西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

問診、聴診(五感診)、往診、そして高度診断

2012-05-31 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
東日本大震災の被災地、仮設住宅地では、お医者さん一人でもいいから常駐する診療所が求められている。それだけで住民に安心感をもたらす。

そこでは高度の診断機器は、普通ないし必要ないだろう。にもかかわらず「安心感」をもたらすのは、同じ人間、総合センサーとしてのお医者さんがいるからだ。

その医者は、診療所に入ってくる患者の様子を見、状況を聞き(問診)、聴診器をあてて内なる「声」を聞くのに対して、患者はホッとするのだ。

そして、場合によって仮設住宅に往診する。こういう人間的交流医療が、全体的に再度求められているのではないか。

勿論、色々な診断手段が開発されている。それは、「高度」故に「高い」、保険点数も高くなる。これらは、自覚ない予防段階で使われるならば、必ずしも「高く」はない。

既に進行している病気に適応するから「高く」なるのだ。それを否定しないが、使い方を考えるべきであろう。普通は「医は仁術」でやるべきだろう。

地震、雷、雹(ひょう)、竜巻、(洪水、土砂崩れ)など

2012-05-30 | 時論、雑感
ここ数年、地震、雷、雹(ひょう)、竜巻、洪水、土砂崩れなどによる災害が、日本列島各地で起こっている。

まあ「感じ」では、それらは、東日本でより多く起きているのではないか。東日本大震災以降、特に感じている。

で、私が、最近、首都圏など東日本に何となく近づきたくない「感覚的理由」である。

超高層、高層を抑え中層、低層の勧め

2012-05-29 | 地域居住学
私は、建築、住宅は特に日本においては、超高層、高層を抑えて中層、低層を勧めたいと言ってきている。過去、例えば2005年8月4日のブログには、次のように書いた。

中層、低層がベターな理由:(1)階段で歩いて上がれる範囲だ。それを歩いて上下するのは健康にも良い。階段の上がり下りで近所のコミュニティ形成も促進される。(2)子供も簡単に上がり下り出来、地表での遊びも保障される。(3)エレベーターの利用が少ないと省エネとなる。(4階でも高齢者・身障者用、病気等の特別時等に使うエレベーターは必要だろうが・・)(4)地表の状況を五感で察知できる。例えば、子供の顔や声がはっきり分かる。花の姿や香りがはっきり分かる。(5)仮にベランダから転落しても、住棟周りの状況にもよるが、普通は怪我はするが死なない。(高層からは死ぬ確率高い)(6)高層マンションは近所の町並み景観にそぐわない場合が殆どだ。(歴史的に人類が高層に住み出したのは、ここ1世紀位である)

で、ややオーバーかもしれないが、中層以下とは、何メートル、何階以下なのか、目安を述べてみたい。

○人類は、アフリカの「猿」時代には、高木、樹高30メートル位の所に棲息していた。

○地上に2本足で降りてからは、最近まで、大部分、1,2階の低層で過ごしてきた。

○高層、超高層になってきたのは、殆ど1世紀前くらいからで、その前は中層も出てきていた。

○現在も、中層は結構普及している。

その中層だが、やや単純かもしれないが、4本足の時代に30メートル位の高さにいたとすると、人間時代2本足で飛び降りた時に生き延びれるには、半分の15メートル位の高さ(最上階の床までなら12メートル位か)、まあ4~5階といったところだろうか。

1階(平屋)から4~5階までの高さの建物、住宅を主として今後の居住地構成を考えていきたい。

「小売店」の将来ーセルフサービスはどうなるかー

2012-05-27 | 地域居住学
昨日、「けいはんな市民雑学大学」で、アメリカでの19世紀以来の「小売業」の進展の話を聞いた。(中野 安・大阪市大名誉教授)三段階が認められる、という。

今、日本で、「百円ショップ(ダイソーなど)」が出来、発展しているが、第一の「革命」として、アメリカでは「variety-store(ヴァラエティストア、何でも屋)」として100年以上前に出来ていたのに・・・、何でもアメリカを「見習って」きた日本として何故、最近まで出来なかったのか?

こういう質問に対して中野さんは、日本では戦前から(まあ明治の頃より)「インフレ」傾向で、「安売り」は余り流行らなかった、まあデフレ傾向が続いて「百円ショップ」が「花盛り」となった、と説明。

第二に、大面積で何でも品揃え、セルフサービス、劇的低価格の「スーパー」は、結構早く日本でも発展してきた。(千林のダイエーなど)

そして第三に、「専門スーパーの時代」という。

で、「スーパー」で確立したセルフサービス(欲しい商品を選んで「籠」に入れ、レジで支払う)は、他の「百円ショップ」でも導入されている。

これについて、中野さんは、3月20日の「天声人語」(『朝日』)に載った作家・池澤夏樹さんの言葉を紹介された。とにかく売り手と買い手に「やりとり、会話」がない「買い物シーン」を「シーンとしている」と批判しているのだ。

これについて、中野さん自身の考えを、もう少し突っ込んで聞きたかったが、講義が長引いて私も「疲れて」公的に聞けなかったが、懇親会に行く途中「連れション」で聞いたのだが「まあ一部「復活するのでは」」とのことだった。

私も、スーパーに「コンシェルジュ」(総合案内係)を!と言っている位で、商品の売買を介する会話が大いに復活すればいいな、と思っている。どうでしょうか。

書斎の整理へ

2012-05-25 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
家の中の整理をしよう、と妻と話している。

私は、自分の書斎などに「散乱」する紙類、書類、資料、雑誌、本を整理して不要なものは「古紙回収」の時などに出すこと、まあ一寸は役立ちそうなものは一時保留、貰ってもらったり古本屋に出すことを担当だ。

妻は、衣類(下着、上着、ネクタイ等々)の不要な物を整理し出すことだ。

それら以外の大型「ゴミ」候補は二人でチェックする。

で、今日、私は書斎の段ボール二箱を整理、雑誌は殆ど「出すこと」にした。お陰で机の周りは空いてきて気持ちが良い。

大抵の雑誌で必要なものは、近所の「国会図書館関西館」「奈良女子大学図書館」「精華町図書館」などで見れると思っている。

生活環境学部「親和会」に行く

2012-05-24 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、「古巣」奈良女子大学生活環境学部の懇親組織「親和会」の春の集いに行った。
「卒業」教員では、僕以外、大先輩の近藤公夫さんが来ておられた。先生は、今83歳位だろうか。元気に乾杯の音頭を取られた。

この会は、12月にもあるのだが、僕は基本的に5月の会に行くことにしている。何故なら、その会には、辞めたばかりの先生方や4月に赴任された先生方が来られる可能性が高いからだ。そして、12月を遠慮しているのは、年度も押しつまり、彼我とも気ぜわしいからである。

昨日は、新大宮の「ボーノボーノ(buono buono美味しい美味しいとの意か)」というイタリア料理店で僕は初めてだ。

学部長、名誉教授、新任教員は、「上座席」で8人だ。今岡春樹学部長が挨拶、それによると、大学全体で「改組」のようで、生活環境学部の学生定員が他の文学部、理学部を凌いで一番多くなるようだ。今岡さんの手腕も問われるだろう。今岡さんは5人の新任教員の紹介もされた。(順不同)三成美保(教授・生活文化、ジェンダー史等)、橋本朋子(助教・衣環境、衣材料)、熊代千鶴恵(特任准教授・食物栄養、管理栄養士コース担当)、滝沢祥恵(助教・食物栄養、管理栄養士)、瀧野敦夫(講師・住環境)である。

僕の座ったテーブルは、4人テーブルで、今岡学部長、僕のほか、三成さん、橋本さんが座った。今岡さんとは前から良く知っており、僕の「洒落、駄洒落」にも免疫を有しているが、他の三成さん、橋本さんは初めてなので、僕は、その席で「ウオーミングアップ」をした。この4人での話:今日は「僕中心」、洒落の話、詳細日記の話など。・形、色、肌ざわり、・○、□、△、○の繰り返し、・緑(水、大地、空気、星、)、・素人、玄人、グレイト、・取っ手を取ってもとっても良い、・Electricity,Velocity,・・・

お陰で、後でのスピーチでは、地域人間、基礎的生活力、健康第一の話をしたのだが、後で「久し振りに西村節を聞いた」と何人かに言っていただいた。

奈良女との「付き合い」は、年一回の「これ」、同じく年一回8月に行われる「卒後30周年同窓会」が主なもの、後は「地域居住懇話会」(不定期)、「露天風呂の会」(開いたり開かなかったり)がある。

まあ、奈良女と関係がないとはいえないが、奈良教育大学に非常勤で行っていた縁での原則月一回の「自主ゼミ」も楽しみだ。

スカイツリー考

2012-05-22 | 時論、雑感
今日、東京の墨田区で世界一の塔「スカイツリー」がオープンとなった。高さは634m(むさし、武蔵に通じる)という。高さ350mに「(展望ならぬ)天望デッキ」、更に上の450mに「天望回廊」という二つの「展望台」があるようだ。まあ「高すぎる」ので下界を展望するというより雲が出ると下界は見えず、仕方なく上界の天を仰ぎ見るということか。

私は、元々「超高層建造物」に懐疑的だし、このごろ頻繁に地震が起こるようになってなおさら懐疑的になっている。今日も一寸風が強く吹いてエレベータが止まったようだ。「やはり」と思ってしまう。

これで直下型地震や長周期の巨大地震が起こったらどうなるだろうか。身震いが起こる。

その上、スカイツリーで「浮かれた」風景は、東日本大震災の被災者には、どう映るだろうか。

遠きより「高みの見物」ならぬ「低みからの見物」に徹したい。

Kさんと「計算」外の会話ー奈良女にてー

2012-05-21 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、7月の「けいはんな市民雑学大学」を重要文化財の奈良女子大学記念館でやるべく、色々相談に「奈良女」に行った。一応、話がついて、帰ろうとしたらバッタリKさんに会って「計算」外の会話を楽しんだ。

まあ話題は色々あったが、農業をやっている、という話が良かった。彼はバリバリの自然科学者だが、昔から農業志向なので「面白い」のである。

彼は、今、加茂町(木津川市内)で畑を借りて苺やキュウリなどを作っているようだ。
こだわりでアメリカ押しつけの1年限りのF1の種を忌避して多年種を埼玉から買って栽培している、という。「偉い!」と思う。

現在、田舎では「爺さん婆さん」農業で次世代どうなるか「大変」とのことだ。まあ、他に「野菜工場」のこと、その他色々のこと話した。

もうすぐ来年3月に「退職」なので、その後の去就を見守り、出来れば「けいはんな市民雑学大学」に誘いたい。

児童学・岡野雅子さんとの対話

2012-05-19 | 地域居住学
この5月12日(土)日本家政学会第64回大会の懇親会で日本家政学会賞(論文賞)を受けた岡野雅子さん東京福祉大学、前・信州大学、お茶の水女子大家政学研究科出身、児童学、群馬県民、5歳ほど年下)と駄弁った。

岡野さんが言うには、昔、家政学会大会で、私に話しかけて「実は、国土交通省の「道路関係」の審議会の委員(群馬県民、女性識者)になって欲しいと頼まれているが、道路の専門家でもないし、どうしたものでしょう?」と聞いたようだ。

私は全く覚えていない。ところが岡野さんは私が言った言葉を明瞭に覚えていて、「是非やりなさい。生活者の立場で道路にもの言うのは大事です。あの歩道橋を考えてみると、馬力のない子供、年寄り、妊婦などが上がったり下りたりして馬力の大きな自動車はまっすぐスイスイ行くのはおかしい。人間が水平に歩いて自動車が上下するのが当然だから、そういう視点で大いに発言してほしい。」と言ったようだ。

その主張は私のものなので覚えているが岡野さんに言ったのは忘れている。

で、今回、岡野さんは児童学で学会賞をもらったので、思いついて次のように言ってみた。「児童は、親(お母さん)からより広く遠くに行動展開する存在だが、同時に高齢者は職場人間から地域人間になって居住地近くが行動領域になる。つまり児童、子供達と高齢者は生活空間が一致してくる。だから、地域孫と地域祖父母の交流の時代なのではないか」と。

まあ、岡野さんにも賛成してもらえたと思っている。

日本科学者会議奈良支部総会、講演会、懇親会より

2012-05-18 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、年一回の「日本科学者会議奈良支部総会、講演会、懇親会」があった。

今、会員は30名ほど、昨日は11名が集まったので良い方だ。奈良女子大で講演会(溝川悠介・大阪府立大名誉教授・生駒在住の「原発と放射能」)、総会のあと、大学の近所のスペイン料理店で懇親会があった。

「自己紹介」では、私は「7年前に奈良女を定年退職、まあ住居や地域の計画が専攻だったが、職場人間から地域人間に転換、けいはんな市民雑学大学に力を入れている。月一回、皆さんの協力、参加も期待している。」と話した。

参加者の中で、「原子力発電のやり方が結局、高圧蒸気でタービンをまわして発電っていうのに驚いた」という素朴な驚きがあった。普通の市民も、案外そのあたりが分かっていないのでは・・・、という感想もあった。実は、その「上流」の原子炉格納容器、建屋に色々問題があって、今もって福島の1号炉などに近づけない状況が大問題、野田首相の「冷温停止→事故収束」なんては全くの「虚偽」ということだ。

日本科学者会議は、科学(技術)に、社会構造の中でのきちんとした位置づけを求める科学技術者の社会運動的組織ではあるが、同時に異分野の専門家が同じ土俵をつくって議論しあうところにも意味、楽しさがあると思う。

本当は若い人たちにその楽しさを伝えたいのだが、「若い方々」の方では、中々自由で総合的な考えを受け入れる余地が少ない。何とかしたいね。

一方、高齢者は、自由に何でも考え、研究していいのだが、どうも「頭が固くなっている」ところもある。

共生(きょうせい)、共生き、共生み(『古事記』より)

2012-05-16 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
今日、『毎日新聞』で古代史の上田正昭さん(京大名誉教授)が、共生(きょうせい)という言葉は和風には「共生き(ともいき)」または「共生み(ともうみ)」と読まれるが、今年が編纂1300年の『古事記』では、後者の「ともうみ」と読まれているようだ。

「共生き」と「共生み」の違いは、前者は「一緒に生きる」ということであり、後者は「一緒に新しいものを生む」ということである。

そうだな、一緒に生きながら一緒に「変身する」ってのがいいのだな。

硬い頭と柔軟な頭ー既存の体系と新たな刺激ー

2012-05-13 | 思いつきから仮説へ
4月の「けいはんな市民大学」は、テーマが「脳と記憶の不思議」だった。70人もの参加で大盛況だった。

で、今日、その「大学」の運営委員会があり、それが一寸話題となった。

また、私が講演すべきだったが妻の病気のためできなかった3月のテーマについて少し喋ってみた。

誰でも、まあ50歳を越える段階では、脳に一定の個人的な知的体系が出来上がっており、外から新しい情報が刺激として入ってきても、その対応には、硬軟両様がある、と。

「硬い」場合:自己の体系を少しも崩さず、そとからの情報、知識は頑として受け付けない。

「柔軟な場合」:自己の当該部分に新しい情報、知識を導入して自己体系を充実発展させる。

それらの中間に、興味深い情報、知識であるが、もう一つ確信が持てず留保する場合がある。この場合は、将来さらに新しい情報、知識を参照することになる。

この外からやってくる新しい情報、知識を得る一つの場が「市民雑学大学」である。


日本家政学会功労賞受賞にあたり

2012-05-13 | 教育論・研究論
昨日、大阪市大で行われた第64回一般社団法人日本家政学会大会において、私は「日本家政学会功労賞を受けた。

まあ1974年に奈良女子大学に勤務して以来、日本家政学会に所属し、研究発表をするとともに、特に教授になって50歳を過ぎる頃から「住居学部会」の部会長をやり、関西支部の庶務幹事、支部長(本部理事)、本部副会長、監事をやったことに対するものであろう。

支部長以来10年にわたり本部役員をした勘定になる。特に思い出すのは副会長、監事の時の2004年8月1日~7日に京都の国際会館で行われたIFHE(国際家政学会)の大会の現地実行委員長を務め、英語の挨拶を何回か苦労してやったことである。

また1995年に阪神淡路大震災調査研究委員会の副委員長を務め「報告書」をまとめ、継続してグループで科研費に応募して研究を続けたことである。

今回、東日本大震災にあたっても家政学会本部で態勢を整え、現地へ入り色々協力していることが分かった。シンポジュウムで現地の市長さんや現地に入っているボランティアの人たちから家政学会への期待も寄せられた。特に、限られた食材でも栄養バランスを考えた料理づくりの出来る「料理教室」展開などが期待されている。他の分野でも取り組むべき課題は無数と思う。

阪神淡路大震災の時の調査研究中心から、今回は同時に現地で役立つ実践へ踏み出しているのは、歴史的前進と思う。食物に限らず生活全般の復旧、前進をどう図るか、総合的に取り組む要があるだろう。

今後とも、可能な限り日本家政学会の「応援団」を務めたい。

参加者の知り合いから「おめでとう」と声をかけられ、昔の「教え子」らから花のアレンジメントを貰った。皆さんの協力・支持のおかげですよ。皆さん、本当にありがとう。

「梅ちゃん先生」より

2012-05-10 | 時論、雑感
最近、朝ドラ「梅ちゃん先生」を見ている。医療には関心があるので、結構毎日のように見ている。今日は、中央医科大学の歳をくった男子医学生が梅子に頼んで梅子の父親(帝都大学教授)に会いに来る。「医学談義」のため、結核に対するペニシリンやストレプトマイシンの効果などを話し合っている。

ここで、その男子医学生(彼は将来、梅子と関わりあうことになる)は、自ら結核で3年間入院し、患者として医者に接した感想を言う。

それで、私の耳に留まったのは、「医者が患者に「反感」を買う言葉は50ほどあるのに気付いた」というところ、具体的に言っていないが、戦後すぐの歴史的状況で、大変興味ある言い方だった。

鯉幟(こいのぼり)の思い出

2012-05-05 | 金沢の思い出
今日は子供の日(端午の節句)で、鯉幟(こいのぼり)が空に元気に泳ぐ日である。

で、僕の金沢の子供時代(昭和20年代)を思い出してみると、僕の住んでいた町内(金沢市櫻畠三番丁)では、鯉幟を「泳がせて」いたのは、僕の家だけではなかったか。

まあ僕の家が「裕福度」で、その町内で一二番だったためである。そして、西村家の男の子は僕だけだったので、その鯉幟は「僕用」だったと言ってよい。

玄関の向かって左側(大略東側)の前庭に鯉幟の竿が立てられていた。4月の終り頃に鯉幟が空に泳ぎ始め、5月一杯、6月頃まで泳いでいたのではなかろうか。吹き流し、お父さん、お母さん、子供達が揃っていたと思う。

確かに、屋根より高ーい鯉幟だった。