西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

石崎溌雄先生の思い出、モンロー効果他

2005-10-31 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私が扇田 信先生のあと、住生活学講座の教授になったが、引き続き京大防災研究所教授で「風工学」がご専門で、奈良市白豪町に住んでおられた石崎溌雄先生に「構造力学」の非常勤講師をお願いして快く来ていただいた。石崎先生は、戦後、東大建築学科から京大に赴任されたが、元々は東大航空工学御出身の秀才だった。戦争中、工学部では飛行機を作るための航空工学に秀才が集まっていたのである。ところが、戦後は、飛行機を作らなくても良くなり、石崎先生は「行き場」を失い、風のことは出来たので建築学科に転じ活かしたいと思った、ようなことを伺った。戦後の京大では構造、計画、歴史等の区別なく助手等の若手には交流があったようで(助手室という大部屋のせいもある)、石崎先生は、当時、京大助手だった扇田先生ともじっこんになられたのだ。ために奈良女子大学の非常勤に扇田先生の要請で来られていて、私の時に引き続き来ていただいたのだ。石崎先生との会話で、面白かったのは「西村君、モンロー効果というのを知っているかい。アメリカ人の命名だが、超高層の谷間では、上空でゆるい風が吹いていても足元は突風ということもある。ために女性のスカートが、映画での女優マリリン・モンローのスカートのようにめくれ上がる、そういう現象を言うのだ。アメリカ人は命名が上手い・・」と。風に関連して、ガラス窓と風との関係を、もう少し早く研究していたらよかった、とも言われた。晩年、何故か住生活に興味をもってもらい、私と今井範子さん(当時・助教授、現・教授)が何回かお話したこともある。窓ガラスとの関係を意識しておられたとしたら、今、私が関心をもっていることの一つである。石崎先生は、昨今の大型化した台風やハリケーンのことを「彼岸」でどう思っておられるだろうか。

「セミナーハウス」-4水回りの改修

2005-10-31 | 地域居住学
トイレ、洗面所、風呂の水回りは新たに改修された。長坂 大さんが担当された。ゼミの学生とも共同で考えられたと言う。大変、清潔そうで、「合宿」も可能かもしれない。浴槽の横の小窓から外(庭)が見られるのも良い。こういう風に、古い「外枠」を残しつつ不便な「内部」は近代的にする、というのも「リフォーム」の一つの演習になるであろう。時代の流れに合っていると言える。

「セミナーハウス」-3へっついと「地面」等

2005-10-31 | 地域居住学
上野邦一さんの説明では、通り庭に昔使っていた「へっつい」があり、上のほうを見ると構造の梁が良く見え、教えるのに本当に良いとのことだ。通り庭の「地面」部分は、コンクリートと土の部分が分かれているが、当分そのままにしておきたい、と上野さんは言う。何故なら、それで時代の変遷が分かるからだ。
そう言えば、奈良町自体、色々な時代の住宅が混じっていて時代考証の練習場とも言えよう。それ自体が良いとすると、「異時代の景観複合」ということになろう。
ここの「へっつい」を使って昔風に料理をつくったり、この「通り庭」で餅つきをすることも出来よう。

「セミナーハウス」-2学生を引き立てる改修

2005-10-31 | 地域居住学
最近は、大學は「お客さん」の学生が中心だ。このセミナーハウスの調査、清掃等は「上野ゼミ」の学生中心で行われた。2月に行われた清掃に私も参加したが、学生達は1階から2階へとほこりまみれで中心的に働いていた。今日もテープカットもしたし、看板かけもしていた。これがマスコミを通じて社会へ流れれば、学生が色々活躍できる大學だと認定されることに通じる。私も「心しなければ」と思った。

奈良町に「セミナーハウス」-1オープン

2005-10-31 | 地域居住学
本日、奈良町(奈良市)に「奈良女子大学セミナーハウス」がオープンした。私も「招待」され会に参加した。私が1996年に最初に「セミナーハウス群」アイデアを発信したが、その後、私自身は「管理職」で忙しくなってきたので、上野邦一さん(現・生活環境学部長)に実現を託していたが、昨年、大學の地域貢献事業で奈良町の空家調査をして、「正木邸」を「発見」、正式に奈良女子大学(久米健次学長)と所有者の正木康雄さんとが協定を交わし、内部の掃除・整理、畳のやりかえ、水回りの改修(長坂 大・助教授担当)を経て、本日、正式にオープンした。上野邦一さんによると、江戸時代の建築ではないか(二階の階高が低い・・)と言う。いわゆる町家様式、通り庭があり、裏に中庭、土蔵がある。場所は、興福寺石段を下りて真っ直ぐ南下、元興寺極楽坊を更に南下、左手である。久米学長(真ん中右)、正木さん(同左)、学生二人(左右)でテープカットをした。外部の我々も使わせて貰えるようだ。一度、NPOの会合等で使ってみよう。何はともあれおめでたい。

筑紫哲也「木」を見直す、を読む

2005-10-31 | 色々な仮説や疑問
近着の『図書』誌11月号(岩波書店)で筑紫哲也さんが、「木」を見直す、を書いている。筑紫さんは私よりやや上の世代、ジャーナリストとして活躍している。小文を読んで、有力な「同志」が一人増えたな、と思った。この「木」の話に入るネタとして筑紫さんは、画家にして建築家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928~2000)にインタビューしたこと、フンデルトヴァッサーの主張の要約を述べている。「へ~」と思った。フンデルトヴァッサーの言っていることは、無関係に(うかつにも知らずに)考察してきた私の考えと大変似ているのである。一度、きちんと押さえたい。私も昔ウィーンに行って公営住宅の「フンデルトヴァッサーハウス」を見て感銘を受けたことがある。どこかに写真がなかったか。色彩も鮮やかだが、壁に凹凸があり曲面ともいえる。緑も「立体緑」だ。筑紫さんの要約による「百水」さんの主張は、「全ての直線は犯罪である」「窓の権利」「緑の義務」「家は人間の第三の皮膚である」「家は人間を映し出す鏡である」とある。小文では最後に「緑滴る日本を小さなパラダイス」と見たフンデルトヴァッサーの言葉をあげる、「日本は、どのように私たちがこれから暮らすべきかを、過去にすでに示している」「近代の日本は、この見事にバランスのとれたパラダイスを失ってしまった」「自分が自分であることの本質を、いまの日本はますます捨てさろうとしている」「日本は、日本を失いつつある。まるで鳥が飛ぶことができなくなるのと同じように」
フンデルトヴァッサーは、21世紀直前に亡くなった。しかし、21世紀は、彼の主張を「遺言」として再び考えていく世紀になるかもしれない。

藤田邦昭さんの思い出

2005-10-31 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
関西における都市計画コンサルタントの草分けの一人、藤田邦昭さんが亡くなられてどれ位経つだろうか。藤田さんは、西山研の出身ではないが、いわば「客人」として、西山夘三先生存命の折り、毎年のように開かれていたOB・OGによる新年会に大抵来ておられた。福井大学建築学科のご卒業で、日本住宅公団、RIAを経由して「都市問題経営研究所」を設立されたと記憶している。ボトル・シップの製作にも力を入れておられた。私は、お会いすると現場の都市計画の苦労話をお聞きするのが楽しみだった。いつぞや、私が世話役で奈良で新年会をし、私と霜田君(現・鳥取大学教授)が宴会の前座で話をしたことがあった。場所は、東向通りの「女性センター」である。
その日の、宴会で藤田さんが、私に「そごう計画(そごうはその後、つぶれてイトーヨーカドーになっている)」の話をされ、その中に『朝日新聞』が色々な教室を出す話があるらしいことを言われ、藤田さんは「自分としては、そちらに全部客の流れが行くのではなくて、例えば奈良町に町家を活用して散在する形で教室をつくれば、全体的に活性化するのでは・・、今までは集中型の教室しかないから、散在型は市民溶け込み型で面白いし、話題性があると提案したが、乗ってこない」といった趣旨を言われた。私も、キャンパス囲い込み型でない「市中溶け込み型」の大学というのも面白い、と考えていた矢先なので「ピーン」ときたし、よく覚えているのである。
その後、奈良町の「空き家」を活用して奈良に関連する色んな学問、大学のセミナーハウス群をつくったら、と私は提案(1996年10月)したが、今日、その一つ「奈良女子大学セミナーハウス」がオープンする。藤田邦昭さんを自然と思い出したのである。

車内からの風景と車内での諸種の会話

2005-10-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
多分、だが例えば小説家は、電車やバスなどに乗ったら、眠ったりしないで窓外の風景に目を凝らし、車内の諸種の会話に耳をそばだてているのではないか。
作品にでてくる様々な場面、様々な会話の元は、そうして取材されているのだろう。窓外の風景に目をやることについては、西山夘三先生のエピソードを大分前にブログで紹介した。昨日は、バスで若いお母さん同士が、子どもの兄弟姉妹の生活ぶりの細々したことについてづっと話していて、何気なく聞いていて、本当に面白かった。ただでドラマを楽しませてもらった気分になった。
生活の研究、生活の調査の一つのジャンルかもしれない、と思うほどだった。
でも四六時中、緊張は続かない、バスからJRに乗り継いだら居眠りしてしまった。

ロンドン日記摘要(1982.10.30.)5週末の生活例

2005-10-30 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
今日で日本を出てから2週間、週休2日制(土曜日)で9時前に起床。9時からLTV(ロンドンテレビ、民放)で娘は「セサミストリート」見ている。10時からBBC-2で「OPEN UNIVERSITY」(注:日本の「放送大学」のモデル、ニュータウンのミルトンキーンズにある)でConsumer's decisionで住宅の探し方やっている。午後は14時過ぎスーパーの「TESCO」に家族で買い物に、私はリュックで米その他5kgほどかつぐ。夕食は、焼肉、サラダ菜、トマト、ポテト、味噌汁、胡瓜の漬物、ご飯といったところ。週末のテレビはスポーツと映画が多い。BBCの天気予報のマークは日本のと異なっている。マークの基本は雲の形、これが黒いと天気は悪く、雨だと二三の水滴が垂れている。晴でも雲から太陽光線が漏れているマークだ。
明日の予定・・家の測定と写真。


私の好きな言葉(8)・・生活は一つの計画ある営みである。

2005-10-30 | 言語・字・言語遊戯
私の、かって時々新入生に言ってきた言葉に、哲学者・戸坂 潤の次の言葉がある。「空疎な興奮でもなく、平板な執務でもなくして、生活は一つの計画ある営みである。」(戸坂 潤全集第一巻より「方法概念の分析(その一)」)
計画には、時間的計画、資源配分計画、成果形成計画等がある。4年間をどう使うか、小遣い(バイト料等)をどう積み立て使うか、学習の蓄積をどうはかり最終的に卒業研究をどうまとめていくか。次の就職、進学をどう追及するか、等々である。これは、かなり「頭」を使う作業なのだ。今でも学生に言いたい。自分自身についても、60歳台をどう上手く計画的に使うか、大切な課題と思っている。

前川國男と京都会館

2005-10-30 | 京都の思い出(学生時代)
『毎日』読書欄で、宮内嘉久著『前川國男ー賊軍の将』が御厨 貴さんによって取り上げられている。読んでみようかと思った。私が、前川國男さんの建築作品に出会ったのは2回生(1961年)頃だった。京都の岡崎公園に出来た「京都会館」を見に行ったのだ。これは、同時にル・コルビュジェを初めて意識した時だった。京都会館は、会議場や演奏・演劇会場を含む文化的公共建築(京都市)だ。演奏会場の音響効果が悪いと散々言われ、有名オケは、その後、大阪フェスティバルホールには来るが京都会館は素通り、仕方なく後に別に京都府立大学の北に演奏会場が出来た。
それでも、この建物は、私の中の近代建築の具体的原点である。後の同じ前川さん設計で良く似ているとも言われる上野の東京文化会館より好きだ。ル・コルビュジェの「近代建築五原則」の第一原則ともいうべき「ピロティ」をコルビュジェに師事した前川さんも造っていて、「ピロティ」というと、これを思い出す。打ちっぱなしコンクリートも、京都会館で初めて接したのではないか。回廊の手すりが重々しいので、構造の横尾義貫先生が先生独自の「力感論」から批評されていたことも思い出す。

四連勝のホワイト・ソックス、四連敗の阪神タイガース

2005-10-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今年のプロ野球シーズンは、ワールドシリーズでホワイト・ソックスが四連勝し日本シリーズでは阪神タイガースが四連敗して終った。80数年ぶりの優勝を、ホワイト・ソックスに行って1年目に味わった井口選手は運が強い。シカゴをパレードする井口選手をテレビで見た。そこで思い出したが、昔、井口選手が「ダイエイ」にいた時、奈良女子大学の副学長をしておられた井口先生が、何かの時に井口選手の背番号のついた「ダイエイ」のユニフォームを着ておられたことがある。お聞きすると、息子さんが「ダイエイ」に勤めておられて、同じ井口なので力を入れて応援している、とのことだった。井口選手は大リーグに行ったが、井口先生も息子さんも今頃大喜びであろう。さて、阪神、余り語りたくない。リーグ優勝から、千葉ロッテと違い大分「間」があいたので・・と言い訳はしたくない。来年は堂々と日本一を期待する。昔は「あーあー後20年後か、それまで生きておれるかな」などと言っていたが、リーグ連勝を夢見、語れるのは、幸せというものだろう。

脳のMRI(磁気共鳴映像法)検査

2005-10-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、土砂降りの中、近鉄「新田辺」駅前の田辺中央病院(民間)に脳のMRI検査(脳ドック)に家内と行った。今回は精華町へ申し込んで行った。昨年は、いわば公務員共済最後の検査で、大阪に行った。MRIとは、辞書によると「《magnetic resonance imaging》核磁気共鳴の物理現象を応用して、人体の断層撮影や含有物質の同定を行う方法。また、その装置。磁気共鳴映像法。」とある。この日は、最後にMRI検査があったが、その前に身長、体重、血液検査、血圧検査、視力・聴力検査、眼底写真検査等があり、いわゆる「人間ドック(半日コース)」のうち、Ⅹ線撮影(胸)、胃カメラ検査、超音波検査、心電図検査がないということになる。今度、「人間ドック」を受けるとなると、この日の検査項目は除いてくれるのかな、と思った。尤も、その期間の開き具合によるであろう。この日は、最後に、脳のMRI検査をした。機械はドイツのシーメンス社製と書いてある。昨年の経験で大体のやりかたは分っている。多分、閉所恐怖症の人は、難しいかな、と思う。15分ほど狭い穴に頭を突っ込んでじっとしていないといけないからだ。写真を撮るための音が「がんがん、じー」と鳴っていた。終って、脳神経外科の金子医師が、写真を見て解説してくれた。二人とも、加齢による必然的な状況変化のほか特に問題はなくて良かった。安心のため、15分位の我慢だから毎年受けようかな、と思った。

Deep Impact

2005-10-29 | 時論、雑感
皐月賞、日本ダービーそして菊花賞で三冠を達成した「ディープ・インパクト」 は、正に文字通り「深い衝撃(=感動)」を与えた。テレビで見ていて、最後に一気に綺麗に抜きさる姿は、本当に感動だった。皆さんはどうですか。馬として、最近では、ずばぬけた能力だろう。この後、何連勝するのか楽しみだ。期待して見守りたい。

平安女学院散歩-4建学の精神

2005-10-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
奈良女子大学にいる時、法人化を目の前にして「四つの理念」をつくるのに私は一寸苦労したが(理念1 男女共同参画社会をリードする人材の育成―女性の能力発現をはかり情報発信する大学へ― 理念2 教養教育、基礎教育の充実と専門教育の高度化 理念3 高度な基礎研究と学際研究の追究 理念4 開かれた大学―国際交流の推進と地域・社会への貢献―) 、私学の平安女学院に来たら、「建学の精神」というものが既にあって、ある意味で気が楽だと思った。その後、私学の会合に行くと、必ず「建学の精神」が語られ、教育の礎となっていることが分った。平安女学院に連なる女学校の設立に努力した草創期のクインビー司祭が1895年に本国に送った手紙にあった言葉が現在、平安女学院「建学の精神」となっている。
「知性を広げ、望みを高くし、感受性を豊かにし、そして神を知らせる」というものだ。やはり四つのポイントがあるが、何の説明もいらない簡単にして明瞭な「理念」とも言えよう。現在、学院のあちこちに掲げられている。