミットメンバーとすることは、今の中国の政治体制を主要先進国が公認したと取られかねない。それは、チベットやウイグルの人達はじめ中国の民主化を望んでいる人達へも裏切りとなる行為である。



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