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地方創生 第2回

2021年09月04日 | ブログ
ふるさと紹介

 近くのパソコン教室で、数年間社会人講話を担当させて貰っていた。生徒さんは、平均的に7~8名といったところ。講師紹介という事で、最初に簡単に略歴等を述べる際に、出身地についても触れる。因みに私の故郷は、四国は愛媛県の中ほど、松山市の隣町となる伊予郡松前町である。

 生徒さんに「四国へ行ったことがある人」と質問すると、一人手が挙がる程度で、二人以上のことはほとんどなかったように記憶する。北海道や九州は全体が観光地のようなもので、多くの人が行っているであろうに、千葉県人には四国は縁遠い所のようだ。

 そこで、自己紹介は毎度ふるさと紹介に力点を置いた。松山は正岡子規、夏目漱石の小説「坊ちゃん」などで有名であり、聖徳太子も入ったとされる道後温泉本館の湯も全国版の知名度がある。山上に聳える天守閣の松山城。近年、司馬遼太郎の「坂の上の雲」がテレビドラマ化されて、日露戦争の英雄秋山好古、真之兄弟の存在と彼らが伊予松山の産であることが知られた。建築家安藤忠雄氏の設計による「坂の上ミュージアム」も建造された。

 昔、JR四国が「青い国四国」で売り出していたが、元々四国は鉄道と道路は後進国並みで、岡山から松山へは児島から瀬戸大橋の鉄橋を渡り特急電車が走ってはいるが、四国の鉄道の95%は単線という。

 昭和41年春、就職して山口県に住むようになり、山口県の道路が格段に優れていることを知った。大阪から九州に通じる日本の大動脈である国道2号線が瀬戸内沿いを通っていることもある。当時四国の鉄道・道路は、本州と連絡船かフェリーで繋がるだけだった。

 北海道と同じように、連絡船の悲惨な事故を経験して、架橋計画が進展した。それでも淡路島ルート、児島ルート、尾道・今治ルートと三本の橋は必要ないのではという議論も随分とあったように聞く。しかし、3本それぞれ連絡県は異なる。兵庫県と徳島県、岡山県と香川県及び広島県と愛媛県となる。尾道・今治ルートはしまなみ海道と呼ばれ、美しい瀬戸内のど真ん中の景観の中、自転車レースが行われるなど、世界的な知名度を上げている。

 元々、今の松山城は私の生地伊予郡松前町にあった(正木城)。その跡地の記念碑が東レ愛媛工場の正門前にある。城主は秀吉子飼いの加藤喜明であり、秀吉と柴田勝家の戦い(賤ヶ岳の戦い)や四国平定の功で大名となった武将である。城を今の松山の勝山に移したのは1603年という。徳川時代となって会津に国替えとなり、城主には徳川家康の異父の弟である久松家が継いだ(坂の上の雲)。「春や昔十五万石の城下かな」子規。維新後は隣国の土佐に一時統治され、愛媛県人は国の中枢での活躍は制約を受けた。久松氏は私が子供の頃には県知事を務めていた。未だにこの国は維新を引きずり、政権の中枢には世襲の長州人。高知県(吉田茂)、徳島県(三木武夫)、香川県(大平正芳)には辛うじて1名ずつ居る総理大臣を、愛媛県は一人も輩出していない。因みに山口県は8人の総理を出しており、その在籍期間も突出している




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