西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

高齢者の生活(空間)問題のプロを目指せ

2008-09-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
本日、地域SNS「けいはんな」のフレンド数人と京都の町家を改装して様々な文化活動を後押しする「プロジェクト」を運営する責任者の女性を訪ねた。有意義だった。

訪問したのは7人、5人が還暦後の高齢者、2人が「若手」、男性は私一人。相手は1人、勿論?高齢者入り口の人。

色々と話してみて、私も高齢者の域に入ってきたのなら、その生活(空間)問題が良く分かるプロを目指すべきでは、と当然だが思った。

生活リズム

2008-09-29 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日から、15回、学生に「生活概論」を話すことになった。

まあ生活とは、家政学、生活科学、生活環境学等における衣食住、家族関係、近隣関係の全体である。

今日は、生活の哲学として戸坂 潤の「生活は、空疎な興奮でも平板な執務でもなくして計画ある営みである」ということをあげ、解説することからはじめた。

そして次に「基礎的生活力」を身につけることが大切という話をした。「基礎的生活力」とは、炊事、洗濯、掃除、介護(育児)、お洒落、買い物、近所付き合いの七つがきちんとできる力である。

これらは老若男女全てに必要なものである。

そして計画ある営みに関連して、生活リズムが必要という話をした。つまりメリハリのある、つまり動と静、外と内、集団と個などの生活が次々と展開することが必要なのだ。

それを、休みにはお喋り、授業中には緊張というのもメリハリだよ、と言ったら、皆シーンと聞き出したのには驚いた。

次回は、炊事の話を、健康調理教室体験を交えて話す予定。

分散ネットワーク国土、中小コンパクト都市、中・低層住宅

2008-09-28 | 地域居住学
私は、一つの理念として、国土における分散ネットワーク空間システム、ベースに中小コンパクト都市、建物とりわけ住宅としては中・低層中心、を持っている。勿論、都市と農村はセットで考えられなければならない。

しかし、実際には、大都市、超過密、超高層指向が見られる。

これらが、どういうことで、転換していくかと言うと、一つには政治・経済的転換がある場合、もう一つには大災害がくり返しある場合であろう。

後者は、どういうことかと言うと、(1)大地震による建物、道路等の倒壊、破壊、大火事、大津波、山崩れ等による大被害、(2)大洪水(台風等による)

これらは、数百年オーダーでは、必ずくりかえし起こってくる。これらによって、大都市、超過密、超高層は、大打撃が与えられることは、予想するに難くない。

そういう時、単に元に戻す(勿論、耐災害性能をアップするにせよ)ことは、支持されるであろうか。より安全な生活、居住形態に移行すべき、となるのではないか。

外出と気晴らし

2008-09-26 | 思いつきから仮説へ
長い人類史を考えてみると、毎日毎日、食べ物を探して歩き回った「採集、狩猟時代」が長く続いた。その後の「農耕、牧畜時代」にあっても人類は家から外に出て働いた。事務室に閉じこもり、家に閉じこもって一日中過ごすライフスタイルはごく最近のものである。

だから、食事や睡眠等の他に家の中にいることは、人間の体は慣れていなくて、苦痛とでも言えるかも知れない。

そこで、人間は日に一度以上は、仕事、買い物、趣味、散歩等で外出したほうが良いのである。

今日も午前中、雨模様もあり家でじっとしていたが、午後は、いたたまれなくなって奈良まで出かけて、色々の所に行った。「出れば、必ず何かの収穫がある」というのが最近の私の確信である。

王監督の思い出・・・

2008-09-24 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
福岡のソフトバンク・ホークスの王 貞治監督が昨日、今季限りで引退を表明した。健康上の理由、68歳で私より1歳上だ。振り返ると王さんは18歳、早稲田実業高校を卒業後、巨人に入団、満50年間、プロ野球の選手、監督として活躍してきた。

私が王 貞治さんを最初に間近に見たのは今から49年前だった。
私が金大付属の高2、王選手が早稲田実業の高3で金沢の兼六園球場に来たのだ。当時は投手で4番バッター、勿論、「一本足打法」ではない。

その後、巨人に入団、打者に転向、「一本足打法」を生み出してホームランを量産、王・長島とON時代を作り、ホームランの世界記録を作り、「世界の王」となり、巨人ファンを越えて、プロ野球ファンを楽しませてくれた。

結婚後、三人の娘に恵まれたが、名前は全て「王偏」の字が入っている。嫁に行っても王家で育ったことを忘れないで、ということだ。「なるほど」と記憶に残っている。

残念ながら、その後、王さん自身、胃がんで胃を全摘、また奥さんにも先立たれた。

どうか、今後は、ゆっくり健康を回復し、野球界を見守りながら元気にすごして欲しい。

「広島は私の街」「人生はあなたに絶望しない」

2008-09-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ラジオ深夜便でのインタビュー2題:「広島は私の街」新藤兼人、「人生はあなたに絶望しない」永田勝太郎

新藤兼人さんは映画監督、96才で現役(4人兄弟の末っ子、両親、兄弟は皆亡くなっている)、最近、新作で「石内尋常高等小学校 花は散れども」をつくられた。広島の故郷の小学校を舞台とする自伝的映画である。新藤さんの一貫しているテーマは、家族(私と家族、私とお母さん・・・)、学校(私と先生、友達・・・)、広島(原爆、戦争反対・・・)のようだ。

新藤さんが、故郷の小学校の卒業生に宛てた手紙がよかった。趣旨は、自分を良く見つめなさい、相手(友達)も自分を見つめているのだから、相手が何を見つめているかも良く考えなさい、そうすれば自分が何者か分かってきて自信がもてると共に相手のこともよく分かってくるよ・・・。

小学校の先生の「うそをつくな。真っ直ぐに生きなさい」の言は、その後、自分の生き方の基礎。お母さんに「何で私を生んだのよ」などと言ってはいけない、お母さんが生んでくれたからこそ今の自分がある。個人は、人との「つながり」、関係性の中で生きているのだ、ということを生きていく基礎にする。

広島・原爆は、落としたほうは「成功、乾杯!」とやったかもしれないが、落とされた数秒間で市民が何万人も殺されたのだ。一人の後ろには家族がおり親戚がおり先生がおり友人がいる。今も世界で戦争をやっているが、同じく一人が殺されると、その妻がおり子どもがおり、つながっている人々がいる。そこでは生活が崩れ、人間関係が崩れる。(私の言い方では、戦争は人々を生木を裂くようにバラバラにする!) だから、戦争は絶対してはいけない。

新藤さんの全ての作品には、故郷・広島の空気がただよっているようだ。

新藤さんの凄いなあと思ったのは、次の作品のシナリオをもう書いて持っている、というところだ。(建築家・フランク・ロイド・ライトが90歳近くになって「貴方の最高傑作は?」と聞かれて「Next one!」と答えたのに通じる。)


永田勝太郎さんは、浜松医科大学附属病院心療内科科長でNHKの番組紹介によると「ナチスの強制収容所から生還し、『夜と霧』を書いた精神科医ビクトル・フランクルに薫陶を受けた永田さん。筋萎縮症になり一度は人生に絶望したが、フランクル夫人に励まされ両づえをついて大学に復帰。リハビリを続けながら診療活動を行ってきた。永田さんが、フランクル夫妻から学んだ人生観を語る。」とある。

筋萎縮症になって、寝たきりになった時、「もう駄目だ」と思ったが、フランクル夫人の励ましの手紙がきた。趣旨「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。待っている人がいるかぎり・・・」があったが、「人生はあなたに絶望していない」の部分が良く分からず何十回と読んだらしい。

当時、主宰していた医局から医師が離れ、患者も離れていったが、若い学生が見舞いに来てくれて「早く元気になって教室に帰ってきてください」と言われたのが転機、「よし、以後は医学教育にかけよう」となって生きる希望が出てきて、西洋医学以外のものを色々試した。元々、フランクル先生の薫陶もあり、「全人医療」を目指していた。体だけでなく、心、取り巻く社会環境そしてフランクル先生の言う「実存的乗り越え(?)」の四つの要素に注目して診療していた。

それで、近くの老婦人の鍼灸師に毎日来てもらって、鍼灸をためした。これが良かった。その技術もそうだが、老婦人の人柄がよかった。愚痴も聞いてくれた一緒に泣いてくれた。(まあ「全人治療」と言いうる)
リハビリもきっちりやった。今では杖もつかず、医局に復帰し、教育現場にも復帰している。(西洋医学からスタートしているドクターが、このように東洋医学その他も含め「全人医療」に移行しているのが心強い。)

今晩も(2)が聞かれますよ。

(写真は、永田勝太郎さん)


たいせつな本 ゲーテ著『イタリア紀行』 磯崎 新から

2008-09-22 | 住まい・建築と庭
昨日の『朝日』読書欄の「たいせつな本」で、建築家・磯崎 新さんがゲーテ著『イタリア紀行』をあげている。以下、引用しつつ私の思いも述べる。

「20世紀中期に出発した私たちの世代は、近代主義者としてユートピアをめざした。18世紀の中期に出発した世代は、啓蒙主義者として古典主義をめざした。そのとき若年のゲーテは既に純古典主義を自任していた。」

古典主義・・・過去のギリシャ、ローマを目指す。
ユートピア・・まだ見ぬ社会主義などを目指す。

「『イタリア紀行』はその旅の記録である。・・真の古典をみいだすために、意図的に道筋をえらんでいる。国境をこえるとすぐパラディオの本を買いこみ、その実作と図面の違いなどまでも細かく観察している。」

パラディオ・・・「パラディオは、16世紀後半、ヴェネツィアとその北部にあるヴィツェンツァで活躍した建築家です。ギリシア・ローマの建築様式を自分のモノとして作品をつくり、後世に(日本にも)広く影響を与えました。」(引用)

「フィレンツエに立ち寄らなかったのは、ルネッサンスはフェイク(注:偽物)と考えていたのではないか。」

ゲーテは、実際には、フィレンツエを通過している。フィレンツエのルネッサンスも「古典に返れ」運動だったが、ゲーテは真に返っていないと考えたのだろうか。

「そしてローマへ、更にナポリからシチリアまで南下する。」

ローマ、ナポリ、シチリアについては詳しく叙述している。

「ワイマール時代に、彼は庭園の一隅に、立方体のうえに球体を置いただけの単純で明快な○□の「理性のモニュメント」をつくってあったことを誇りに思うのである。」

○□を「理性のモニュメント」と言っているのが面白い。

「平松剛著『磯崎新の「都庁」』に、ゴシックの塔のような現都庁舎案にたいして、私が○×△□だけの提案をして、当然のことながら敗北した挿話がある。その遠い理由を2世紀前の本のなかにみいだしていただけるかも知れない。」

結局、磯崎 新さんは、若き頃のユートピア指向からゲーテの古典主義に変わったのであろうか。

それはさておき、○□△の空間には私も憧れている。私の墓は「下方上円ピラミッド墳」にしたい、と思っている。

何事につけコーディネーターは重要

2008-09-21 | 時論、雑感
一昨日の日本建築学会農村計画委員会研究協議会の報告、議論を聞いて、何事につけコーディネーターは重要と思った。

それは、都会から6年ほど前、55歳で広島県の瀬戸内の島、大崎上島に「愛を持って」Ⅰターンした松浦二郎さんの話に関することである。

二郎さん(と呼ばれている)は、現在3町歩ほどの農地を借りて、ブルーベリー、みかん、バラを栽培して生活している。都会時代の収入の1/3位に落ちたけれども、穀類、野菜等の食料は近所から貰うか安く買い、魚は瀬戸内海で取っているので食料費は極めて低く、月15万円で十分楽しい生活(奥さんと二人)が出来るという。(ブルーベリーを最初に選んだのは、1.ハウスが要らない、2.小さくて軽い、3.年をとっても作業できるなどの理由による。良く考えておられる、と思った。)

こうなったのは、島の理解ある有力者のおかげという。都会からやみくもに田舎にⅠターンしても、最初は信用されず、胡散臭い都会人が来た、としか思われない。しかし、島民に信用力のある有力者の口利きで500万円で家が買え、3町歩の農地が借りれたのだ。この有力者が、Ⅰターン希望者と地元農民のコーディネーターなのだ。今や、信用を得た二郎さん自身が新たなコーディネータになっている。

今後こういうコーディネーターは田舎でも都会でも重要となるだろう。

都会の例では、里子を里親に「つなげる」のは担当の自治体お役人などでコーディネーターである。NHK朝ドラ「瞳」での話である。娘・瞳自身も、離婚した両親、父親と母方祖父との間の「仲直り」コーディネーターと言えるかもしれない。

建築学会(広島大)に行く、発表など

2008-09-20 | 地域居住学
広島大で開催された日本建築学会大会に、私は久しぶりに18日から今日まで行ってきた。

今回は、「都市計画部門」に藤田 忍さん(大阪市大)、吉村輝彦さん(日本福祉大)、水野義之さん(京都女子大)との共同研究で、藤田さんと私とで「地域SNSが市民まちづくりに及ぼす効果」1、2(発表番号7362、7363)を発表した。

時々このブログでも話題にしているが、試行版が2007年2月にスタートし、正式には2007年11月3日にスタートした「けいはんな地域SNS」での社会実験を一つのベースとする経過とそこでの今までの特徴の報告発表である。

「地域SNSと市民まちづくり」いう言葉が表題に使われている発表は、我々のみであると思う。建築学会大会初出と言ってよい。

この発表のセッションは30人までの参加で多いほうではなかったが、関心がないわけではなく質問があった。その中に「このSNSがきっかけとなって、実際の(まちづくりの)動きが起こったという事例はあるか」というのがあった。

「建築学会」なので、そういう質問がでるのだと思うが、空間的な創造、改善、保全等に連なるものは、まだ「ない」といえるかもしれないが、広い意味での「まちづくり」の例として、私は健康調理教室、音楽のグループ、絵本・紙芝居プロジェクト等が生まれていることを紹介したが、質問の答えではなく、自分の発表のとき、それらの活動を私は「まちたのしみ」と言ってしまった。

そこで、後で考えて、まちの中で、まちの人たちとつながったり、まちの空間・環境とつながったり、まちの歴史とつながったりして「楽しむこと」を以後「まちたのしみ」と称したらどうか、と思った。当面「まちづくり」に対して同じ平仮名で「まちたのしみ」としておきたい。これらの「まちたのしみ」が、盛り上がると、一つの方向として具体的「まちづくり」にもつながるのではないか、という位置づけももちつつ・・・。

もう一つの共同研究は、「建築経済・住宅問題」部門で、前田真子さん(広工大)、高尾堅司さん(川崎医療福祉大)とのもので、「社会福祉協議会の地域における役割」(発表番号8154)と題するものだったが、前田さんが発表した。この研究では「郊外戸建て住宅地の管理」における「社協」の役割を問題にしている。


昨日は、午後は久しぶりに「農村計画研究協議会」に出て、夜はその懇親会に出てみた。地域SNSのことも喋って、何人かに声かけしておいた。

この協議会、懇親会の一つの特徴は、研究者やその卵(院生等)だけでなく、農民の人たち、都市からⅠターンで農村に来て「楽しく」根付いて生活している人が来て実情や経験を話していることだろう。やはり具体的話を聞くと、元気が出る感じがした。懇親会では、色々な人に久しぶりに会ってあれこれ駄弁った。
・「超高層居住の問題点」
・「素人、玄人、グレイト」
・「基礎的生活力を付けよう」
・「孫のためのおじいちゃんのハイハイ認識」
・「空間への匂い付けと空間引力」
・「住居を生活の基本舞台に」
・「熊の尊重、狼の復活を(猪、鹿の生態学的減少のために)」
・「人とのつながり、環境とのつながり、歴史とのつながりの重要性」等々。
私の声がやや「大きく」なったので司会から名指しで「封じ込め」?で「最後の締めー一本締めー」をやらされてしまった。まあ、こういうこと頼まれるなんて「年配者」の部類に入ってきたのかな、と思った。


ラジオ族の復活、深夜便の賑わい

2008-09-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、ラジオをよく聞いている。「ながら」族だ。テレビよりラジオの方が「ながら」しやすい。

考えてみると、我々戦中生まれから戦後の団塊の世代位まで中学校、小学校のころまでテレビは普及していないから、殆ど夕方などラジオを聞いていた。長じて高校に行き受験準備となると深夜の旺文社の「ラジオ講座」を聞いていたのではないか。(私自身は、NHKのラジオ講座は聞いたが、旺文社の講座のあの「音楽」が始まる頃には寝ていた。)

それらの世代は、定年を過ぎてるか、定年になりつつある。昔、聞きなれていたラジオを再び「ながら」聞いている図が現在である。ラジオ族の復活と言えるかもしれない。私のブログ記事に「ラジオ深夜便こころの時代」の感想が良く出てくるのも、4時台ではあるが時々「うつらうつら」聞いているためだ。「ラジオ深夜便」への便りもよく紹介されるが、殆どが年配者だ。

まちづくりー一つのベースと三つのルートそして三つの手段ー

2008-09-16 | 地域居住学
「まちづくり」という言葉が広く使われるようになった。それは、過去の「都市計画」という言葉とつながっている部分を持つが、それを越える言葉だと思う。

それは、住民、市民が主体的に自分が日常住む空間を越えた部分にも発言し、全体をより良くしたい、という方向性を表していると思う。

で、まちづくりは、住民、市民の生活要求に唯一のベースを持っていると思う。

そして、それはいくつかの道(ルート)を通じて実現化に向かうものと思う。三つ考えられると思う。

一つは、市場原理による経済活動のルートである。商業施設などは儲かれば確実に実現していく。

第二に、これが第一より前にあるという位置づけも出来るが、市場原理では出来ないことは、行政ルートにより、そこでは法律や条令による事業や規制・誘導によって実現をはかるのである。

第三は、第一、第二のルートでは出来ないが、ベースにある「住民要求」が実現を求めるときは、住民、市民自身が、任意に、最近ではNPOを通じて実現を図るのである。この動きは、第二、第一にも影響を与え、新たな法律、条令の根拠になり、単に儲ける活動以上の活動も誘発しうると言いうる。

ところで住民ベースのまちづくりには、色々な手段が開発され登場してきた。三つ上げる。最初に、まちづくりに限らないが「住民参加」の手段として「ワークショップ」が出てきた。第二に、個人や任意団体を越えてNPOが出てきた。そして今や第三に、地域SNSが出てきたのではないか。この手段論は、「まちづくりと地域SNS」に共同で取り組んでいる藤田 忍さん(大阪市大)のアイデア・示唆による。

敬老の日、雑感

2008-09-15 | 時論、雑感
今日は「敬老の日」と言う。新聞等では、高齢者がどの位増えているかのデーターが出ている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080914-00000026-mai-pol

テレビでは、100歳以上が3万人を越えたこともあり、100歳以上の人たちの元気な活動を紹介していて「あやかりたいもの」とも思う。ただ、100歳以上で、家族で夫婦とも健在というのは稀と思う。夫婦の場合、単身の場合の日々の日常生活の様子をもっと知りたい、と思った。

またNHK解説員達が、高齢社会での医療、介護、年金、全体福祉制度(税制)などについて、視聴者とのやりとりも含めて議論していた。税制では、いろいろの検討(無駄を省く、消費税以外の検討)も言及していたが、やはり将来「消費税やむなし」のような論調になっていて、視聴者から「官僚の手先にならないで」というコメントがきていた。最後に、道路財源を生活財源に、という流れをきちんと検証していきたいという解説委員長の言は、しっかり記憶しておきたい。

ふと出てきた短歌  市路

2008-09-14 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
 
(タゴール逸話を聞いて)
タゴールの啓示を受けし日の光千葉万葉(せんようまんよう)照り返しおり

(ラジオ深夜便「こころの時代」を聞いて)
二つ道短歌と科学追い求め「二重螺旋」の永田和宏

(1960年台、学生時代の思い出)
薄明かり進々堂の喧騒に湯川秀樹と白きカップと

三笠フーズ問題、安全食料問題

2008-09-13 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
一週間ほど前に、三笠フーズによる「事故米」の問題が発覚してから、問題はどんどん広がっている感じ、

これって、先ず「輸入米」が問題、・・・えっ米の自給率は100%じゃなかったの。記事をみると、食糧にならないカビ米や農薬汚染米を工業米にまわしたとのこと、じゃあ元々食べる米なのか。そんなの足りないなら国内で作ればよいのでは、まだ減反田がありますよ。

工業米に「糊」などに、と言っているが「など」って、ひょっとすると、飼料になっているのではないか、国内米でもそういう事例(山形県遊佐町の休耕田活用例)がでてきているので、想像にかたくない。そうすりゃ、畜産、肉を通じ、国民の口に最終的に入ることになる。

まあ、考えてみると、食料を輸入しているから、しかも輸入元では大量生産で化学肥料、農薬をじゃんじゃん使っているから問題がなくならないのではないか。農水省は「瀬戸際」でチェックというが、あちこちから大量に押し寄せる構造では無理である。

とにかく、まず食料と他の工業製品と根本的に違うと認識すべきだ。工業製品なら不良品は分かりやすく、トレーサビリティ(追跡性)もある。
食料は、最終的に人間の口に入り、血となり肉となる。毒物を食料が含むなら最終的に人間に悪影響を与え、場合により命にかかわる。

だから、食料は原則自給自足、場合により身近の生産現場をチェックできる態勢がとれれば安全、安心なのだ。

多分、農水省や一部の経済学者は、商品自由化の世の中、外が安ければ買って何が悪い、というかもしれない。その結果が、アメリカ牛肉の問題、中国餃子の問題、ベトナム等米の問題を起こしているではないか。今の食料生産のやりかたを前提する限り、工業品と同じにして扱ってはいけない。

それじゃ(国内自給じゃ)、高くなるじゃないか、ということに対しては「安全・安心の食料は一定高くても仕方がない」と考えるか、もしくは私の住む地域で、自ら自然農に取り組んだり、自給自足を志向している人たちがいるが、まあ最終的には、自らの自給自足は、自らに返るので絶対に安全・安心であろう。地域でボチボチ考える時期に入ってきたかもしれない。

「9.11」七周年の日に

2008-09-11 | 時論、雑感
今日は「9.11」七周年の日だ。

七年前の2001年の今日は、私は韓国のプサンにいて、夜、テレビでWTCビルが崩れ落ちるのを見た。(これが、テロリストによる飛行機の突入によるものなのか、飛行機突入は「ダミー」で意図的爆破によるものか、が争われている。アメリカでは、後者によるの意見が増えているが、日本ではそのことはまだ一部でしか信じられていない)

超高層ニューヨークの秋悲し  市路

それは、おいておいてブッシュ大統領は、それを国際テロリストによるものと断定し、その根拠地と自ら認定したアフガニスタンに侵攻し、引き続きイラクにも「押し入って」現在に至っているが、解決の目途がたっていない。

仮に「国際テロリスト」によるとしても、暴力に対して暴力(「目には目を、歯には歯を」)では大方の賛成を得にくい。アメリカはイラクからは少しずつ引く姿勢だが、アフガニスタンはどうなのか。イギリス以外のEUは、両方共に反対している。

日本は、アメリカに追随せず、自らの頭で考えて将来を決定すべきだ。

近い総選挙でも、平和の問題で論議の一つの中心だ。「七周年」にあたりよくよく考えていこうではないか。