西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「労働なき富」って?

2010-01-30 | 時論、雑感
鳩山さんは、昨日、初の施政方針演説で、マハトマ・ガンジーの「七つの大罪」を引用して、その一つの「労働なき富」と言ったとき、議場から「お前のことだろ!」と野次が飛んだらしい。「お母さま」から月々千万円以上貰っておきながら「知りませんでした」と、しらばくれたことに対する野次で、咄嗟にそういう野次を飛ばせるのは事前に内容を知っていたのかな。

他の六つとは「理念なき政治」「良心なき快楽」「人格なき教育」「道徳なき商業」「人間性なき科学」「犠牲なき宗教」のようだ。マハトマ・ガンジーが言うから説得力がある。

鳩山さんが「労働なき富」といっても、かえってブーメランのように自分への批判としてもどってくる。

しかし、大局的にみると、「労働なき富」や「道徳なき商業」によって昨今のアメリカ発の金融危機が起こったのだ。そこいらを断固規制するぞ、という宣言として言うのなら、まあ認めても良いだろう。「上っ面の言葉」だけなのか、「具体策」に通じているのか、しっかり見守っていきたい。

取り調べの全面可視化を早急に

2010-01-28 | 時論、雑感
足利事件の菅家さんは、検事による自白を強要する取り調べをされ、DNA鑑定の精緻化がなければ冤罪で有罪になるところだった。これが、取り調べの全面可視化を求める大きな事実、根拠になっている。

又、一寸、おもむきが違うが「リクルート事件」の江副浩正さんも執行猶予の期間を終え、「現代の拷問」とも言うべき取り調べを受け、無理やり自白させられた経験から、取り調べの全面可視化が必要と言っている。

検事側は、あれこれ理由を付けて反対しているが、「一部可視化」なら良いとしている。それでは「つまみ食い」、検事側に都合のよい可視化になるだろう。

取り調べ過程がやましくないなら、全面可視化しても、検事側に何ら不都合なことがないはずだ。

これを、小沢民主党幹事長の「取り調べ」とからめて「引きのばす」力も働いているが、既に参議院で、二度も可決されているのだから、国民の立場から衆議院でも早急に可決成立させるべきだろう。

人生四分論での自分史構想へ

2010-01-27 | 金沢の思い出
前々から自分史を、第一に娘や孫のため、第二に友人や後輩のため、そして第三に元学生や院生のために書き残しておきたいと思っている。

まあ、後何年生き延びれるか分からないが、その私の人生を一応四分割しておきたい。

第一期は、1941年(昭和16年)に金沢に生まれてから、1960年(昭和35年)に高校を卒業して大学に入るまで、としたい。やはり、大学に入ると、友人や先輩・後輩、先生など、それまでと全然違う人間関係に入ることになり、自主的に勉強・学習・研究し始めることも始まり、自ら「硬い」本も多様に読み、将来に見える人生風景の「次元が違ってくる」と思う。だから、それまでの18年間は、郷里・金沢での家族や親戚、身近な友人、先生などにあたたかく囲まれた世界での比較的「ぬくぬくした成長」ということになる。

しかし、それらは、第二期から最期までの基礎となる。ある意味で、「三つ子の魂、百まで」の検証でもある。

で、第二期は、1960年(昭和35年)の京都の大学入学から、大学院(修士)を出て就職、結婚し、職場を二度変わり、研究の中間まとめである学位論文をまとめ、イギリスへ家族を伴って留学、帰国するまで1983年(昭和58年)8月までの23年間である。自己確立、「四十にして惑わず」への時代だったろう。

第三期は、1983年(昭和58年)8月から一番長く勤めた職場(奈良)で管理職、学会での役員等もやり、定年(63歳)の2005年(平成17年)3月を越え、定年後の職場、そして現在(2010年)も越えて2015年(73歳)までの、ほぼ32年間だ。「拡張・円熟時代」となるだろう。その間、現住地に移住。これまでに第一期、出来れば第二期も書いておきたい。(そこまで生きれるかな、長孫が高校を出る年だ、少なくとも彼に読ませたい。)

第四期は、それ以降で、人生の「まとめ期」(けいはんな学研都市に住む)とも言えるが、どこまで行くかな。さあ、どうなるかな。

まあ、四期に分けるのは、常識的で「起、承、転、結」とか、学生期、家住期、林住期そして遊行期等の四分法から来ていると言っても良い。

じっくりお付き合いください。

中村安希さんの「言葉」より

2010-01-26 | 旅はたびたび
二年にわたるユーラシア・アフリカ大陸の旅の記録『インパラの朝』で開高 健ノンフィクション賞を受賞した中村安希さんの「言葉」を「しんぶん 赤旗」の文化・学問欄で読んだ。

アジアを歩くと、今でも日本軍が侵攻していた時のことを聞き、アフリカを歩く時より複雑で神経をすり減らす、という。

ところが、アフリカでスーダンの元国連職員が「日本は戦争責任をとっている」と言ったという。それはこうだ「敗戦後から今日まで、日本は戦争をしていない。それは、日本が、60年以上の時間をかけて過去を反省し、責任を取り続けてきた証拠だ。その60年間に一体どれだけの国が紛争に手を染め、今なおその行為を繰り返していることか。責任とは、謝罪して金を払うことではない。同じ犯罪を繰り返さない。その姿勢を示し続けることだ」と。

うーん、そうだな、と思う。それは、日本国憲法、特に九条のおかげと言っても良い。戦後教育を受けた私は、世界に迷惑をかけなくて良かった、今後もかけてはいけない、と思う。

中村さんの『インパラの朝』は、地域snsの友人も読んで感動したと言っている。私も読んでみたいと思う。そして「九条の会」を覗いてみようかなと遅ればせながら思うのである。

さあ、アメリカと対等平等の外交へ

2010-01-25 | 時論、雑感
辺野古のある名護市市長選挙が終わり、米軍基地移転反対派の稲嶺ススムさんが当選した。

しかし、政府はアメリカのことを思いはかってか「ゼロベースで検討し5月に結論」というばかりだ。ゼロベースと言っても、名護市の辺野古は、まず無理である。まあ、他の沖縄県内も無理である。鳩山さんも、選挙戦で「県外、または国外」と言っていたのだから、そうなるだろう。

ところが平野官房長官は「移設先選定で、今度の選挙結果をしんしゃくしない」と発言、えー、と思った。民主党は、地方自治という言い方では不十分で「地域主権」といっていたのではないか。今度の選挙で地域住民の多くの意見が明らかになったのではないか。NHKの出口調査では、名護受け入れ「反対」が51%、「賛成」が15%、「どちらでもない」が34%なのである。
だから、名護市辺野古は、まず無理と除外すべきであろう。他の沖縄の噂の「候補地」でも皆、反対決議などを上げ、首長も反対している。

ところが県外の国内(本土)も、ほぼ無理なのだ。だから、自公政権では、普天間基地の移設先を名護市辺野古と「合意」したが、13年間無理だった。今度、政権が替わった訳だし、アメリカでも政権が替わった訳だから、それこそ「ゼロベース」で検討し、国外(アメリカ領内)に引き取ってもらうのが戦略的方向ではないか。これは、現在の安保条約があるなかでも実現すべきだし、実現できるのではないか。

何時まで敗戦国意識を引きづるのか、と戦後教育の世代は思うのである。

イギリスでのイラク参戦検証について

2010-01-22 | 時論、雑感
今朝のラジオで、イギリスで国民要求に押されて、アメリカのブッシュ前大統領の「イラク攻撃」に引きづられて参戦を決めた当時のブレア政権の決定が正しかったのかどうか、一体どういう事実や証拠に基づいて判断されたのか等について、調査が始り、ブレア前首相も公聴会で証言するようだ。

先ず、どういう風に大統領が選ばれたのであれ、現代において主権国家のイラクを武力で「倒す」のは許されるのか、「大量破壊兵器」を保有していると言われながら実際にはなかったわけで、そういう情報は何処から出たのか、「事実」とどうして判断したのか、結論的に、参戦は正しかったのか間違いであったのか等々に答える検証がされるわけである。

ところが、日本では、当時の自公政権の小泉首相が「(何が何でも、大量破壊兵器の保有も)アメリカの言うとおり」と言って自衛隊まで派遣してしまったのであるが、大量破壊兵器がないことが分かっても、アメリカが撤退することになっても、「間違った判断をしてすみません」とも何とも言っていないのが前自公政権なのである。

こういうことでは、(民主党中心政権では、そういうことはないと思うけれど・・・)又ずるずると変な所に自衛隊を出すことになりかねない。しっかり、国民監視が必要だ。

金融バブルに懲りない傾向

2010-01-22 | 時論、雑感
オバマ大統領は、金融に対する規制を強化する、と発表した。まあ、リーマン・ショックは金融バブルにより起こったのだから当然と言えば当然だろう。

世界的に実体経済が完全に回復していない(中国や印度は「別」)のに、またぞろ株価が上がり出した。リーマン・ショック後、アメリカ政府は「金融崩壊」を防ぐとして、大量のお金を入れた。まあ、寺島実郎さんに言わせると「じゃぶじゃぶ」という。これらが、証券などに向かっている訳だ。

この中で、「仮に次に又金融バブルがはじけても又政府が救ってくれる」ということを前提にした「金融商品」まで開発されているようだ。これでは、「10年周期」を待たずに次の「ショック」というか、ほぼ予測できる「金融崩壊」が来るのではないか。正に「金が融けてなくなる」訳だ。

金融規模を実体経済に近づけるには、規制を強化するのは当り前であろう。オバマ政権は、規模の規制、ヘッジファンドの規制等に乗り出すようだ。株で「濡れ手に粟」の場合の税金強化もあるのではないか。日本は、どうするのか。

ラジオ深夜便・心の時代で「親日国トルコの素顔」聞く

2010-01-21 | 文化論、科学・技術論
今朝、ラジオ深夜便で親日国トルコの素顔(一橋大学大学院教授 内藤正典)を聞いた。知らなかったいくつかのことがわかった。

・トルコでは今年は「日本年」であるようだ。1890年、今から120年前に親善のため日本にやってきたトルコ(トルコ帝国)の軍艦(エルトゥールル号)が帰国途上、紀伊半島沖で遭難、串本の漁民が数十人助けたようで、それから勘定して「日ト友好120年」なのだと言う。最近、イラク・イラン紛争のとき、イランのテヘランに取り残された日本人をトルコ政府が飛行機を飛ばして救出したのだと言う。(多くの日本人は忘れている。昔、日本人に助けられたのを「思い出してくれた」のだ。)

・1920年代、第一次世界大戦後に苦労して共和国になり、トルコはアジアの西端であるとともにヨーロッパの東端、イスタンブールは、その象徴的都市、現在、そのボスボラス海峡の地下鉄を日本企業が工事しているようだ。その上の橋の工事にも過去日本企業が参加している。

・トルコは、1920年代以降ヨーロッパに「入ろうと」努力、だからNATOに加盟している。そこで、現在、アフガニスタンに治安維持部隊を派遣している。アメリカやNATO部隊で唯一戦死者を出していないのがトルコ軍という。同じイスラム教徒ということもベースにあるが、「テロリスト」をかくまっていないかと民家に踏み込む場合、事前に女性の部屋から女性を退去させてから点検するそうだ。アメリカ軍は、土足でドヤドヤ踏み込むようで、反感を買っているようだ。(アメリカ軍は、昔、日本を攻撃するとき研究を重ね『菊と刀』(ルース・ベネディクト)のような認識を持っていたが、アフガンでは研究不足なのかな。)

・その他、パトロールの時は、戦車から機関銃を構えてはいけない、サングラスをかけてはいけない、という軍紀も民衆を安心させているようだ。

・内藤さんによると、イスラム教は元々平和主義で「アメリカに追い詰められてやむを得ず防衛しているのだ」との認識だ。

・トルコでは、殆ど日本のような「自殺」という現象はないようだ。「何故、日本は自殺者が多いのか」と聞かれるようだが、トルコ人には理解できないようだ。イスラム教では、不幸なことは、自分の責任ではなく「神様の思し召し」となるらしく、ストレスを感じなくてよい「構造」になっているという。

・イスラム教徒を「無理に戦闘的に仕立てているのは」、言ってみればキリスト教徒のせいではないか、とのことだ。現在、イスラム教徒だけが世界的に信者を増やしているようだが、それは、平和的でおだやかな教えのためではないか、と内藤さんは言っていた。

まあ、一寸、見方を変える必要があるかもしれない、と思った。持続的に研究していこう。

(この番組とは別のことだが、トルコ帝国がロシア帝国の南下政策に「おそれ」を抱いていた時、日露戦争で日本が勝利したため、トルコは喜んでイスタンブールに(東郷平八郎連合艦隊司令長官に因んで)トウゴウ通りをつくった・・・、と聞いたことがある。) 

権力内の相対的独立ー検察、会計検査院、内閣法制局ー

2010-01-20 | 時論、雑感
「三権分立(立法権、司法権、行政権の分立)」と言われるが、これら三権が本当に「イーブン(平等)」でないことは、社会人になってから分かった。

で、勿論、立法権が一番だ。国民が直接選ぶのは立法に携わる国会議員のみである。最高裁裁判官も各大臣も、国会で多数を占め、行政(内閣)を組織する(議員内閣制の)総理大臣が選ぶ形だ。

それぞれの関係は複雑だが、形式的に「三権分立」の体裁をとっているのだ。

行政の中にあり、それぞれの「長」は、まあ内閣総理大臣選任になっていると思われる検察、会計検査院、内閣法制局は、行政から相対的に独立して活動していると思われてきた。

ところが、現在、国会(衆議院)の多数を占め総理大臣も決めている民主党のno.2の小沢一郎幹事長と検察・東京地検特捜部が真っ向から「対立」しているのだ。民主党や現職閣僚からも検察批判の意見が出てくるのは異例である。何故なら、制度上、自分の「身内」を批判する形になっているからだ。まあ、仮に小沢ー検察が「痛み分け」になるとしても小沢一郎幹事長、連なる鳩山由紀夫首相はダメージを受け、「バトンタッチ」せざるをえなくなるのではないか。

こういう旧・自民党的メンバーが仮にいなくなれば、民主党は「リベラル」、社民寄りになっていくのではないか。見守っていきたい。

オバマ政権1周年

2010-01-20 | 時論、雑感
今日は、アメリカのオバマ政権1周年だ。当初の新鮮味が薄れて支持率もジリジリ下がって50%ギリギリ、それでも 鳩山政権の急な落ち込みより「ゆるやか」か。

でも失業率が10%を越え、雇用状況は日本以上に厳しいようだ。医療保険改革も補欠選挙(マサチューセッツ州)で共和党に敗れて「ピンチ」である。

まあ、内政も大変のようだが、外交も大変だ。日本と違い、世界各地に(軍事と共に)関わっているので、この「多正面作戦」をどうさばいていくのだろうか。イラク、アフガニスタン、北朝鮮、イラン、パレスチナ、対ロシア、対中国問題等々。

3年後はどうなっているだろうか。

日米安保条約50周年の感慨

2010-01-19 | 京都の思い出(学生時代)
今日は、1960年1月19日に岸首相とアイゼンハワー大統領との間で現日米安保条約が結ばれてから満50年、半世紀である。そして1960年6月15日に日本では国会で「自然成立」し、現在に至っている。

思えば50年前の今日は、私は高校3年生の最終段階、大学受験直前であった。そして大学に入学してから6月15日まで落ち着いて講義は受けられず、議論、学生大会、街頭デモ等に「振り回された」毎日だったと言ってよい。デモの時は、宇治分校から京都に出てきて、大抵は立命館大学広小路キャンパスの「わだつみ像」の辺りに集合、そこから出発し、河原町通りを南下した。京都ホテルの前を通るとき、2階ホールから見下ろすアメリカ人らしきグループも目撃された。その辺りでフランス・デモ(道一杯に広がるデモ)に移ったりした。シュプレヒコールは「安保反対、岸を倒せ!」というのがメインだった。そして、四条から東に折れて八坂神社裏の円山公園の野外劇場まで行くのだった。

当時から現在まで、その思想的・理論的根拠には自らに「進化」はあったし、世界や日本の情勢も大いに変わったと言えるが、日米安保条約には「反対」で、いづれ廃棄すべきもの、という認識できた。当時は、日本もアメリカも両政府は、この条約は10年以上はもたないと考えていたらしく、10年経過したら、どちらか一方の通告で「終了」すると規定している。

当時、少ししてから、それを知って「へー」と思ったものである。

その後、ベルリンの壁が壊れ、ソ連も崩壊して「東西冷戦」は終わった。そして、現在である。アメリカ政権も日本政権もかわったのである。韓国、中国やインドもアジアで「大きく」なってきている。次の50年(と言わず、もっと早いかも)は、条約下での「対等平等」から、「廃棄」へ、「日米友好条約」へ、そして「東アジア共同体」へと歴史は回っていくのではないか。

小沢、鳩山氏の政治資金問題について

2010-01-18 | 時論、雑感
現・民主党のこの二人の「出自」は、まあ自民党・田中派である。だから、政治資金の集め方でも自民党(田中派)的である。そこで、こういう問題が起こると、民主党や、小沢さん、鳩山さん自身に対する批判は当然増えるが、だからといって自民党の支持率が増えるわけではない、という現象が起こっている。これは、国民は総じて「自民党的なことは止めてくれ」というメッセージを発信しているのである。

だから、民主党のマニフェストにもある「企業・団体献金禁止」を3年後と言わず、すぐにでも国会で決めるべきだ。まあ、社民党や共産党は賛成と思うし、民主党内の「旧社会党」「旧民社党」勢力も賛成だろう。

まあ、ここから「自公」に戻ることは歴史の逆行なので、総じて「左翼」「リベラル」に期待して政界浄化をやってもらいたい。

日本史認識のパラダイム転換

2010-01-17 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
近所に住んでおられる近代史(日本・朝鮮関係史)専攻の中塚 明さん(http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/cdb20413a4a41fe55f56a2b6a3bc4509の示唆で雑誌『思想』(岩波)1月号の巻頭論文「日本史認識のパラダイム転換のためにー「韓国併合」100年にあたってー」(宮嶋博史著)をざっと読んだ。これを、精華町の町立図書館で読んだのである。(昨日、奈良市の北部会館図書館で、この雑誌があるか尋ねたところ、「かってあったが、今は奈良市立図書館にはない」と言われた。)他にも読みたい論考があるので、この号を書店で注文した。

ざっと読んで、この論文は、確かに今までの「日本はアジアの中心」史観は考え直さないといけないのでは、と思った。この論文は、将来の大きなパラダイム転換のきっかけになるかもしれない。

宮嶋さんは冒頭の部分で言う。「・・・転換の本質的内容は、日本がふたたび東アジアの周辺的地位にもどりつつあることである。「韓国併合」が強行された100年前は、日本がアジアの中心に駆け上がろうとしていた時期(私注:『坂の上の雲』時期)であった。その後、第二次世界大戦の敗北にもかかわらず、東西冷戦という国際関係の中で米国の従属的同盟者として、東アジアの中心的地位を占め続けることになった日本が、冷戦の終結と中国の復活の中で再度、東アジアの周辺国になるであろうことが確実であると思われる。ここで再度というのは、19世紀なかばまでの東アジアにおける日本の地位が周辺的なものであったからである。」

宮嶋さんは、14世紀頃からの東アジア(乃至中国周辺地域)の状況を眺めて、宋時代くらいから社会統治のベースに「儒教」(礼、礼治など)を置き、科挙試験で中央官僚を身分によらず選び出して、いってみれば「儒教モデル」の中央集権国家を造っていったという。朝鮮(やベトナム)も、それにならったが、日本には取り入れられなかった。印刷術や出版業が未発達で科挙試験が事実上実施できなかったことも一つの理由と言う。

だから、江戸時代の幕藩体制は、「一貫した中央集権」ではなかった。(逆に欧米の圧力もあり、明治維新となり、別の中央集権国家が出来ていった。)

19世紀の中ごろ、中国や朝鮮には、「儒教モデル」の確固たる国家があったので、欧米の「モデル」に何故ならないといけないのか、という訳で「中体西用」(中心は中華モデル、役に立つ西洋ものは利用)路線となり、ある意味で「遅れた」のである。

過去、歴史学界で「何故、日本が他のアジアの国に先駆けて明治以降の「近代化」が可能になったか」について色々と論考があるが、この「儒教モデル」の浸透が日本にはなかったことを視野に入れた論考は殆どないという。もし、そうなら正にここで宮嶋流パラダイム転換となるのではないか。

確かに、日本にも江戸時代には多くの儒者がいたし、明治以降も『論語』などの儒教は学ばれていたが、中国や朝鮮での役割を充分受け取っていなかったのではないか(理解が「中途半端?」)、と言う。明治以降は、福沢諭吉の「脱亜入欧」などにより、制度、学問などは欧米一辺倒に傾いたのである。

この論文では、石母田正さん、丸山眞男さんなども批判されている。

まあ、最近読んだ『日本辺境論』(内田 樹著)や森嶋通夫さんの「東北アジア共同体論」そして、最近の鳩山さんの「東アジア共同体」政策など、21世紀はそちらの方に傾くのかな、とも思う。

でも、今後、その共同体が昔の「儒教モデル」で運営できるものではなかろう。中国やベトナムは「社会主義」を標榜しているし、韓国や日本は「市場経済主義」である。まあ、中国、ベトナムは「社会主義的市場主義」らしいので共通項があるかもしれないが・・・。

勿論、アメリカやEU等々とどういう「スタンス」を取るのか。過去の歴史研究も「国の身を処す」一つのベースであろう。「細切れ歴史学」から「雄大な歴史学」になることを期待したい。

「空気を読む」ことについて

2010-01-16 | 時論、雑感
『日本辺境論』(新潮新書)で内田 樹さんは、「日本人は、誰でも、まあ右でも左でも「空気を読むことがうまい」ことでやってきた」という趣旨を言っている。

まあ、誰でも場の大勢が「読める」ということだ。新年になって各政党は左右を問わず大会を開いている。今日から民主党大会、小沢一郎氏の元秘書(国会議員含む)が逮捕されて大変だなと思う。どうなるか見守りたい。

日本共産党は、今日が大会の最終日のようだ。ネットでホームページを見ていて、元委員長、議長の不破哲三さんの過去の「核密約」のインタビュー記事があり、読んでみて最後にきて「あれっ」と思った。

引用:「不破 日本は軍事力が足りないという議論をしばしば耳にしますが、日本にいま一番足りないのは外交力なんですね。しかも、日本はいまの世界で、外交力を発揮できる絶好の条件をもっているのに、いまの政治はそれを生かそうとせず、逆に投げ捨てることばかり考えてきた。そこを百八十度転換しなければいけないときなんですね。

 外交力発揮の絶好の条件というのは、第一に憲法第9条、第二は被爆国としての非核の立場です。

 戦争を防止できる平和の国際秩序を、という声はいま世界中に広がっています。これは、憲法9条を国際政治に生かせる絶好の条件が広がっている、ということなんですね。

 アメリカのオバマ大統領が核兵器廃絶をアメリカの国家目標にすると宣言したことは、日本国民の非核の声が最大の核保有国をも動かし始めたものだと評価してもよいでしょう。だから、志位委員長は、オバマ大統領に共感と提案の書簡を送り、対話の一歩が始まりました。その時に、「核抑止」論をもちだしたり、「日本核武装」をとなえたりするのは、自分が時代に逆行し、世界の“空気の読めない”愚か者であることを証明しているだけだと思います。

 いまこそ、日本が「非核の日本」の旗をさらに高くかかげて、核兵器のない世界、核廃絶の実現をめざす世界的な運動の先頭に、確信をもって立つべきときだと思います。北朝鮮の問題でも、「非核の日本」の立場を名実ともにつらぬいてこそ、北朝鮮の非核化を道理をもって主張し、推進することができます。

 そのためにも、核密約の正体がいよいよ明るみに出てきたいま、必要なことは、その真相を公開させ、密約を廃棄して、非核日本の立場と矛盾するすべてときっぱり手を切ることです。この機に乗じて、非核三原則を骨抜きにし、密約を合法化しようなどの試みを絶対に許してはなりません。

 憲法9条と非核日本、この道をすすんでこそ、憲法前文がいうように、日本は、国際社会における「名誉ある地位」を占めることができる、このことを最後に強調したい、と思います。(おわり)」

ここに「「核抑止」論をもちだしたり、「日本核武装」をとなえたりするのは、自分が時代に逆行し、世界の“空気の読めない”愚か者であることを証明しているだけだと思います。」と「世界の”空気の読めない”愚か者(誰のこと?)」という言い方が出てくる。

正に日本共産党は、世界や日本の「空気」を事前に「読んで」今日にきているのだろうと思う。

例えば、いち早く「国会で多数を占める道で政治変革を」とし、宮本議長が議員にならないのは裏でなにかやるのでは・・、と批判されると参議院議員になり国会活動を熱心にし、いち早く自主独立を標榜して「ソ連は(特にスターリン以後は)社会主義ではない」と断定し、マルクス・レーニン主義という言い方を改めて「科学的社会主義」にしたり、「現憲法を(天皇条項を含み)全体として守る」としたり、「市場経済を認めるルールある経済社会が当面の目標」とし、自公政権がつぶれるのを見通して、でもまだ民主党政権では不十分として「建設的野党」とみづからを規定したり、いち早くオバマ大統領の核廃絶宣言にエールを送ったり等々、国民と世界の”空気”をいち早く「読んで手を打っている」ので、欧米共産党のように「ソ連寄りで”空気”が読めなかった」ところが「没落」する中で第四党を維持していると思う。

さて、次に、どういう”空気”を「読む」のであろうか。見守っていきたい。

それに対して、自民党は、国民と世界の”空気”を全然読めなくなったのではなかろうか。

一軒、一軒大切にー震災後の「15年」調査ー

2010-01-14 | 地域居住学
もうすぐ、阪神・淡路大震災から満15年となる。

今朝、NHKTVで神戸大の近藤民代さん(准教授)の研究室で、院生達を中心に15年前の阪神・淡路大震災で亡くなった人々6400人ほどに対して、一軒一軒その時の状況やその後のことについて15年にわたって調査していることを放映していた。しかし、未だ1割も調査が終わっていないようだ。

これは、それこそ15年ほど前に当時、神戸大教授だった室崎益輝さん(現・関西学院大教授)が言い出していたことだな、と思って見ていたら、当の室崎さんが出てきて、記録として一軒もおろそかにせず調べて後世に伝えていくことが大切、神戸大だけでなく他大学や地域全体で取り組んだらどうか、と言っていた。

私も昔、水俣病に苦しむ患者の住宅、住生活を10数軒、丁寧に調べた経験もあり、一軒一軒の違いを丁寧に記録することが大切と思っている。まあ、住宅の様子を調べたり、対する政策などを提起するとき、対象をまあ階層的に、というか、グループにまとめがちだが、最後は、やはり一軒一軒が大切となるということだ。

西山夘三先生も、『住み方の記』で、ご自分の住宅、住生活をこと細かく描写しておられる。早く、自分の「住み方の記」を書かねば・・・、とも思うのだった。