西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

テレビで長谷川等伯を見る

2014-10-26 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
数日前、nhkテレビで安土桃山~江戸時代の異色の画家・長谷川等伯を見た。勉強になった。能登の七尾の出身、羽咋海岸の柴垣の松林が後の画題に登場する。元々は武士階級の出身、長谷川家に養子で入る。

郷里で色々絵も描いていたが影響は地方どまり、33歳頃に京都に出て、日蓮宗の本法寺と繋がる、やがて秀吉に認められ、有名な「楓図」を描く狩野永徳の「檜図」の向こうをはったもの、本法寺の日通上人が堺出身ということから、同じく堺の千利休とも「近づき」となり、大徳寺の天井画を「請け負う」、等伯は子息・久蔵を失って「一門」のピンチ、これを狩野派との競合、狩野派乗っ取り、新規開拓の三路線のどれでいくか、結局「雪舟五代」ということを使って需要層の新規開拓、しかし等伯亡きあとは狩野派が歴史から等伯を抹消しようとする。

例えば、絵画鑑定でものしあがってきた狩野探幽は、本当は等伯の作品を自分(探幽)作と偽ったりした。

何時の世でも旧勢力は、新規勢力を抑え込もうとする。でもその確執で芸術的新機軸も生まれるのだろうな。歴史のダイナミズムである。

カリン・レヒナー(ティエンポ の姉)とセルジオ・ティエンポ (レヒナーの弟)

2014-09-04 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
私は、昔、奈良女子大学の『学園便り』(第23号所収、1985年2月1日発行)に「生活空間賛歌ー運河の上の音楽会ー」という小文を書いたことがある。

そこでは若きピアニストのカリン・レヒナー(ティエンポ の姉)とセルジオ・ティエンポ (レヒナーの弟)の演奏をアムステルダムのプリッツア・ホテル前の運河に組んだイカダに置いたピアノを通して聞いたことがある。1983年7月22日(金)の夜である。31年も前のことだ。そこからアンネ・フランクの「隠れ家」まですぐである。

姉さんが18歳、弟が11歳だったから現在彼らは40歳代である。「ユーチューブ」を見ると未だ若い。再度Duoなど聞いてみたいな。

2005年の私の詩歌より…この道や 旅人一人 春の朝  市路

2013-06-03 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
もう8年ほど前になるが、2005年(平成17年)3月に奈良女子大学を定年(63歳)退職したが、その際『学園便り』に800字で「現役最後の言葉」を書け、とのこと。
ならば、と短詩形の俳句、短歌らしきもので書くことにした。思いを短く書くことで余韻を持たせ、それらをオーバーラップさせて全体像を示唆できればいいな、と考えたからだが、うまくいったかどうかは別問題である。

(まちづくり575)アスファルト、車、超高層の四季

・アスファルト 切れ目に芽吹く 命かな /・真夏日に ミミズ哀れや アスファルト /・アスファルト 落ち葉の行き場 悲しけり /・初雪や 玄き(くろき)足跡 アスファルト

・新車乗り 新入社員の クラクション /・置き去られ 赤子無念や 夏シート /・車屋根 落ち葉右手で さっと掃き /・冬の朝 アイドリングで 目を覚まし

・超高層 春の香りも 知らざりき /・エアコンで 超高層に 夏はなし /・ニューヨーク 超高層の 秋悲し /・超高層 下り立ち吹雪に 驚きぬ

(川柳)・水炊きや 向こうに沈む 炊いた肉  (注:炊いた肉=タイタニック号)

(まちづくり57577)

・仲や良し 向こう三軒 両隣 心通わせ まちづくりする /・町衆に 力の源 貰いける 家造る人 まち造る人 /・世代前 ニュータウンの 核家族 今老夫婦にて 孫を待つなり

・苦も楽も 涙も笑いも 皆ありて 出来上がりゆく コーポラティブのまち /・いにしえの 奈良・長安の まち行き来 思い起こしつ 今また盛ん /

・壊されし 震災のまち なお癒えず としあらたむる毎 心痛めり

(狂歌)・町人(まちびと)に 待ち人ありと 御籤(みくじ)言う いそいそ出かけ 鮑(あわび)なりけり  (注:磯の鮑の片想い)


どうでしょうか。


「梅ちゃん先生」見る楽しみージオラマー

2012-09-10 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
朝ドラ「梅ちゃん先生」を楽しみに見ている。最初、町医者の現代的あり方の「たし」にもなるかな、と思ったが、最近は、私の子供時代の生活の「思い出」、子供時代の町の様子の「思い出」の「たし」にもして見ている。

今朝、ラジオでジオラマ作家の山本高樹さんが、作られた「梅ちゃん先生」の冒頭ジオラマ(町並み風景模型)について語っていた。昭和20年代、30年代始め頃の蒲田の雰囲気模型について、である。検索で調べた一つをあげておく。

川、橋、土手(押さえ)、町並み、洗濯物干し、飲み屋、通行人など実に「リアル」に作ってあって、当時の私の郷里・金沢の町並みを思い出すにもヒントにもなる。

ところで、飲み屋の前(提灯の横)を通っている紳士は、「梅ちゃん」のお父さん(帝都大学病院教授)かな、と見ていたが、山本さんによると永井荷風に似せて作ったとのことだ。

「へー」と思った。他にも色々と情報が「埋め込まれて」いるようだ。今月一杯で終わるので、よく見ていきたい。

別に山本さんのジオラマ展は10月から東京から全国を回るらしいので近くに来たら見てみたい。情報があったらお知らせくださいね。

『群像としての丹下研究室ー戦後日本建築・都市史のメインストリームー』を読む

2012-07-09 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
7月1日の『朝日新聞』読書欄で豊川斎赫さん(小山高専建築学科准教授、1973年仙台市生まれ、東大建築学科大学院修了)著の『群像としての丹下研究室ー戦後日本建築・都市史のメインストリームー』(オーム社刊、平成24年5月10日初版発行)が紹介されていて興味を惹いた。

少し値段が高いが、確かに戦後一人だけ日本人の建築家・都市計画家を挙げよ、と聞かれれば、丹下健三となると思うので、「清水の舞台」から飛び降りる積りで今日買った。(消費税とも4200円)

まあ、私は1960年に京大の建築学科に入学したので、ちょうどその年は丹下さんが「東京計画1960」を発表した年であり、その後、京都の西山夘三さんが、それに刺激を受けて「京都計画」を発表したり、西山さんは丹下さんと共同で1970年の大阪万博会場の計画・設計にアプローチするので関係がある。

この本でも、丹下研の直接関係者以外の日本人では西山夘三さんが最も多く言及されているようで、それは巻末の索引を見れば明らかだ。

ついでに言うと、東大の都市計画の教授の高山英華さんは良く言及されているが、建築計画の吉武泰水さんは全く言及されていない。

大阪万博で「お祭り広場」を提案した西山夘三さんの名代は上田 篤さんであって、丹下研の磯崎 新さんに対応する。その頃(1966年頃)、上田さんは大学院博士課程に進みたいと言っていた僕、延藤安弘君、梶浦恒男君を呼んで、博士課程に進学したら大阪万博に取り組んで貰うから、と「言い渡した」が、僕ら三人は「拒否」したので、1級上の高口恭行さん(当時京大助手)が中心にならざるをえなかった。

まあ、そういう風に個人的「思い出」も含めて、じっくり読み込んでみたい。

世界のル・コルビュジェ、日本から世界への丹下健三というイメージで・・・。

菜の花や月は東に日は西に 一(朗)解釈

2012-06-02 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村の名句である。

遡ること万葉集時代 当時はまだ俳諧はなく、和歌であるが柿本人麻呂作に

東(ひんがし)の野に炎(かぎろい)の立つ見えてかえりみすれば月傾ぶきぬ

がある。これは東から太陽が昇ろうとしており、振り返ってみると月が沈もうとしているなあと素直には早朝の雄大な風景を歌っているように思える。

ところが白川静さん(漢字学者)は別の意味をかぎ取っておられる。

まず、何故、持統天皇は孫の軽皇子を、この時期に安騎野に柿本人麻呂等を伴わせて宿らせたか、であるが、亡くなった子の草壁皇子の霊を孫の軽皇子に受けさせて「競争者」多数の中で次期天皇の地位を確実にしようとたくらんだのではないか、としている。

そこで、先の短歌の「東の野に炎(かぎろい)の立つ」は、軽皇子が現れるのを意味し「月かたぶきぬ」は草壁皇子が消えていくことを表し、この二者の強い「つながり」を意味している、とのことのようだ。つまり、軽皇子は親の草壁皇子を継いで次の天皇になるべく「東より昇っている」というのだ。

誠に意味深と言うべきだ。

じゃあ、同じように蕪村の句の「裏」を読むとどうなるか、
「月」は蕪村を表し「日」は芭蕉を表している、と言えるのではないか。まあ「自分」は「日」である芭蕉の後塵を拝する「月」と謙遜している。しかし、「日」は沈もうとしており「月」は昇ろうとしているのだ。

まあ文字面のことでは「月は東に日は西に」は「月は東から出ようとしており、日は西に沈もうとしている」という夕方の情景であるが、「月は東に日は西に」というと、両方「沈むのかなあ」という印象も受ける。天文学的にはありえないのであるが・・・。(蛇足「月は東から日は西へ」なら動きがはっきりするが俳諧にならないのかな・・・)

風雨を読んで洗濯物を干す

2012-03-24 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
最近の天候は、3日雨模様だとしたら次の3日は晴れ気味である。

で、風も結構強い。今日は雨模様の上に風が強かった。

朝、洗濯して洗濯物を干そうとして2階ベランダに出たら極めて強風、「こりゃアカン」と思って、浴室と脱衣室に干すことにした。

夕方、外出から帰ってみると、2階も1階もベランダは雨で「べちょべちょ」だ。ベランダに洗濯物干さなくて良かった、正解だった、と思った。

家事をきちんとやるには、毎日の天候にも気を配る必要がある、と再認識したのだった。

満月に目を見ひらいて 花 こぶし 飯田龍太

2012-03-08 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
「今日の花(誕生日の花)」は、こぶしのようで、それに因んだ一句が、飯田龍太の「満月に目を見ひらいて花こぶし」だった。(「ラジオ深夜便」)

こぶしは、木蓮科だが木蓮より小さく、子供の拳(こぶし)に似ていることからきているらしい。木蓮より早く咲いて、春をいち早く感じさせてくれる花だ。

今日、専用歩道を歩いたら、こぶしの花はどうなっているか、観察したい。

天草の洋(なだ)に泊(はく)す 頼 山陽

2012-02-01 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
「雲耶(くもか) 山耶(やまか) 呉耶(ごか) 越(えつ)か

水天 髣髴(ほうふつ) 青(せい) 一髪(いっぱつ)

萬里(ばんり) 舟(ふね)を 泊(はく)す 天草の洋(なだ)

煙は 「ほうそう」(注:舟の窗(まど))に よこたわって 日 漸(ようや)く没す

瞥見(べっけん)す 大魚の 波間(はかん)に 跳(おど)るを

太白(たいはく注:金星、宵の明星)船に あたって 月似(つきよ)りも 明らかなり」


この詩を刻んだ石碑が、水俣の「湯の児温泉」の海岸べりにあったのではないか。
 水俣病が起こる以前は、この江戸時代の頼 山陽の詩にもあるように、不知火海、天草の洋は、名実とも、まことに美しかったと言えよう。

これを詩吟で練習を始めた。



ピカソを「超える」画家・ジャクソン・ポロック←ジクムント・フロイト

2011-12-13 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
日曜日の美術番組(NHK)で、ピカソを「超える」画家ということで、若くして(1912~1956、享年44歳)亡くなったアメリカ人画家・ジャクソン・ポロックをやっていた。

まあ画布、画板等を床に置いてする「アクション・ペインティング」、上から絵具を動的に垂らす(ポーリングというらしい)技法を編み出した。

見ていると筆さばきなど「偶然」にも頼っているように見えるのだが、本人は「偶然に頼っていない」と言う。日本人アーティスト石井竜也さん、美術館の学芸員の大島徹也さんが色々語っている。

ピカソ以外、無意識を正面に据えたシュール・リアリズムの巨匠・ミロにも傾倒していたようだ。それを聞いていたら、無意識を「引きずり出した」心理学の創始者の一人・ジクムント・フロイトのことを思い出した。こういう風に「学問」と「芸術」はつながっているのだな。

ポロックの絵を見て石井さんは「神経や血管のネットワークのようにも見えるし、大都市を上空から見た景色のようにも見える」と言っていたが、確かに見る人によって色々に見えるのが特徴の一つだろう。

そして、その線や点の「上」にポロックの筆、ポロックの身体の動きをつなげて想像できるとゾクゾクしてくる。

「晩年」は、その抽象画から一部「具象」が現れたのも面白い。

石井竜也さんは「ポロックはピカソのように完成された画家ではなく、後輩の我々に大いなる示唆を与えた画家である」と、言っていたのが耳に残る。

画像検索:http://www.google.co.jp/images?hl=ja&source=hp&q=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3+%E3%83%9D%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&gbv=2&rlz=1R2ADFA_jaJP451&oq=jyakusonn/porokku&aq=0r&aqi=g-r4&aql=&gs_sm=c&gs_upl=5528l11527l0l14772l17l8l0l0l0l0l952l6279l5-1.7l8l0&oi=image_result_group&sa=X

杜甫作 「春望」を吟ずるを聞く

2011-12-07 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今日、地域の友人と詩吟を習いに行った。二回目である。私は先週と同じく頼 山陽作 「川中島」を吟じた。友人の「ドクターさん」は、大分進んでいて今日は杜甫作 「春望」を吟じられた。うーん、私と大分「差」があるのは明らかだ。

先生は、三年もすれば、自然と「聞かせる」域に入りますよ、と言われる。果たして三年で友人・ドクターさんのようになれるだろうか。頑張ろう。

ところで、杜甫作 「春望」は日本人にも有名で人口に膾炙(かいしゃ)している。

「國 破れて 山河在り  城 春にして 草木 深し」は、多くの人が知っている。

この詩の構造について色々分析出来、面白いと思うが、ここではふれない。

私は、つい 現在の日本は、逆に「國 破れずして 山河 危し」なのではないか、と言ってしまった。トホホ、だ。

戦後、66年ほど日本は「憲法9条」のおかげで戦争に巻き込まれず、今まで来た。國は破れていないのである。

しかし、日本列島の山野は荒れ、原発大事故で正に「山河 危し」に陥っているのである。  どうでしょうか。 

今日の午後は絵画と音楽の楽しみ

2011-12-04 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今日、「つなね」居住地の管理組合会合があったが、そこでyottuguさんから勧められて、午後に奈良県美術館でやっている礒江毅=グスタフ・イソエ特別展に午後行った。

イソエさんは大阪生まれ、若くしてスペインに渡り、修行、やがて頭角を現し、リアリズムの異才と呼ばれるようになり、日本でも本格的に活動しようとして矢先2007年に53歳で夭折した。まとまった展覧会は今回初めてのようだ。絵と共に礒江さん自身の「リアリズム」に関する発言も掲示してあって興味深い。「心そこにあらざれば見れども見えず」みたいな言い方もあった。

この6月には、神戸の自宅で膨大なデッサン画が発見され、特別に一室設けて展示してある、幸いなことに本日14時より学芸員の解説があった。日本のデッサンのやりかたとスペインではちょっと違っているようだ。


その後、興奮を鎮めるように歩いて、奈良モーツアルト会企画の月一の(きずなカフェコンサート・・第一日曜)で地域SNSの友人パールちゃんさん(奈良モーツアルト会会長)お勧め(美人演奏家・水谷浩子さん)のサックス演奏を聞きに行った。(東向き通り)この「カッフェ」は奈良県が出しているもので、身障者の作品なども展示してある。

地域SNSの友人gurioさんも来たので、ビールと赤ワインを飲みつつ待った。15時きっかりに始まった。オーバーザレインボウ(虹を越えて)やクリスマスソングなど約30分の演奏、パールちゃんさんも現われて楽しんだ。

終わって、水谷さんに挨拶、私は先日ベルギーに行って仕込んだ「サキソフォン」について話した、ディナンという都市で生まれたアドルフ・サックスさんが考案した楽器、「サキソフォン」とは、「サックスさんのの音」という意味・・・、と言ったら水谷さんもパールちゃんさんも「へーそうなの」と感心していた。

また、ネットでパールちゃんさんと知り合いの「ふる」さんも来ていてリアルに挨拶を交わしていた。ふるさんもサックスを吹くようだ。

今日の午後は、美術と音楽の「シャワー」で脳の旧皮質部分を喜ばせたかな、と思った。(過去ブログ:「平衡老化」参照)


今井町の町家芸術展示よりー大空写真ー

2011-10-10 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
ちょっと現物を示されないので申し訳ないが、一昨日、奈良県橿原市今井町に行って、公開町家に展示してあるアート作品を見て回って感銘を受けた写真について話したい。

その中で、ある町家で、町(都市)の写真を3枚飾ってあった壁に注目した。

一番左は、町の周辺の山の緑、次が緑の丘陵だが右端にちらっと宅地開発された姿(住宅群)が写っている。そして、右端の写真は、高層ビルの上の方だけが「大きな青空」のなかに写っているものだ。

一枚目、二枚目も大空をバックにしている。一緒に行った一人F.さんも「大空がいいですね」と言われたが、私が瞬間的に思ったことと一緒だった。

まあ、この写真セットは、色々ととりようがあろうが、左から右へ「町の推移」を示しているとも言え、最後は高層ビル群ばかりとなり、「大空を仰ぐことしか大自然を感じられない」という撮影者の「嘆き」を表しているとも感じられる。

町を歩きながら風景、景観を眺めるのは、好きなことの一つだが、町中自然は、ずたずたとなって、「大空」くらいしか自然を感じるものはなくなってきているとも言える。

私と同世代で「御巣鷹山」で亡くなった坂本 九さんが歌っていた「上を向いて歩こう」では、ぶつかるので、時々立ち止まって深呼吸をして「大空」を眺めたい。真上とは言わず、上方を見る視角を「新鮮」と感じる最近である。

デンマークのアンデルセン

2011-07-30 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
テレビ北欧特集でデンマークの童話作家アンデルセンの「生い立ち」を見た。

デンマークの第三都市オーデンセに19世紀の初頭に生れ、家庭的に色々な悩みを抱え、10代にコペンハーゲンに出た。当時のデンマークは絶対王政で、下層階級出のアンデルセンは、ある意味で苦労した。しかし、ある貴族の「引き」を得て童話作家として地歩を築いていく。

「みにくいあひるの子」「マッチ売りの少女」 など良く覚えている。下層階級の悲哀と誇りを反映している。

有名になってから、彼はヨーロッパ中を旅行し、フランスのバルザック、デューマ、ユーゴ、イギリスのディケンズなどと面会、交流した。

ヨーロッパは「革命の世紀」、1948年にフランスで革命がおこるが、それについてアンデルセンは何も言っていない。デンマークは、絶対王政から立憲君主制に「平和的に」移行したのに。その年は、正にマルクス、エンゲルスが『共産党宣言』を著した年である。

まあ、とにかく「隔世紀」である『19世紀 再考』を実践していきたい。