西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

10月末の感慨、11月への思い

2006-10-31 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
10月末で平安女学院大学を辞める身近な職員が二人いて今日見送った。私としては、去年の4月から勤めているので彼女等とは1年半余の付き合いだった。まあ、一人Mさんは「おめでた」での退職、もう一人Fさんは健康状態を思っての退職でやむをえない。「健康第一ですよ」と言っておいた。明日から11月、新しい職員が赴任してくる。新たな気分で接していこう。

11月になると連日「文化的イベント」がある。

11月1日 mixi仲間でアメリカのシリコンヴァレイで活躍の「アトムさん」が関西学研都市に来る、私としては夜に初めて会う。どんな会話になるか楽しみだ。「アトムさん」とは、東京出身、東大工学部卒、工学博士、団塊の世代、大企業(三菱化成)経由で、現在シリコンヴァレイで「コンサルタント」、個人を強めることを通じて社会の変革を目指しているようだ。つまり集団に埋没せず個の主体性を尊重しているようだ。(写真は「アトムさん」グーグル検索)
11月2日 平安女学院大学客員教授の的場輝佳さん(奈良女子大名誉教授)の講演会(食育を考える)が夕方にJR高槻駅前の高槻市の総合市民交流センターである。お近くの方、是非どうぞ。
11月3日 神戸で「アトムさん」らのmixi仲間の「ヴァイタリジェンス」の集まり、これも20人位の「異業種交流」で初めて行ってみる。
11月4日 的場さんらがやっているNPO奈良の食文化の会で、水問題講演会、講師は千田 稔さん(国際日本文化研究センター教授、元奈良女子大教授)、ならまちセンター、11時より
11月5日 木津町の「タゴール農園」(青木正昭農園)で柿狩り、Wさんと行く。
ちょっと疲れるかな。正倉院展に行く暇がない。行く所は、学研都市、高槻市、神戸市、奈良市、木津町と近くだがヴァラエティがある。
総じて「アトムさん」関連、的場さん関連で各々複数ある。

私の散歩のしかた

2006-10-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
寺田寅彦は、早足の頭の良い科学者より多少のろのろ進む方が、足の早い人が見落とすところを見落とさない場合がある、といった趣旨を随筆に書いているようだ。(芳賀 綏さんの話より)
一寸話が違うが、散歩の場合、私は回りを見回す格好でゆっくり進むのを好んでいる。見ていると、早足で汗を出しながら前を向いて一直線に歩き、耳にはヘッドホンで音楽を聞きつつ・・というスタイルもまま見受けられる。個人のスタイルだから、そういうのもあってよいだろう。「歩」という字は「止まること少なし」なのだ、という人もいる。あるいは「早足で歩かないと散歩で減量する効果が余りない」などと言われてやっているのかもしれない。
しかし、私はそういうスタイルを取らずのろのろ歩いている。目だけでなく耳や鼻や肌も働かせている積りだ。風景を見るだけでなく、せっかくいい自然、環境音があるのに人工音を無理に聞くのはもったいない感じなのだ。感じた風景は本当はスケッチが良いのだが、出来るだけデジカメか携帯電話カメラで撮るようにしている。何時か『私の散歩道』の話をしてみたい。

字の大きさ、季節の変化ーテンプレート選択ー

2006-10-31 | 言語・字・言語遊戯
テンプレートを頻繁に変えて御免なさいね。まあ、自分自身、見にくかったり、現在の気分に合っていなかったりで、安定していない。
今回は、字が前より大きく自分自身も読みやすいこと。寒くなってきたので、逆に一寸温かに、といった気分で変えてみた。どうでしょうか。前より読みやすいですか。字やテンプレートにも注文があれば言ってくださいね。

随筆に見る日本人の心 芳賀 綏さん

2006-10-31 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
ラジオ深夜便「心の時代」で芳賀 綏(はが・やすし)さんが『随筆に見る日本人の心』を話していて興味深かった。日本三大随筆と言われる『枕草子』『方丈記』『徒然草』、科学者で随筆家の寺田寅彦、弟子の中谷宇吉郎のもの、英文学者の福原麟太郎、さらにフランスのモンテーニューやパスカル、イギリスのベーコン等にまで話が及んでいた。
芥川龍之介が『徒然草』をかわず、小林秀雄は絶賛していると言う。頭が切れすぎて早死した芥川は『徒然草』をついに理解できなかったか、とのことだ。頭の良さを誇るのは清少納言の『枕草子』と言う。兼好法師の『徒然草』は、いぶし銀である。寺田寅彦は、科学と文学を「統一」するとすれば、随筆だろう、と言っていたようだ。西山先生も「愛読書」に『方丈記』や『徒然草』もあげている。まあ『住居学』の古典とも言ってよい。エピソードで面白かったのは、戦後『第二芸術論』で俳句を攻撃した桑原武夫が、旅に携帯したのが芭蕉の『七部集』といい、登山家でもあった桑原がヒマラヤ登頂記で自分の書いたものとヨーロッパ隊の書いたものを比べて、いかに自分のものが叙情的か、と後年言ったようだ。「くわばらくわばら」、歴史的な日本人の心情は表面的イデオロギー、論理では覆せないということか・・。日本の随筆とイギリスのエッセイは、少し違うと、昔イギリスに行った時思ったが、やはり違うもののようだ。(写真は、芳賀 綏さん)

イベント盛り上げの「法則」

2006-10-30 | 色々な仮説や疑問
イベントを盛り上げるのだから「いい弁当」を作ればよいというものでもない。「いい弁当」に越したことはないが・・。今度、11月11日の平安女学院大学の学園祭では、生活環境学部の食物分野の学生達がT先生の指導の下「高槻御膳」を開発、限定100食で、1食500円で券を売り出し、私は券を今日買った。高槻の食材をふんだんに使ったもので期待していい。11月11日は「だまされた」と思って一度、平女祭に来て下さいね。
ところでイベントを盛り上げるにはどうしたらよいか。まず責任者を明確にし、全員にイメージさせる。責任者は先頭に立って引っ張るべし。これである。

アメリカの歴史教育と生物学教育

2006-10-30 | 時論、雑感
日本における高校教育で、必修の世界史を教えていない公立私立の学校が続出で補習も大変である。(15校ある国立高校では、幸い世界史は必修で教えられているという、私も金沢大学附属高校出身で、つい最近、副校長で世界史担当の木村明人先生の話も聞いたので「ほっ」とした)世界史は、やはり将来とも必修であるべきと思う。で、つい最近、高校の先生と駄弁っていて「アメリカの歴史教育は自国史中心、アメリカでもっと世界史を教えれば独善的にならないのに・・」ということを聞いた。実際に、アメリカの歴史教育はどうなっているのか。日本や中国やイスラムやロシアや南米の歴史はどう教えられているのか、興味がある。ご存知の方は教えて欲しい。そういうことを考えていたら、生物学でもダ・ウイーンの進化論を教えていない州も多いということも聞いたことを思い出した。これも実際どうなのだろうか。科学的で広い視野の教育をしないと、国民意識が偏狭で独善的になる恐れがある。私は、それを恐れる。

ヴァイオリニスト・経田景子

2006-10-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日の平安女学院同窓会奈良支部のアトラクションに出演したヴァイオリニストは、経田景子(きょうだ・けい(い)こ)と言う。司会者は、私の「洒落」を受けて「彼女は、「今日だけいい子」です」「明日になっても「今日だけいい子」、だから毎日いい子ですね」と紹介したので思わず「拍手」である。一度聞いたら忘れなくなった。彼女は後でネットで調べると大阪音楽大学短期大学部の器楽科出身、ヴァイオリン専攻だ。伴奏のピアニストは松本直子さんだ。司会者が両人にインタビュー、経田景子さんは「ヴァイオリンはピアノと違って鍵盤のような音階が決まった場所が空間的にはっきりしていない。だから微妙に変化させられる特徴があるが、そこが難しい」と言った。松本直子さんは、伴奏していて気にしていることは?と聞かれた「経田景子さんは、気分たっぷりの歌う演奏者なので、それに引きずられないようにやっている」と答えた。なるほど、と思った。経田景子さんの演奏(はまちどり、あかとんぼ、ふるさと等もあった)は、かぶりつきで見て聞いていると表情豊かで、正に歌うようである。私もうっとりして将来も頑張って欲しい、と思った。それにしても、最近は日本では音楽学校(大学)を出た人が「満ち溢れて」いるので、こういう「食事後コンサート」も日本でも普及、一般化していくだろう、とも思った。(写真は、表情豊かな経田景子ー今日だけいい子ーさん)

平安女学院同窓会奈良支部に参加(奈良ホテル)

2006-10-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、奈良ホテルで平安女学院同窓会奈良支部の集まりがあり、招待されて山岡景一郎理事長・学長、井上渓子中高副校長(奈良女子大学出身)とともに出席した。27名ほどの出席だった。平安女学院全体の同窓会は昨日110周年を祝ったように伝統があり古いのであるが、平安女学院同窓会奈良支部は、4回目の集まりというから支部としては新しい。私は、昨日は大学の入試の関係で、総会には出られず、今日の支部会に、奈良にゆかりがあるとのことで出席した。最初にホテル前で記念撮影、帰る頃には出来上がっていて頂いた。
木奥章江奈良支部長の挨拶に続き、同窓会本部から同窓会理事の星野紀久子の挨拶、
細見綾子さんの句「ふきのとう見つけて今日はこれでよし」と言うのが好きとのこと、つまり毎日一寸した良いことを確認し積み重ねる人生を送っているとのこと、私も良い句だなと思った。
真打の山岡理事長の挨拶、5年前からの苦労話や最近のこと、私は何度も聞いているが同窓生としては初めて聞いて「大変だったんだ、でも一段落でよかった・・」という意見も後で聞いた。久しぶりに聖歌を歌い聖書朗読に接して身の引き締まる思い、と言った方もいた。今日は、平安女学院同窓会のほか、関西学院大学の同窓会(奈良支部)も同じ奈良ホテルであり、夫婦で両方に来たという同窓生もいた。宴に移り私は乾杯の音頭を取らされた。2年前からの経緯や最近の改組のこと、同窓生で改組されて古巣がなくなったとの思いもあるかもしれないが、それぞれ新しい学部学科に取り込まれているので、そこが古巣と思って欲しい、とのことも言っておいた。宴は和気合い合い進んだ。一言言うコーナーで私は奈良ホテルの設計について辰野金吾の和洋折衷にせざるを得なかった理由、その和洋折衷を良く分かるのはフロント前の神社鳥居、狛犬と西洋風暖炉の組み合わせ、と言っておいた。後で見ている人もいた。他に「平京ダム神同武(へいきょうだむしんどーむ)」という関西私学六女子大シリーズの言い方もPRしておいた。皆の自己紹介スピーチも良かった。アトラクションとして大阪音大系統のヴァイオリン、ピアノのデュオがあり、気分が良かった。(写真は、記念写真を撮った奈良ホテル玄関前)

私の俳句:秋深し 隣りと喋りて 今日もよし  市路

茂木健一郎のモーツアルト・モード

2006-10-29 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今年はモーツアルト生誕250周年なので、クラシックCD売り場にモーツアルト物が沢山売られている。「十字屋」に一寸寄ったとき、その売り場をぶらぶらしていて、「茂木健一郎のモーツアルト・モード」を見つけ、買ってしまった。茂木健一郎とは今売り出しの「脳学者」である。茂木ファンのFUTANさんは買ったかな、とふと(FUTANと)思った。茂木さんが「音楽のクオリア」として13曲選定してある。全部聞くと70分ほどだ。中に、私のお目当ての「レクイエム ニ短調K626 ラクリモサ」があったのも買った理由のひとつだ。この曲が(ケッヘルによると)626曲作曲したモーツアルト最後の曲で、私の誕生日(6月26日)にちなんでいる。ナポレオンも好きだったようだ。他に歌劇『フィガロの結婚 序曲』、『交響曲第41番ジュピター 第一楽章』なども勿論含まれている。茂木さんの解説では「モーツアルトを聞くと頭が良くなる、という説がある・・」と言っているが、まあ「説」だから・・、その「説」を唱えている人は、どうやって証明するのかな、と思ってしまう。昨日寝る前に枕元でかけて寝た。全部聞き終わらないうちにスヤスヤ寝ていた。睡眠入り効果は確かにあるようだ。13曲は抜粋なので本曲を通しで聞いてみよう。
参考、茂木健一郎のクオリア日記:http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

世界遺産、ベルギーのグラン・プラス

2006-10-28 | 住まい・建築と庭
世界で一番美しい広場だ、とフランスのヴィクトル・ユーゴーに言われたのは世界遺産ベルギー、ブリュッセルのグラン・プラス(Grand-place)である。Grandは「大」、placeは「広場」つまり「大広場」なのだ。NHKTVの夜の番組でやっていた。残念ながら私は未だ行っていない。16世紀まで、ここは市民のための市場だった。ブリュッセルは16世紀にはスペインのカルロス1世が支配し、18世紀にはハップスブルグ家のマリア・テレジアが支配、更にフランスのナポレオンも支配した。今はヨーロッパの中心EUの首都である。こういう認識も「世界史」的認識なのだ。この広場の回り360度に石造りの建物が回っているが、ブリュッセル市庁舎の塔が一番高く、これはゴシック建築だ。広場回りの7割がギルド関係の建物と言う。建物だけでなく、タペストリーやレースの織物でもブリュッセルは有名だった。
(写真は、ブリュッセルのグラン・プラス、左が市庁舎、右がギルド建物)

通天閣再建50周年

2006-10-28 | 時論、雑感
今日は大阪の通天閣再建50周年の日だ。昭和31年(1956年)10月28日に再建オープンしたのだ。最近は年に70万人の観光客があるようだ。50周年に当たり、天気予報が広く分かるようにするとか色々工夫もあるようだ。東京の東京タワー、名古屋のテレビ塔、パリのエッフェル塔と同じく大阪を代表する塔だ。
私の一つの「思い出」として通天閣の近くの一心寺に高口恭行和尚を昔訪ねた時、奥さんのお母さんが「離れ」で寝ているとのことだったが、足元の窓を開けると、そこから遥かに通天閣が見えたのだ。この「離れ」を計画する時に「それが見えるようにして欲しい」と義母さんが設計する高口さんに言ったようだ。まあ、エッフェル塔なら「見えるようにして欲しい」というパリっ子もいると思うが、あえて「東京タワーが見えるように」という江戸っ子は少ないのではないか。それに対して「通天閣が見えるなら見えるように」という浪速っ子は比較して多いのではないか、と思う。それだけ大阪人の風景に通天閣はしみ込んでいると思う。

生駒駅前商店街フェスタ

2006-10-28 | 地域居住学
mixi仲間のikuramさんのブログを昨日見たら、今日、生駒駅前商店街のフェスタだと分かったので、午後に訪ねてみた。http://blog.goo.ne.jp/ikomaru001/e/ac0151ab254eafb6f185be67a6dfc576
いつもやっている「スタンプラリー」等はおいておいて、今回初めては「いこまるぬり絵」で、きしきょうこさんの下絵にクレヨンで塗る試み、葉書の大きさで事前投稿、今日、審査があって、私も急遽、審査員にさせられた。きしさんの下絵(単線画)は「いこまる号」(「ひょうたんからいこま!」の駒)が買い物籠をくわえて生駒山の下を歩いている感じのものだ。まあ、予測では80枚も集まれば、と言っていたらしいが実際は倍近くの153枚(もう一枚で「行こうよ(154)」になったのに・・)も集まった。各種賞を25枚ほど(つまり1/3位は当たるように)つくっていたが、当たりが1/6に減ってしまい、賞の発表を見に来た子供たちも多くは「がっかり」だった。次から賞品を簡単にしていいから多くしたら・・と言っておいた。奈良女の中山ゼミの院生・学生が数人手伝っていたので声をかけておいた。(写真は、ぴっくり通り)

今こそ高校で世界史を勉強すべきこと

2006-10-28 | 時論、雑感
現在の「指導要領」では、高校で世界史は必修のようだ。そのことは、実に結構なことで、それを実行しなかった高校こそ批判すべきだ。大学でも世界史を受験課目にもっと取り入れても良いのではないか。とにかく世界史必修を受験のためとはいえ「誤魔化して」受講させずに、受講させたことにした高校が、その後400校以上にのぼっている。精査すると、もっと増えるのでは、とも思う。「指導要領」では、必修の世界史の他は選択で日本史か地理のどちらかを受講することになっているようだ。とにかく、この三科目では世界史を「トップ」に位置づけている訳だ。それを、世界史は範囲が広くて教えにくいこともあるのか、日本史か地理だけ受講させて、世界史を「受講した」ことにしたようだ。考えてみると、高校の世界史の先生は、大学では文学部の史学科を出た先生が中心ではないか。多分、大学の史学科には「世界史」という専攻分野はないのではないか。個別の国の歴史は、東洋史や西洋史の中に専攻があるかもしれない。だから世界史をすらすら教えられる先生は少ないかもしれない。しかし、国民の教養としては、今ほど世界史が必要な時はない。私の高校時代は、西洋史、東洋史は何とかイメージできたが、イスラム世界史、南米史、アフリカ史などは殆ど習わなかった。今からでも遅くないから勉強したい気持ちである。なおさら若い高校生や大学生(高校で世界史を習わずに進学した人達含む)は、受験のあと、時間がたっぷりあるのだから自習、ラジオ講座等も使って是非勉強して欲しいと思う「年寄り」は私だけではあるまい。
間違っても、当座の「負担感」だけで、世界史必修をやめて三科目のうち一つ必修、他の一つ選択などとしてはなるまい。この三科目で一つ必修にするとすれば、どうしても世界史となるのではなかろうか。大学でも「世界史的研究」を活発にし、世界史を面白く教えられる先生を増やしていくべきだろう。

偏屈者宣言 後藤健治

2006-10-28 | 時論、雑感
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/henkutu.htm
今朝、NHKTVを7時前に見ていたら精神科医(沖縄在住)の後藤健治さんが「偏屈者宣言(頭のhttp参照)」を出して注目されている、と言う。後藤さんは京大経済学部卒、会社勤め長続きせず退社、友人から「お前のようなかた変わりこそ精神科医になるべきだ」と言われ発奮、九大医学部に入りなおして現在、精神科医である。自分自身ADHD(多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害の一つ)であり、奥さんから「ADHDの人は自分勝手」と言われて、じゃ、と無理に普通になる努力をすることからのストレスを避けて自ら「偏屈者」と宣言した訳だ。これで、気が楽になるのではないか。自分自身も客観的に見られる。まあ、例えば「無口宣言」とか「赤面症宣言」とか「高所恐怖症宣言」とか、自分が「普通」から一寸変わっている事を堂々と宣言すれば、気が楽になると言う風に応用できるかな、と思った。どうでしょうか。