最期の言葉

「最期の言葉」(ヘンリー・スレッサー 論創社 2007)

訳は森沢くみ子。
仁賀克雄監修・解説による「ダーク・ファンタジー・コレクション」第6巻。

ヘンリー・スレッサーは、いわずとしれた短篇の名手。
でも、いままで読み通せたのは一冊、「怪盗ルビイ・マーチンスン」(早川書房 2005)だけだ。
スレッサー作品はみな、すこぶるよくできているのだけれど、ひとつふたつ読むと満腹感をおぼえてしまい、その先がつづかなくなってしまう。

これが、たとえばジャック・リッチーの作品だと読み進めることができる。

これはまったくの印象だけれど、ヘンリー・スレッサーの作品は、ひとつひとつが粒立ちすぎて、ひとりの人間が書いたという感じが乏しいのではないだろうか。
全編に通底するものが乏しいというか。

ルビイ・マーチンスン物の場合は、〈僕〉がいとこの天才的犯罪者、ルビイに犯罪の片棒をかつがされては失敗するというパターンがきまっているから、つぎつぎと読めるのかもしれない。

さて、収録作は全21編。

「被害者は誰だ」
「大佐の家」
「最期の言葉」
「ある一日」
「恐喝者」
「唯一の方法」
「七年遅れの死」
「診断」
「偉大な男の死」
「拝啓、ミセス・フェンウィック」
「チェンジ」
「私の秘密」
「身代わり」
「年寄りはしぶとい」
「目撃者の選択」
「ルースの悩み」
「ダム通りの家」
「ルビイ・マーチンスンと大いなる棺桶犯罪計画」
「ルビイ・マーチンスンの変装」
「ルビイ・マーチンスンの大いなる毛皮泥棒」
「ルビイ・マーチンスン、ノミ屋になる」

最後の4編はルビイ・マーチンスン物。
これが目当てだったので、まずこれから読んだ。
とても面白かった。

ほかの作品も一定の水準にあり、甲乙つけがたい。
好みでいうと「大佐の家」
74歳のオールドリッチ大佐は、使用人のホロウェイとふたり暮らし。
住む家が売りにだされ、買い手がつき、息子と娘は奇跡だとよろこぶが、大佐は気に入らない。
家を去ることは療養所に入ることを意味するからだ。
もちろん、最後にどんでん返しがある。
O・ヘンリーの人情話みたいな話。

ほかには、「拝啓、ミセス・フェンウィック」
ペイポウジェン株式会社販売部長バーナード・クックマンが、ジエラルド・フェンウィック夫人に送った手紙からなった短篇。
最初は、苦情対応の手紙だったのに、どんどん夫人と親しくなり、最後にどんでん返し。
そのさえた腕前にはほれぼれする。

「ダム通りの家」
ダーク・ファンタジー・コレクションと銘打たれているためか、ファンタジー色の強い作品が何作があり、これはそのうちの一作。
傍若無人な映画プロデューサーのマット・シェイヴァー。
ある映画制作のさい、育ったスラム街の家を再現しようと目論見る。
子どものころ、かれはいつもチーチという子にいじめられていた。
家が完成し、そこにひとりただずんでいると、壁にボールのあたる音が…。
登場人物の内面に思わず思いをはせてしまう好編。

「最期の言葉」
4ページの作品で、全編一方的な電話の会話のみ。
これは、まあ、へんてこ小説というか、思いつき小説というか。
よく思いついただけでなく、書き上げたものだと感心する。
この作品を表題にもってきたセンスにも感心。



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