タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!
「先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!」(小林朋道 築地書館 2007)
副題は「[鳥取環境大学]の森の人間動物行動学」。
本書は、鳥取環境大学に勤める先生が、身の回りの生き物をめぐって起きた事件について記したエッセー集。
読み終わり、これはひょっとすると類書がなかなかない本じゃないかと思った。
まず、観察が細かく、文章が軽快。
素晴らしく読みやすい。
これだけでも大変なことだ。
それから、とりあげられている動物の種類が豊富。
コウモリ、イモリ、ヘビ、ヤツメウナギ、ヤギ、ハト、ハサミムシ…。
昆虫から哺乳類まで、分けへだてがない。
さらに、大学の先生が書いたものらしく事件のあとには興味深い考察が述べられる。
以上、3点をかねそなえている本はそうない気がする。
例として、表題にもなっている冒頭の「巨大コウモリ事件」をみてみよう。
5月の終わりの夜7時ごろ。
校内で出会った学生が、著者にこういう。
「巨大なコウモリが一階のドアの内側で飛びまわっていて、天井の隙間に入りました」
それに対する著者の反応は、太字でこう。
「巨大なコウモリが侵入したか。…………素晴らしい。」
先生はどうも動物に出会うと興奮してしまう体質らしいのだ。
で、ともかく現場へ。
休日で事務室もしまっていたために、カサ立てをはこんできて積み重ねるという曲芸のようなことをして、天井の戸袋のような部分を確認。
このときはみつけられず、大捜索は中断。
でも後日、学生から報告をうけ、現場に急行し、捕獲に成功。
オヒキコウモリという、鳥取県での捕獲例ははじめての珍しい種類のコウモリだったそう。
著者はその後一日間、コウモリとたっぷりふれあいをもち、翌日大学林に放してやったいう。
さらにその翌日。
大学院の実習でつかう山の麓に下見にでかけたところ、斜面に洞窟を発見。
無性にしらべたくなり、学生と一緒になかへ。
「われわれはワクワクしながらすすんでいった。」
そこで、キクガシラコウモリを発見。
さて、ユング派なら“同時性の法則”というかもしれない、この連続コウモリ事件について、著者はこう考察する。
最初のコウモリ事件で、コウモリに対する感受性・反応性が引き上げられていたために、斜面の穴に敏感に反応したのではないだろうか、と。
…と、まあ、「巨大コウモリ事件」を引き合いにだしたけれど、全編がこんなふうに書かれている。
読んでいて印象深いのは、生きものに対する著者のセンス。
たとえば、著者は校内でハサミムシがダンゴムシを捕食する光景をみかけて感動する。
人工空間内でおこなわれている野生の営みに潤いをおぼえると書くのだ。
いっぽう、目前で進行中の「野生の営み」では、ダンゴムシを尻のハサミにはさんだハサミムシが3メートル先のカサ立ての下に入り出てこない。
著者は気になる。
「まだ残っている仕事もあるしこのまま立ち去ろうかと思ったが、私の中の好奇心が頭をもたげてくる。
中は一体どうなっているのだろう。」
で、好奇心に負けて、カサ立てをうごかす。
そこには食べられたダンゴムシの遺体が6匹ほど。
ちょうどハサミではさんだままダンゴムシの腹側を食べていたハサミムシは、驚いた様子で獲物を放り出して逃げていった。
こんな著者のゆくところ、動物にまつわる事件が多々起きる。
それについてはこんなふうに説明。
「同じ山道を歩いていても、私は出会い、私以外の人は出会わない、そういったことが起こるのはなぜか」
「それは、私の五感は、絶えず無意識のうちに、自然の変化の信号に反応しているからである」
とはいうものの、変化を感じ、じっとしていたら足元をテンが駆けていったとか、枯葉の音からヒミズ(モグラの一種)を捕まえたとかは、そうだれにでもできることとは思えない。
著者の「自然の信号」をキャッチする感度は優れているにちがいない。
身近な動物の話となると、どうしても保護の話がでてくる。
この本にも保護の話はでてくるのだけれど、ちっとも大げさでないところが好ましい。
たとえばイモリのいる池の話。
イモリのいる池をみつけて観察していたところ、工事がはじまるというので、市の担当者や業者のひとと現場で話あうことに。
いろんな案を検討したものの埋め立ては避けられない。
そこで、似たような環境の水場をつくり、学生や市の担当者、工事関係者らとともに、イモリを採集して移すことになったという。
とはいえ、この本のエッセーの場合、これが本論なのではない。
この採集中、ヤツメウナギを捕まえたという話のほうが眼目。
このあたり、話のバランスがとてもいい。
考察よりも、著者の感情のほうがすこし前にでているところが、この本の最大の美点だろうか。
なにより、自然について書いてうるさくならないというのは、それだけで推奨するに足るように思う。
この本を読んでいたら、子どものころハサミムシに出会った記憶がよみがえった。
釣りにいくのでミミズを捕まえようと、庭のレンガをどかしたら、そこにハサミムシがいたのだった。
うしろには、鮮やかな黄色い卵があり、その卵を守ろうとするように、ハサミムシは尻尾のハサミを振り上げていた。
やあごめんよ、とレンガをもとにもどしたことをおぼえている。
副題は「[鳥取環境大学]の森の人間動物行動学」。
本書は、鳥取環境大学に勤める先生が、身の回りの生き物をめぐって起きた事件について記したエッセー集。
読み終わり、これはひょっとすると類書がなかなかない本じゃないかと思った。
まず、観察が細かく、文章が軽快。
素晴らしく読みやすい。
これだけでも大変なことだ。
それから、とりあげられている動物の種類が豊富。
コウモリ、イモリ、ヘビ、ヤツメウナギ、ヤギ、ハト、ハサミムシ…。
昆虫から哺乳類まで、分けへだてがない。
さらに、大学の先生が書いたものらしく事件のあとには興味深い考察が述べられる。
以上、3点をかねそなえている本はそうない気がする。
例として、表題にもなっている冒頭の「巨大コウモリ事件」をみてみよう。
5月の終わりの夜7時ごろ。
校内で出会った学生が、著者にこういう。
「巨大なコウモリが一階のドアの内側で飛びまわっていて、天井の隙間に入りました」
それに対する著者の反応は、太字でこう。
「巨大なコウモリが侵入したか。…………素晴らしい。」
先生はどうも動物に出会うと興奮してしまう体質らしいのだ。
で、ともかく現場へ。
休日で事務室もしまっていたために、カサ立てをはこんできて積み重ねるという曲芸のようなことをして、天井の戸袋のような部分を確認。
このときはみつけられず、大捜索は中断。
でも後日、学生から報告をうけ、現場に急行し、捕獲に成功。
オヒキコウモリという、鳥取県での捕獲例ははじめての珍しい種類のコウモリだったそう。
著者はその後一日間、コウモリとたっぷりふれあいをもち、翌日大学林に放してやったいう。
さらにその翌日。
大学院の実習でつかう山の麓に下見にでかけたところ、斜面に洞窟を発見。
無性にしらべたくなり、学生と一緒になかへ。
「われわれはワクワクしながらすすんでいった。」
そこで、キクガシラコウモリを発見。
さて、ユング派なら“同時性の法則”というかもしれない、この連続コウモリ事件について、著者はこう考察する。
最初のコウモリ事件で、コウモリに対する感受性・反応性が引き上げられていたために、斜面の穴に敏感に反応したのではないだろうか、と。
…と、まあ、「巨大コウモリ事件」を引き合いにだしたけれど、全編がこんなふうに書かれている。
読んでいて印象深いのは、生きものに対する著者のセンス。
たとえば、著者は校内でハサミムシがダンゴムシを捕食する光景をみかけて感動する。
人工空間内でおこなわれている野生の営みに潤いをおぼえると書くのだ。
いっぽう、目前で進行中の「野生の営み」では、ダンゴムシを尻のハサミにはさんだハサミムシが3メートル先のカサ立ての下に入り出てこない。
著者は気になる。
「まだ残っている仕事もあるしこのまま立ち去ろうかと思ったが、私の中の好奇心が頭をもたげてくる。
中は一体どうなっているのだろう。」
で、好奇心に負けて、カサ立てをうごかす。
そこには食べられたダンゴムシの遺体が6匹ほど。
ちょうどハサミではさんだままダンゴムシの腹側を食べていたハサミムシは、驚いた様子で獲物を放り出して逃げていった。
こんな著者のゆくところ、動物にまつわる事件が多々起きる。
それについてはこんなふうに説明。
「同じ山道を歩いていても、私は出会い、私以外の人は出会わない、そういったことが起こるのはなぜか」
「それは、私の五感は、絶えず無意識のうちに、自然の変化の信号に反応しているからである」
とはいうものの、変化を感じ、じっとしていたら足元をテンが駆けていったとか、枯葉の音からヒミズ(モグラの一種)を捕まえたとかは、そうだれにでもできることとは思えない。
著者の「自然の信号」をキャッチする感度は優れているにちがいない。
身近な動物の話となると、どうしても保護の話がでてくる。
この本にも保護の話はでてくるのだけれど、ちっとも大げさでないところが好ましい。
たとえばイモリのいる池の話。
イモリのいる池をみつけて観察していたところ、工事がはじまるというので、市の担当者や業者のひとと現場で話あうことに。
いろんな案を検討したものの埋め立ては避けられない。
そこで、似たような環境の水場をつくり、学生や市の担当者、工事関係者らとともに、イモリを採集して移すことになったという。
とはいえ、この本のエッセーの場合、これが本論なのではない。
この採集中、ヤツメウナギを捕まえたという話のほうが眼目。
このあたり、話のバランスがとてもいい。
考察よりも、著者の感情のほうがすこし前にでているところが、この本の最大の美点だろうか。
なにより、自然について書いてうるさくならないというのは、それだけで推奨するに足るように思う。
この本を読んでいたら、子どものころハサミムシに出会った記憶がよみがえった。
釣りにいくのでミミズを捕まえようと、庭のレンガをどかしたら、そこにハサミムシがいたのだった。
うしろには、鮮やかな黄色い卵があり、その卵を守ろうとするように、ハサミムシは尻尾のハサミを振り上げていた。
やあごめんよ、とレンガをもとにもどしたことをおぼえている。
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« 世界短編傑作集2 | 聖ヨーランの伝説 » |
と思い確認してみた。
「はさみむしのおやこ」(皆越ようせい ポプラ社 2008)。
ふしぎいっぱい写真絵本シリーズの11巻目。
最近の、自然にかんする子どもの本の写真はどれもものすごい。
これもそうで、対象に肉迫している。
虫が苦手なひとは読まないほうがいい。
さて、ハサミムシの卵はやはり鮮やかな黄色だった。
メスが卵の世話をし、守り育てる。
さらに絵本によれば、驚いたことに、生まれた子どもたちは母親を食べてしまうのだという。
子どもに食べられながらも、母親は外敵を警戒するように、巣穴をうろうろするのだそうだ。
「先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!」(小林朋道 築地書館 2008)。
やっぱり今回も面白かった。
最初の、イノシシの罠を仕掛ける話が印象的。
学生たち製作によるとても重い罠を、みんなでよろよろ現場までかついでいく。
その滑稽かつ心温まる光景に、先生は思わず口走る。
「この若者たちはいい! じつにいい!」
動物だけでなく、人間も好きなところが、この先生の魅力。
読むと、なんだか元気がでる。
「先生、カエルが脱皮してその皮を食べています!」(小林朋道 築地書館 2010)
ちなみに、書き忘れたけれど3冊目はこれ。
「先生、子リスたちがイタチを攻撃しています」(小林朋道 築地書館 2009)
シリーズ化したのは、評判がよかったからだろう。
1ファンとして、とてもうれしい。
本書、「先生、カエルが…」の巻末には、これまでのシリーズが刷数つきで載せられている。
いまのところシリーズ第2弾の「先生、シマリスが…」がもっとも売れているよう。
第1弾がいちばん売れるものかと思っていたら、そういうものでもないらしい。
また、今回から、表紙の下半分が写真に。
最初、帯が巻いてあるのかと思い、はずそうとしてしまった。
個人的には、前のシンプルな装丁のほうが好きだけどなあ。
今回、もっとも印象深かったのは、ドブシジミに前肢の指をはさまれたアカハライモリ。
気の毒なんだけど、なんだか笑ってしまう。