西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

生活のredundancy(余裕)の追求

2014-11-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
生活には一定の余裕がないと自主的、自立的に動きにくい。

色々な情報がある場合、一々「全部」丁寧に見ていると「日が暮れる」、時間がない、過労になる恐れ、行動が前のめりになる。

だから、情報を自主的に制限することも必要だろう。学会や諸団体の情報を大分整理した。まだ「ぜい肉」的な部分あるかもしれない。

face bookの友人達も100人ほどに制限している。ま、自分の記事に対して「いいね!」「コメント」は平均して10位あるが、それで十分、ゆっくり顔を思い出しながら、「コメント」反応する場合もある。中には数百人、数千人の友人をかかえた人もいるが、「いいね!」とか「コメント」チェックだけで日が暮れるのでは、と思う。

予定のない場合は、午前中は新聞や他の情報(郵便によるもの、ネットによるものなど)のチェック、対応すべきものは対応。午後はお出かけ(散歩、ぶらぶら、目的地)など、家で本など読んだり、一寸した書きものしたりもある。この小文も入る。・・・

最近、読むべきと思う本

2014-08-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、台風や前後の短期的豪雨によって洪水や土石流など土砂崩れが起こり多くの住宅が飲み込まれ、破壊され少なからぬ人命も失われている。今日は、広島県広島市安佐南区の山裾に迫った新興住宅地背後からの土砂崩れ、土石流による被害の状況をテレビ画面で見た。 広島県は土砂崩れ被害が一番多い県と言う。1999年にも大きな被害を受けたようだ。

広島県土は、花崗岩が多く、それが風化等で「まさ土」という土砂崩れの起こりやすい土質になっていることが自然的基本条件だ。そこに最近頻繁に起こっているのゲリラ豪雨が来れば、ひとたまりもないことは、予測できたのに・・・。

私は、前から「住宅立地の重要性」を「リッチな立地を探せ、出来れば、そこへ計画的に移動したら」と言っている。私自身、金沢市で生まれ育ち、寺町台という高台に住んで、低地の犀川の氾濫など目にしているので、若いころから住宅の立地を選ぶ時には、洪水の起らないことをまあ一番の条件にしてきた。現在地も、付近では一番高い場所である。

地震は、長い目で確率的に予測されているが、洪水、土砂崩れは、地震より予測精度が高く、より早く避難できたのに、などと「非難的に」思ってしまう。

ここで、人類史を振り返ってみよう。繰り返し起こる洪水に対しては人類は記憶にとどめ(後世では記録にもとどめ)、慎重にそこから「逃げ」、「高台」に居を移してきた、と言える。それが、人口の増加や「土木技術」の「進歩」でやや「安心して」いたきらいがある。更に学ぶため以下の二冊を取りあえずあげておきたい。

〇『人類史の中の定住革命』(西田正規著、講談社学術文庫、2007年発行)

〇『災害住宅誌ー人々の移動とすまい』(牧 紀男著、鹿島出版会、2011年)

牧さんは、面識はないが、京大建築学科の後輩のようである。色々な分野を学んで今は京大防災研究所勤務のようだ。歴史学がベースにあるようだ。


桜と僕

2014-04-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化

生まれてからこの方70数年、数々の櫻に会ってきた。皆さんはどうですか。恐らく「様々な事 思い出す 桜かな  芭蕉」であると思う。

僕の場合、先ず生まれた町が「櫻畠」であり今住んでいる町が「桜が丘」で、初めと現在、「さくら」に因縁がある。

実際の桜については、生まれてから高卒まで金沢・兼六園の桜、京都に来てからは琵琶湖疏水べりの桜、就職して豊田に行って豊田高専の門前の桜並木、奈良女大に行って構内の桜、中庭の通りは「桜通り」と「ケヤキ通り」だった。記念館の緞帳は卒業生・小倉遊亀さんの「爛漫」で見事な桜だ。

爛漫や 切に西行 招きたし   市路

(注:西行の「辞世歌?」→願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ  西行)

今住んでいる「けいはんな学研都市域」にも素晴らしい桜がある。

今後のことを言えば、あの世に行く前には、奈良南の吉野の色々な桜を愛でていきたい。西行は訪れたようだが、正岡子規はどうだったのかな

自分史ー個人史形成「枠組み」の理論的把握ーについて

2013-09-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化

 人間は生まれて、時間的経過につれ一定の段階を通って成長・発展していく。
その段階は、人間的つながり関係の変化を伴っている。

 肉親や兄弟姉妹との関係は、各人それぞれに年齢等の変化を伴うが段階を通じて死ぬまで持続・発展する。

幼児が成長・発展して保育園や幼稚園に行けば、そこで新たな友人や先生やを得る。以下、更に成長して小、中、高、大学、大学院などと学校が変われば、そこで新たな人間的つながりを得る。これらの人生を通じての、卒業後のつながりは同窓会、同期会の発展として続いていく。

 社会へ出れば、同僚や上司など職場での新たな人間的つながりを得る。職場人間の始まりである。これを一般に「定年」まで変化・発展させていく。
結婚し子供が出来れば、新たな家族関係のつながりの発生と歩みが始まる。寿命が延びたのでこの関係は、一般に孫の世代まで続いていく。

退職して地域人間となれば、地域での人間関係が始まる。趣味的関係、共助的関係だ。

それらの重層的展開が、その中心(全員が中心になる)の人格的変化・発展の根本理由である。この展開は、当然、時間的展開であるが、同時にそれらの展開の舞台である生活空間の様相も変化・発展させうる。

生活空間は、人間の成長・発展につれて先ずは拡大に向かう。母親べったりからハイハイし立っちし、部屋から家中に、家から庭や外へ、幼稚園から小、中、高、大学、大学院と生活空間は拡大し、職場人間となると、多かれ少なかれ地球全体まで拡大していく。

ところが、高齢化過程に入ってくると、一般に地域人間となって生活空間は縮まってくる。一般に拡大する子供の生活空間と、縮まる傾向のある高齢者の生活空間はどこかで交差するのである。

これらの時間的、歴史的変化・発展、空間的、環境的変化・発展を、個人を通じてヴィヴィッドに描くのが「個人史」と言えよう。(2013年8月30日、9月1日)
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最近、時々『文藝春秋』を読む

2013-07-15 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、雑誌『文藝春秋』を時々読んでいる。まあ、昔から総合雑誌として『文藝春秋』『中央公論』そして『世界』がある。で、私は、この逆の順の頻度で読んでいた。特に「若いころ」には・・・。思想傾向としては、『文藝春秋』が「右」で『世界』が「左」である。

子供時代、家には雑誌としては『文藝春秋』と『リーダースダイジェスト』があったが、学生時代以降、何故か『世界』を良く読んでいた。

ところが、ここにきて「昔返り」というか『文藝春秋』を時々読んでいる。最新号八月号も読んでいる。記事が多様で面白い。読んだ内容についての批評、感想はまたの機会に。

『饗宴 プラトン』『知の逆転』を買う

2013-07-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、近所の本屋で『饗宴 プラトン』『知の逆転』を買った。 前者は水曜日の夜23時からEテレでやっていたので、追っかけでテキストを買ったというわけだ。後者は、『日経新聞』の広告で知ったのだが、今日の夜23時からのEテレであるようだ。

6人の知の巨人が色々と語っているようだが、バラバラに話しているというより互いに関連あるテーが並んでいて、読む方が「串刺し」にすると全体知が得られると思って読むべきでは・・・、と思った。この本を検索してもらうのに「知の反転」というキーワードを入れたので目的の本に到達せず、考えて「『日経新聞』の広告に載っていた」、というと、そういう検索もできるようで書名が『知の逆転』と分かった。「逆転」を「反転」と最初うろ覚えで間違ったのだ。

今晩、テレビを見てから本も読もうかな。 二冊の本、中々知的刺激のある本だ。

ラジオ体操ー「団塊スタイル」より

2013-06-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日(2013年6月21日)Eテレ「団塊スタイル」で、再放送で「ラジオ体操」をやっていた。

私も昨年の2月頃から個人的に朝のラジオ体操を始め、関心があったのでビデオにとってみた。

考えてみると、私の小学生だった昭和20年代に現在のラジオ体操が生まれた。(1951年に「第一」、1952年に「第二」が生まれた。)

「第一」も「第二」も、13の動作で構成されている。よく似た動作もあるが、「第二」が少し難しいかな。「第二」は、元々、職場用に作られたもののようだ。

で、現在、一日何回かラジオ体操やテレビ体操で、それらが放送されている。朝のテレビ体操は6時25分から6時35分の10分間だ。朝のラジオ体操は5分遅れの6時半から6時40分までだ。

テレビ体操をチラチラ見る限りでは、木曜日に、「第一」「第二」ともやっているが、他の日は、「第一」と「第二」のどちらかと他に「みんなの体操」を加味している。

ラジオ体操は、毎日「第一」「第二」と首の体操を組み合わせてやっている。土曜日のみ、やや詳しく動作を解説してやっている。

「団塊スタイル」で分かったのは、個人的にやっている人、集団的にやっている人含めて2800万人がやっていること、広場、公園などに集まってやっている人々、特に定年後の、それこそ団塊世代以上の高齢者集団が目立つことである。80歳の女性のリーダーは、10歳以上若く見えた。白っぽい服装、冬の状況だったので白い耳当てなども目立っていた。(これはよく考えてみると、薄暗い朝方に光をよく反射する「白」を意識的に着ていたのかな。)

仙台の仮設住宅でもやっている。別々の地域から寄り集まっているので毎日ラジオ体操の前後に挨拶や雑談などして「コミュニティ」形成にも役立っている。

東京郊外の住宅都市で、自治体主導でやっている所もあるが、これは出来るだけ長く元気を維持して医療費、介護費のアップを抑えようとしている。

私は、今、個人的にやっているが、近所で「皆でやろうよ」という雰囲気が出てきたら、それも良いと思っている。どうですか。

「団塊スタイル」では指導者の岡本美佳さんが指導して「標準スタイル」をやっていたが、きちんとやれば、きちんと体がほぐれ硬さが取れるな、と思った。

椎名 誠著『ぼくがいま、死について思うこと』を読む

2013-06-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ここ数日、椎名 誠著『ぼくがいま、死について思うこと』(新潮社刊)を読んでいる。椎名さんは69歳で2~3歳「若い」。

ちょっとより多くの人に知らせたい椎名さんの言い分を引用したい。

「・・・社会からつまはじきされてしまった人たちの多くが「自死」の候補者である。いじめなどで行き場を塞がれ、自分で「死」を選ぶ子供があとをたたない。
国家はこの痛ましく気の毒な「異常行動」の連鎖に、現実的には無策である。
こうした異常現象に警鐘をならす役割である新聞やテレビなどの「言論機関」の意識もなにやらおかしい。
ひところ、いじめによる子供の自殺が連鎖的におきたことがあった。マスコミは連日そのことを伝え、大きな社会問題になった。

そのときヘンだな、と思ったのは、そういう事件を報道するマスコミのスタンスだった。
いじめで追い詰められた子供が遺書を書いて自殺する。その遺書を大きくとりあげる。結果的にその子供を自殺に追いやった友達などの追及をする。犯人探しだ。
マスコミの過剰報道は、いじめ加害者を特定し、結果的にその過剰報道が自殺した子供の仇をとるような展開になる。

それはまずい対応ではないのか、とその当時思った。そしてある週刊誌に四ページほど、当時ぼくの思うところを書かせてもらった。
「いじめなどで死ぬな」
というタイトルだったが、ぼくの意図したこととはちょっと違っていた。たしかにタイトルのとおりのことを書いていたのだが、マスコミがそのようにいじめの犯人割り出しをすることによって、自死を選んだ(選ぼうとする・・私注)子供は、結果的に復讐の方便を知ることになる。

遺書にコトの顛末を書いて死ねばマスコミが仇をとってくれる。そう考えたあげくの自殺の連鎖がおきているのだとしたら、この状態はどこか大きく間違っている―と思ったのだ。
自死を美化するような匂いがしていたからである。そうではなくて、影響力の大きなマスコミがきっぱり大きく叫ぶべきは、「子供は自死してはいけない。どんな理由があろうとも自死は許されない行為なんだ」ということではないのか。

それは本音ではなく、嘘でもハッタリでもいい。小さな子供の判断だけで、自分で自分を死なせてはいけない、ということをとにかく絶対的に第一義的に、安易な「自死」の選択は間違いである、ということを強く大きく唱えるべきなのだ。そのことのためにマスコミやその周辺の大人達は全力を尽くして叫ぶべきだ。

子供のまだ小さな頭脳やその経験で、自死という自分で自分の「生」のくぎりをつけるのはあまりにも幼稚な思考で、恥ずかしいことなんだ、という方向に考え方を誘導していくのが、国や学校、マスコミのやるべき方向ではないのか。

それと同時に、いじめで苦しんでいる子供に「いま君がいる世界は人生のなかのほんの瞬間のような「一時期」なのであって、しかも君のいる「いじめられている」世界はまったくちっぽけな”点”のような空間でしかなく、その周辺の四方八方にはもっともっと途方もなく大きな世界が広がっているんだよ!ということを知らせてあげる、という導きかたがあるのではないか。・・・」(180~182ページ)

「生きているだけで百点満点」という鈴木せい子さんの言葉もあるし:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1c7cea9046ef01006c5a2af21201dd45

私の「瞬・点の吾が宇宙を想う時 頭・心の広々とする」の言い方もありますよ。


『バカボンのパパと読む『老子』』に注目、ドリアン助川さんの体験より

2013-05-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
テレビの「100分de名著 老子」の最終回でゲストにドリアン助川さん が出てきた。角川ssc新書で『バカボンのパパと読む『老子』』の著者である。早稲田の文学部東洋哲学科卒。この本は注目し買って置いてある。

今日は、ゲストとして自ら「老子」に助けられたというか「心が広々した」というか、私にも強い印象を与えたご本人の体験を僕の言葉で紹介する。

助川さんが仕事もうまくいかず悶々としていた時、自転車で気分転換に多摩川の河川敷道(?)を走っていた時、「ああこういう広々した言わば皆の空間を悠々と使いまわすっていいなあ。周りに見える個人宅地は塀でちまちまと庭を囲んでいる。窮屈ではないか。」正にその通りである。

別の機会、しょげて自転車を漕いでいてフイと横を見たら、群生しているコスモスの花が風で一斉に揺れていた。「ああ、元気を出せよ、とコスモスが手を振ってくれている」と励まされた、と助川さんは言う。

助川さんは「『老子』の道(tao)の思想は、大自然の運行に逆らわずに身を任せることだ」とのことだ。

さてバカボンのパパは、『老子』をどう読み解くのか、興味津々である。

岩波書店『図書』の10年予約

2012-10-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今年の12月で結構前から定期購読している岩波書店の月刊広報誌『図書』の予約が切れる。来年の1月からどうするのか、今度来た『図書』10月号に予約振替用紙が入っていた。この雑誌は、必ずしも岩波書店発行の書籍だけPRしているものではなく広く教養主義をとっているようで、私にとって刺激を受ける月刊誌の一つだ。

私自身も『図書』1994年12月号に、宮本憲一編『水俣レクイエム』(岩波)にかんする小文(『水俣レクイエム』によせて)を書いたこともあり、その印税で『図書』を予約したことがある。

で、色々と考えて今日、後10年予約(予約費一万円)することにした。2013年1月から2022年12月までである。その際、後10年元気に生きておられるだろうか、ということを考えた。妻にも話して見た。「目標が出来るからいいじゃないの」と言われた。

予約が終わるころ、もし私が未だ生きているとすると81歳となっている。母方祖母、父、恩師(西山夘三先生)皆83歳から84歳まで生きたし、『養生訓』の貝原益軒は85歳まで生きている。まあ、当面、そういう先達を目標にしていきたい。

古事記1300年、方丈記800年

2012-10-02 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今年は、古事記1300年、方丈記800年という切りの良い年である。

『古事記』については、今月の「けいはんな市民雑学大学」で古代史専攻の舘野和己(たてのかずみ)さん(奈良女子大教授)に「古事記の成立ー1300年前のヤマトー」というテーマで話して貰う予定、10月27日(土)午後2時より4時頃まで、近鉄高の原駅前の「イオンモール高の原」4階「こすもすホールにて、参加自由(資料代100円)です。日本書紀との関係も論じていただきます。

『方丈記』(鴨 長明著)は、日本の三大随筆の一つと言われ、成立して今年は800年に当たるようです。西山夘三先生(住居学者、故人)は、住居学の古典として、この『方丈記』と兼好の『徒然草』をあげておられました。『方丈記』には800年前前後の災害の様子も詳しく書かれていて、「災害誌」の原典の一つとも言われます。じっくり読んでいきたい。

ところで『方丈記』については簗瀬 一雄(やなせ かずお、1912年5月5日 - 2008年9月14日、故人)さんが角川文庫で訳注しておられる。(1967年)
簗瀬先生は、私が豊田高専に建築学科助手として就職した頃(1966年)には、国文学の教授として一般教科の主任(大学で言うと教養部長)をしておられた。早稲田の国文の卒業、漂漂としておられ、「学園紛争」ではリベラルな立場で学生を擁護しておられた。当時、『方丈記』研究で、そんなに偉い先生とは知らなかった。後に豊橋技術科学大学に移られた。簗瀬先生の訳注も探してみたい。

学習:貝原益軒スタート

2012-10-01 | 生活描写と読書・観劇等の文化
貝原益軒については、このブログでも何度も触れている。検索機能を使って調べてほしい。来年2013年は『養生訓』300年である。今後、しっかり学習したいので当面読んでいく文献リストを書いておきたい。順不同である。

貝塚益軒直接関連
・貝塚益軒著『養生訓』(松田道雄訳、中公文庫、1977年5月初版、2001年2月14版)
・貝原益軒著『養生訓ほか』(松田道雄訳、中公クラシックス、2005年12月)
・立川昭二著『NHK人間講座 養生訓の世界 人生の達人・貝原益軒』(日本放送出版協会、2001年1月1日)
・山崎光夫著『老いてますます楽しー貝原益軒の極意』(新潮社、2008年2月)

紀行文(旅日記)関連
・ヘルベルト・プルチョウ著『江戸の旅日記ー「徳川啓蒙期」の博物学者たち』(集英社新書、2005年8月)
・板坂耀子著『江戸の紀行文ー泰平の世の旅人たち』(中公新書、2011年1月)

歴史関連
・『日本史探訪 16国学と洋学』(角川文庫、昭和60年(1985年)2月)

更に新しい、また古い文献もあると思うので徐々に読んでいきたい。

孫崎 享著『戦後史の正体1945-2012』を読む

2012-09-07 | 生活描写と読書・観劇等の文化
孫崎 享著『戦後史の正体1945-2012』(創元社刊)をざっと読んだ。

孫崎さんは1943年生まれ、東大法中退、外交官、ウズベキスタン、イラン大使、外務省国際情報局長、2009年まで防衛大学校教授。高校は、本には書いてないが、金沢大学付属高校、高校は僕の2年後輩にあたる。

前に『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』(祥伝社新書210)を読んで感心したので、この本は少し高いが買って2日間でざっと読んだ。

日本の戦後史(外交史)を、日米関係というか、米国に対して自主的態度をとるか、追随的態度をとるか、という切り口でみている。(といっても大きくは、「日米安保条約」等の枠内にあるのだが・・・。)

「あとがき」で、戦後の首相(一部外相)を「自主派」「対米追随派」「一部抵抗派」に分類している。

(1)自主派
○重光 葵(まもる)外務大臣(降伏直後の軍事植民地化政策を阻止、のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
○石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
○芦田 均(ひとし)(外相時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)
○岸 信介(のぶすけ)(従属色の強い旧安保条約を改定、さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しも行おうと試みる)
○鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)
○佐藤栄作(ベトナム戦争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)
○田中角栄(米国の強い反対を押しきって、日中国交回復を実現)
○福田赳夫(たけお)(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒でない外交を展開)
○宮沢喜一(基本的に対米協調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)
○細川護煕(もりひろ)(「樋口レポート」の作成を指示、「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)
○鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)

(2)対米追随派
○吉田 茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
○池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)
○三木武夫(米国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)
○中曽根康弘(安全保障面では「日本は不沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台をつくる)
○小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣、経済では郵政民営化など制度の米国化推進)
他、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安部晋三、麻生太郎、管直人、野田佳彦

(3)一部抵抗派
○鈴木善幸(米国からの防衛費増額要請を拒否、米国との軍事協力は行わないと明言)
○竹下登(金融面では協力、その一方、安全保障面では米国が世界的規模で自衛隊が協力するよう要請してきたことに抵抗)
○橋本龍太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求、「米国債を大幅売りたい」発言)
○福田康夫(アフガンへの陸上自衛隊の大規模派遣要求を拒否、破綻寸前の米金融会社への巨額融資に消極姿勢)

中々面白い分類。自主派の政治家を追い落とすパターンも六つ提示している。もちろん、CIAが活動していることも書いている。

資料として「ポツダム宣言」、「降伏文書」、「歴代首相、外相、外務次官、米国大統領、米国国務長官を記した年表」、「索引」が付いていて勉強しやすい。

久し振り、アルプスの少女ハイジを見る

2012-08-15 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、今日とBSTVで『アルプスの少女ハイジ』を久し振りに夏休みで来ている孫達と見た。再放送である。

アルプスのアルムの山々の辺りに住む少女ハイジとお祖父さん、近くに住む男の子ペーターそして犬のヨーゼフ。

都会の足の悪いクララと一緒に住むハイジ、「意地悪にみえる」ロッテンハイマーさん、フランクフルト(ドイツ)に住むハイジのお祖母さん、時々戻ってくるお父さん(パパ)などを通じるドラマ、だ。

最後に、足の悪かったクララがアルプスの自然とハイジ、ペーター等との交流を通じてついに自力で立ち上がり歩く。これは無垢なハイジの感動の物語である。

涙なくして見られない・・・。

色々な『論語』

2012-07-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、『生きるための論語』(安富 歩著、ちくま新書953)を買って読みだした。まあ、『論語』の断片は、高校時代の「漢文」の時間に習ってはいる。ただ、しっかりと身についていない。

今年は日本最古の著作『古事記』1300年であるが、『論語』は、更に古く東洋最古の著作とも言え、紀元前500年代の「春秋時代」に生きた孔子の言行録である。

西洋における聖書(旧約・・・、)に匹敵する。

我々は東洋人なので、我々にとって『論語』が一番古い書きものと言っても良い。まあ2500年も前に生きていた孔子の言行を弟子たちが後にまとめたものである。

元々は、当時の社会で必要な「礼」についての解説書のようなものだったようだが、漢の時代に「国教」のようになって、以後、日本にもそれが入ってきた。

その後、中国では宋の時代に朱子が体系的解釈をほどこしたが、清の時代に「元(もと、漢、春秋)に戻れ」風潮となったようだ。

日本では、江戸時代に伊藤仁斎とか荻生徂徠が『論語』の日本化をはかっているようだ。

これらの小史は宮崎市定さん(京大教授、東洋史学、故人)の『論語の新しい読み方』(岩波現代文庫 学術22)による。

更に最近、最初に紹介したように経済学出の安富 歩さんが新しい読み方を提起したのだ。

まあ、『論語』は国の「経営術」という位置づけから個人の「処世術」「道徳」のような位置づけまであるが、学問上、哲学というか全体の基礎と考えると万民が自分の関心からアプローチして良いのでは、と思う。ぼちぼち読んでいきたい。 .