西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

団塊の素顔-NHKテレビより-

2007-01-08 | 時論、雑感
今夕、NHKTVで19時半から20時45分まで「団塊の素顔」をやっていた。アナウンサーの上田早苗さん(団塊ジュニア)と落語家の桂 文珍さん(団塊の世代)が司会だ。団塊の世代1000人に五つの質問。(1)今までの生活を漢字一字で書くと何か。楽、忍、幸の順だ。他に学、波、平、戦、微等が上がっている。(2)何歳まで働きたいか。65歳が最も多い、次は70歳までだ。平均66.3歳までだ。働かざるをえない人も多いようだ。退職金がない(なかった)人が30.2%だ。サラリーマンでも16%と言う。関連で団塊の世代(1947年~1949年生れ800万人)で「世の中に今後も貢献できる」と思っている人は84%、「できない」と言う人16%だ。(3)これまでの家庭生活の満足度。平均75.5%の満足だ。男女に差がないのは「驚き」だ。(4)今のマナーやモラル低下に責任ありや。ある52%、ない48%でやや「あり」が多い。
ここで思ったのは、若い世代には、しっかり言いたいことを言って(伝達して)、一方、健康でコロッと亡くなることを目指すこと、が良いということだ。何故なら、物言わぬは腹膨るるわざ、だし、一方、文句を言う限り健康保険や年金に関して次世代への負担を出来る限り少なくする必要があるからだ。最後の(5)今後の生きがいは見つかっているか。見つかっている60%、見つかっていない40%だ。サラリーマンと非サラリーマン、男性と女性を比較すると、前者で見つかっていない人が多い。まあ、特に男性には今後「地域デビュー(居住地デビュー)」、「家事デビュー」が必要だろう。

歴史的には日本海は日本海では・・

2007-01-08 | 言語・字・言語遊戯
時事通信は本日次のニュースを配信した。「韓国の盧武鉉大統領が昨年11月にハノイで行われた安倍晋三首相との会談で、日本海を「平和の海」と改名するよう申し入れていたことが8日、明らかになった。日本政府関係者が明らかにした。安倍首相は盧大統領の提案を即座に拒否した。」当然であろう。「ウィキペディア(Wikipedia)」によると、中国語では、(日本海)(リーベンハイ)。 ロシア語では、ヤポーンスコーエ モーリエ (Японское Море / 「日本海」の意) ただGoogleが公開している、「Google Earth」というプログラムでは、日本海では元々「Sea of Japan(East Sea)」と表現していたものを韓国側の要請により突然(昨年)8月18日に「East Sea(Sea of Japan)」とした。日本側からの非難により、結局、朝鮮半島側を「East Sea」とし日本側の海を「Sea of Japan」とすることで決着した。・・・
私は、それこそ日本海に「面する」金沢市で生まれ育ったので子供の頃から日本海で海水浴し、日本海に沈む夕日に「ロマン」を感じてきた。韓国は、東シナ海を「南海」、黄海を「西海」と自国では称しているが国際的に中国に抗議している形跡は認められない。日本にだけ「抗議」するのはおかしい。
日本で、ある時期から山陽、山陰という言い方は、陰陽と「差別」が感じられるからと「瀬戸内海側」「日本海側」となった。
とにかく、日本国内だけでなく、国際的にも、日本海は日本海ではなかろうか。
(図は、国土地理院承認で富山県発行の環日本海諸国図)

『憲法九条を世界遺産に』を読む

2007-01-08 | 生活描写と読書・観劇等の文化
三連休の最後に何を読むか、机の上の「積んどく」の中から選んだのが太田 光・中沢新一著『憲法九条を世界遺産に』であった。集英社新書で薄く読みやすそうなこともある、一寸話題になっていることもある、今年は憲法にとって正念場になりそうなことも頭をよぎった。この書名の言い方は、「爆笑問題」の太田 光(おおた・ひかり)さんが発明したものだ。中々「光」を放っている。世界遺産は、放っておけば破壊されるので世界全体で保存していこうというものだ。本は二人の対談が中心だが、中沢さんが色んな本を読んでいることは当然として、太田さんがこんなに勉強家とは知らなかった。序章の宮澤賢治の解釈について、不勉強で知らなかったこと(田中智学や石原莞爾達の思想に傾倒していったことなど)もあるが「ほー」と思った。太田さんの仏教も御釈迦さんの教えが全てではなく、中国、朝鮮を通って日本に来て日本人が練り上げたもの(色んな人々の合作)が凄いように、あの時点を除けば恐らく出来ないようなアメリカと日本のいわば合作の日本国憲法、その九条は、日本だけで創るものより素晴らしく60年も生きてきたではないか・・、といった言い方も心に残った。何故なら「あれはアメリカに押し付けられたから改正すべし」論が横行しているからである。
過去の私の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ed4c0e06b091349497d947cabefb363e

生きる作法、死ぬ作法(山折哲雄講演より)

2007-01-08 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夕べ、ラジオ「講演会」で宗教学者の山折哲雄さん(東北大出身、国際日本文化研究センター長歴任、75歳)の「生きる作法、死ぬ作法」を聞いた。まあ宗教学者らしいテーマだ。色々と含蓄のある話だった。
・山折さんは、60歳代までは同級会に行かなかったが70歳代になって行くようになった。皆の話を聞いていると、「老・病・死」に関する話で盛り上がり、「生前葬」の趣である、と言う。
・信長の時代からごく最近まで「人生50年」だったのが、ここ数十年で、寿命が20~30年延びた。老・病・死がゆっくりやってくるが、その時期における「生きる作法、死ぬ作法」のモデルがない。だから全体的に「ウツ状態」になっているのでは・・、と言う。(思い当たるところがある)
・「抗ウツ」の「生きる作法、死ぬ作法」の(山折さんの)仮説を三点述べられ、説明された。(1)歩くこと。山折さんは最近は京都の下京区に住み、朝は作務衣を着て下駄で散歩する。そこで、道元禅師御入滅碑と親鸞上人御入滅碑を発見、散歩の喜びである。(私は「人も歩けば情報に当たる」と言っている。)で、御釈迦さんはどれ位歩いたのだろうと山折さんは考えた。片道500kmを2往復していて2000kmとなる。イエス・キリストは、ナザレからガラリア湖、ヨルダン川沿いに南下、エルサレムまで150kmは歩いた。道元や親鸞は1500kmという。(そういえば、古人で長距離歩いた人が頭に浮かぶ。西行や芭蕉などである。最近では司馬遼太郎か。『街道を行く』)
話の途中で、富士山の素晴らしさや北斎・広重の「逆遠近法」、山岳信仰の話が入る。道元や親鸞の書き物には、しかし、道中に富士山を眺めたであろうに何も書かれていない。これは、何故であろうか、と問われつつ「答え」がなかった。(2)座ること(座禅)。永平寺での修行。ピンと背中が伸びた座り方、精神の明浄性の確保。サンフランシスコの禅センターでもパリに10ヶ所もある禅道場でも日本式でやっていたらしい。最近、家庭でちゃんと座る作法(座禅に限らず)が教えられているのだろうか、と問われる。(立ち居振る舞い(礼法)は確立していない、と言えるだろう)余談で、うるさい学生達を静かにさせるのに、背中を伸ばしてきちんとすわらせ、瞑想させる、と言う方法を試したことがあり、上手くいったと言う。座禅した後で飲む茶は誠に美味しいとのことだ。やってみようかな。(3)断食。宗教家の往生には断食はつきもののようだ。(死ぬ1週間位まえから「予測」して断食に入るのであろうか・・) 山折さんの「最後」の理想は、西行の「願わくは花の下にて春死なんその如月のもちづきの頃」であるという。

歩くことは、まちづくりからも前から私も推奨している。まち自体が「歩いて回れる町」であることと、町の研究でもゲデスやマンフォードのように歩いて現地主義で研究すること、である。釈迦なども単に歩いたのではなく、途中で説教し、瞑想したに違いない。歩く途中の人々とのつながり、環境とつながり(富士山に心を洗われる・・)も大切だろう。