巨人ぼうやの物語

「巨人ぼうやの物語」(デュボア 偕成社 1978)

訳は渡辺茂男。
さし絵も作者。

作者は、「三人のおまわりさん」(学習研究社 1965)を書いたひと。
「三人のおまわりさん」での表記は、「ウィリアム=ペン=デュポア」。
でも、「巨人ぼうやの物語」では、「ウィリアム=ペーヌ=デュポア」。
外国人名の表記はむつかしいものだけれど、でも、訳者が同じなのに、なんでちがっているのか。

作者が書いた、いちばん有名な本はたぶん「ものぐさトミー」(岩波書店 1977)。
ここでもまた作者の表記が変わり、「ペーン・デュボア」。
また作者は、「ねずみ女房」(ルーマー・ゴッデン 福音館書店 1977)のさし絵を描いたことでも有名(ここでも人名表記が変わる。まったくもう)。

さて、ストーリー。
主人公は作家の〈わたし〉、ビル。
「クマさんの世界おたのしみ旅行」という旅行ガイドを書くために、各地を歴訪中。
ヨーロッパのとある都市のホテルに着くと、そこに手紙が。
差出人はエル=ムチャーチョ・イ・コンパニーア。
スペイン語で少年協会というような意味。
内容は、貴下はただちにほかのホテルにうつられたし、というもの。

ビルは手紙にしたがわず、部屋に逗留。
すると、怪しいことに、真向かいの建物は歩道から屋上まで、板塀ですっかりかこってあることに気づく。
また、発電所が爆撃されたという想定の、夜間防空演習がはじまる。
向かいの建物に、なにかうごきがあるにちがいないと、ビルはバルコニーで見張りをするものの、サーチライトを浴びせられ、けっきょくなにもわからず。

翌日、怪しい建物では、前で式典がおこなわれたり、サーカスのトラックが入っていったり。
さらに、真向かいにある窓から巨大な目がのぞいているのに気がつき、ビルは卒倒。
その後、少年協会からは昼食の招待状が。
事務局長のフェルナンドは、ビルをほかの場所にうつそうと買収をしにきたのだけれど、ビルが巨大な目をみたことをいうと、巨人ぼうやの生い立ちについて話はじめる…。

作者が描くさし絵は、絵のなかにちゃんと重力が感じられような、空間が表現された絵。
ぼうやの巨大感がよくでている。
それと同じ想像力が、文章のなかでもみられる。
ぼうやと会ったビルは、ぼうやにつまみ上げられるのだけれど、そのスピードのためビルは目をまわしてしまう、とか。

また、あるとき、建物のまえでご婦人の髪の毛が逆立ち、紳士のカツラが舞い上がるというできごとが。
これは、ぼうやが髪をとかしたさいにおこった静電気のため。
作者の想像力は、絵を描くひとにふさわしく、空間的、物理的によくいきとどいたはたらきぶりをみせている。

ぼうやがスペイン語しかできず、英語しかできないビルと話ができないという設定はうまい。
ビルとぼうやのあいだにフェルナンドが入ることにより、作品にリアリティが生まれるし、想像力はおもに空間的なことに限定されるから、統一感が生まれる。
ビルとぼうやが話ができたら、たぶん収集がつかなくなっていたんじゃないだろうか。

後半のストーリーの焦点は、ぼうやが街のひとに受け入れられるかどうかというもの。
もちろん、児童書らしいあたたかいラストが待っている。

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