西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

歴史における時間スケール

2010-08-31 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
先週の土曜日、「けいはんな市民雑学大学」の第28回講座で、市民教授・八尾 昭さん(大阪市大名誉教授、奈良市在住)から「大峰山の3億年の歴史」という話を聞いた。基本的にはプレート・テクトニクス理論に基づく地学の話であった。

生駒や六甲山は年に1mm盛り上がっているようだ。で、太平洋プレートは年に7.6cm潜り込んでいる。これが何十年~何百年に一度スムーズに潜り込めず跳ねて大地震を起こすわけだ。

大峰山の露出岩層をあちこち綿密に調査して、総合すると、古い岩ほど上部にあるという常識と逆のことが分かったが、これはプレートが潜り込むメカニズムに秘密があるようだ。「古い」「新しい」は内部に含まれる放散虫の化石の古さ(放散虫の進化が分かっていることが前提)が判定基準であると言う。(一寸簡単に説明するのが難しい!)

大台ケ原は、火山が噴出したあと陥没した山のようだ。(これに関しても面白い仮説的説明があった)これらの3億年の歴史を、八尾先生はあたかも見てきたように話された。100分ほどの講義だったので、まあ平均して1秒の講義で5万年の地学的進化を話されたことになる。

昨日は奈良女大の古代学術センターの「萬葉集に関するシンポ」絡みの臨地研修があって、バスで滋賀県の紫香楽宮跡(しがらききゅうせき)、京都府木津川市の恭仁宮跡(くにきゅうせき)そして奈良市の平城宮跡に順次行った。これは1300年位前に起こった聖武天皇の「遷都」を伴う「謎の彷徨5年」の宮跡を訪ねる小旅行だった。紫香楽宮跡(宮町遺跡)で2年半ほど前に発見された歌木簡の本物も見学した。

そして今日一寸考古学の本をぱらぱらと見て「人類学者」の西田正規さんの話を読んだ。西田さんは人類の「遊動から定住への移行」についての研究で有名。それこそ数万年から数十万年の歴史である。

で、私は人生数十年の個人史をまとめようとしている。

これらは全て「歴史」であるが、時間のスケールが全部違う。その間にそれぞれに不変と進化があると考えられる。それをどのように意識化して捉えるか、良く考えねばなるまい。

最近の食事ネタ色々について

2010-08-27 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
(1)今日の朝のテレビで、「一般に生姜は体温を上げ免疫力も上げるので無条件で健康食品と思われていたが、使い方が問題」と言っていた。つまり、常温や冷蔵庫入れの低温ですって使うと、確かに指先の体温は上がるが体幹深部の体温はかえって下がるようだ。

そういえば、今まで私は常温ないし低温生姜をすって使っていた。指先や腕先は確かに温かく肌の色も赤くなる。体温が上がっている証拠だ。そして「お腹(小腸上)」を触ってみると、そんなに温かくないので、風呂に入ると温水シャワーを浴びせかけている。

で、乾燥させるのが良いと言う。成分が少し変わるようだ。天日干しも可だ。私は生姜を即1ミリ位にスライスして天日干しにした。夕方、一片をみじん切りにして焼酎の水割りに入れてみた。まずまずである。

(2)同じく朝のテレビの別の番組で、「最近、高齢者は栄養不足、肉や卵、牛乳も大いに食飲すべし」という。だが、私は、それには一寸ペンディング(保留)である。基本的に「ま・ご・こ・は・や・さ・し・い」(豆・胡麻・米・若布・野菜・魚・椎茸・芋)で良いと思っているからだ。まあ時々、すき焼きや焼き鳥たべてはいるが・・・。

(3)食物アレルギーのことを昨日のテレビでやっていた。横浜の子ども専門病院で、子どもの食物アレルギーの治療をしているが、それは正に「毒をもって毒を制す」というアイデアで、例えば卵アレルギーについては、極微量から徐々に量を上げていき、ほぼ一ヶ月位で普通の状態になっている。免疫(?)が徐々に出来るからだろうか。他のアレルギーや大人の食物アレルギーには未だ効果は不明で研究中という。

よくよく事情を検討する必要があるだろう。

なら国際映画祭NARAtive映画2本の感想

2010-08-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日から第1回なら国際映画祭が始まった。私の参加している「地域SNSけいはんな」のオフ会でオープニングセレモニーに行った。奈良出身で奈良に住み奈良を舞台とする映画を撮り続け、2007年のカンヌ国際映画祭でグランプリをとった河瀬直美監督の発想から始まり、昨日のスタートにこぎ着けたのだ。28日の土曜日までイベントが続く。

上映される映画は大きくは3つほどに別れるのかな。その中心は「新人監督作品コンペティション」で、今回8本がエントリー、4人の国際的審査員で審査される。どうなるか期待したい。これは、まあ国際的映画界への「新人賞」と言ってよい。長い伝統となるのを期待する。ならまちセンターで上映される。学生監督による作品ジャンルもあり、これは奈良女子大学の「ならまちセミナーハウス」で上映される。

奈良県文化会館でのオープニングセレモニーでは、河瀬直美さんがプロデューサーをした「短編(上映時間1時間)」2本が上映された。河瀬さんはもちろん、監督や俳優も来ていた。この2本は、「NARAtive」と言うらしい。これは、「奈良らしい」という意味と「Narrative(物語)」という意味を兼ね備えた「洒落語」であろう。

2本とも1時間もので、まずまずストーリーは伝えられたと思うが、今一つ「詰め切れていない」感じだった。「びおん」では、主人公の志保が木工作家の誠人に心を寄せていくプロセスが今一つ説得的ではない。母親と志保の確執の歴史が不明である。誠人が志保の母親を自動車で轢いたのかどうかはっきりしない。(多分轢いたのだろう。そうでないと最後のシーンが理解しかねる)

桃井かおりの演技に殆ど依存する「光男の栗」では、光男が末期がん患者の「桃井かおり」演ずる母親を心配し煙草を止めさせようとし、母親の好物の栗の実を食べさせようとして採取に出かけ事故で死んだ。母親は、その光男の遺したカメラの写真から「光男探し」を橿原市で始めるのだが、光男が死んだことまで分かっているのかどうか、まあ最後の栗の実を「桃井かおり」が狂喜して採るシーンは、知っていることを暗示しているが・・・。(まあ更に言えば、光男の小さい頃からの母親、父親などとの関係も前提にあると、母親と光男の「深い」関係、母親の「深い」悲しみが伝わるのに・・・)

まあ、国際映画祭なので、奈良の空間を丹念に、特に庶民の空間を町と田舎について描いているのは良いと思う。例えば、家での引き戸の玄関、田圃でのもみ殻燃やしや山の茶や柿の木風景など。もう少し時間を長くした「1時間半」もので丁寧に詰めていってほしかった。


地縁、血縁、知縁これってChain!

2010-08-25 | 言語・字・言語遊戯
昨日、地域の集まりで「人のつながり」の大事さの話をしていて、近所の知り合いが「昔は田舎などで地縁が大事といっていたが、町などではそれが形成しにくい。興味・関心でつながる知縁(ちえん)も大事では・・・」と言うので・・・。

私は、それを受けて「いやー、人のつながりは重層的に大事、血縁も実は血縁(ちえん)で大事ですね。これらをまとめると、Chain(チエーン)になるのかな」と言っておいた。

「洒落的まとめ」で、「大人」には受けたかもしれない。

奈良女子大1980年卒30周年同窓会での私の話

2010-08-23 | 奈良の思い出(助教授時代)
昨日(8月22日)奈良ホテルで開かれた奈良女子大卒30周年同窓会(1980年卒生)に例年のように出かけた。今年は、どういう風の吹きまわしか分からないが私に壇上で話(「恩師お言葉」)をせよ、とのことで話をした。

メモを作って、一応それを頭に入れて後は自由に話をしたのだが、乾杯のあと席で周りの卒業生と歓談しつつ結構飲食もした後での登壇だったので、少し話が乱れたところもある。

そこで、メモを基に、話したことを思い起こしつつ、下記にブログ版テキストをつくってみた。
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(改訂ブログ版)
卒後30周年おめでとうございます!(2010年8月)西村一朗(家政学部、生活環境学部)

皆さん、奈良女子大学ご卒業30周年おめでとうございます。昔、言っていた「人生50年」を健康で見事クリアされ、『論語』にいう「天命を知る」世代に入られた訳ですね。

今日は、お招きにあずかり有難うございます。一言、話をさせていただきます。

私は、紹介されましたように家政学部に所属していました西村一朗です。昭和49年(1974年)32歳の時、助教授として赴任し、5年前の2005年63歳の定年まで31年間、奈良女子大に勤めました。

皆さんが卒業された30年前、1980年には私は38歳であり、教育のかたわら研究のまとめ(学位論文作成)のため日々呻吟していました。

その後、現在の皆さんの年齢(52、3歳)の頃に、どんなこと考えていたかと言うと、研究、教育の取り組みのほか「10年後には定年退官(当時は国家公務員で「退官」と言っていたが、最近は「退職」である)になる、つまり「会社人間から居住地人間」になるので、今から居住地人間作法を身につけていく必要がある」と、指摘していました。

それで、5年前に定年退職し、以後4年間ほど平安女学院大学に勤め、今は名目的客員教授ですが、実際は5年前から「職場人間から地域人間」に転換したと思っています。もう一つ、定年退職後の人生は余生ではなく本生、あるいは前史から本史へだと思うのです。(まあ、余生という言い方はよせ!ですね)

私は、現在、地域でボランティア的に色々なことをやっていますが、今日は、一つだけ「けいはんな市民雑学大学」の立ち上げ・運営をあげてみたいと思います。

「けいはんな地域」とは、「けいはんな学研都市地域」(けいはんなの8市町―京都の精華町、木津川市、京田辺市、大阪の四条畷市、交野市、枚方市そして奈良の奈良市、生駒市―にまたがる、人口23万人地域)なのですが、退職したのち、精華町に住んでいるので、在職中の研究関連で「けいはんなのまちづくりを考える会」に参加して一メンバーで活動していました。(「私の仕事館」存続シンポジュウムなどの取り組み)その中から派生した地域SNS(けいはんな)(mixiの地域版、現在会員300人余)を7人ほどで立ち上げ、それらの活動から「けいはんな市民雑学大学」が2年半ほど前(2008年3月)に立ちあがったのです。地域の市民を「市民教授」「市民学生」と考え、「まちづくり」に資すると共に「市民教養」を豊かにするために「市民雑学」の講座を月一回開いて30回近くになります。地域で11名の運営委員でボランティア的に運営し、現在私が代表をしています。(俗称「学長」と言っています)講座には、毎回30人から60人位の参加ですがピアノやヴァイオリンの演奏付き講座を2回開いた時には奈良女子大学の記念講堂や100年ピアノを使わせてもらい300人ほどの参加でした。奈良女子大関係の諸先生にも協力していただいています。他にこの地域にある諸大学や諸研究所のメンバーにも協力を求めていますが、基本は地域に住みあるいは働いている市民自身が「市民教授」となり「市民学生」となることです。
私自身は、この取り組みをも通じて「頭のつくりかえ、再開発の楽しみ」を味わっており、一つだけ言うとすれば「雑学は楽しい、それを追求していくと、これぞ学問、that’s学になるのではないか」、と思っています。
是非、ネットで「けいはんな市民雑学大学」で検索していただき、ホームページ等を覗いてください。また、可能ならば参加ください。「市民大学」あるいは「雑学大学」でネット検索すると沢山出てきますが、「市民雑学大学」で検索すると、今のところ「けいはんな市民雑学大学」がトップに出てきますよ。

今後、10年ほど経つと働いている皆さんは我々と同じ「地域人間」になる人が多いと思うので、ここでその時を目指す一つの提案をしておきたいと思います。今からウオーミングアップ、準備をされたらどうか、と思います。

奈良女子大学は、文学部、理学部そして家政学部(現在は生活環境学部)で出来ているので、卒業生の皆さん方も、そこに基礎をおく諸学校、諸塾などをあちこちで立ち上げたらどうかと思うのです。同窓会の佐保会が行っている「佐保塾」の地域版といってもいいかもしれません。卒業生には先生経験者も多いと思うので好都合かもしれません。例えば、文学部出身者は、「文化学校」を、理学部出身者は、「自然学校」を、家政学部出身者は、「生活学校」を地域、地域で盛り上げていったらどうでしょうか。そういう要求が地域に満ちているのでは、と思います。例えば、現在、私は地域の「健康調理教室」に行っていますが、それは基本的生活力をつけるためです。もちろん楽しみもあります。私は基本的生活力として「炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合い」の七つほどあげていますが、これが欠如すると将来「孤独死」の危険が迫ってくると思っています。だから高齢者、特に男性に基本的生活力を付ける要求が大きいとみています。3学部出身者共同で地域、地域の「市民雑学大学」開設という手もありますよ。「指導要領」や「シラバス」等の外的拘束に煩わされず自由に活動できますよ。場所として、既存の小中高校を活用する手もあるし、福祉系など他の施設を利用する手もあると思います。地域の高齢者も子どもも主婦も期待していると思います。私も期待しています。

最後に言いたいのは、「乾杯の音頭」の時、井上公正先生(私注:1921年お生まれ)が話された戦争体験のことです。年代、年齢により様々と思いますが、私は1945年当時、金沢に住んでおり4歳でした。終戦間際に、後で分かったのですが、富山方面の爆撃に飛んでいくB29編隊を恐る恐る見上げていました。幸い金沢は爆撃されませんでしたが、もし私が、原爆が投下された広島や長崎、「鉄の暴風」が吹き荒れていた沖縄、大空襲のあった東京、大阪、名古屋などに住んでいたら、今生きていないかもしれないのです。だから戦争は絶対してはいけないと思うのです。皆さんは戦後の生まれですが、ご両親などから聞かれたのでは、と思います。仮にご両親が戦争で亡くなっておられたら、皆さんも今いないのですよ。良く考え後の世代にも伝えていきたいものです。以上で私の話を終わります。どうも有難うございました。
(2010年8月22日)

もう少し詳しく「職場人間から地域人間へ」を知りたい方は、次のブログ参照:http://blog.goo.ne.jp/in0626/d/20100725
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同窓会の他の様子や感想は別件で・・・。

頭のつくり変え3-健康学

2010-08-21 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
健康学というのがあるのかないのか知らない。

でもまあ、本生での自由な学問は、分析的ではなく総合的、「つながり」的であってよいと思うので、○○科学などとは言わずに○○学、ここでは健康学として、子ども時代から習ってきた健康にとっての栄養学などの再検討をしていきたい。

栄養の三要素として炭水化物(糖質)、脂肪、蛋白質というのを習った。それに加えてビタミン、ミネラル(場合により電解質・・・水を含む)そして食物繊維も広い意味で加わってきた。そして水がしっかり「ベース」として入ってきたのである。

これらは「経口取り入れ有意物質」とまとめても良い。そして鼻孔から空気を取り入れている。新鮮で綺麗な空気がなければ生きていけない、つまり健康を維持できないから、重要な物質と言ってよい。これらは全体として「取り入れ有意物質」である。

これらが体内を駆け巡って運動や休養をも支える。血となり肉となり骨となり皮となり毛となる。毒素は、水に溶かして汗や尿として出す。体内に取り入れたカスや過剰物質や役目を終わった老輩物は、やはり尿となり汗となり糞便となって外に排出される。

これら全体が自律神経系統で統御されている。

上述した、各物質は何に含まれるかが分かっているから、それらから満遍に取るというのが今までの考えだったけれど、全体としてどういう組み合わせの物質群が良いか、総合的に考える時代となっている。

「経口取り入れ有意物質」でもいわゆる食物で取るのか、サプリメントを含んでよいのかも問題であろう。まあサプリメントだけで生活している事例をテレビで見たが、論外であると私は思う。

健康学は、今までの既存知識を「再開発」して有意なもののみを残し、後は捨て、新しい総合的考え方を取り入れ組み上げていく「楽しい」作業ではないか。

「水こそ命の源」大坪亮一さん

2010-08-20 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
今日の朝、ラジオ深夜便で「水こそ命の源」という題で大坪亮一さん(科学ジャーナリスト)の話を聞いた。再放送らしいが、猛暑日が連日続いている時節柄からもピッタリの話題だった。

基本的に私もそのように思う。ところが、大坪さんの説明が、時間の関係もあり端折り過ぎていて、多くの人の「胸に落ちたか」といえば、大体はそうだなーと思うが、膝を打って”そうだ!”と言えるまでにはなっていなかった、と思う。

これらから、私として指針にすべきは、
(1)水は、もう少し毎日多めに飲んでも良いのでは・・・。
(2)イオンに分かれた水を、場合により飲み分けるべし。
(3)丸ごと果物や野菜の水を「食べる」べし。
(4)ミネラルを多く含む硬水も良いのではないか。・・・

お蔭で、今日は藤田紘一郎著『水と体の健康学』(サイエンス・アイ新書)を買ってしまった。

蛇足:(3)に関連の駄句
・ああ暑いがぶりとトマト水を食う
・朝納豆大根のおろし水甘し   以上「西村市路」でした。

熱中症対応に取り組もう

2010-08-17 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
熱中症で、この1ヶ月で280人以上亡くなるのは史上初であろう。毎日35℃を越す猛暑日だ。

今宵、NHKTVで対応策をやっていた。やはり、大学、大学教授の「権威」に頼っている。

健康のためには、栄養、運動、休養の三要素が必要と言われるが、今回のような状況では運動は除いて良い。栄養については横浜国立大学名誉教授の渋川祥子さんが推奨メニューを言っていた。食材として豚肉、明太子、枝豆、ニラ、ねぎ、ニンニクなどが印象に残った。

休養については奈良女子大の久保博子准教授が睡眠について述べていた。まあ、寝入りの3時間が勝負、だからクーラーは3時間は付けて良い。ここで急速に体温を下げ、ぐっすり眠れば良いとのこと。私もナポレオンのように「ぐっすり4時間」を目標にしている。

渋川さん、久保さんとも日本家政学会や奈良女子大学を通じて知り合いだ。

はーい、これらを実行していきましょう。

終戦65周年(昭和85年)の感慨

2010-08-15 | 時論、雑感
今日は「太平洋戦争」終戦65周年の日(昭和85年の終戦の日)だった。

『朝日新聞』の社説では、「昭和85年」を強調し、「昭和20年(1945年)」の終戦で世の中がらっと(本質的に)変わったわけではなく、明治から続く昭和初年以来からも強められた官僚化国家の延長線上にある、との認識をしめしている。

これを本当の国民主権に変えるのは至難の技であるが、やりがいのある仕事であろう。

今年はまた「日韓併合100周年」でもある。

以上からみると、帝国主義時代から本当の民主主義時代への歩みはこれから、かもしれない。人生の最後の期間、そのことにも力を注いでいきたい。

横書き日本語文での偏と旁(つくり)

2010-08-14 | 言語・字・言語遊戯
近々のブログで、「横書き日本語における数字の書き方」「横書き日本語文とアルファベット混ぜ」について書いた。

数字については、原則1,2,3のようなアラビア数字にする。アルファベット、英単語、短い英文などについては、上手く混ぜたら良いなどと述べた。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c64d294e4fb029b34dfd3297b4752b33
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b4efe669e0e1aa0a4db9917c710b8d0f

今回は、漢字について、偏と旁(つくり)で構成されている語について、分解したり、逆に偏になりうる字と旁になりうる字を合成したりする「手法」について述べたい。

例えば、女という字と子という字があり、それらを横書きすると女子になる。で、この二字を合成すると「好」となる。そこで、私の次のような発言が現れる。

奈良女子大学に入学してきた新入生に対する言葉:「皆さんは、それぞれの勉学の目的を持って入学されました。しっかりそれらを勉学して下さい。しかし、同時に皆さんは古都・奈良に来られました。是非、奈良を堪能して欲しいと思います。だって、奈良女子大学の女子を縮めて言うと、奈良好大学(ならすきだいがく)になるのですから・・・」

これは、横書きで草稿を書いていて気付いた言い方だった。

この伝で言うと、東京女子大学でも京都女子大学でも「応用可能」であろう。

逆に分解については、「住むとは、人が主になることだし、休むとは、人が木に寄り添うことですね・・・」と横に読んでいくと一発で分かるのである。縦書きでも分からないこともないが、横書きの場合に及ばないであろう。

これらを今後、色々工夫していきたい。皆さんも試みられたらどうか。

横書き日本語文とアルファベット混ぜ

2010-08-11 | 言語・字・言語遊戯
前に横書き日本語文に数字を入れる時、漢数字ではなくアラビア数字の方が適当ではないか、と2、3日前に書いた。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c64d294e4fb029b34dfd3297b4752b33

今日は、横書き日本語文なのでアルファベット、英単語、英文混ぜが可能になったことを指摘したい。(ついでに各種記号も)簡単な英語は、義務教育でも習っているので殆どの日本人が理解できることも前提だ。

例えば、「これは雑草ですか?」「That's so!」/ 雑学も洗練させていけば、これぞ学問、つまり「That's学」になるのではないか。/ 「お米に虫が湧いてきた」「わー虫sが走るな」てな具合に、英文、英単語、アルファベットも横書きなので、すんなり混ぜれるのだ。

なんでもかんでも名詞にsを付けて複数にするのは安易すぎるが、「虫sが走る」なんてのは、それこそうじゃうじゃ虫が走っていて、本来の意味を強化している「傑作」ではないか。(私の創作、That's学もそうだ)

スラッシュ/のような記号も途中に入れられる。今後、「発展していく」文体ではなかろうか。

非受験科目の大切さー家庭科、体育、美術、音楽などー

2010-08-10 | 文化論、科学・技術論
高校や大学への「受験科目」は、一般に国語(日本語)、数学、理科(物理、化学、生物、地学等)、社会(日本史、世界史、地理、公民等)、英語(外国語)となっている。

最近読んだ雑誌『U7』(8月号)で、東大副学長の小島憲道さん(京大理学部卒、京大助手、助教授から東大教授、現・副学長)が「恩師を語る」で、鳥取大学付属中学の前田祐一先生(東大理Ⅰから航空工学、健康を害して文系にかわり、社会科教諭)の言葉を紹介している。

「君達がこれから高校に進学すると、数学、英語などの主要科目が重要視され、音楽や美術などの科目が軽視されがちになると思うが、社会に出た時、芸術の素養と感性が最も重要となる。どうかそのような感性を持って欲しい。そうでなければ、いくら勉強が出来ても私は君達を軽蔑する。」と。

私は、美術や音楽だけでなく、体育や家庭科も大切と思う。体がしっかりして健康でなければ何事も「しっかりやろう」との気分も起こらないし、基本的生活力の理解と涵養ー家庭科の目標ーがないと、生活の豊かさ目標も掴めないのではないか。

以上の受験科目、非受験科目にストレートに対応するのは、やや難しいが、
食育→体育→徳育→知育という順で教育が積み上がっているという観点に立つと、全体を関連付けて重みも付けて展開する要があろう。

横書き日本語における数字の書き方

2010-08-09 | 言語・字・言語遊戯
2,3日前のblogで、外山滋比古さんが、日本語は本来、縦書きだったのが公的文書で「安易に」横書きにしたため、おかしくなった、と述べていたことを紹介した。その1つの分かりやすい事例として数字の書き方をあげていて面白かった。

詳しく聞いていないが、私の理解で「そうか」と思ったので、ここで書いておきたい。

日本語の元々の数字の書き方は、壱、弐、参、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、億・・・である。一、二、三と簡易に書く場合は、これからの論は、より分かりやすい。

縦書き文で、一、二、三と書くと、横棒が、縦の上から下に読んでいく視線を遮り(視線に抵抗し)、はっきり一、二、三と認識出来る。これを、ここに書いているように横書きすると左から右へと読んでいく視線は、横棒(及び横棒の間)をするりと抜けてしまう。

これを横書きで1,2,3と書くと、「抵抗線」が出てきて、はっきり数字が認識できるのである。

英語もアラビア語も横に書いて、初めて読むときに視線の移動に抵抗して、はっきり認識できるのである。両方とも縦書きは無理であろう。

普通の漢字の場合は、本来、縦書きなので続け字も工夫されてきたが、横書きに「無理に」したため横書き続け字は未だ「未完成」だ。しかし、漢字には「横抵抗線」も「縦抵抗線」もほどほどにあるので横書きにしても、まずまず「読める」のである。

でも数字は、横書き日本語の場合では、一、ニ、三、十、百などと漢数字で書くよりも、1,2,3,10,100などとアラビア数字で書くのが良いのではなかろうか。アルファベットも、そのまま書いているのだから・・・。

木の床の感触

2010-08-09 | 住まい・建築と庭
現在住んでいる家の居間兼食堂(2.5間×3間ほど)は、全て楢の無垢の木張りである。畳の部屋は、一階の6畳間と2階の8畳間の2室で、他の玄関の間、娘の個室(2階、今は家人の寝室)、脱衣室(2階)、書斎(2階)、廊下、階段なども全て板張りである。

これを私が生まれて高校卒まで住んだ金沢の家と比較すると、金沢の家は、1階の茶の間(4.5畳)、座敷(8畳)、玄関の間(3畳)、通りの間(4畳)、2階では座敷(12畳)、前の間(6畳)、離れの間(6畳)は全て畳の間であり、縁側、一部通りの間、階段などのみ板張りだった。

まあ、大局的に言うと、畳の家から板張りの家に替ったと言ってよい。

世の中の最近の家は、畳の間が僅か1室というのが大半で、「ない」というのも出てきている。私は、自分の家がそうだから、ということ以外にも、畳の間は少なくとも2室ほしい(座敷と寝室・・・)との個人的論を持っている。

ところで、現在の板の間での、足の様子だが、原則裸足である。冬は寒い時は靴下などを履いているが、スリッパーを履くことはまずない。床暖房時は裸足でも平気である。

家の中では、原則裸足とのやり方は、子ども時代の18年間の習性が身に沁みこんでいるからだろう。その頃は大部分畳に裸足だったが・・・。まあ理屈を言えば、5感と家との交流が大切、ということであろうか。

暑い夏、少しひんやりした楢の木の床に大の字で、桧の木枕に頭を置き,昼寝するのは、なんとも気持ちよいものである。

考え考え頭のつくりかえ、本生、本史の楽しみ

2010-08-06 | 思いつきから仮説へ
夕べ、愛聴番組の一つ「ラジオ深夜便」で天野祐吉さんが外山滋比古さんと「隠居大学」で対談していた。天野さんが「学長」で聞き手、外山さんが薀蓄を傾ける役だ。

外山さんはお茶の水女子大の名誉教授(英文学)だが、70歳過ぎてからの著作も色々ユニークで面白い。先ず、外山さんは「人生2毛作で、実は2番目が本番、最初のは準備、序走、いわゆる定年退職後を余生というのはおかしい」との論で、賛成だ。それなら余生でなく本生とでも言うのかな、と私は思った。

その伝で言うと、自分史としては定年までが前史、それ以後が本史ということになろう。(確か、マルクスは資本主義までを歴史の前史、それ以後を本史と言っていたのではなかったか。)

外山さんは、定年後、ゴミのような定年前の知識を「忘れて」、頭の中を整理したらしい。まあ、余り自分に関係なさそうな知識は、寝ている間のレム睡眠時に「消去」されると言う。(本当かな)

それで空いてきた頭で色々と自分にとって考えるべきことを毎日考えているようだ。体を動かすのも大事なので散歩もしながら考えていると言う。その中から、日本語の縦書き、英語の横書きと文字との関係(日本語を安易に横書きでも良いようにした―このブログのように―問題点を指摘)、ユーモアや笑いの話と俳句・川柳の盛衰、悲劇と喜劇の話、クラブの効用(面白い話の生産)等のユニークな考え方が出てきたようだ。

私も、過去「頭をつくりかえる楽しみ」を二回書いた。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/d050cbce960ce24f554adaea077878da
これも外山さんに啓発されたものだ。

この中に、もう一編が含まれている。

とにかく、「硬く」なりつつある脳髄から不必要な知識を追い出して、必要なものを自主的・主体的に取り入れ、考え考え「頭の中の再開発」をする楽しみなのである。

これは、定年後にある意味相応しい取り組みだ。だって「考える」っていうのは、無料(無量)の楽しみなのだから・・・。

外山さんが紹介していたユーモアの例:第二次大戦後、イギリスで大経済学者と目されていたケインズ先生が記者会見した。記者の質問:「先行き長期的に考えるとどうなりますか」(ケインズ先生少し考えてからおもむろに)「長期的に考えますと、皆死んでますな」・・・
ドイツの記者は「経済学の先生にそんなこと聞きにきたんじゃない」と小言を言ったらイギリスの記者は、心得たもので「だからドイツ人は頭が固い」と言ったらしい。天野さんは引き取って、日本で「財政危機は長期的にどうなりますか」との質問に首相が「長期的には、皆死んでいますな」と答えたらどうなりますか、と笑わせていた。