西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

煙草と酒の経験

2007-01-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日は「成人式」だった。で、煙草と酒の話をする。私が煙草を吸いだしたのは学校を出て豊田高専に就職してからで「奥手」である。名工大の服部千之先生が「HOPE」(10本入り)を吸っておられたので真似で吸い出した。1966年頃である。以後、ニコチンの少ない方向に段々なるが、途中、奈良女子大の扇田 信先生の影響で「パイプ煙草」も何年かやったことがある。イギリスに10ヶ月ほど行っていた時も「イギリス煙草」(SILK CUT等)を吸っていた。40歳代から50歳代にかけて「チェーン・スモーカー」(チェーンのように次から次から吸う人)のようであった。途中、禁煙は何度もしたが長続きしなかった。最後に禁煙したのは56歳頃でほぼ10年前で現在まで続いている。きっかけは奈良女子大で学生部長になって、部長室には重要な書類が一杯で、煙草の「失火」で燃やしたら責任問題と思ったためである。で、あっけなく止められた。禁煙して10年経ったら「延命効果」はどうか、禁煙専門家の高橋裕子先生(奈良女子大保健管理センター所長)に聞いてみたい。
次に酒を飲みだしたのは、大学生時代(未成年19歳頃)の「コンパ」からだが、「弱く」て、就職した時に名工大の近くのビヤホールへ「服部ゼミ」の皆と行った時、皆は中ジョッキーや大ジョッキーなのに、私一人小ジョッキーで真っ赤になっていた。だから元々アルコールに強いわけではない。徐々に「強く」なってきた。最近は毎日のように飲んでいる。何でも飲むが量としては焼酎の湯割り2杯位だが少し「休肝日」を設けねば・・と思う。ブログにも紹介したが、脚本家のジェームス・三木さんが言うように、これからは「悪いことは止めていくマイナスの人生にすべし」だとしたら、酒も少しマイナスにし、先に書いたように休肝日を設け、二次会も断わっていくべきだろうな、と思っている。ジェームス・三木さんの記事ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/9c32c8845446a0ac2bebe1b1c9ad4b30

町、地域をつなぐ「歩き」

2007-01-09 | 地域居住学
昔は、『奥の細道』の芭蕉だって、『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんだって、町中で歩くだけでなく、町から町へ、地域から地域へ歩いたのである。
現在の「町歩き」は、途中を飛ばして、当の町へは自動車、電車あるいは飛行機で行ってしまってから歩き出すみたいになっているのではないか。
今後、「歩き」を楽しく意義深く実践する一つの眼目として、町や地域をつなぐ「歩き」をしたらどうか、と思う。京都には「京の七つ口」があって、外からの玄関だった。そこの構えも問題だったに違いない。若狭の小浜から鯖街道を歩いて京都の出町柳の「終点」まで歩いたり、京都から宇治を通って奈良に歩いて行くなどは「しんどい」が、「楽しい」に違いない。春からの休日の過ごし方の一つのプランである。

歩くこと、感じること

2007-01-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
二、三日前に山折講演(ブログ参照)聞いた訳ではないが、通勤の行き帰りに自宅から高の原駅まで自動車で送り迎えして貰っていたのを、とりあえず「半分」やめて行きは専用歩道を歩くことにした。普通に歩いて20分である。今日からはじめる。前もここは何百遍、あるいは千遍以上は歩いているが、最近、風景が大きく変わってきた。「イーオン」の出現である。向こうの方に見えた昔からある建物や、小高い山並みが見えなくなって、「巨大戦艦」が立ちはだかっている感じとなっている。未だ覆いが取れないが、4月にはオープンと言っているので、そのうち「生身」が現れてくる。何か別の歩道がないのかな、とも思うが、大分回り道になるようだ。まあ、休みなどに他の緑溢れる道を歩いたりして「お口直し」というか、「お足直し・お目直し」をしなければ、と思った。