西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

柳沢厚労相の「産む機械」発言

2007-01-31 | 時論、雑感
人口問題を所轄する柳沢厚労相の、女性を産む機械とする発言には驚いた。前に『日経』夕刊の「こころの玉手箱」で柳沢さんが若い頃に読んだエンゲルスの『空想より科学へ』を「こころの玉手箱」としていると読んで、それなら「厚生労働政策」も少しは科学的にやられるのかな、と思いきやこれである。男女共同参画社会を率先して追求すべき立場なのにこれである。大臣となれば、「一寸口が滑った」ではすむまい。やはり罷免ではなかろうか。
関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/234fcaffc5d00884126509983b8e9b84

磯田憲生先生、生活環境学部を宜しく!

2007-01-30 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
この3月に、現在、奈良女子大学生活環境学部長である上野邦一先生が定年退職となり、4月からは住環境学科の磯田憲生先生が学部長になられるようだ。まあ、予測の範囲内といったら叱られるかもしれないが、順当なところだろう。日本家政学会の副会長もやっておられるので「ご苦労さん」と言いたい。宮崎県延岡出身の九州男児、大学は関東に行き千葉工大卒、その後、東工大助手を経て関西の奈良女子大に来られた。今年、還暦過ぎたかな。温熱環境の専門家で、私のOMソーラーのデーターも採っていただいた。最近は、窓際の植物の「熱的効果」を調べておられる。緑の葉っぱが太陽熱を吸収し、夏季クーラーがなくとも室内温度が数度下がることを明らかにしておられる。省エネに沿っている。
とにかく私の前の三好正満先生の頃から、学部長はそれまでの「額縁用」ではなく、中の絵画のように「かいがいしく」働かされている感じだ。
磯田先生にも、間違っても「おめでとう」ではなく「ご苦労さんですね」と声をかけたい。
磯田先生紹介記事:http://www.nara-wu.ac.jp/life/resed02/news/news015.html

「先生の日」

2007-01-30 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、平安女学院大学で担当している専門基礎演習(プレ・ゼミ)が最後の授業だったので、その後半に私の奢りのロールケーキとお茶で学生諸姉と駄弁りあった。で、隣りの韓国では「先生の日」というのがあって、その日は感謝を込めて先生にプレゼントしたり、食事に招待したりしているよ、と話したら、誰かが「儒教の国だからでしょう」と言ったが、日本でも昔は「儒教的」だったけれど、そういう日があったと聞いたことがない。とにかく皆「へー」という顔。日本では先生が学生に奢って「出世払いだよ」などと言ったりしているが、「払ってもらった」ためしがない。後で「先生の日」で検索したら、韓国だけでなくベトナム、タイなどでもあるようだった。日本が「遅れている」のかな。

「肺がん」は最後が一寸違うみたい・・・

2007-01-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
前にブログで「がんになって良かったですね」というのを書いた。:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b8eb95e39ffeb306a1b5f50b08dee87d
昨日、女医さんがいる席で、その話をしたら、その女医先生は、「がんと言っても肺がんは一般に最後が苦しくて、そんな穏やかなものではないですよ。」と言われた。そういえば、前の話は泌尿器科系統の癌の話なのだろうか。とにかく、その場で煙草をスパスパ吸っていた男連中は首をすくめていた。

野口孝博さんの思い出

2007-01-29 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
私のブログコメンテーターの一人「Asami編集長」とメールやりとりしていたら、彼の出身大学の北海道大学の現役教授である野口孝博さんが亡くなった言う。58歳。私は野口さんと京都の祇園の料亭で会ったことがある。当時、野口さんは足達富士夫先生(私の奈良女子大の前任者、北大教授で転任のため私が京大助手から奈良女子大助教授に移籍できた)の助手をしていた。何か北海道の住宅の特性研究のため比較で関西にも足達先生と一緒に来られたのだ。私は当時、助教授で、教授の扇田 信先生と一緒に会ったと思う。野口さんについては、中々芯のある人物と思った。その後、やっていることも少し違い、遠く離れていることもあって、疎遠になっていた。どういう原因かわからないが、「若い」と思う。ご冥福を祈りたい。

平城宮跡・大極殿復原現場に行く

2007-01-29 | 住まい・建築と庭
今日の午後、奈良市建築審査会があった。私は副会長なので出席した。で、奈良での耐震偽装ホテルの例の事後対応の報告があった。元々10億円ほどかかる12階建てのホテルを「耐震偽装」で7億円余でつくったのが悪かった。耐震補強のため色々なこと、柱の新設、壁の補強、梁の補強等々で2~3億円かかって、今年の8月に漸く出来るという。結局、きちんとやると合計元々必要な10億円ほどかかって、替わりに信用を落とし、時間も無駄にしている。結局は「耐震偽装は損だ」との考えを広める要がある。
その後、特別の現場見学で平城宮跡・大極殿復原現場に行った。平城京スタートから1300年の2010年に完成予定だ。地下(基壇下)の免震構造を見た。柱の下、44基のRC構造、三種があり、一番多いのは桁行き、張間行きに上部構造が動くもの(Ⅹ軸、Y軸にレール上を自由に動く)、次にゴムが上の柱と下の基礎間に挟まっていて地震で動いても元に戻るもの(6基)、最後に上下振動を吸収するものがあった。これは年に二回やっている一般公開でも見られないもののようだ。これを見て、これは「現代建築」ではないか、と思った。JR奈良駅近くの磯崎 新さん設計の「百年会館」が170億円に対して大極殿は190億円、まあこちらがより意味があるのかな、と思う。柱は殆ど紀伊半島の檜のようだ。階段を上がって「2階」「3階」も見た。屋根のカーブが写真のようで、印象に残った。既に出来ている朱雀門もそうなのだが、どうも宮殿建築にしては、寺院建築の「匂い」がある。上部構造は法隆寺や薬師寺等を参照したためであろう。柱の跡や大きさなどははっきりしているが、上部構造を特定する資料は今のところない。だから「想像」と「創造」の世界でもあるのだ。また、「そうぞうりょく」涵養のため奈良女子大の学生達を連れて来たらどうか、と思った。見学希望者は言ってよね。
(写真は、大極殿の2階(?)屋根面)

「ぼうさい甲子園」での室崎益輝さんの講演

2007-01-28 | 地域居住学
消防研究センター所長の室崎益輝さんは、私の京大建築学科の若干後輩で、防火・防災の堀内三郎先生の愛弟子だ。神戸大学教授から消防研究所所長になり、法人化の過程で色々苦労している。仕事柄講演する場数が多いとは言え、「話し」が上手くなったものだな、と思う。今日の『毎日』に概要(「生きる力」防災の基本)が載っているが概要を読むだけでもそれが分かる。先ず阪神淡路大震災の教訓として四つの四字熟語を挙げている。曰く、油断大敵、臨機応変、用意周到、そして自立連携である。最後のは、一般に余り聞かないが今後重要となるコンセプトだろう。個々人が自立しつつ、連携・協調するという高度な態度だ。で、「ぼうさい甲子園」で子供達が集まっていることも意識して、防災教育の目標として又四つを挙げる。心(Emotion)に加え知恵(Wisdom)、技能(Skill)そしてつながり(Netwaork)と言う。これらは四方に気を配る「東西南北(EWSN)」の資質と言う。最後は、やはり東西南北につながるNetworkが決めてであろう。

国会図書館関西館ネット蔵書コピー増え入館者は半減

2007-01-28 | 地域居住学
また「けいはんな市」(学研都市)の余りよくないニュース、国会図書館関西館は02年10月にオープン、今年5年目だが、『毎日』によると、ネットでコピーサービスを受ける人は増えているが(来なくてよいため)、実際の来館者は当初の日当り476人を最高に05年は248人まで減っているようだ。私も近くにいるのに未だ二回しか行っていない。借り出せないことや日曜日休館が不便である。でもアジアや科学技術分野などに「強く」400万冊も有している。蔵書数では関西では東京の国会図書館から沢山もってきたこともあり設立4、5年で設立100年の京大図書館に匹敵している。全国の大学で出している博士学位論文も全て揃っていることになっている。まあ、研究者や院生には便利であるだけでなく、近所の人たちも気軽に立ち寄れる雰囲気にし、それらしき企画もしてほしい。西日本やアジアを睨むだけでなく同時に地域にも根付いて欲しいと思う。(私の仕事館、けいはんなプラザを含めて再度活性化を議論していきたい)
関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/afa696898e1a3a7102536770c7ffe0a2
(写真は、国立国会図書館関西館)

木津川市の市長選に田中康夫さん立候補

2007-01-28 | 時論、雑感
今日の『朝日』『毎日』の「南京都版」「きょうとがっけん版」で3月12日に木津町・加茂町・山城町合併で発足の木津川市の市長選に田中康夫さんが立候補を表明、と報じている。つい先ごろまで梅花女子大教授だった。神戸大学建築学科から大阪市大の大学院(川名吉衛門研究室)に進んだ都市計画の研究者、私より二つ上(67歳)だ。立候補の弁で「常設型の住民投票条例を設け、重要な政策決定の際に民意を問いたい。3町の融合を進め、合併を意味あるものにしたい」と言っている。期待したい。奥さんの田中恒子さんは奈良教育大学から大阪教育大学に転じた住居学の研究者で、先ごろ彼女も定年で退職している。私より学年は一つ上(大阪市大住居学科卒、京大・西山研究室技官歴任)だ。元気のよい「お姉さん」だ。率直言って、この「お姉さん」の方が票をより多く集められうると思う。だが、「健康第一」でやむをえない。とにかく、木津川市も「けいはんな市」(学研都市)の一翼なので、注目していきたい。

京大総合博物館訪問ー湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念展ー

2007-01-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念展が今日までだったので一寸出かけてみた。京大に行くのも久しぶりだ。百万遍の角部から本部構内に入れる曲がった斜路がついていた。帰りにそこを通ってみたが、行くときは東山通りを少し下がっていき左手に京都大学総合博物館がある。入場料400円、入って階段で上がった2階が件の企画展である。最終日の日曜のせいか、結構の人出である。科学少年、少女とおぼしき小学生も保護者同伴で来ている。理科離れを防ごうと、京大も京都市教育委員会等と提携して小学生向き講座もやっているらしい。この総合博物館に来たのは2回目である。展示を見て、当時の旧制の中学、高校、大学は学生の数も少なく「悠長な」雰囲気が感じられる。また、湯川さんや朝永さんが先ず活躍する場が、京大(や東大)ではなく新興の阪大であり、また大学の外の理化学研究所の仁科研究室というところも面白い。新理論は縁辺部からかな、とも思った。帰りに湯川さんの半生の自伝『旅人』を文庫本で買って電車で読みながら帰ったが、ふと西山卯三先生が『住み方の記』という自伝を書かれるのは、『旅人』が『朝日新聞』に載り公刊されて大分後であるが、西山さんは京大でも湯川さんより3、4年後輩であり、この『旅人』にも触発されたからでは、と思った。湯川さんは、案外、住いや京都の町のことも描いている。「西山卯三日記」(資料のまま、未整理、未公刊)を読む課題が又一つ出来た感じだ。
関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/cecc086ffa94bf76a2da1c879a051882
(写真は、京大総合博物館)

「がんになって良かったですね」

2007-01-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
患者に凄い言葉を言える医者がいたもんだ!「がんになって良かったですね」だって・・、「エーーー」と思った。香川県立中央病院泌尿器科主任部長の朝日俊彦さんだ。1946年生まれだから今年還暦かな。1983年から「がん告知」をはじめたようだ。上記はラジオ深夜便「こころの時代」での発言だ。(2006年9月10日、11日、雑誌に概要採録)インタビュアーに「どこからそういう言葉が出てくるのか」と聞かれて、朝日さんは次のように答えている。少し長いが、ポイントなので引用する。「どんな病気になるかというのはくじ引きみたいなもので、日本人ならば確率が高いのはがん、心臓病、脳卒中の三つです。心臓病の場合は心筋梗塞などで割りとぽっくりいくことが多いのですが、ぽっくりいったらいいかというと、本人はいいかもしれませんが、残されたほうは大変です。遺産相続などの問題があるし、遺族の方も非常に愛している人が突然死んだとなると、心の痛手がかなり強いわけですよ。「自分が死んだらもう終わり」という考え方もあるでしょうが、人間と言うのは支えあって生きているわけですから、病気になってこの世から旅立たなければいけないことになったら、良いお別れの場を整えて、本人も気持ちよく送られ、周りの者もしっかりお見送りするほうがいいと思うんですが、ぽっくり死ぬと、そのお別れができません。また、脳出血や脳梗塞で倒れて寝たきりのような状態が続きますと、あえて申し上げれば、看病する側が「飽きて」しまうんですね。介護の年数が長くなると、どうしても愛情が憎しみに変わってしまいます。その点、がんという病気はふだんはわりと元気で、いよいよ悪くなってから亡くなるまで二、三か月です。これは看病する側も送られる側も、ちょうどいい長さなんですね。看病する側にしてみたら、二、三か月なら「がんばろう」という気持ちになりますし、本人も二、三ヶ月の間に身の回りの整理をして、気持ちよくみんなとお別れするんだ、と考えることができます。・・・僕は泌尿器科の医者ですから男の患者さんが多いんですけれども、そろそろあの世に旅立つ時期が近づいてきたら、患者さんに「奥さんの手を握って『一緒になれて良かった。幸せだった。ありがとう』と一言言ってください」と言うんですよ。そうすると、ほとんどの患者さんは奥さんに「お母ちゃんありがとう」と言われます。先日亡くなられた方はかなり年配の方でしたけれども、「お母ちゃんありがとう」と言った後、奥さんの顔をまじまじと見ながら「母ちゃん、べっぴんや」とおっしゃったんですよ。すると、奥さんの頬がポッと赤くなりましてね。」「言われた奥さんも、きっと満足されているんじゃないかと思います。僕は奥さんに、前もって入れ知恵をしておくんです。「だんなさんはこういうふうに言いますから、お返しの言葉を言ってください」とお願いして、「私はお父ちゃんのことを心から愛していますよ」と言ってもらいます。お世辞でもお芝居でも、臨終まぎわの人が奥さんからその一言をもらいますと、それはもう満ち足りた気持ちで亡くなることができますし、さらに「あなた、先に行ってよい場所を取っておいてください。私もあとから行きますから」という言葉があれば完璧ですよ。こんなふうに、いかにして「終わり良ければ全て良し」というところにもっていくかという視点が、僕は非常に大事だと思っています。」
こういうことが言える医者だから、頃合いを見計らって治らない患者に「がんになって良かったですね」といえるのだな、と思った。
(写真は、朝日俊彦さん)

「たかつきエコフェスタ2007」を覗く

2007-01-27 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日の午前、高槻市立生涯学習センター展示ホール(高槻市役所の建物1階)で昨日から明日(午後16時)まで行われている「たかつきエコフェスタ2007」の展示を見に行った。平安女学院大学生活環境学部としても参加、出展しているからである。口上「生活環境学部では地域から学び、地域に貢献できる人材の育成を目指して、生活環境フィールドワークや他のさまざまの科目で、地域の課題に沿ったテーマに取り組み、地域・現場主義の教育を心がけています。その中から、高槻市や森林組合のご協力で実現した竹細工や間伐材活用のテーブル・椅子作り、自然素材活用の染物、環境に配慮した洗濯、地産地消による郷土御膳や寒天コンテストによる商品開発など、一部を展示します」ご覧になった市民から、寒天コンテストの入賞作品のレシピが欲しいとの要望もあったようだ。たかつき環境市民会議で活躍の元奈良女理学部教官のS先生にもばったりあった。元気そうでなにより。大人、学生ばかりでなく小学生も参加、午後に取り組み発表があるようだったが、私は他の用事もあったので失礼した。明日まで展示はやっているので、関心のある方はどうぞ。竹細工の実技指導もやっていた。竹は、どんどん使わないといけないようだ。雨水利用の器具開発、堆肥製作コーナーなどもあった。

けいはんなプラザ危機

2007-01-27 | 地域居住学
我々が住んでいる「けいはんな市」(関西学研都市)の「中心」にある「けいはんなプラザ」が膨大な赤字で身売りの危機にあるようだ。(昨日の『京都新聞』)住友ホールでの音楽会など楽しんできたのにどうなるのだろうか。貸し出しラボ(研究室)も全部埋まっていない。ホテルも足場が悪く経営難のようだ。時々、研究会などにも使ってきたが・・。裏にある駐車場の土地も「売り戻し」になるようだ。
前にお知らせした厚生労働省関係の「私の仕事館」も何とかしないと潰れる。まあ関西国立国会図書館は、税金で何とかもつのであろうか。「けいはんな市民」レベルでも活性化、活用をもっと考えねば・・と切に思う今日この頃です。
「私の仕事館」:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/70d809aeab5fcb85224adc8f5bc4d750
けいはんなプラザのページ:http://www.keihanna-plaza.co.jp/

太田博太郎先生逝く、94歳

2007-01-26 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
今朝の朝刊各紙の訃報欄で建築史家・東大名誉教授の太田博太郎先生が19日に老衰のため94歳で亡くなられたことが報じられている。天寿であろう。太田先生とは、奈良の薬師寺整備委員会(先生が委員長、私が委員の末席)でご一緒した。先生が80歳位の時だったと思うがかくしゃくしておられた。その他、岩波新書で『床の間』を読んだこと、岩波ジュニア新書の『奈良の寺々 古建築の見かた』が回るときの手引きだったことなどがあり、勉強させていただいた。別に太田先生が登場する過去ブログも紹介しておくが、東大系統では藤島亥二郎先生、京大系統では村田治郎先生(私は習っていない)、福山敏男先生(習った)など建築史家の多くは長生きと前から思っている。太田先生はあの世でそれらの錚々たる先生方と「法隆寺論争」など始められたかもしれない。ご冥福を祈りたい。
過去ブログ:(1)http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b922c3f210d9581fa83231bbb32e7f00
(2)http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/fd1664a194e62baa0b69f800e8bd9792

『GADV仮説ー生命起源を問い直す』を頂く

2007-01-26 | 色々な仮説や疑問
昨日、奈良女子大に非常勤で行った。あと残り2回(試験も入れて)で奈良女の非常勤も終いである。非常勤講師室の隣りが理学部長室で、朝9時半頃だったが灯りが点っていた。私はノックして覗いてみた。池原健二理学部長は電話で事務局と打ち合わせ中だった。後で聞くと、アスベスト対策等大変、と言う。まあ私としては「(今日ワーストだが)明日ベストになりますよ!」と言っておいた。で、前に池原さんの最近の説を『日本の科学者』で読んだので、私の書いたブログを紹介し、池原さんの写真を使ったことにも「許可」を貰った。その機会に池原さんから『GADV仮説ー生命起源を問い直す』(京都大学学術出版会)をサイン入りで頂いた。生命の起源に関して一般に言われる「RNAワールド仮説」に対して、異を唱え「GADVータンパク質ワールド仮説」を提起している。GADVはグリシン(G)、アラニン(A)、アスパラギン酸(D)、バリン()の4種のタンパク質の略称、一寸化学の素養がないと読み通せない代物だが、「生命の起源における三原則(176-178頁)」は、「なるほど」と思った。(1)より単純なものからより複雑なものへ。「池原仮説」(と言っておく)では、より構造の単純なアミノ酸から複雑なヌクレオチドへ、更に複雑なRNAやDNAに進んだという議論に対して「RNAワールド仮説」は、この逆の進行となり無理なのでは・・。(2)ランダムな配列からより特異な配列へ。(3)機能から情報へ。これらも「池原仮説」の方が自然である。ただこれらは過去の地上条件を再現しての実験はまず不可能、でも池原さんの考え方は大いなる説得性がある、と素人ながら思った。過去の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/f6a5828d29d8417dccd72ca7ab24e784