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安全考その6

2011年05月16日 | Weblog
スポーツ障害

 「スポーツ亡国論」というのがあった。「マージャン亡国論」は聞くがスポーツ亡国論は知らないという人は多いかもしれない。以前本稿でも逆説本について触れたことがある。TQC(全社的品質管理)が盛んだった頃には、「TQCは会社を滅ぼす」的な本が出る。その類で、正鵠を得ているとは言えないが何事も、過ぎたるは及ばざるが如し」で行き過ぎを警告するものではある。

 企業の採用試験でも、学生時代クラブ活動でスポーツをやっていた人が好感を持って受け入れられる風潮があった時代があった。スポーツマンというと爽やかで協調性があって、礼儀正しく、物事に前向きである。「後は会社で育てるから」という時代でもあった。

 本来スポーツそのものに生産性はなく、行き過ぎた商業化もあって、「プロスポーツだオリンピックだと浮かれていると国が滅ぶぞ」、という警告を発したくなる気持ちも分からないでもない。数年前、ラジオで要職にある政治家とあるプロスポーツの代表者の対談で、数学のルートか三角関数だったかを例に挙げ、社会に出てから使ったこともない。若者はスポーツで体を鍛える方がいい。のような話をしているのを聞いて驚いたこともある。

 一歩間違えば、学校のクラブ活動の部室は、未成年者の喫煙者の溜まり場であったり、エネルギーを持て余した良からぬ学生の巣窟と化したりしているかもしれない。それはそれで、青春の一風景であろうけれど、スポーツが尊重されるあまり、学生の本分である学問が疎かになることは問題と考えるのが自然である。もっとも昔から文武両道、いずれにも秀でる人は多い。

 スポーツには確かに多くの効能があり、素晴らしいものであるけれど、反面行き過ぎには弊害もある。要は行う人のコントロールに掛かっているけれど、スポーツの問題点のひとつにスポーツ障害がある。打撲、骨折(疲労骨折を含む)、捻挫、脱臼、肉離れ(筋断裂)、腱断裂、熱中症、スパイクなどによる切傷、網膜剥離(眼病)や昏倒、失神。頭部の強打や頸椎損傷では死に至る恐れもある。冬山登山やダイビングまでスポーツと考えれば、元々死と隣り合わせのものも多いことになる。損傷は慢性化し、後遺症が残る危険もある。また精神的には過度の依存症に陥るリスクもある。

 改善はされているとは思われるけれど、お相撲さんなどは短命を宿命とするような職業であるとさえいえる。オリンピック選手のドーピングもあれほど騒がれ続けて今なお根絶されない。メダルと自らの命を秤にかけてさえメダルを求めるアスリートもいるようだけれど、先述の過度の依存による一種の精神異常とさえ言えるのではないか。

 私の勤めた会社の工場でもスポーツは盛んであった。各種スポーツの同好会活動や職場対抗の各種スポーツ行事を会社は支援してくれた。駅伝大会などは長年工場のメインイベントであった。会社が認めた同好会活動の対外試合や職場対抗競技では負傷した社員の休暇を有給にする制度もあった。

 それらは当時若い社員の多かった会社にとって、社内の活性化と進取の気性の醸成に大いに貢献し、業績にも好影響を与えていたと思う。ただ、社内のサッカー大会や柔道大会では怪我人が続出したことがあって、次回の開催が危ぶまれたこともあったりした。それは、労働災害で休業する社員よりも多いようにも聞いていた。

 スポーツによる体力と根性、集中力やチームワークの陶冶は確かに重要であるけれど、優れた指導者による正しいトレーニングがされなければ、スポーツは健康と安全にとって脅威とさえなる恐れがある。十分な準備運動を行うこと。路上でのジョギングは目立つ服装で行うことなど、基本的な怪我の防止に努めた上でスポーツを楽しみたいものである。
コメント
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