西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

作品論、作家論から読者論へ・・・対象に対して観衆、聴衆、そして五感衆

2014-06-11 | 色々な仮説や疑問
最近、外山滋比古さん(お茶の水女子大名誉教授)の『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)を「乱読」した。なかなか面白かった。90歳を過ぎても意気盛んで良い。

外山さんの別の本で、英文学者さらにいうと文学者として、今までのように作品論、作家論をやっていればいいかと言うと、そうではなく読者論が必要ではないか、それを加えてこそ普遍的な事として(世界に通用する)文学論が成り立つのでは、と論じている。そうだな、と思う。

まあ芸術やスポーツ、学術といった対象に対して、「作品」と「作家」の他に「観衆」「聴衆」などがいる。未だ練れていない言葉だが、「味衆」「嗅衆」「触衆」などがいて、それぞれに「論」が成り立つかもしれない。それらの「衆」をまとめて言えば「五感衆」となるであろうか。

ユマニチュード:見る、話す、触れる、立つ

2014-02-06 | 色々な仮説や疑問
認知症に優しく対応する一つのやり方にフランス発の「ユマニチュード」という方法があり、患者に対するに「見る、話す、触れるそして立つ」の四つの実践がある。昨日「クローズアップ現代」でやっていた。

この四つの人間活動は、全て人間らしい活動だ。

見る:患者を上から見下ろす目線ではなく、患者の視線高より低く、患者の目を見る。アイコンタクトは五感の中で最高の情報量を持つと言われている。
話す:人間らしいコミュニケーションだ。
触れる:スキンシップである。五感の中で最も原始的根源的接し方、触覚のセンサーのみ全身に分布している。「手当て」という言葉は元々実際に「手を当てる」ことだったと言う。
立つ:他の哺乳類のように四本足から二本足で立つようになって「人間」となった。

予防の上からも、これらの四つは毎日実践、反省、反復していこう。

STAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞に刺激されての「キーワード」=弱い刺激、ストレス環境

2014-02-02 | 色々な仮説や疑問
ここ数日間、私の頭にあったのは、STAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞とiPS細胞(人工多能性幹細胞)を統一的に理解するにはどうしたらよいか、という問題であった。

何だか、iPS細胞よりSTAP細胞の方が、早く効率的に作成され、癌化の恐れも少ないなどということがマスコミで流され、いかにもSTAP細胞の方が良いみたいな論調だったからである。

まあ、STAP細胞が出来ることが特に人間では未だ実証されていないことなどをおいても、将来は「有望」と見做されたようだった。可能性からは、そう言えるかもしれない。

しかし、iPS細胞での4つの遺伝子を挿入することも、考えようによっては「弱い刺激」に当たるかもしれず、STAP細胞では、普通の細胞から変わっているのだから遺伝子のありようも変わっている。そうならば、両者とも「同じ土俵」で考えられるのではないか。

この弱い刺激、弱いストレス環境という考え方は、もう少し汎用性があるのではないか。まあ、人間の成体レベルでのことだが、弱い刺激、ストレス環境が健康状態の維持に役立っていることもあるのではないか。感染症予防のワクチンなども人体に対する「弱い菌」による免疫性の獲得に通じている。乳児・幼児の時に「泥んこ遊び」などをすればあるアレルギーに強くなるとも言われている。

どの程度まで弱い刺激、ストレスならプラスになるのか個々人の「抵抗力」形成に左右されるだろう。抗うつストレスなどというものはあるのであろうか・・・。

一寸、「それた」かもしれないが、もう少し考えていきたい。

STAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞への期待

2014-01-30 | 色々な仮説や疑問
今朝の『朝日新聞』によると、理化学研究所(神戸)の小保方晴子ユニットリーダー(30)が「生後1週間のマウスの脾臓からとってきた白血球の一種のリンパ球を弱酸性液に25分浸し、その後に培養、数日後に万能細胞に特有のたんぱく質を持った細胞が出来た」と昨日、マスコミに向け発表した。操作した状況から、出来た細胞をSTAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞となずけた。「ネイチャー電子版」トップ記事にもなったようだ。

万能細胞の一つ「iPS細胞」(山中伸弥・京大教授のグループ)は、4つの遺伝子を入れて人工的につくったものだが、今回のは、自然の細胞が人間が与えたストレスある環境条件の下で自発的に「初期化」して万能細胞になったものである。今まで植物の人参などでは環境条件を変えることで「初期化」することがあるのは知られていたが、動物では絶対起きないと考えられていた。

弱酸性の液に浸すほかに、「細いガラス管を通す」「毒素で処理する」でもSTAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞が出来たと言う。最も効率よく出来たのは、弱酸性の液に浸す方法だったようだ。

以下、素人考えだが、普通、上のようなストレス環境下では、細胞は死滅する、と考えられるのではないか。それが、生き延びて万能細胞になった、ということは、生物の生命力の「強さ」を示しているのではないか。今後、「なぜ、一定のストレス環境条件下で”細胞が「初期化」するのか”」そのメカニズムを明らかにしてほしいと思う。


「成長」から「成熟」へー必然的転換が必要では・・・-

2013-07-24 | 色々な仮説や疑問
安倍さんのアベノミクス3本の矢の3本目「成長戦略」の矢について、未だ具体的に「放たれていない」ので、政府・与党がどういう風に打ち出すのか、監視していきたい。

まあ、この矢について、民主党のように副作用が大きいとか、あるいは共産党のように「それらは国民の側から見ると大企業本位の毒矢だ」とかの批判もある。

私自身は、世界の趨勢(全体として人口増、各種資源の枯渇、地球環境の悪化など)からみて、経済の「成長戦略」よりも全体の人口を抑制しつつ、生産や分配も全体として抑制、平等化して全体として生き延びていく「成熟戦略」を世界的につくって実行する方向に転換する必要があると、直感的に考えている。

昔の素朴な「共産主義」のイメージ、「無限の生産力」と「平等の分配」は、しっかり修正されねばなるまい。資源も環境も無限ではないのであるから・・・。

全てにおいて「流れ」良く・・・

2013-07-02 | 色々な仮説や疑問
川も流れよく流れていてこそ川である。淀むのはまずい。人体における血液でもそうであるし、リンパ液だってそうだろう。神経における「情報の伝達」だってそうに違いない。東洋医学で言う「経絡」(けいらく)の流れもそうではないか。「気が滞らない」とするのも以上の線に沿っている。

マッサージは、これらが淀まないように「流れ」良くする物理的一手段だろう。まあ、他人にやってもらうマッサージもあるが、自分でやれる範囲でやるマッサージもある。

色々と学んでいきたい。

晴れた日と雨の日の気分

2013-06-20 | 色々な仮説や疑問
ようやく梅雨らしくなってきた。まあザアザア降りで本来の梅雨らしさがないが・・・。

でマイブログで「雨の日」で検索すると、これら:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%B1%AB%A4%CE%C6%FC

晴れた日の方が気分がいいのは何故か(再考)。まあ強烈な太陽光は避けねばならないが、普通には晴れていると、体に水がつかずに良い。勿論、水としての雨も大事だが、晴れていると植物が生育する。食べ物が出来るのでうれしい。動物(家畜)も雨の日より取扱いしやすい。

まあ気候、天候で気分や体調が変わるのも事実で、どうしてそうなるのか、考えていきたい。

過密大都市の脅威の予測

2013-06-17 | 色々な仮説や疑問
今までは東京、大阪などの過密大都市は、大気汚染、ヒートアイランド(熱島)現象などの「脅威」が言われたが、むしろプラス面(文化享受、先進的医療や福祉)が言われ、例えば定年後は田舎の戸建て住宅へ、よりも大都市のマンションへと思われてきた。

しかし、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経て、特に関西、東海地方では、東海、東南海そして南海大震災対応や、又首都直下型大震災対応が必要で、東京、大阪、名古屋などはマイナス面が目立ってくる。高層、超高層建築は大丈夫だろうか。帰宅難民は無事郊外へ帰宅出来るだろうか。

高層、超高層の過密大都市は、大震災の災害の他、密集していることから「インフルエンザ」がまたたく間に蔓延する危険がある。 『動的平衡』の著者・福岡 伸さんが、その本で言っている。また、 『沈まぬ太陽』のモデル・小倉寛太郎さんは「大都市では、エレベーターや通勤・通学電車で男女が体をくっつけざるをえない状況に対応するため、くっつく異性を物体とでも考えないと気が狂う」というように言っている。

つまり過密の大都市は、いずれ自然現象、人為的現象から崩壊するのではないか。まあ「人間圏域」は今後5億年では必然的に消滅する、と地球惑星物理学の松井孝典さん(東大)が言っている。  ま、そこまで視野を広げれば、仕方ないな、と思う。  当面は、中都市、小都市、田舎に回帰することが緊要だ。

自然の「逆襲」ー中欧の大洪水などー

2013-06-08 | 色々な仮説や疑問
ニュースによると、中欧で大洪水が起こっているようだ。 いつもと違う気象変動によっているらしい。それも北極圏やその近くの気温が長期的に上がり気味であることによっているらしい。それは、地球上の人間活動によっている。

ニュース:http://t.topics.jp.msn.com/t/news/international/%e4%b8%ad%e6%ac%a7%e3%81%ae%e5%a4%a7%e6%b4%aa%e6%b0%b4%e3%80%81%e6%b8%a9%e6%9a%96%e5%8c%96%e3%81%a8%e5%9c%9f%e5%9c%b0%e5%88%a9%e7%94%a8%e3%81%8c%e8%83%8c%e6%99%af%e3%81%ab

日本でも、「氾濫原(遊水地)」のようなバッファ(緩衝空間)が必要なのに、都市化、住宅地化している。人口も密集化だ。東京がその極致である。

東京での大洪水、大地震のことを想像すると「身の毛もよだつ」!! 「自然の逆襲」は近いのか、それまでに分散化が絶対に必要だ。

病の起源(テレビより学習)ー癌その他ー

2013-05-21 | 色々な仮説や疑問
テレビで「病の起源」を見た。まあ「進化医学」というか、人間が進化して現在に至る過程で、環境に適応して「うまく」いっても逆に病気の原因をもつくってしまう、という物語である。節目節目での変化(進化)なかなか面白い。

人類(ホモ・サピエンス)は700万年ほど前、アフリカで生まれた。同じころ別れたチンパンジーと人類は遺伝子が99%同じだが、人間が2本足で立ったということより色々と違いが生まれた。で、チンパンジーでは癌になるのは2%だが人間は30%という。チンパンジーでは、「発情期」が決まっていて、その時はメスのお尻の穴付近が「赤く」なってサインを出す。

しかし、人間の場合は、2本足で立った結果、オス・メス分業になり、メスが子供の世話をするが、オスは遠くまで狩りに行って多くの食料を持ち帰る。メスの「発情サイン」が消えてしまった。いつでもオーケーになった。(と言っても妊娠可能は月一ではあるが・・・)対応してオスの精子生産能力も(栄養の改善もあるだろうが)格段に上がった。

多細胞動物としての人間の細胞分裂も活発になり、遺伝子による細胞コピーも増えるが、コピーミスの可能性も増えて癌細胞の発生も増えたのだ・・・(と「解釈」したが・・・)

また2本足で立ったことは、別に多くの人の腰痛の原因にもなっている。(私は幸いにも現在のところ目立った腰痛はない。)近いところ(1万3千年前)では農耕が始まって前かがみの(長時間の無理な)労働も増え、体に無理がかかっている。

更に産業革命以後、夜間でも働く場合があるという労働形態となり、太陽の運行とずれた生活習慣が広まり、病気の基盤条件になっているのではないか。必要なメラトニンやビタミンⅮが太陽に当たらないと作られない。人類がアフリカにいた時代には、たっぷり太陽に当たって、それらの必要物は作られていたが・・・、勿論、太陽に当たり過ぎると皮膚がんの原因にもなるのであんばいが難しい・・・。

(ちょっとうろ覚えの個所あり。再放送見て修正したい。こう考えると「生活習慣病」という言い方は、正鵠を得ているのかな。)

元気な高齢者(年金生活者)の役割

2013-05-20 | 色々な仮説や疑問
昨日、梶浦恒男さん達との会食の会では、久しぶりにワイワイ駄弁ったが、そのうち私が最近思っている「元気な高齢者」(今のところ私もそこに入るかな・・)の役割論についてメモっておこう。昨日喋ったことの反芻・増補である。

まあ家族関係における役割と社会的役割(大体は地域的役割)に別れるかな。

家族関係における役割・・・個人的、家族的生活がスムーズに進むように生活のスタイルを変えること。基礎的生活力をつける→炊事、洗濯、掃除、育児・介護、おしゃれ、買い物、近所づきあい・・・ほぼ進んでいる。 自分の身の回りをキチンと整理しておくこと・・・ほとんどやれていない。

社会的役割(地域的役割)・・・元気ボランティア→私の現在・・・「けいはんな市民雑学大学(社会教育)」、出来れば「老々介護(福祉)→そのうち、こちらがやってもらうことあり、高齢者の順繰り取り組み、年齢が近いので相手の様子がわかる・・」」「地域孫に対する地域祖父(遊び、教育)」・・・これらはほとんどやれていない。

「老々介護」については、1982年~1983年ころにロンドンで先輩の三宅 醇さん(豊橋技科大名誉教授)と駄弁ったとき以来の思いである。(その後、少し関連ある西ドイツ事情として、当時の兵役免除の条件として、1)ベルリンに住んでいる、2)医学に取り組んでいる(医者、医者の卵である)に加えて2)高齢者介護に一定期間取り組むこと、というのを聞いたことがある。現在はどうなのだろうか。)

全方位外交へ

2013-01-07 | 色々な仮説や疑問
あけましておめでとうございます。ご無沙汰でした。当分「時々更新」で、宜しくねがいます。shimizさんにも心配かけました。(で、一寸思うんだけど、ブログの書き手がいなくなった場合、残されたブログはどうなるのでしょうか・・・)

まあ「正月気分」も「おわり」だが、一寸前に「トップ(上位職位)になった積りの思考シュミレーションの“楽しみ”を!」のようなことを言ったが、(総理大臣、外務大臣になった積りで・・・)「全方位外交」努力を提起したい。僕のブログで「全方位」を検索すると次:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%C1%B4%CA%FD%B0%CC

少し前、NHKTVで「2013世界とどう向き合うか」という討論番組をやっていた。司会は柳澤解説委員長、まあ僕はチラチラと見たに過ぎないが、元外交官の岡林一夫さん、孫崎 享さんの発言に注目、同じ外務省経験者でも全く違う発想だな、と思った。

岡林さんは、「日米同盟」べったり派、孫崎さんは少し違っていた。
ASEANの最近の状況を評価し注目していた。まあASEANの前に歴史的にはEUがあるのだが・・・。

ASEAN加盟国はこちら:http://www.asean.or.jp/ja/asean/know/country/

で、孫崎さんの特徴分析と評価によると、

「フィリッピンのようなキリスト教者の多い国、インドネシアのようなイスラム教者の多い国、タイのような仏教国などが混じっているが、思想の違いを国家間の対立要因にせず、しかも紛争はあくまで話し合いで解決するという姿勢が良い。日本も東アジアの日本、韓国、中国、台湾をそのような視点でまとめることが出来ないか」と。

一寸、僕流に補足すると、
・ASEANの中にはベトナムのような「社会主義」を標榜する国もある。これも「思想の違い」を乗り越える例となる。

・これらの上に更にアメリカやロシアも視野に入れて、(例えば、アメリカか中国かといったことではなく、アメリカも中国も、である)全方位外交を(憲法9条も活かして)平和的に展開する のが日本のヴィジョンになりうるのでは・・・、と思った。

平野啓一郎著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読む

2012-11-21 | 色々な仮説や疑問
先だってのブログにも書いたが、今日、平野啓一郎著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書2172、2012年11月20日第一刷発行)をざっと読んだ。大いなる刺激を受けた。個人(individual-不可分)から分人(ぶんじんdividual-可分)へ、との「パラダイム転換」を提案している。皆さんも是非一読の上、ご感想を伺いたい。

平野啓一郎さんは承知のように「1975(昭和50)年、愛知県生れ、京大法学部卒、1999年、大学在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により芥川賞を受賞。著書に『一月物語』、『文明の憂鬱』、『葬送』(第一部、第二部)、『高瀬川』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『あなたが、いなかった、あなた』、『決壊』、『ドーン』などがある」

これらの著作群に対して、例えば文芸評論家の三浦雅士氏は「平野啓一郎はいまなお謎の作家である」と書いている。上にあげた諸著作について明瞭な脈絡があるのかないのか分からない、ということなのだ。

それに対して、今回の新書は、小説群の舞台裏を自ら明かしていて、「なあるほど」と分かった。小説家も一定の思想、理論に基づいて小説群を展開するとして、それらをこのように別の評論という形で明かすのを読むのは初めてだ。

分人は前回のブログに書いた僕の思惑は外れて、この新書によれば、個人より小さな多様な「付き合い」単位で、それは、ある意味で「操作可能」なので、意識的に分人関係を追求すれば、誰でも楽しく有意義な人生(まあ複数の人生!)をおくれるよ、というメッセージなのだ。

色々と応用できるコンセプトと思う。

「個人」から「分人」へー平野啓一郎さんの造語に感想ー

2012-11-18 | 色々な仮説や疑問
今日の『朝日』の読書欄に福岡伸一さん(青山学院大教授、生物学、京大理卒)が平野啓一郎(芥川賞作家、京大卒)著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)の書評を書いていた。

それを斜め読みした感想である。

最近、人々のネットワークが大切、「繋がり」「絆」が大事というのが世の流れである。
しかし、その場合、人々と言うのは「個人」「個々人」である。

ところが、平野さんの造語の「分人」は、私の考えでは、元々全体の繋がり、絆が前提としてあって、それをしっかり担うのが分人であり、それは確かに分子ではあるが、バラエティに富んでいるのである。(分人の中味は「原人」よりなるのかな、しかし「原人」という言葉は既にあるし・・・)

読まない前の感想、まあ実際に読んでからの感想も書いてみたい。

脳の可塑性と多様性

2012-02-22 | 色々な仮説や疑問
最近、東大薬学部准教授の池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)という本をざっと読んだ。大変刺激を受ける本だった。

その多彩な内容から「脳の可塑性と多様性」が人類生き延びの要件では、というところに気が行った。「脳の可塑性」とは、脳は遺伝で先天的に決まってしまうのではなく後天的に努力によって、その能力は伸びるということで、努力家にとっては有難いことだ。

しかし、人類(というとオーバーだが)皆伸びて、いわゆる「秀才」「100点人間」ばかりになったら、これはヤバイということになる。

社会も伸びている間はいいが、一旦「コケル」と全体がコケテ滅亡に落ち込む危険も一気に出てくる。

そこで重要になるのが秀才もいるが鈍才も自由に生き延びる可能性を確保していることだ。アリの行列を例に紹介したい。アリが行列をつくってえさを巣に運んでいるのを目撃したことはないだろうか。この行列は、どのようにして出来るのか。

アリがえさを見つけて運び出すと、誘因性と揮発性のフェロモンを出すように進化したようだ。そうするとそのルートにえさを探しているアリの仲間が一斉に集まって次々えさを運びだし同じフェロモンを出すので列が続くのである。

ところで、アリはそういう働きアリばかりでなくぶらぶらしていて、そのルートを外れて歩いているアリも許容して生み出している。

これらは、何のために存在するのか。これらは、端的に言って、先に見つかったえさルートより「短い直線的なルート」を見つけつくるための「遊撃隊」と言ってよい。

そのルートを見つけると、やはり誘因性、揮発性のフェロモンを出してえさを運ぶが、直線でルートが短いので揮発性のフェロモンは先の曲がりくねって長いルートより残りやすく有利である。えさを運ぶ労力も少なくなって良い。

ここで分かるのは、世の中エリートの「100点秀才」ばかりでは、強靭な社会は築けず、多様な人材が集まっていることが大事ということだ。

日本の教育は、せっかく「ゆとり」教育という「多様人間」への試みをしていたのに、また「秀才人間」教育に「逆戻り」、長い目で考え抜く癖が出来ていない。情けないね。