西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ミックスジュースの思い出

2014-02-25 | 京都の思い出(学生時代)
僕の「お初」より:ミックスジュース

僕は、ミックスジュースというものを大学に入ってから初めて飲んだ。
まあ、色々な果物をジューサーで擂り潰してジュースにして飲んだのだ。これを飲んだのは京都の「進々堂」喫茶店である。

今出川通りに面し、通りを越えて南面は京都大学のキャンパスだ。1963年頃か、僕が建築学科の4回生の頃だ。絹谷祐規先生(当時、助教授、教授は西山夘三さん)に連れられて「進々堂」に来て飲んだのがミックスジュースであった。

絹谷さんには色々なことを習ったが、喫茶店でコーヒーではなくミックスジュースと言う僕にとってはハイカラーな飲み物も習ったのだった。

その絹谷さんが、僕が大学院修士1回生の頃(1964年の夏頃)、オランダ留学に出かけ、こともあろうに「交通事故」で亡くなったのは、かえすがえす残念だった。

慕っていた若い先生に先立たれたのも初めてだった。

建築史家・鈴木博之さん逝去

2014-02-07 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
今日の新聞で建築史家・東大名誉教授だった鈴木博之さんが亡くなられた、享年68歳と知った。

直接、面識はないが、テレビの「講義」などでル・コルビュジェの概要を知ったり色々勉強になった。僕のこのブログでも、この今日の記事を含め3件の鈴木さん記事を書いている。

過去のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%CE%EB%CC%DA%C7%EE%C7%B7  これって「コピペ」してください。見ようとすれば・・・。僕のブログで「鈴木博之」で検索。

ご冥福をお祈りするとともに出来るだけ勉強していきたい。

人間観察などー無量(無料)の楽しみですよ!!-

2014-02-06 | 地域居住学

 第150回直木賞受賞者の姫野カオルコさんは、あるメディアの質問に答えて
「外出時は人間観察。電車では読書しません。人と接することが少ないのは、小説を書くのに良くないですから。ジムに行っても、電車に乗っても、あの人は何をしているんだろうと。電車では、多くの男性が鼻(糞)をほじってシートにこすりつけているのがイヤです」と、さすがに細かい場面をきちんと観察、とらえている。

 僕も昔、学生たちに電車で「暇なこと」はない。前に座った人たちを観察し、何の仕事をしているのか、独身か家族もちか、持ち家かか借家かなどなどを推量するのは、只で無限だ。そういうのを「無量の(無料の)の楽しみと言う」、と言ってきた。

 もちろん、専門にも関連して、座席向かいの人間風景と共に窓外の風景にも注意すべし、と言ってきた。唱歌(汽車)にあるように「遠くに見える村の屋根、近くに見える町の軒」にも注目すべし、と言ってきている。どうでしょうか。

ユマニチュード:見る、話す、触れる、立つ

2014-02-06 | 色々な仮説や疑問
認知症に優しく対応する一つのやり方にフランス発の「ユマニチュード」という方法があり、患者に対するに「見る、話す、触れるそして立つ」の四つの実践がある。昨日「クローズアップ現代」でやっていた。

この四つの人間活動は、全て人間らしい活動だ。

見る:患者を上から見下ろす目線ではなく、患者の視線高より低く、患者の目を見る。アイコンタクトは五感の中で最高の情報量を持つと言われている。
話す:人間らしいコミュニケーションだ。
触れる:スキンシップである。五感の中で最も原始的根源的接し方、触覚のセンサーのみ全身に分布している。「手当て」という言葉は元々実際に「手を当てる」ことだったと言う。
立つ:他の哺乳類のように四本足から二本足で立つようになって「人間」となった。

予防の上からも、これらの四つは毎日実践、反省、反復していこう。

STAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞に刺激されての「キーワード」=弱い刺激、ストレス環境

2014-02-02 | 色々な仮説や疑問
ここ数日間、私の頭にあったのは、STAP(刺激惹起性多能性獲得)細胞とiPS細胞(人工多能性幹細胞)を統一的に理解するにはどうしたらよいか、という問題であった。

何だか、iPS細胞よりSTAP細胞の方が、早く効率的に作成され、癌化の恐れも少ないなどということがマスコミで流され、いかにもSTAP細胞の方が良いみたいな論調だったからである。

まあ、STAP細胞が出来ることが特に人間では未だ実証されていないことなどをおいても、将来は「有望」と見做されたようだった。可能性からは、そう言えるかもしれない。

しかし、iPS細胞での4つの遺伝子を挿入することも、考えようによっては「弱い刺激」に当たるかもしれず、STAP細胞では、普通の細胞から変わっているのだから遺伝子のありようも変わっている。そうならば、両者とも「同じ土俵」で考えられるのではないか。

この弱い刺激、弱いストレス環境という考え方は、もう少し汎用性があるのではないか。まあ、人間の成体レベルでのことだが、弱い刺激、ストレス環境が健康状態の維持に役立っていることもあるのではないか。感染症予防のワクチンなども人体に対する「弱い菌」による免疫性の獲得に通じている。乳児・幼児の時に「泥んこ遊び」などをすればあるアレルギーに強くなるとも言われている。

どの程度まで弱い刺激、ストレスならプラスになるのか個々人の「抵抗力」形成に左右されるだろう。抗うつストレスなどというものはあるのであろうか・・・。

一寸、「それた」かもしれないが、もう少し考えていきたい。