こんにちは、毎議会一般質問を行っている石井伸之です。
本日は午前11時15分より一般質問を行いました。
平日の昼間で空模様の悪い中を10名以上の方が傍聴に来ていただき、有り難い限りです。
今回は更生保護法人八興社の件を冒頭に質問するという事から、江戸時代に更生保護施設の先駆けともいえる「人足寄場」の設置を時の老中、松平定信へ進言した火付け盗賊改め長谷川平蔵についてスポットライトを当てました。
松嶋前議員もそうだったように、歴史の中に輝く偉人や偉大な出来事に倣って、一般質問を結びつけるという手法を時折ですが用いております。
一部修正した形で一派質問の登壇時原稿をアップいたしますので、お目通しいただければ嬉しいところです。
通告に従い一般質問を行います。
突然ですが、私はNHKが平成12年から平成21年まで放映していた、「その時歴史が動いた」が大好きで、毎週楽しみにしておりました。そこで、今回は江戸時代の人物、長谷川平蔵にスポットを当てたいと思います。長谷川平蔵という名前を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
多くの方は江戸時代を舞台とした、池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」において、悪事から善良な江戸の町人を守るため、凶悪犯に立ち向かう人情味の厚い人物像が目に浮かぶのではないでしょうか?
確かに史実でも延亨(えんきょう)二年、西暦1745年、旗本の家に生まれた長谷川平蔵は31歳で将軍世継ぎの警護役に任じられたのを皮切りに、順調に出世していき42歳で火付け盗賊改め役に任ぜられました。
ここでの活躍は、史実でもドラマでもメジャーな話ですが、現在の更生保護施設にも通じる「人足寄場」(にんそくよせば)の設置を進言し、実際に運営した人であることは、余り知られておりません。
当時の江戸は天明3年1783年7月の浅間山大噴火を始めとする天明の大飢饉により、農作物が育たず、生活の成り立たない農民が地方より流入し、治安は悪化の一途を辿っていました。
火付け盗賊改めとして、犯罪者を取り締まっていた長谷川平蔵は、住む場所も職もない「無宿人」(むしゅくにん)と呼ばれる元農民による犯罪が多数を占めていることを知ります。そこで、この「無宿人」を更生させない限り、江戸の犯罪が減ることはないと確信し、時の老中松平定信へ罪を犯した「無宿人」に職業訓練を行う施設の設置を進言しました。
寛政の改革を行っていた、松平定信は、速やかにこの献策を用い、寛政二年1790年に、現在の中央区佃2丁目付近にある石川島の辺りに、無宿人更生施設「人足寄場」を設置します。
入所者は大工、鍛冶工、紙漉き、縄結い、桶作りなど様々な職業訓練を行うと共に、道徳心や堪忍の心を醸成する為、心の学問、心学の第一人者であった、中沢道二(どうに)を教諭方に据え、犯罪に手を染めた過去を悔い改め、再び社会へ出た時には、真っ当な人間となるよう教育したことも特筆されます。
寛政二年より毎年200人以上の人足が社会復帰を果たし、諸藩にも同様の施設が設置され、犯罪の減少に向けて大きな効果をもたらしたそうです。
幕末まで続く人足寄場を賞賛して松平定信はこのように記しています。
「この人足寄場によって、無宿人たちは自然と減り、犯罪も少なくなった、全て長谷川平蔵の功績である」そして、長谷川平蔵は50年の生涯閉じるまで、人足達の先行きを案じていました。
舞台を国立市へ戻し、71年前に更生保護施設八興社を創設した、大島金作氏の志と223年前に「人足寄場」の創設を進言した長谷川平蔵の志が同じ方向を向いていたのではないかと感じるところです。
今から3年前の平成22年6月議会に八興社に関する陳情が、福祉保険委員会にて審議されて以来、更生保護施設の在り方について深く考えさせられるようになりました。
複雑に絡みあった周辺住民と八興社、立川保護観察所の意見を聞き、より良い方向へ導きたいと思い、当時の委員会メンバーであった池田議員、中川議員、上村議員、阿部議員、藤田議員を始めとする議員と議論を重ねました。
その後、平成23年5月に市長へと就任した佐藤市長により、関係者間の調整が続き、ようやく周辺住民と八興社における協定書の締結を迎えたという情報をいただきました。そこでまずは、大きな一つ目のカッコ1その協定内容と現在の状況についてお聞かせください。
カッコ2として、立川市や昭島市の公園に、見慣れない遊具があり、それが健康増進の為に設置された健康遊具であるということを知りました。

健康遊具で遊んでみると、確かに普段は使わない筋肉が刺激され、心地良いこと間違いありません。

そこで国立市内でも健康遊具を増やすべきと思いますが、現状と今後の考え方をお聞かせください。
大きな二つ目まちづくりについてのカッコ1、谷保駅エレベーター設置についてお聞きします。佐藤市長、健康福祉部長をはじめとする職員の努力によって国庫補助金に係る生活交通改善事業計画策定協議会が2月より始まり、具体的な工事が見えてきました。
そこで、3月議会以降の進捗状況をお聞かせください。
カッコ2、矢川北都営住宅の建て替えについてですが、矢川駅周辺の活性化に向けて期待が寄せられております。そこでまずは、現在の状況と今後の予定についてお聞きします。
大きな三つ目教育行政についてのカッコ1、学童保育と小学校における大規模災害時避難協力体制の構築についてお聞きします。
東日本大震災の発災時間が午後2時46分ということから、学校、幼稚園、保育園における帰宅時の避難対応が明暗を分けたという話は記憶に新しいことと思います。
そこで、いつ起こるともわからない大震災に向けて、学童保育と小学校の連携を密にしていただきたいと思いますがいかがでしょうか?
大きな四つ目東京国体についてのカッコ1、東京国体終了後における東京国体キャラクター「ゆりーと」の活用についてお聞きします。

体育館地下の第二体育室ロッカー室を出た瞬間、「ゆりーとだ」という子供達の声が押し寄せたと思った瞬間、大勢の子供達に取り囲まれると、しがみ付かれ、抱きつかれ、くちばしをつままれ、羽を引っ張られ、身動き一つできません。

ここまで人気のある「ゆりーと」を国体終了後お蔵入りするのはもったいないと思います。そこで国体後も様々なイベントで「ゆりーと」活用すべきと思いますがいかがでしょうか?

質問は以上です。答弁は大きな項目ごとにいただき、再質問は自席にて行います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
午後7時からは告示前最後の高椙健一選対会議に出席して、打合せを行ったところです。



本日は午前11時15分より一般質問を行いました。
平日の昼間で空模様の悪い中を10名以上の方が傍聴に来ていただき、有り難い限りです。
今回は更生保護法人八興社の件を冒頭に質問するという事から、江戸時代に更生保護施設の先駆けともいえる「人足寄場」の設置を時の老中、松平定信へ進言した火付け盗賊改め長谷川平蔵についてスポットライトを当てました。
松嶋前議員もそうだったように、歴史の中に輝く偉人や偉大な出来事に倣って、一般質問を結びつけるという手法を時折ですが用いております。
一部修正した形で一派質問の登壇時原稿をアップいたしますので、お目通しいただければ嬉しいところです。
通告に従い一般質問を行います。
突然ですが、私はNHKが平成12年から平成21年まで放映していた、「その時歴史が動いた」が大好きで、毎週楽しみにしておりました。そこで、今回は江戸時代の人物、長谷川平蔵にスポットを当てたいと思います。長谷川平蔵という名前を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
多くの方は江戸時代を舞台とした、池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」において、悪事から善良な江戸の町人を守るため、凶悪犯に立ち向かう人情味の厚い人物像が目に浮かぶのではないでしょうか?
確かに史実でも延亨(えんきょう)二年、西暦1745年、旗本の家に生まれた長谷川平蔵は31歳で将軍世継ぎの警護役に任じられたのを皮切りに、順調に出世していき42歳で火付け盗賊改め役に任ぜられました。
ここでの活躍は、史実でもドラマでもメジャーな話ですが、現在の更生保護施設にも通じる「人足寄場」(にんそくよせば)の設置を進言し、実際に運営した人であることは、余り知られておりません。
当時の江戸は天明3年1783年7月の浅間山大噴火を始めとする天明の大飢饉により、農作物が育たず、生活の成り立たない農民が地方より流入し、治安は悪化の一途を辿っていました。
火付け盗賊改めとして、犯罪者を取り締まっていた長谷川平蔵は、住む場所も職もない「無宿人」(むしゅくにん)と呼ばれる元農民による犯罪が多数を占めていることを知ります。そこで、この「無宿人」を更生させない限り、江戸の犯罪が減ることはないと確信し、時の老中松平定信へ罪を犯した「無宿人」に職業訓練を行う施設の設置を進言しました。
寛政の改革を行っていた、松平定信は、速やかにこの献策を用い、寛政二年1790年に、現在の中央区佃2丁目付近にある石川島の辺りに、無宿人更生施設「人足寄場」を設置します。
入所者は大工、鍛冶工、紙漉き、縄結い、桶作りなど様々な職業訓練を行うと共に、道徳心や堪忍の心を醸成する為、心の学問、心学の第一人者であった、中沢道二(どうに)を教諭方に据え、犯罪に手を染めた過去を悔い改め、再び社会へ出た時には、真っ当な人間となるよう教育したことも特筆されます。
寛政二年より毎年200人以上の人足が社会復帰を果たし、諸藩にも同様の施設が設置され、犯罪の減少に向けて大きな効果をもたらしたそうです。
幕末まで続く人足寄場を賞賛して松平定信はこのように記しています。
「この人足寄場によって、無宿人たちは自然と減り、犯罪も少なくなった、全て長谷川平蔵の功績である」そして、長谷川平蔵は50年の生涯閉じるまで、人足達の先行きを案じていました。
舞台を国立市へ戻し、71年前に更生保護施設八興社を創設した、大島金作氏の志と223年前に「人足寄場」の創設を進言した長谷川平蔵の志が同じ方向を向いていたのではないかと感じるところです。
今から3年前の平成22年6月議会に八興社に関する陳情が、福祉保険委員会にて審議されて以来、更生保護施設の在り方について深く考えさせられるようになりました。
複雑に絡みあった周辺住民と八興社、立川保護観察所の意見を聞き、より良い方向へ導きたいと思い、当時の委員会メンバーであった池田議員、中川議員、上村議員、阿部議員、藤田議員を始めとする議員と議論を重ねました。
その後、平成23年5月に市長へと就任した佐藤市長により、関係者間の調整が続き、ようやく周辺住民と八興社における協定書の締結を迎えたという情報をいただきました。そこでまずは、大きな一つ目のカッコ1その協定内容と現在の状況についてお聞かせください。
カッコ2として、立川市や昭島市の公園に、見慣れない遊具があり、それが健康増進の為に設置された健康遊具であるということを知りました。

健康遊具で遊んでみると、確かに普段は使わない筋肉が刺激され、心地良いこと間違いありません。

そこで国立市内でも健康遊具を増やすべきと思いますが、現状と今後の考え方をお聞かせください。
大きな二つ目まちづくりについてのカッコ1、谷保駅エレベーター設置についてお聞きします。佐藤市長、健康福祉部長をはじめとする職員の努力によって国庫補助金に係る生活交通改善事業計画策定協議会が2月より始まり、具体的な工事が見えてきました。
そこで、3月議会以降の進捗状況をお聞かせください。
カッコ2、矢川北都営住宅の建て替えについてですが、矢川駅周辺の活性化に向けて期待が寄せられております。そこでまずは、現在の状況と今後の予定についてお聞きします。
大きな三つ目教育行政についてのカッコ1、学童保育と小学校における大規模災害時避難協力体制の構築についてお聞きします。
東日本大震災の発災時間が午後2時46分ということから、学校、幼稚園、保育園における帰宅時の避難対応が明暗を分けたという話は記憶に新しいことと思います。
そこで、いつ起こるともわからない大震災に向けて、学童保育と小学校の連携を密にしていただきたいと思いますがいかがでしょうか?
大きな四つ目東京国体についてのカッコ1、東京国体終了後における東京国体キャラクター「ゆりーと」の活用についてお聞きします。

体育館地下の第二体育室ロッカー室を出た瞬間、「ゆりーとだ」という子供達の声が押し寄せたと思った瞬間、大勢の子供達に取り囲まれると、しがみ付かれ、抱きつかれ、くちばしをつままれ、羽を引っ張られ、身動き一つできません。

ここまで人気のある「ゆりーと」を国体終了後お蔵入りするのはもったいないと思います。そこで国体後も様々なイベントで「ゆりーと」活用すべきと思いますがいかがでしょうか?

質問は以上です。答弁は大きな項目ごとにいただき、再質問は自席にて行います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
午後7時からは告示前最後の高椙健一選対会議に出席して、打合せを行ったところです。


