石井伸之の国立市議会議員日記 自由民主党会派所属

東京都国立市の若手?市議会議員(6期目)による日記です。国立市議会議員として国立市政の最新情報を伝えて行きます。

3月31日 清化園跡地活用について国立市と大和リースの間で基本協定が交わされました

2010年03月31日 | Weblog
 こんにちは、小学生の頃、夏休みになると清化園プールで遊んでいた石井伸之です。

 今は7000坪の敷地が公園として暫定活用されておりますが、小学生時代はゴミ処理施設と共にプールが設置されており、小学生は2時間20円、大人でも2時間150円という入場料の安さも手伝って、大変賑わっていたことを憶えております。

 その清化園跡地は、議会の清化園跡地活用検討特別委員会(委員長は故佐伯茂議員が務められており、私も委員の一人としてメンバーに加わっておりました)で、様々な角度から検討した結果、売却はせずに敷地を貸すという方法で活用することを提案しました。

 議会側の提案を国立市としても最大限尊重していただき、地域住民の皆様に喜ばれ、集客力のある施設ということで企業に提案を求めたところ、優先交渉権一位だった三菱地所にて検討が始まったものの、この不景気で撤退が決まり、現在は優先交渉権第二位の大和リースによって、出店するかどうかの検討が続けられておりました。

 正直なところ、この不景気で大和リースも三菱地所のように撤退するのではないかと思いましたが、平成23年度の開業を目指して行くとのことです。詳しくは国立市の地域プロモーションサイトである「ビジテ国立」をご覧下さい。

 以前の計画では、スパのような温浴施設とショッピングセンターという予定でしたが、今後はどういったものが建設されるのか、詳細計画の公表が今から楽しみです。

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3月30日本日は理事者・部長・議員・議会事務局の懇親会がありました

2010年03月30日 | Weblog
 こんにちは、年度末で人事異動を控えている関係もあり、市役所では引き継ぎの準備で忙しいようです。450人近い正職員のうち、2割に当たる職員が異動するということから、4月に入ってから落ち着くまでは少々時間がかかると思われます。

 さて、本日は立川クレストホテルで理事者・部長・議員・議会事務局での懇親会が行われました。今日の主役は何と言っても退職される企画部長・生活環境部長・都市振興部長の3人で、3人の部長は食事もそこそこに様々な方と話しが盛り上がっていました。

 その姿を見て感じることは60歳と言っても3人の部長さん共に大変若く、まだまだ第一線で働いてもらいたいと感じております。平均寿命が60代だった時代に比べて、働ける年代も上昇しているように思いますし、公務員の年金支給時期も65歳に引き上げられたこともあり、給与体系を本格的に見直した上で、定年退職時期を65歳にまで伸ばすことも検討する時代になったのではないでしょうか?

 既に再任用ということで、年金支給時期まで職場にいることはできますが、外部団体の職員や市役所内でも嘱託のような仕事というように、どうしても職場が限られてしまいます。

 3人の部長さんには、退職後もそれぞれの道がありますが、国立市に関心を持っていただき、天下市や桜フェスティバルなどのイベントで遊びに来て、元気な姿を見せていただければ嬉しく思います。

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3月29日本日はインターン生受け入れ最終日を迎えました

2010年03月30日 | Weblog
 こんにちは、3年前の春からインターン生を受け入れている石井伸之です。

 本日は今回受け入れたインターン生の最終日ということもあり、お別れ会というような大袈裟なものではありませんが、ささやかな昼食会を行いました。また、本日は一昨年の夏に受け入れたインターン生が今回のインターン生と同じ中央大学ということもあり、大学の先輩として来ていただきました。

 今回のインターン生は、とにかくまじめで集合時間に遅れるということがなく、私が10分~15分早く到着しても必ず先に来ておりました。さらに、どんな細かなことも聞き逃すまいとして、新聞記者のように私の言葉でも会合に行ったときでも必ずメモしており、それだけでも物事を吸収しようという意識の高さを伺えます。

 今振り返ってみると、2月~3月という僅か2か月間ですから、国会見学やあらゆる施設見学など、やり残したこともありますので、機会を見つけて様々な場所を見せたいと思います。

 一昨年受け入れたインターン生は、今年4月より就職ということで、就職について聞いてみると、小春日和だと思って就職活動に突入したら極寒の真冬になっていたという話は本当らしく、最後まで就職が決まらない方もいたそうです。

 就職試験の面接では、議員インターンシップについて企業側の面接官も興味津津だったらしく、様々なことを聞かれ、その中でも議会内部の人でしか分からないことを話したと言っておりました。そういう話を聞くと、こちらとしても受け入れたことが役立ったようで嬉しく思います。

 こうやって様々な学生と知り合う機会を作ってくれている、NPO法人ドットジェイピーを運営している側の理事者やスタッフの方々に感謝したいところです。 

 毎回毎回議員としても手探りの状態で学生に接しており、どういったスタンスで臨むべきか最初はあれこれ考えておりましたが、何だかんだ言ったところで、取り繕っても仕方ないので素のまんま、有りのままを伝えて学生がそれをどう受け止めて、どう判断するか任せる方が良いと感じております。

 今回のインターン生からは、最後に心温まる手紙までいただき、受け入れた議員として、私を選んで良かったと言われることほど嬉しいことはありません。これからも政治に興味を持つ学生に対して、良きインターン生の受け入れ議員でいられるように努力して行きたいところです。
 


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3月28日本日は春うらら桜ウオーキングゴール地点で商工会青年部の一人として販売に携わりました

2010年03月29日 | Weblog
 こんにちは、早朝より非常に寒い中を商工会青年部の先輩である「志田そば」さんで、販売する甘酒作りとさくらそばの袋詰めを行い、春うらら桜ウオーキングのゴール地点では、テントを立てて帰って来た参加者へ販売をしました。

 本来であれば、温かい日射しの下で大学通りの桜を見物に来られた方への販売も見込んでおりましたが、さすがにこの肌寒い曇り空という天候では、花見客は見込めないと考え、販売する団子の仕入れ数を控えたそうです。

 ちなみに、販売したのは「甘酒」「マカロン」「お団子」「さくらそば」で、「さくらそば」以外は左から順番に売り切れて行きました。さすがに、この寒さの中だけあって一杯百円の甘酒が飛ぶように売れて行き、ウオーキング参加者がようやくゴールし始めた頃には売り切れておりました。

 次に売れて行ったのは「志田そば」さん特製のマカロンで、ピンク色をしたフワフワのお菓子は女性の目を引き、5パック、6パックと大口のお客さんもおり、お昼前には完売となりましたので、これは天下市の新たな名物となりそうな予感がします。もしも、秋の天下市にいちょうのような黄色いマカロンがいつも団子を販売している商工会青年部のテントに並んでいた時は是非ともご賞味ください。

 インターン生も「さくらそば」の試食を手伝っていただき、販売に貢献していただきました。やっぱり試食はゴツイ男衆よりも女性の方がすんなりと受け取っていただいておりましたので、デパ地下で女性を起用していることが良く分かりました。

 今後とも商工会青年部では、ほおずき市や朝顔市などでの出店を行い、各地域のイベントを盛り上げて行くと共に、国立市最大の商業祭である天下市(今年は11月5日、6日、7日の予定です)を主催しておりますので、どうか今後とも国立市商工会青年部への温かいご支援をよろしくお願いします。

 

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3月27日本日は都立府中西高校卒業生の同窓会がありました

2010年03月27日 | Weblog
 こんにちは平成3年に都立府中西高校を卒業した石井伸之です。

 本日は午前中に長女がドーナツを作りたいということで、西友青柳店へ長女と一緒に牛乳を買いに行き、ドーナツの元と卵に牛乳、サラダ油を少々入れて型に流してレンジでチンをすると、あっという間に小さなドーナツが出来上がり、それにチョコレートでトッピンクして美味しくいただいておりました。

 午後からは日本会議国立・国分寺支部の役員会に出席し、夫婦別姓法案や外国人参政権の問題点について話しあい、私の方からは平成22年度予算が可決され、2名の教育委員の人事提案が同意された3月議会について報告すると、難しい状況にありながらも予算が可決され、教育委員が提案されたことについて様々な質問をいただきました。

 こうやって質問をいただくということは、それだけ議会というものが見えにくく、丁寧な説明が無いと一方だけの情報に偏る可能性がありますので、できるだけ客観的にお伝えできるように努力したいと思います。

 夕方からは、自民党国立総支部定期大会が国立市商工会館で行われ、50名ほどの方が参加する中で行われました。事務局長を務める松嶋議員が司会を務め、副支部長である青木議員が党情報告をした後に私が議長を務めさせていただきました。

 登壇する際に「がんばれ、伸之」という小さな子供からの声援もあり、爆笑の渦で場が和み、肩から緊張が抜けて行ったように感じました。松嶋事務局長から式次第だけ渡され、途中どこで質問を受け、承認の拍手をいただくのか、少々戸惑いましたが、自民党都連青年部や自民党三支連青年部の定期大会で議長を務めていた経験もあり、無事に議事を終了することができホッとしたところです。

 その後、我が母校である都立府中西高校を平成3年に3年7組で卒業したクラスの同窓会があるということで、新宿へ向かいました。

 新宿ワシントンホテルの近くにある「さくら水産」という居酒屋に到着すると、担任の先生を始めとして、20名ほどの同級生が集まっており、会った瞬間に「変わってないなあ」と言われると20年近い時間の流れを取り戻したようです。

 議員と言う仕事をしているだけあって、収入から活動状況、次回選挙の展望など一通り質問を受けた後に、こちらからもみんなの状況を聞くと、それぞれが社会の第一線で頑張っている姿を知り、こちらとしても励みになります。

 担任の先生からは「負けるが勝ち」ではなく「負けても勝ち」という言葉を教えていただき、政治の世界では百戦百勝というものはありえないから、その場は負けても次の勝ちを得る為に何をするかが大切だという内容を様々な方法で表現されており、さすが国語の先生だけあって重みがありました。

 その先生から3年生の時に「小論文」という選択授業を習っており、その文面からも「政治家を目指したい」という文言があったそうで、当の本人はすっかり忘れており、人の記憶がいい加減なものだと気づかされます。

 ですが、その小論文の授業があったからこそ、こうやって毎日日記を書くことができたように思います。僅か2時間で何らかのテーマに沿って書くというのは、辛いながらも乗ってくると楽しいものでもありますので、表現する楽しさを知ったということが、一番の収穫だったように思いました。

 午後8時過ぎに到着してから、京王線や中央線の終電が無くなるまで話しは尽きることなく盛り上がり、これも幹事としてあらゆる同級生との連絡調整をして、この場を設けていただいたお陰です。



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3月26日本日は一橋大学KODAIRA祭の市報掲載について企画部と打ち合わせしました

2010年03月26日 | Weblog
 こんにちは、昨年の夏は一橋大学生をインターンとして受け入れた石井伸之です。

 先日、そのインターン生から6月5日と6日に一橋大学で行われるKODAIRA祭を宣伝する為に市報5月20日号に掲載して欲しいとの連絡がありましたので、そのことを市報担当職員へインターン生と共にお願いしました。

 市報に掲載する場合の段取りとして、発行日よりも1か月以上前に締め切りが来ると言うことは認識しておりましたが、掲載に向けてどうやって手続きするのか、事務的な手続きについて知ることができ、自分としても勉強になったところです。

 担当職員さんによると、それほど大きくは取れないが、お知らせコーナーという部分で宣伝していただけるということで、インターン生も喜んでおり、こちらもホッとしました。

 夜にはくにたち政治経済研究会があり、いつもは司会者がパネリストに質問して、そのパネリストが答えるという形でしたが、今回は新しい試みとして、車座になり司会者がそれぞれの参加者に意見を聞くという形で市政の問題点について話し合いました。

 議論がヒートアップしていくと、順を追って進もうとする司会の方が制止しても市長選挙へと話が直結してしまうのですが、同じ時期に自分が市議会議員選挙を抱えているということを考えると、重要だと感じながらも市長選挙へ全力を注ぐことのできないもどかしさを感じます。

 それでもこうやって世間では中堅から若手と呼ばれる方が集まって、市政について議論し住基ネットについてのフォーラムを開催すると言った全市民的な働きかけをしていることは素晴らしいことだと思います。

 一般参加者の方々からの話しを聞いてみると、ある方は議員定数削減に関心があり、ある方は国立駅周辺まちづくり、ある方は若手を中心に発想の転換が必要であるというように、市政の問題点はそれぞれの立場や認識によって違うということが分かりました。

 そういった中で、次の市長選挙ではどういったものが争点になるのか、議員の認識と無党派と呼ばれる市民の方々の認識に極力リンクできるように耳を傾ける努力が必要です。

 私たち議員としても一番身近であるはずの市政が、新聞報道などが何もないことにより、意外と遠い存在になっていることを知らされますので、どうやって多くの方へ市政の最新情報をお届けできるか、今後とも考えて行く必要があると感じました。

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3月25日本日は国立市商工会職員送別会に参加しました

2010年03月25日 | Weblog
 こんにちは、昨日無事に国立市議会第一回定例会3月議会が無事終了したおかげで、予備日であった本日はのんびりと市議会通信79号の発行に向けて紙面の検討をしておりました。

 それでも、締め切りの無い作業には集中力が入らず、春休み中の長女は一日雨と言うこともあって暇になると、首筋からまとわりついてきますので、はかどることなく紙面の半分を構成していると夕方になってしまいます。

 話しは変わり、毎日何故こうやって日記の更新をしているかと言うと、以前もお伝えしたかと思いますが「市議会議員が毎日何をしているのか分からない」という声に対して、どうすれば多くの方へ発信できるのか考えていたところ、更新の簡単なブログというものをパンフレット等の作成を手伝ってくれた同級生から教えてもらいました。

 日記を書く習慣の無い私にとって、始めた当初、それはそれは苦痛以外の何者でもなく、毎月1回ではかっこ悪いから週に1回更新すれば良いかと思っていたのですが、愛読していただく後援会の方や友人、知人よりもう「もう少し小まめに更新すべきだ」という意見に答えていると「もう少し小まめ」が「毎日」へとハードルが高くなるまで、それほど時間はかかりません。

 「何でもいいから、とにかく毎日更新する」ということをしていると、徐々にアクセス数も伸び、現在は毎日100人以上の方に見ていただき、日記を書くということを習慣とすることができました。これも、数日更新されていないと電話で「更新するように」と言っていただいた方々のおかげです。

 私も水が低いところへ流れるように、楽な方、楽な方へと流されますので、競走馬ではありませんが、ムチで引っ叩くジョッキー役の存在はありがたいものがあります。今後ともそういった注意を素直に受け入れることができるようにすることが、自分自身の成長に繋がることだと思いました。

 さて、午後7時30分からはノイフランクという国立市東1丁目にあるソーセージやハムの大変美味しいお店で、以前青年部担当であった国立市商工会職員の送別会に参加しました。ご存じのように、ノイフランクのレストラン部分は20名も入ればキュウキュウにも関わらず、40名近くの方が集まり、店内は凄いことになりましたが、それだけの人数が集まるということは、その方が事務局職員として青年部へ献身的な貢献をしてきたからではないでしょうか?

 その方は国立商工会に13年勤務し、これからは東京都商工会へ係長としての栄転ですから、寂しさ反面、嬉しい部分でもあります。私が国立市商工会青年部に入った頃にその方が青年部担当ということで、右も左も分からない時には大変丁寧に教えていただいたことを覚えています。

 また、その方からも私の日記を読んでいただいているという言葉をいただくというのは、大変嬉しく、そういったお一人お一人の声援があったからこそ、ここまで続けることができましたので、読んでいただいている皆様の為に努力して行きます。

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3月24日本日は国立市議会平成22年3月議会が無事終了しました

2010年03月24日 | Weblog
 こんにちは、自由民主党新政会会派幹事長を務めさせていただいている石井伸之です。

 本日は平成22年第一回定例会最終本会議を迎えました。福祉保険委員長として委員会審議の内容を報告することと、私が筆頭提出者として内容に賛成していただく会派所属議員と共にまとめた議員提出議案「子ども手当財源の地方負担に反対する意見書(案)」の提案説明という様々な出番が待ち受けておりますので気が抜けません。

 昨年6月議会から4回目の最終本会議における委員長報告ですが、2回、3回読み返しているにも関わらず、登壇して報告する際になって誤字脱字や意味の繋がらない部分があり、その場で言い直す場面もあり、冷や冷やものです。

 さらには、特定の政党名が入っていたという指摘があり、その発言の取り消しをするということや意見書の提案説明では、意気込んで意見書文面の原稿を見ず即興で壇上から訴えかけようとしたところ、前のめりに突っかかってしまい、みっともない提案説明になってしまい、さらにその間違いを他の議員に指摘されるという「踏んだり、蹴ったり」で、質疑をされなかっただけでも「武士の情け」だったと思います。
 
 他の議案については、国立駅南口ロータリーの歩道に自転車駐輪場を設置する為の条例改正について、建設環境委員会でも丁寧な質疑がされており、本会議でも様々な議員が意見を述べておりました。

 私も、夕方になると西友国立店の富士見通り側歩道にビッシリと自転車が並んでしまい、将棋倒しにでもなったらと思うと大変危険なので、旭通り車道に並んでしまう放置自転車と共に、地元の方々とよりよい方法を考えて欲しいと要望致しました。

 結果的に平成22年度予算案も無事に賛成多数で可決し、我が会派からは松嶋議員が予算に対する討論を行っていただきました。その後に行われた人権擁護委員二名と教育委員二名についても賛成多数で同意され、後は提案が無かった教育長人事については今後の課題として次の議会へ持ち越されることとなっております。

 自由民主党新政会幹事長として、予算や人事の問題について非常に難しい状況にありながも我々の要求していた2名の教育委員が選任され、矢川駅エレベーター設置や小中学校耐震補強工事など、他にもいろいろとあります書ききれないので割愛しますが、市民生活に直結する大事な予算が入っておりましたので、賛成に向けて過半数の議員の意思統一ができたことを素直に喜びたいと思います。

 本来であれば予算に賛成しなければならない、与党議員の大部分が反対するという平成22年度予算なので、我々野党議員が反対に回れば予算は否決され、数か月の暫定予算を組むことになります。しかし、暫定予算ということは矢川駅エレベーター設置などの政策的な予算が執行できず、経常的なものだけしか予算が執行できません。

 これによって、工事の遅れはもちろんのこと、対外的にも国立市としての責任放棄にも映りかねませんので、大局的な見地からも賛成の方向に舵を切りました。是非とも市民の皆様にはご理解をいただければと思います。

 市長との難しい交渉には、明政会の関議員が中心となって動いていただき、それを私と斎藤議員が脇を固めて一致結束したということもあり、ベテランである関議員の交渉術というものを見習いたいと思いますが、鋭い嗅覚を持つ関議員の天性の交渉術はなかなか真似できるものではありません。

 一番難しい3月議会を無事に終えた今となっては、精神的なプレッシャーから解放されたことを素直に喜び、来年4月に控えている国立市議会議員選挙に向けて、少しづつ準備して行きたいと思います。



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3月23日本日は明日の最終本会議に向けて福祉保険委員会委員長報告を作成していました

2010年03月23日 | Weblog
 こんにちは、国立市議会福祉保険委員会委員長を務めさせていただいている石井伸之です。

 本日は明日24日に行われる国立市議会3月議会最終本会議に向けて、福祉保険委員会委員長として委員会報告を作成しておりました。それでも今回は17日に委員会が終了してから、3連休を挟んだおかげで、テープ起こしや内容確認を休日中にも関わらず議会事務局職員の方々に出勤していただいたお陰で、21日には福祉保険委員会速記録をいただき、余裕を持って仕上げることができました。

 以前であれば、委員長報告作成時間が丸一日あるかないかという状況下で、20ページ近くにも及ぶ委員長報告を作成しておりましたので、当然のように夜なべとなってしまい、翌日の本会議は睡眠不足と戦っている状況です。

 ちなみに福祉保険委員会の中で、子ども手当について国立市負担における質疑と答弁がありましたので、お知らせしたいと思います。

国立市における子ども手当総額は11億5,973万円
    その財源内訳は国庫負担金が9億1,052万3,000円
       子ども手当都負担金が1億2,460万3,000円

 総額から下の二つを差し引き残りの1億2,460万4,000円が市の負担

 国立市の負担額1億2,460万4,000円には新たな地方負担分として、4,621万2,000円が地方特例交付金で補てんされることから、その分を差し引きした7,839万2,000円が平成22年度子ども手当における一般財源からの負担額となっております。

 一般会計予算が250億円余りで毎年10億円不足すると言われている国立市にとって、この7,839万2,000円というお金は非常に重くのしかかって来ますので、平成22年度において少しでもこの地方負担を軽くするように訴えかけて行きます。

 そもそも税金と言うのは、皆さんから広く浅く薄く所得や使う金額に応じて公平に負担していただき、それを何かの目的を持って大きな事業に使うと言うのが筋だと思いますので、子ども一人当たり1万3千円を所得制限なく配布するというのは、いかがなものでしょうか?

 お金は恵まれず、困っている方へ手厚く給付して、将来は立派な社会人となって社会に貢献していただくように、教育面での事業に使うことが将来的な投資という意味でも役に立つと思います。

 子育て支援と言いながらも、毎月1万3千円や2万6千円の給付で本当に少子高齢化社会に対して楔を打ち込むことができるのでしょうか?人口統計学的に今後50年近く日本の人口は減少していくことが確実な中で、子育てをすることの喜びや楽しみ、辛いこと苦しいことは多々あっても、それが親として自分を成長させてくれるといった、子育てにおける理念が確立していなければ、どんな現金支給をしたところで、ぬかに釘、暖簾に腕押しでしかありません。

 まずは、子育てにおける喜びや楽しさについての教育というものを中学・高校・大学という場所で教えて行くことが大切であると思いますので、子育てをし易い環境作りと共に、そういった精神的な部分にもメスを入れていただきたいものです。


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3月22日本日は三田事務所で旭日中綬章受章式典に向けた打ち合わせに出席しました

2010年03月22日 | Weblog
 こんにちは、三田敏哉前都議会議員には仲人まで務めていただき、公私ともお世話になっている石井伸之です。

 本日は午前10時より三田敏哉前都議の旭日中綬章受章式典に向けた打ち合わせがあり、松嶋議員や三田後援会会長を始めとして主だった方と共に私も打ち合わせに参加させていただきました。

 当日のこともありますので、余りここで詳しくお話することはできませんが、数百人規模の式典を行うということは、受付の段取りから式次第の流れまで、詰めることが多く一度の打ち合わせでは、なかなか決まりません。

 立川グランドホテルで行われる式典は、立食パーティーということもあり、本日の打ち合わせでは極力事前のセレモニー的な挨拶を短くしようという雰囲気で調整されておりました。

 午後からは、昨年の夏にインターン生として来てくれた学生さんが、遊びに来てくれたおかけで、一緒に昭和記念公園へ行くと、鎖の解き放たれた犬のようにはしゃいでいる姿を見ると、それだけでも嬉しいことが分かります。

 遊びに来てくれた割には、長女の子守りをさせてしまったようで、申し訳無い感じもしますが、こうやって、以前来てくれたインターン生が遊びに来てくれるのは嬉しいものです。



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3月21日本日は午前2時過ぎに出火報が鳴りました

2010年03月21日 | Weblog
 こんにちは、昨日の消火活動が読売新聞多摩版に掲載されており、今年初めての本格的な火災になってしまったことは非常に残念なところですが、死傷された方が居なかったことにはホッとしました。

 さて、本日も午前2時過ぎに出火報が鳴り響き、非常に風の強い夜にも関わらず、南風だったせいかもしれませんが、サイレンが大変よく聞こえてきます。

 それでも深夜だけあって、気持ちは「急げ、急げ」と言っているのですが、体は全くついて行かず布団から出るまで数分が必要で、さらに作業服に着替えると10分程度かかってしまいました。驚いたのは、玄関を開けようとしても南側に面した扉はびくともせず、無理に急な力をかけると玄関の丁番を傷めて、扉が歪んでしまいますので、全体重を掛けてゆっくり開けると、何とか外に出ることができました。

 外に出た瞬間、吹きつける風が土埃を舞わせ、目を開けていられません。どうにかこうにか消防小屋へ到着したものの、当然のように消防車は出た後になっており小屋でお留守番です。

 消防無線で状況を聞くと、誤報だったということもあり、脱力感と眠気で何とも言えない状況です。とにかく昨日の様な本火災が強風に煽られでもしたら、大分県で発生した民家27軒が全焼するという危険性もあります。

 30分程で帰宅できましたが一度目覚めた体は、布団に入っても風が雨戸を叩く激しい音もあり、なかなか寝付くことができず、空が僅かながらも明るくなった頃に寝付くことができたものの、午前9時頃になると明るくて寝ていることもできず、寝床から出たところ起きても非常に眠く、今日は一日何をやっても集中力がありません。

 午前中は不要になった書類の整理を行い、午後からは自宅より徒歩数十秒の距離にある緑川東公園にて、エコキャップ回収を呼び掛けるサンクスコンサートが行われ、消防団第一分団の先輩が演奏するということから、私も長女と一緒に駆け付けました。

 緑川東公園は昨夜からの強風で地面の砂が飛んでしまい、あちこちに固い地面が露出しており、風の強さを物語っています。

 コンサートの方も順調に行われておりましたが、突然やってくる強風に楽譜などが煽られしまい、紙吹雪のように舞う場面もあり、演奏には風が大敵であると感じたところです。

 4回目になることもあって、周囲の方が続々とエコキャップを持ち込み、今日だけで2万個を集めることができたとの発表がありました。


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3月20日本日は早朝より火災出動した後に夫婦別姓に反対する大会に参加しました

2010年03月20日 | Weblog
 こんにちは、消防団第一分団所属の石井伸之です。本日は午後からの予定になっているので、午前中のんびりしていると「ふわーーん・・・ふわーーん・・・・・」と出火報のサイレンが聞こえ、速やかに作業服へ着替えて消防小屋へ向かうと、分団長から「燃えているから」との嬉しくない言葉があり、周囲には緊張が走ります。

 谷保7000番台のとある場所に駆け付けると、遠くからでも延焼しているグレーの煙が上がっており、並行道路のとある場所に他の消防車が使っていない消火栓を見つけ、そこから水利を取り、ホースカーと呼ばれるホースが9本詰まった台車を引くチームと消火栓に接続しる取水するチームに分かれて作業し、私は水利を確保した後に放水しているチームに合流しました。

 既に大半が煙に包まれた民家へ消防署隊と消防団がそれぞれの方向から放水を行い、私たち第一分団も西側より放水を行いました。不幸中の幸いは早朝だったことでほとんど無風状態により煙も炎も直上に上がっておりました。これがもしも午後からの強風に煽られていたらと思うとゾッとします。

 さらに怖いことに、民家にはプロパンガスが設置されており、出火場所がそちら側でなかった為にプロパンガスは無事でした。もしも、これが爆発していたら、被害甚大で火の手は広範囲に広がっていたと思います。火災現場には地元の石神地域の方が集まっており、顔見知りの方々より状況を聞かれると共に周囲へ燃え広がらないように駆け付けたことを感謝されました。

 消火作業は40分ほどで終了しましたが、その後はホース洗いなどでなんだかんだで帰宅するまでは1時間半ほどの時間がかかり、朝食前だったこともあり腹ペコでヘロヘロでした。火災は続くと言われておりますので、火災を他人事とは思わず火の元には十分気をつけて下さい。

 その後、家内から聞いたのですが、お昼前になってから燃えカスと思われるものが青柳地域にも降って来たそうで、洗濯物や布団が汚れてしまったと言われました。こんな形で二次災害があるとは思いもしませんでした。

 さて、午後2時からは、夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民大会が東京ビックサイトで行われるということから、日本会議地方議員連盟よりお誘いいただき、そちらに参加しました。

 只さえとんでもなく広い会場にどれだけの方が集まるのか少々不安に感じましたが、5000人入る会場には5100人の方が詰めかけ、夫婦別姓に反対する方々の関心の高さを伺えました。主催者は「夫婦別姓に反対し、家族の絆を守る国民委員会」となっており、呼びかけ人には、市田ひろみ(服飾評論家)桂由美(ブライダルデザイナー)桜井よしこ(ジャーナリスト)小野田町枝(日本女性の会)工藤美千代(作家)長谷川三千代(埼玉大学教授)と言った方々の名前が並んでおりました。

 主催者代表の挨拶があってからは、各党・各派からの挨拶に入り、トップバッターには国民新党代表・金融担当大臣の亀井静香衆議院議員が登壇し、毎日のように福島みずほ大臣より「夫婦別姓で困っている人がいるから助ける為にも閣議決定に賛同して欲しい」と言われ先週水曜日には鳩山総理直々にお願いされたそうです。

 しかし、亀井大臣は選択制とは言え、姓の違う親を持つ子どもがどれだけ戸惑い、思い悩むのか?長く続いた伝統文化を何故ここで変えなければならないのか理解できない、として国民新党は断固として夫婦別姓には反対であることを表明しておりました。

 続いて民主党の吉田議員からは党内でも23名の議員が夫婦別姓には慎重な立場を取る議員が会を立ち上げ、反対を訴えているそうです。

 自民党からは、下村博文衆議院議員が親として子供が社会の役に立つ立派な社会人に育ってほしいという願いを叶える為にも、夫婦の絆と家族の絆が大事であると言われている時代に、家族のまとまりを弱める夫婦別姓制度を導入すべきではないと訴えかけ、自民党でも旧姓や通称をさらに使いやすくする対案提出に向けて努力していると言われておりました。

 平沼赳夫衆議院議員からは、夫婦別姓法案には家族解体の危機が隠れており、民主党は家族解体や戸籍制度廃止を訴えている旧社会党系議員のいいなりになって、民主党の政策集に書かれていることに触れておりました。

 最後に登壇した埼玉大学の長谷川三千代先生の話は目からウロコが何枚も落ちる内容となっておりました。

 夫婦別姓の韓国や中国は儒教の教えが色濃く残り、その中身は祖先を大切にすることだが、それは自分自身の親だけのことであり、日本は明治新政府となった明治5年に戸籍法が確立するまでに慎重審議された結果、夫婦のどちらかがどちらかの姓になることによって、お互いのご先祖様をお互いが尊重し、お互いの両親をお互いに面倒を見る為にも夫婦同姓制度が必要であるという言葉が私には最も説得力のある言葉でした。

 その時には、私は何故かさだまさしさんの関白宣言の歌詞「おれの親もおまえの親もどちらも同じだ大切にしろ」が思い出されました。

 こういったコンセプトを持って150年余り運用されてきた戸籍法で、選択制夫婦別姓には、完全夫婦別姓や完全夫婦同姓に比べてコンセプトが無いと断言しており、民法の改正には誰にでも分かる明確なコンセプトが必要であると言われておりました。

 こういった話を聞くと、日本人というのは自分の姓に誇りを持ち、ご先祖様が頑張ってくれたからこそ、今の自分が存在しているという当たり前のことですが、その当たり前を再確認する時期がきているのではないでしょうか?現世を生きる横のつながりも大切ですが、縦の繋がりとも言えるご先祖様を大切にすることが、両親や子供を大切にすることにも通じるのではないでしょうか?

 戸籍法は明治からの150年程度かもしれませんが、江戸時代以前からも日本人は家族を大切にして、結婚と言う親族同士の繋がりから家と家が連携して協力すると言う「困った時はお互い様」という精神を守ってきた民族であると思います。

 だからこそ、私は夫婦のどちらかに姓を同じくして、家族という最も小さな集団を大切にすることが重要であると考えます。

 アメリカや欧米では一時期個人尊重主義に陥ったことによって、離婚率が高まり家族の崩壊がクローズアップされておりました。そのことを反面教師として家庭の大切さに気が付いたと言われております。
 
 民主党が議員立法で提案する可能性もあると言われましたので、亀井大臣が閣内で頑張ったとしても危機が去ったわけではありませんが、国会議員の方々には今一度、両親の姓が違うことによって子供がどれだけ戸惑い、思い悩むのか考えていただきたいと思います。

 久しぶりに大変長い文章となってしまいましたが、最後まで読んでいただき心より感謝致します。


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3月19日本日は最終本会議に向けた議会運営委員会がありました

2010年03月19日 | Weblog
 こんにちは、丸一ヶ月という長丁場の3月議会も常任委員会審議を終えたことから、第四コーナーを曲がって最後の直線にさしかかったところですが、そこには急な坂があることから気は抜けません。

 24日と25日の二日間にかけて行われる最終本会議に向けた議会運営委員会が、午前10時より委員会室で行われ、我が会派からは石塚議員が出席しました。

 最も注目していた教育委員の人事なのですが、ようやく市長が決心を固め、現職である佐藤教育委員の再任と佐野教育委員の後任として男性の方を議会へ提案して来ましたが、教育長については協議が整っていなということから市長より最終本会議に向けて調整を続けるとの発言がありました。

 平成21年9月議会最終本会議に議会で否決される可能性のある教育長の人事提案をしながらも、否決がほぼ確定的になったことからその人事提案を取り下げると言う混乱から半年を掛けてようやく議会側との調整が整い、3名のうち2名の人事提案がされましたので、教育長は教育行政のトップという立場からも丁寧に調整して欲しいものです。
 
 話しは変わって、本日は幼稚園の修了式だったことから、家内も幼稚園に行きました。とても良い先生だったこともあり、クラスのお母さんの方が寂しそうだったとのことです。早いもので4月からは長女も年長になりますので、年中と同様に一日も休まず楽しく幼稚園に通ってくれると親としても嬉しく思います。

 写真は幼稚園の先生に贈り物として、手鏡の裏面にデコレーションしたものだと言っていました。

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3月18日本日は終日事務仕事をしておりました

2010年03月18日 | Weblog
 こんにちは、久しぶりに何の予定も入っていない一日を迎えた石井伸之です。

 だからといって、羽根を伸ばしてどこかへ遊び行くことは出来ないほどに、事務仕事が蓄積されており、自民党国立総支部青年部定期総会にむけての案内状発送や頂いていたメールの返答、スケジュールを調整した上でのあらゆる会合へ出欠席の返答、お昼に帰って来た長女の相手などをしていると、あっという間に一日が終わってしまいます。

 家内が久しぶりにマッサージへ行きたいということから、長女のお迎えと昼食の準備は私の係となり、長女へお昼ご飯は何を食べたいか聞いてみると「パパの炒飯が食べたい」と言われてしまいました。私の数少ないレパートリー(ラーメン・やきそば・炒飯までが限界です)を選ぶよりも、てっきり外にでも行きたいと言われるかと思いました。

 私が炒飯の準備に取り掛かると、長女は小さな椅子を持って来て「何を手伝いますか?」というので、ピーラーで人参の皮むきをお願いすると、目を離した隙に一方向だけ人参が痩せておりました。さすがに怒るわけにも行きませんが、僅か1分程度の出来事だったのには驚きです。

 インターネットで炒飯の作り方を再確認してから、いつものように炒飯を作ると長女はお弁当箱を持って来て「これに詰めて」と言うので、その中に入れてあげると美味しそうにパクパク食べておりました。

 美味しいか聞いてみると「美味しかったよ、また春休みになってから作ってね」と、リクエストされてしまいましたので、もう少し美味しく作れるように努力したいと思います。
 
 話しは変わって、第六小学校北西の角にあるT字路はカーブミラーが設置されているものの、電柱に隠れて見えにくい状況だったので、改善して欲しいという声を青柳地域の保護者の方々よりいただき、速やかに建設課長へ伝えました。

 写真のように先週新しく見やすい場所に設置していただき、早速数人の方よりお礼のお言葉をいただきました。南武線の踏切から第六小学校にかけて下り坂ということもあって、車で通行する方も脇の細い道から飛び出されると危ないと言われておりましたので、早々に設置していただいた都市振興部職員の皆様に心から感謝致します。

 矢川駅エレベーター設置のように大きな事業が進むというのも嬉しいことですが、小さな要望でも着実に実現できるように今後とも努力して行きます。


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3月17日本日は福祉保険委員会がありました

2010年03月17日 | Weblog
 こんにちは、福祉保険委員会委員長の石井伸之です。昨日の初夏のような陽気はどこへ行ってしまったのか不思議に感じる程の寒い朝になっておりました。

 委員会の前に、自民党として全国的に各地方議会で子ども手当における地方負担が無いように求める意見書について、各会派の議員へ署名をお願いし(会派によっては快く署名していただけるところもあれば、署名はできないが賛成して行きたいという方、真っ向から反対という方がおりました)無事に書式を整え本日の正午までという期限内に議会事務局へ提出することができました。

 さて、本日は午前10時より福祉保険委員会が行われました。昨年6月に委員長となってから、委員長として既に3回の福祉保険委員会を行っておりますが、必ずと言ってくらいに揉める案件があり、長い時間が必要となっておりました。

 それでも今議会は揉める案件が無く、午後2時過ぎには無事に終了することができました。委員会が終わってホッとすると、委員長として緊張していたのか、徐々に疲れが出て来ます。

 後は、最終本会議に向けて委員長報告を作成するという大きな仕事が待っておりますので、23日は予定を入れずに事務作業の日として開けておかないと、徹夜になってしまいます。

 いよいよこれで3月議会も最終本会議を残すのみとなりましたが、幹事長として荒波から大波、津波まで、様々な波を何とか乗り越えてきましたので、自分としては非常に良い経験になりました。先輩議員から大局を見据えた形で筋を貫き通す様々な交渉を目の当たりにしましたので、信念を曲げずに交渉することと、最終的な着地点を見極める目を鍛えて行かなければならないと感じました。

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