西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

棚田学会の奈良・研究会に出る

2007-03-31 | 地域居住学
今日の午後、奈良女子大学で行なわれた棚田学会の研究会に出てみた。研究会は奈良女子大学の出田(いでた)和久教授(歴史地理学)の世話、発表者の一人に前田真子さんがいて、明日香村稲淵の棚田オーナー制度等について発表した。前田さんは、私の奈良女子大時代の終りごろ、私の研究室の学生、院生を経て棚田関連で学位論文をまとめ、助手も勤めてもらい、現在、広島工大の講師である。今度『農村と都市をむすぶ棚田オーナー制度』という本を高尾堅司さんとの共著で丸善より上梓した。一部貰った。関心のある方は是非どうぞ。
棚田学会は、もうすぐ創立10年になるようで、専門分野が色々の人が参加のようだ。大学も様々で夕方行なわれた懇親会に飛び入りで出てみて分かった。そこで私は「飛び込み異分子」として、最初にスピーチさせられた。全国から、色々な大学から来られているので、是非、奈良町の町家空き家を活用して色々な「セミナーハウス」を造って欲しい、そのパイプ役は出田先生、と勝手にお願いしておいた。奈良女子大の「セミナーハウス」については例えば以下参照。関心のある方は、「セミナーハウス」検索で更に情報あり。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/28842fff5144ea781c2a62ecaabc97f5
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1a7529e1411ced6adef271230eb199d6

平安女学院の辞令交付式に出る

2007-03-31 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
明日4月1日は日曜日、明後日は、もう入学式なので前倒しで今日、明日からの役割分担の辞令交付が平安女学院の本部教会であった。私も役割が変わるので辞令を貰った。65歳になったので特任教授(週3日の出講、月水金の予定)で、生活福祉学部長である。もう一人の学部長である国際観光学部の佐藤喜子光さんは立教大学教授を定年退職し、新任で来られて辞令を貰われた。佐藤さんは、お聞きすると京大教育学部1965年卒で、私は学生時代(1960~1966年)に一緒に同じキャンパスライフを送ったと思う、と話した。世の中、狭いものである。
ところで、今回の学内人事で聞きなれない役職名を聞いた。事務職に、マネージャー、サブマネージャー、チームリーダーというものだ。まあ部長、次長、課長と言ったところだが、・・部長、・・課長などと固定しないで横移動するとの山岡景一郎理事長・学長の解説があった。いよいよ明日から新年度だ。

理想と情熱を失う時、青春は終わる

2007-03-30 | 言語・字・言語遊戯
誰が言った言葉か分からないが、表記の「理想と情熱を失う時、青春は終わる」という言葉は心に残る言葉の一つだ。これは、青春とは物理的な若い年齢期という意味ではない、ということ示している。いくら年を重ねていても理想と情熱を維持している限り青春なのだ。これは、明日で今学期、今年度が終わるにあたり、若い卒業生と共に定年で退職する団塊初期の人たちにも贈りたい言葉である。同時に自分自身にも言い聞かせたい言葉である。

5億3千万年頃前カンブリア紀の「生物爆発」(カンブリア爆発)

2007-03-30 | 色々な仮説や疑問
奈良女子大学のメールマガジンは毎週金曜日に発行されており、今日発行のものがが最新版だ。そこには、23日の学位記・卒業証書授与式での久米健次学長の式辞も載っていた。その中で久米さんは「今後、多様性が重要となるが、過去に顕著な多様性を求めると、約5億3千万年程前のカンブリア紀爆発という生物爆発が見られる、数十から一万ほどへの大爆発で生物の多様性の幕開けだ」との趣旨を言っている。これは、何故だか分かっていないようだが、現代の「多様性」追及、肯定の流れに似せている。

今や、多様な個性の自立とそれらの有機的連携が重要だ、と言えよう。

生活空間の描写と俳句

2007-03-30 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
生活空間をきちんと読者に伝えようとすれば、詳細な説明文章と図面、写真などが必要で、たった17文字の俳句では到底正確に伝わらないと思われる。俳句だと、例え生活空間を詠んだとしても、その範囲が正確に分らない。それを読んだ読者の想像力にゆだねられることになる。例えば、
古池や蛙飛び込む水の音   と言っても、どれ位古い池なのか、その大きさは?、池は何で囲われいるのか?どういう種類の蛙なのか等々、正確には分らず読者の想像にゆだねられているのだ。
しかし、その空間やそれに対応した人間、生活の様子の中心点がぱっと分って、なお余韻があるのは、俳句による表現だろう。

同じ芭蕉の先に引用した
山も庭も動き入るるや夏座敷

その他

ひやひやと壁を踏まへて昼寝哉
秋ちかき心の寄(よる)や四畳半
作りなす庭をいさむるしぐれかな

などが私の愛吟句に入っている。今後、『住まいと俳句』というカテゴリー分化も考えてみよう。

「人々とのつながり」制度と実際

2007-03-30 | 地域居住学
「人々とのつながり」の制度として家族制度がある、また色々な組織がある。フォーマルな組織からセミ・フォーマル、インフォーマルな組織まで・・。で、制度だからと言って安閑としていると空洞化して、例えば、ある日突然「三くだり半」を突きつけられることも起こりうる。
ところで、去年の3月に金沢の母校の高校(金沢大学附属高校)で「高校版 ようこそ先輩」で「つながりの豊かな地域居住」という2時間ばかりの講義と質疑をした。今回、その講義録が送られてきたので読み返した。その又1年前に奈良女子大学を辞める時も同じテーマで喋ったが、高校の後輩向けには、より分りやすく話そうと工夫した結果、更に1年前の大学生等相手には触れなかったことまで突っ込んで喋ることになった。
で、「人々とのつながり」の手段・段階を整理して、1)五感交流、2)言葉によるつながり、3)共同行動によるつながり そして4)制度による組織的つながり
とした。これで言いたいことが一寸見えたとも言えるが、制度によるつながりを空洞化させないためには、その成立の前提でもある1)~3)をしっかりやらなければならない、ということである。朝ドラ「芋たこなんきん」は明日終るが、あの夫婦を見ていたら良く分るであろう。後輩に喋るために考察が一歩前進したと言えよう。

蘇州運河 部屋の天井に なりにけり

2007-03-30 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
「世界わが心の旅」と言うテレビ番組があったが、そのうちの「中国・蘇州 水は命」(旅人 建築家・安藤忠雄)を昨夜Gyaoで見た。水の都・大阪で育ったので安藤さんは、運河の町・中国・蘇州に惹かれたようだ。あるところでは、家に入り込んで窓から運河を眺めている。「運河が何かこちらに入って来るようだ」と言ったコメントをしている。天井に映った運河が揺らいでいる。ああ芭蕉の「山も庭も動き入るるや夏座敷」だな、と想った。
そこで一句: 蘇州運河 部屋の天井に なりにけり  市路

地球環境史46億年を1年に見立てると・・・。

2007-03-29 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今日、野崎光洋先生らとの議論で、地球環境史46億年と言われている期間を1年365日に見立てると、その1秒は実際の何年に当るだろうか、ということが話題となった。先ず1年を秒で言うと、365×24×60×60=31,536,000秒となる。46億年を、この秒数で割ると、約145.865年となる。つまり地球環境史を1年に見立てると、その1年の1秒は実際の約146年に当るのだ。人間の一生を仮に100年とすると、「1年の0.685秒」に過ぎない。それは「瞬間」である。我々に連なる「新人」が生まれたのを10万年前とすると、「1年カレンダー」では12月31日の「紅白歌合戦」も終わった23時48分ころ、「行く年来る年」がテレビで始まったころである。又、広大な宇宙の中で私の占める空間量は「点」に過ぎない。時間・空間で言うと正に「瞬点」であるのだ。しかし、そういう微々たる存在が46億年の地球環境の歴史を考え、広大な宇宙の果てまで考えていることは驚異ではないか。
そこで、前に言ったような私の短歌が生まれる。

・瞬点の吾が宇宙を想う時心頭(こころあたま)の広々とする

しかし、同時に下世話な世の中では、徐々に「終点」に向かう感覚もある。で、

・「終点」へ吾が人生想う時悟りきれずにじたばたとする

というのも生まれた。この二つをセットとしておきたい。 市路

代替セラピー論勉強会ー進化と病気ー

2007-03-29 | 色々な仮説や疑問
今日の代替セラピー論の勉強会で野崎光洋先生(阪大理卒、京大医学部から滋賀医大、副学長歴任、現・平安女学院大学人間社会学部長)が、人間の進化の「逆説」というか、環境に適応するため進化させてきた人間の資質が状況が変わると病気の基本原因になるとの講義のさわりを披露された。我々は切り傷で血が出ても、血が自然に固まることを知っている。それが外界が安全になり、外傷も少なくなり、たまたま血管内で固まると、即ち血栓となる。飢餓に対して体内で糖を蓄える機構を長年かけて体内に作ってきたが、それが今や飽食の時代になったため糖尿病の原因になっている。貴重な塩を蓄える機構は、今や高血圧の原因になっている、という具合なのだ。他にも一二の例があったが、「目からうろこ」だった。「進化の逆説」とでも言えよう。

今年度最後の教授会(平安女学院大学)

2007-03-28 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
平安女学院大学の今年度最後の教授会があった。私が議長で、約2時間位の会議、学生の退学、休学や復学の審議もあった。退学や、休学は残念と思うと共に復学は良かったと思う。多分、何処の大学でもある3月の教授会の泣き笑いである。教員の方では、退職される人も何人かいて、出席の人には簡単な挨拶をしてもらった。名誉教授の規定も決って初めての人も決った。学部長や学科長を「降りる」人もいて、私から言うのも変だが「ご苦労さん」と言っておいた。
いよいよ新年度に向けて新たな気分で再スタートである。

3月27日は記念日だ!

2007-03-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日3月27日は、私達の記念日だ。少なくとも二つある。
一つは私達夫婦の記念日であって1968年3月27日に名古屋で結婚した。豊田高専に勤めていたので春休みを選んで結婚したのだ。今日は39回目の記念日だ。正にThank you!である。
もう一つは私達23軒の仲間の記念日だ。コーポラティブ住宅地の住み始めスタート記念日だ。今日で満7年だ。スタートは2000年3月27日で、住宅地入り口の「羽ばたきの碑」にその日が彫りこまれている。(これらは1年前のブログにも書いている)http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/39905436e1eae7f5917b319927609f01
更に広い長い歴史の中では、今日は、松尾芭蕉が弟子の曾良とともに「奥の細道」六百里の旅へ出発(1689)した日なのだ。「行(ゆく)はるや鳥啼(なき)うをの目は泪(なみだ)」は、つとに有名。旧暦で言うと、今頃は「行く春」となる。「うをの目は泪」なんて普通言えない、感動だ。
また、桜の日らしいので、桜のテンプレートに変えてみた。
あれこれ思いながら、それらのお祝いに飲みつつ、このブログを書いている。
(写真は、松尾芭蕉像)

子どもの発言に注耳

2007-03-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今度、関口知宏さんが中国鉄道の旅3万7千キロに挑戦するようだ。予告を衛星テレビでやっていた。今まで列島縦断やヨーロッパ鉄道の旅を踏まえてのものであろう。3万7千キロと言うと地球一周に近い。で、今日、関口さんが喋っていた「旅の自己流作法」は、余り下調べしないで、感覚を柔軟に働かせて向こうからやってくる情報を待ちうけキャッチすることと言う。その最たるものが列島縦断の旅の途上、四国で雨の中を列車で走っていた時、車内でお絵かきしていた子どもが、トンネルに入って、窓の雨水の水玉が流れて光ったのを見て、「ああ流れ星!」と叫んだのを聞いて、関口さんがハッとキャッチ出来たこと、と言う。確かに窓の外に付着した水玉群は星座のように光っていて、その一つ二つが流れたのだ。流れ星に違いないが、大人でそういう見方を咄嗟に出来る人は殆どいないのではないか。
昔、中村めいこさんがお嬢さんが小さい時、洗濯物から水が垂れているのを見て、「ああ、お洋服が涙を流している!」と言うのを聞いてビックリした、と語っているのを聞いたことがある。子どもの無垢の感性は素晴らしいが、注意していないと見過ごす、聞き逃すことがある。まさに子どもの発言に注目ならぬ注耳(ちゅうじ)である。

能登半島地震と心配

2007-03-27 | 時論、雑感
一昨日の能登半島地震の時、先ず親戚のいる金沢周辺はどうだったか、が心配になり連絡を取ったが、震度4ほどで大揺れだったが大丈夫とのことだった。次の心配は、震源地近くの志賀町の北陸電力の原発で、設計ではマグニチュード6.6までしか想定していなかったようだ。実際は6.9だった。今のところ事なきをえている状態だが、心配だ。それで、ふと「大昔」、若狭湾に面する福井県大飯町で関西電力大飯原発計画が出てきた時(1970~1974年頃)、私は京大助手であったが、佐藤文隆先生(基礎物理学研究所)などと一緒に現地調査したことを思い出した。その時に、初めて「活断層」という言葉を私は知った。大飯(おおい)原発の置かれる半島にも活断層が通っていて、いざという時、危ないとの専門分野の方の見方だった。日本海側は、今まで太平洋側ほど警戒されていないが、若狭湾沿いは「原発銀座」なので、いざという時、「近く」の関西にいる我々も危険にさらされる恐れがあるのだ。
(写真は、大飯原発)

高槻市南平台の桜

2007-03-26 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
2年前の2005年(平成17年)4月に平安女学院大学(高槻市)に再就職した。その時に、奈良女子大で私の赴任初期に卒業したG.K.さんが芭蕉に・「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」という句があることを教えてくれた。これは、私の解釈では「峠の茶屋で蕎麦を注文したが、ふと見ると、まわりは桜が満開で、蕎麦は未だだが、良い気分になったなあ」という風景である。で、私はそれに対して

隠居まだ 花の迎える 山路かな 市路

という句を詠んだ。山路とは高槻市南平台のことで、そこに平安女学院大学があり、花とは桜であり女子大生でもあるのだ。

能登での地震

2007-03-25 | 時論、雑感
今日の朝、9時40分過ぎに能登半島沖の日本海で地震が発生、京都でも僅かに感じた。ラジオ、テレビでマグニチュード7.1(後に6.9に変更)、輪島、七尾等で震度6強という。これは、えらいことだと金沢の妹に電話するが、これが繋がりにくく中々「出んわ」という状態、30分後に繋がって聞くと、大丈夫だが大揺れで大変だったと言う。テレビで見ると兼六園の琴路の灯篭に向けたカメラも地震を記録、灯篭も揺れているし前の石の橋を渡ろうとしている人が慌てて引き返している。12時のテレビニュースでは輪島で52歳の婦人が石灯篭が倒れてきて直撃され亡くなったようだ。その他、怪我で病院に運ばれた人は百人を越えている。これが密集の東京や名古屋を直撃していたら大変なことになっていただろう。夕方の18時頃にも余震が能登半島内陸部で起こったようだ。何とはなく、東南海、南海地震の予感がする。
(写真は、輪島市門前町の実状)