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時事散歩Ⅹ 第12回

2022年10月04日 | ブログ
日中友好50年

 『当時の田中角栄首相と周恩来首相は1972年9月29日、北京で日中共同声明に調印。両国の国交が正常化した。それから50年。岸田文雄首相と習近平中国国家主席が祝賀メッセージを交換した。岸田首相は「建設的かつ安定的な日中関係の構築を進めていきたい」とする一方、習主席は「新しい時代の要求にふさわしい中日関係を構築するようけん引していきたい」とした。』 (YAHOOニュースから引用) とある。

 関連記事として、両国のこの50年のGDP比較の図表が載せてあった。1972年当時中共のGDPは、折れ線グラフの最下層に張り付いていた。わが国も1兆円に僅かに届いていない。その後わが国は高度経済成長が本格化し、1996年に5兆円に達しているが、中共のGDPはまだ1兆ドルに達していない。わが国の5分の1程度であった。しかしその頃から中共のGDPはうなぎ登りとなり、2010年でわが国に追いつくとその後の約10年で、中共のGDPはわが国のほぼ3.6倍(2021年)に達している。その間わが国のGDPが5兆ドル当たりを上下し、経済成長が見られなかったからである。バブル崩壊後、まさに失われた30年であった。

 日中友好で特に経済交流が盛んになると、何事もモノの流れは高きから低きに向かう道理で、日本企業の技術力や経営力の優れた面は、中共側からすれば、意識的に盗むことをしなくても手に入れることができたであろう。加えて合弁会社にして難癖を付けて日本側企業を追い出せば、すべて手に入る。技術の模倣に始まり開発の手法まで、彼らは急速の進化を遂げたのである。勿論各種技術は、欧米からの流入もある。

 そうして向上した国力を軍事力の増強に充て、尖閣周辺では日本の領海侵犯を常態化し、領海境界での一方的なガス田開発。上から目線の物言い、尖閣国有化の際の暴動。何が「日中友好」かと思うが、政府や財界は中共を切ろうとはしない。近年の自民党政権では、中共に太い絆を持つとされる人物を登用することで、総裁任期を2期から3期に延長し、歴代最長内閣を達成させた。自民・公明の与党は常に中共に阿っているように見える。主要な野党も同様であり、与党に二階氏あれば、野党に小沢氏が居る。その点で国民に選択肢はない。

 遡れば、戦後のわが国の政治を腐らせたのは、日中友好ではなかったかとさえ思える。金権腐敗の金脈は、立花隆氏本で明らかにされたが、その人物は、一方で列島改造論や人間的な魅力で多くの信奉者も得て、まさに政治家の毀誉褒貶のモデルともいえる。

 当時、中共との友好はキッシンジャーを特使とする米国が乗り出したことで、時代の趨勢に乗り遅れまいとする雰囲気や、広大な市場を志向する財界の意向も強かったものと思われる。前述したように当時の日中間の経済格差は大きく、50年後の現在のような状況を想像した人は少なかったと思うし、何より経済発展による、中共の民主化が期待された。

 また当時の政権は、親中創価学会公明党との繋がりも強めていたようで、まさに近年自民党の旧統一教会とのつながりの魁(先駆け)のようでさえある。

 政治は結果責任である。台湾との国交さえ切った日中友好は、結果中共のみを利した、わが国にとっては大失敗であった。今後の付き合い方を相当考えねばならないだろう。





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