西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

国民総所得150万円アップの「うそ」?!

2013-06-29 | 時論、雑感
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7dece5ef66e541f352bdb40f2a354084

前に書いた安倍総理の言う「10年で国民総所得150万円アップ目標」について、その後の自己学習で、「まやかし」ではないか、と気づいた。

国民総所得(GNI)には、日本の大企業が海外で稼ぐ「所得」も含まれている。それは殆ど国民一人一人の年収に反映しない。だから、「まやかし」なのである。

まあ、年金生活者の年収をいうならば、ここ数年で2.5%ダウンになるし、その後の5,6年で平均150万円以上アップするなんてどう考えても無理である。


皆さーん、国民総所得(GNI)宣伝に騙されてはいけませんよ!!

脳トレー「考えて反応する」が良い、どんな結果でも・・-

2013-06-27 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、地域の「元気体操サークル」に行った。この「サークル」は、地域で4月に自主的に生まれたもので、ほぼ3か月になる。
週一水曜日午前に約1時間、地元の地域福祉センターで行われている。インストラクター一人が指導している。

もともと地元自治体の「通所型介護予防事業」の週二回の「体操実践」を「卒業」した人達が「体操」を続けるため、自主的に始めたものだ。「卒業生」だけではインストラクターを頼む経費を負担するのが「大変」なので、「在校生」にも呼びかけて、全部で15人ほど集まったので始めたのである。私は未だ「在校生」だが参加して、現在、週三回「体操実践」をしている。これで多くの住民の健康が長く維持できれば、それこそ「介護予防」にもなるので、地元自治体も「御の字」で、公的施設の「空き空間、空き時間」を貸してくれている。

で、昨日、インストラクターが言った言わば「認知症予防」の「脳トレ」時の解説が頭に残った。彼女が、「脳トレ」研修会に行って聞いてきたこと:「少し複雑な繰り返し動作が”慣れ”で出来るより、それをしようと懸命に脳から”指令”を出すことが重要、その意味では、動作が出来なくても大丈夫、脳が動いている感覚が大切」

どんなことでも脳を動かせて「考えること」は、「無量(無料)の楽しみ」であるに違いない。

こういうサークルは、それこそ草の根地域で無数に出来れば良いと思う。地域の草の根集会所、草の根学校などの公的施設を有効利用出来ればいいな。


今日は「水曜日の雨男」なのかな。

2013-06-26 | 言語・字・言語遊戯
今日は、僕のバースデー、見事、雨が降った。しかも「水曜日」だ。僕は、最近、イベントに参加しようとすると「雨」、家内に「雨男!」と笑われている。

今日も見事的中、凄い雨の中を外出した。この雨は午後まで続き、16時頃は小康状態だ。

この「雨男」状態を、早く「晴れ男」にしてくださーい。アーメン!(ごめん)

都議選を受けて参院選だ、今日の身近な雰囲気

2013-06-25 | 時論、雑感
日曜日の都議選の結果、自民・公明の「完勝」、共産、みんなの「躍進」、民主他の「落ち込み」となった。

それから二日の今日、京都の南の「果て」にも参院選の雰囲気が漂ってきている。候補者の掲示板は既に出来上がっている。民主党の宣伝カーが来ている、自民党も負けじと来ている。公明は政治の安定第一という。共産党は自共対決と言っている。みんなは、ぶれない保守と言う。

さて、どうしようかな。今回、初めて「地域SNS」も選挙に「参加」出来るようだが、実際どうなるのか、良く見守っていきたい。政策は、各党のホームページできちんと確かめて検討していこう。 しかし、雰囲気は既に「終盤」なのかな。でも住民の「政治参加率」を一歩でもあげたいものだな。

ラジオ体操ー「団塊スタイル」より

2013-06-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日(2013年6月21日)Eテレ「団塊スタイル」で、再放送で「ラジオ体操」をやっていた。

私も昨年の2月頃から個人的に朝のラジオ体操を始め、関心があったのでビデオにとってみた。

考えてみると、私の小学生だった昭和20年代に現在のラジオ体操が生まれた。(1951年に「第一」、1952年に「第二」が生まれた。)

「第一」も「第二」も、13の動作で構成されている。よく似た動作もあるが、「第二」が少し難しいかな。「第二」は、元々、職場用に作られたもののようだ。

で、現在、一日何回かラジオ体操やテレビ体操で、それらが放送されている。朝のテレビ体操は6時25分から6時35分の10分間だ。朝のラジオ体操は5分遅れの6時半から6時40分までだ。

テレビ体操をチラチラ見る限りでは、木曜日に、「第一」「第二」ともやっているが、他の日は、「第一」と「第二」のどちらかと他に「みんなの体操」を加味している。

ラジオ体操は、毎日「第一」「第二」と首の体操を組み合わせてやっている。土曜日のみ、やや詳しく動作を解説してやっている。

「団塊スタイル」で分かったのは、個人的にやっている人、集団的にやっている人含めて2800万人がやっていること、広場、公園などに集まってやっている人々、特に定年後の、それこそ団塊世代以上の高齢者集団が目立つことである。80歳の女性のリーダーは、10歳以上若く見えた。白っぽい服装、冬の状況だったので白い耳当てなども目立っていた。(これはよく考えてみると、薄暗い朝方に光をよく反射する「白」を意識的に着ていたのかな。)

仙台の仮設住宅でもやっている。別々の地域から寄り集まっているので毎日ラジオ体操の前後に挨拶や雑談などして「コミュニティ」形成にも役立っている。

東京郊外の住宅都市で、自治体主導でやっている所もあるが、これは出来るだけ長く元気を維持して医療費、介護費のアップを抑えようとしている。

私は、今、個人的にやっているが、近所で「皆でやろうよ」という雰囲気が出てきたら、それも良いと思っている。どうですか。

「団塊スタイル」では指導者の岡本美佳さんが指導して「標準スタイル」をやっていたが、きちんとやれば、きちんと体がほぐれ硬さが取れるな、と思った。

晴れた日と雨の日の気分

2013-06-20 | 色々な仮説や疑問
ようやく梅雨らしくなってきた。まあザアザア降りで本来の梅雨らしさがないが・・・。

でマイブログで「雨の日」で検索すると、これら:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%B1%AB%A4%CE%C6%FC

晴れた日の方が気分がいいのは何故か(再考)。まあ強烈な太陽光は避けねばならないが、普通には晴れていると、体に水がつかずに良い。勿論、水としての雨も大事だが、晴れていると植物が生育する。食べ物が出来るのでうれしい。動物(家畜)も雨の日より取扱いしやすい。

まあ気候、天候で気分や体調が変わるのも事実で、どうしてそうなるのか、考えていきたい。

過密大都市の脅威の予測

2013-06-17 | 色々な仮説や疑問
今までは東京、大阪などの過密大都市は、大気汚染、ヒートアイランド(熱島)現象などの「脅威」が言われたが、むしろプラス面(文化享受、先進的医療や福祉)が言われ、例えば定年後は田舎の戸建て住宅へ、よりも大都市のマンションへと思われてきた。

しかし、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経て、特に関西、東海地方では、東海、東南海そして南海大震災対応や、又首都直下型大震災対応が必要で、東京、大阪、名古屋などはマイナス面が目立ってくる。高層、超高層建築は大丈夫だろうか。帰宅難民は無事郊外へ帰宅出来るだろうか。

高層、超高層の過密大都市は、大震災の災害の他、密集していることから「インフルエンザ」がまたたく間に蔓延する危険がある。 『動的平衡』の著者・福岡 伸さんが、その本で言っている。また、 『沈まぬ太陽』のモデル・小倉寛太郎さんは「大都市では、エレベーターや通勤・通学電車で男女が体をくっつけざるをえない状況に対応するため、くっつく異性を物体とでも考えないと気が狂う」というように言っている。

つまり過密の大都市は、いずれ自然現象、人為的現象から崩壊するのではないか。まあ「人間圏域」は今後5億年では必然的に消滅する、と地球惑星物理学の松井孝典さん(東大)が言っている。  ま、そこまで視野を広げれば、仕方ないな、と思う。  当面は、中都市、小都市、田舎に回帰することが緊要だ。

「生活環境学原論」より今岡・前学部長の引用より

2013-06-17 | 地域居住学
現・奈良女子大学長の今岡春樹さんが生活環境学部長時代、受験雑誌『蛍雪時代』に寄稿した奈良女子大生活環境学の紹介より

「大事なのは自分自身の生活をきちんとすること

 「炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所づきあい」ができてこそ「自立」である。これは易しいようで難しい。これらを学ぶ家政学が改めて注目されるゆえんだろう。今後は、近所づきあいの中にも「近所の助け合い」が入ってくるだろう。何でも「行政に頼む」という「大きな行政」時代は過ぎているからである。

 これは、本学部の元学部長西村一朗教授のことばです。私たちの学部には、入学した新入生を対象に、家政学・生活環境学とはどんな学問かを紹介する「生活環境学原論」という授業があるのですが、私はその初回の講義で、この言葉を紹介しています。

 「自立」というと、経済的な自立ばかりを強調しがちですが、ほんとうに大事なのは身の回り、つまり自分自身の生活をきちんとすることです。炊事や育児と並んで「近所づきあい」の大切さを説いた西村教授の先見性は、今回の東日本大震災をみれば明らかです。
 近所の人、近くの友人と親しく付き合うことが、日常を楽しく過ごすことの元になり、いざというときは助けになります。そうした人間関係を築くには、日常の生活をきちんとすることが大切で、それを学ぶのが生活環境学なのです。・・・」(『蛍雪時代』2012年7月号より)


不肖・小生の言を引用してもらっている。これは、あちこちで今でも言っている。自分自身の「点検」がてらに・・・。

椎名 誠「素晴らしいぐにゃぐにゃ風景」(岩波新書『活字の海に寝転んで』2003年7月刊より)

2013-06-16 | 思いつきから仮説へ
「四角四面」の人工環境と「ぐにゃぐにゃ」の自然環境といった対比について作家・椎名誠は「素晴らしいぐにゃぐにゃ風景」と言っている。(岩波新書『活字の海に寝転んで』2003年7月刊より)以下引用。

「自然のものというのは形が不定形である。別の言葉で言えば柔らかく、危うく、そしてぐにゃぐにゃしている。けれど自然界の造形というものは、たとえば毎日嫌になるほど見ていた海の波や、空いく雲や、風にふるえる草の葉など、それらが不定形である分とても目に柔らかい図形であった。きっちりした直線、直角、四角、真円、正三角形、といったものはまったく存在しない。言い方を変えれば、自然のぐにゃぐにゃしたこれらの風景はとても目に優しい。(中略)

その逆が都会に住んでいるぼくの日常生活で見ている毎日の風景なのである。都市の文化生活というものは、たとえば今ぼくのまわり三、四メートルの空間を見まわしただけでも部屋、窓、机、額、本棚、階段、ドア、酒の瓶、鉢、テレビ、エアコン、パソコン、ペン、ノート、時計、ポット、電話機、灰皿・・・。その殆どが直線と直角と四角と三角と真円の組み合わせである。」(『同上書』147頁)

私は、これを拙著『生活環境のあり方について―一住環境学徒の視点から―』(「家政学研究」2004年3月号)に引用している。

実は、ぐにゃぐにゃの自然形のものをまとめるのが「四角」であろう。弁当の多様な多彩なおかずをまとめるのが四角い弁当箱、多彩な皿に載る料理をまとめるのが四角いお膳等々。

一方、四角四面を崩すのが「ぐにゃぐにゃ」形と言えよう。

まあ、それは違った形の組み合わせのあり方だが、同時に自然物と人工物の組み合わせ方でもある。形と材質(テクスチャー)は密接な関係を持っている。

憲法99条の文言で・・・

2013-06-16 | 時論、雑感
憲法99条は次のようになっている。「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

ここで、の一つの「うん?」と思うのは「摂政(せっしょう)」という言葉である。平安時代の、「摂関政治」ならいざ知らず、現代では一体、誰のことであろうか。

身体の運動の考察

2013-06-16 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
この話は、カテゴリーのうち「健康」に入るのかな。 今朝、いつものようにラジオ体操をした。「第一」も「第二」も各13の「動きユニット」で成っている。

これらは、全体として身体の動き(運動)の観点から色々な部分の色々な動きを取り入れていると言える。

しかし身体の様々な動きの可能性から言うと、まだまだ「未開発」な領域があると言えよう。まあ例えば「太極拳」には、ラジオ体操とはまた違う部分の違う動きが含まれる。

踊り、西洋バレーでは、又別の激しい動きが含まれている。体全体の骨や筋肉を隅々まで柔軟に動かせられるーというのが究極の姿かな。

まあ、だからこそ「ストレッチ」「パワーアップ」そして「エアロビックス」等を色々組み合わせて「身体運動」をするのである。ぼちぼちやっていこう。

ブログを反芻読む

2013-06-15 | SNS、地域SNS、ブログ
今日、一寸自分のブログに入って、過去記事を読みだしたら、次々と芋づる式になって止まらない。

カテゴリー別にそれぞれ「まとまり」が出来れば本などにしたい、と思っている。別の地域snsで「窓の話」を30編書いたり、facebookで「緑のエピソード」を39編書いたりしているので、それらも上手く「まとめたい」。

昨日夜のテレビ「団塊スタイル」では「自分史の効用」を色々やっていた。自分もやってみたいなーと思っている。

このブログも、カテゴリー別に読んでみると、まあ「まとまり」を感じるところもあって面白い。貝原益軒は、紀行文を書く意味として、旅を少なくとも二度反芻して楽しめることだ、と言っている。その伝で行くと、日記は少なくとも二度人生を味わうことだ、となるのかな。

まあ、テーマ別エッセイ、行き先別(年代別)紀行文(中国の西安行きは、一定まとまっている。韓国行き、ノルウエー行きなども何とかなる・・・)。自分史は、まず高3の18歳までの「金沢時代」を早く「まとめる」ことだなー。

マイブログの昨日閲覧ベスト20観察

2013-06-14 | SNS、地域SNS、ブログ
私は自分のブログの「アクセス解析」サービスを利用している。例として以下に昨日のアクセスベスト20をあげてみた。各記事の搭載年月日などの情報は省いた。

だから、もし興味ある記事がそこにあれば、検索機能を使ってアクセスしてください。大体、僕のブログを「お気に入り」に入れておいて、トップページから入って、
遡ってみておられる人が一番多い。昨日はトップページに60人がアクセスしている。実際のトップページの題は「がん検診のメリットとデメリット」だが、そこにのみアクセスしたのは24人で昨日は3位だった。

4位のアーカイブというのは、記事全体を表題と出だし一部で新しい記事から順に並べたもので「最新記事」の一番下「もっと見る」をクリックで「アーカイブ」にアプローチできる。ざっと見て興味ある記事をクリックし見ればよい。

6位の月別表示は、見たい年・月が分かれば、その年・月表示までさかのぼってクリックする。まあ今月にアプローチが一番多い。

これらの記事には実際始めた2005年から今年2013年まで含まれていて、時々、暇なときにゆっくり見ていただいているのかな、と思う。

ベスト・ロング・リーディングは2位の「フランク・ロイド・ライト作「カウフマン邸」」でいつでも20位に入っている感じがする。

参考にしてください。


1 トップページ                 60 PV
2 フランク・ロイド・ライト作「カウフマン邸」... 31 PV
3 「がん検診のメリット・デメリット」       24 PV
4 アーカイブ                 24 PV
5 奈良女子大の「改組」・2014年4月より概要     9 PV
6 月別表示                   7 PV
7 椎名 誠著『ぼくがいま、死について思うこ...    7 PV
8 『バカボンのパパと読む『老子』』に注目、...    5 PV
9 ミラボウ橋からの夜景                5 PV
10 増田一眞さんの「伝統工法=木構造」等の話...   5 PV
11 安藤忠雄設計の米子のリハビリ病院          5 PV
12 心における「先祖」の住処              5 PV
13 野菜の王様はブロッコリー、魚の王様は鮭・...     4 PV
14 奈良女子大・奈良散歩05年10月13日-2奉安殿      4 PV
15 パリ・アパルトマンの窓からの風景           4 PV
16 植物(特に樹木)の観察、考察             4 PV
17 安藤直人教授(東大)の実践と疑問ー液体ガ...      4 PV
18 吉村順三の「小さな森の家」               4 PV
19 伊勢河崎の西山保史さんの思い出             4 PV
20 コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)...       4 PV


「がん検診のメリット・デメリット」

2013-06-13 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
地元の精華町で色々検査をしつつあるが、その際、表題のようなビラをもらった。

今までなら、「メリット(利点)」のみ書いて宣伝するのに、今回初めて「デメリット(マイナス面)」も書いたものをもらった感じ。で、その「メリット」「デメリット」を二つづつ上げているが、それらを書いておこう。

メリット   〇早期発見、早期治療による救命の効果  〇がん以外の治療の必要な病気も発見できます。

デメリット  〇がん検診の結果・判定が100%正しいというわけではありません。  〇検査によって、身体に負担がかかってしまうことがあります。

だから、検査やらない人も増えているようだ。私も「デメリットの言い分」の方の肩を持ちたい。

たばこの害を言いつつ売りつけるのと、検査のデメリットを言いつつ「検査してー」というのはよく似ていないか。

椎名 誠著『ぼくがいま、死について思うこと』を読む

2013-06-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ここ数日、椎名 誠著『ぼくがいま、死について思うこと』(新潮社刊)を読んでいる。椎名さんは69歳で2~3歳「若い」。

ちょっとより多くの人に知らせたい椎名さんの言い分を引用したい。

「・・・社会からつまはじきされてしまった人たちの多くが「自死」の候補者である。いじめなどで行き場を塞がれ、自分で「死」を選ぶ子供があとをたたない。
国家はこの痛ましく気の毒な「異常行動」の連鎖に、現実的には無策である。
こうした異常現象に警鐘をならす役割である新聞やテレビなどの「言論機関」の意識もなにやらおかしい。
ひところ、いじめによる子供の自殺が連鎖的におきたことがあった。マスコミは連日そのことを伝え、大きな社会問題になった。

そのときヘンだな、と思ったのは、そういう事件を報道するマスコミのスタンスだった。
いじめで追い詰められた子供が遺書を書いて自殺する。その遺書を大きくとりあげる。結果的にその子供を自殺に追いやった友達などの追及をする。犯人探しだ。
マスコミの過剰報道は、いじめ加害者を特定し、結果的にその過剰報道が自殺した子供の仇をとるような展開になる。

それはまずい対応ではないのか、とその当時思った。そしてある週刊誌に四ページほど、当時ぼくの思うところを書かせてもらった。
「いじめなどで死ぬな」
というタイトルだったが、ぼくの意図したこととはちょっと違っていた。たしかにタイトルのとおりのことを書いていたのだが、マスコミがそのようにいじめの犯人割り出しをすることによって、自死を選んだ(選ぼうとする・・私注)子供は、結果的に復讐の方便を知ることになる。

遺書にコトの顛末を書いて死ねばマスコミが仇をとってくれる。そう考えたあげくの自殺の連鎖がおきているのだとしたら、この状態はどこか大きく間違っている―と思ったのだ。
自死を美化するような匂いがしていたからである。そうではなくて、影響力の大きなマスコミがきっぱり大きく叫ぶべきは、「子供は自死してはいけない。どんな理由があろうとも自死は許されない行為なんだ」ということではないのか。

それは本音ではなく、嘘でもハッタリでもいい。小さな子供の判断だけで、自分で自分を死なせてはいけない、ということをとにかく絶対的に第一義的に、安易な「自死」の選択は間違いである、ということを強く大きく唱えるべきなのだ。そのことのためにマスコミやその周辺の大人達は全力を尽くして叫ぶべきだ。

子供のまだ小さな頭脳やその経験で、自死という自分で自分の「生」のくぎりをつけるのはあまりにも幼稚な思考で、恥ずかしいことなんだ、という方向に考え方を誘導していくのが、国や学校、マスコミのやるべき方向ではないのか。

それと同時に、いじめで苦しんでいる子供に「いま君がいる世界は人生のなかのほんの瞬間のような「一時期」なのであって、しかも君のいる「いじめられている」世界はまったくちっぽけな”点”のような空間でしかなく、その周辺の四方八方にはもっともっと途方もなく大きな世界が広がっているんだよ!ということを知らせてあげる、という導きかたがあるのではないか。・・・」(180~182ページ)

「生きているだけで百点満点」という鈴木せい子さんの言葉もあるし:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1c7cea9046ef01006c5a2af21201dd45

私の「瞬・点の吾が宇宙を想う時 頭・心の広々とする」の言い方もありますよ。