西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

風邪よ、寄るな

2007-01-10 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
私は、かって年に二回位、風邪をひいて職場を休んでいた。正月過ぎて急に寒くなる今頃もそうだった。しかし、最近は風邪で休むことは殆どない。免疫力が上がったのであろうか。世の中では「風邪をひきましたので・・」と言うと「仕方ないな」と一見免責される風潮がある。しかし、やはり、そういう言い訳をしないほうが良い。風邪にならないようにしよう。風邪は万病の元なのだ。歳をとると風邪が元の肺炎等で亡くなるということもある。戸田正三先生(京大医学部教授、金沢大学学長歴任、故人)は、健康の四条件として「風邪ひかぬ、飯美味い、疲れぬ、夜寝れる」を上げている。風邪は喉を襲う。口を開けて寝ないことだ。喉が渇くからだ。家に帰ったら手を洗いうがいをしよう。もうすぐ、大学センター試験、20日、21日だ。風邪をひいて休んで「穴」を開け迷惑をかけると大変だ。温かく風呂に入って早く寝ようっと・・。

『話し言葉で読める方丈記』

2007-01-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、行きかえり、休み時間等で『話し言葉で読める方丈記』(長尾 剛著、PHP文庫)を読んだ。原文の10倍位の量だが、新井 満さんの詩の「自由訳」も面白いが、こういう古典随筆の「現代語訳」の試みも面白いと思った。長尾さんの努力が表れている。
先だって、吉武泰水先生が晩年、京都で『方丈記』の「方丈」の場所を探しておられたとブログに書いたが、これを読むと、推定できる色々な叙述がある。京都の東南「日野」の小高い山の中腹である。降りていくと宇治川にも行ける。「方丈」の平面図(想像)もあって興味深い。西山卯三先生も『徒然草』と共に『方丈記』を住宅を考える古典のひとつに数えておられる。少し時間が取れたら、その「方丈」の辺りを散歩するのも興味がある。誰か一緒にやりませんか。
また、人生論としても『方丈記』は我々に訴えかけてくるものがある。原作者の鴨長明は下鴨神社禰宜の家柄に生まれたが、「地位相続紛争」に巻き込まれお父さんの禰宜(ねぎ)の地位を引き継ぐことが出来なかった。20歳代に大火や大風、平家による福原遷都などにも遭遇し、現世の無常を深く感じる。(それらに飢饉、地震を加えて五大災厄としている。それらの描写もルポルタージュとして素晴らしいようだ。)30歳代で家族も「捨てて」出家し、大原に「隠遁」するが「出家社会」のごたごたに又失望、50歳になりようやく「日野」に「方丈」を作って心の平安、生活の喜びを得る。「方丈」(丈=10尺四方の家)にはお経を唱える場所、琵琶等の音楽の場所・和歌を詠む場所がある。長明は現世への執着を捨てた、と言っているがお経や和歌や琵琶や、何よりも自分で工夫した「方丈」に執着しているようにみえる。前にブログに紹介したジェームス・三木さんが言っていた「マイナスする人生」を見事に実践ー地位・財産を捨て家族を捨て・・-しているようだが、最後の「方丈」は捨てられなかった、というところに人間臭さが出ている。まあ、その「方丈」は当時の究極の住居とも言えるが、現代の「方丈」(分りやすく「四畳半」あるいは「八畳」)というか、「私の方丈」は何だろうか。亡くなられた吉武先生も、大家の地位を捨て、「吉武泰水」の「方丈」を最後に探しておられたのかもしれない。