西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

日本人は「単一民族」ではない

2008-07-31 | 色々な仮説や疑問
今日の「健康調理教室」では、再度「玄米餅ピザ」と「野菜サラダ」、「野菜スープ」を作った。米油で揚げた「大学芋」もあった。今朝、自然農園で採れたと言う「おばけ胡瓜」のなますも美味しかった。食後、ゲスト二人と「調理人」五人計七人でコーヒー飲みつつ色々と駄弁った。

其の中に、「日本は単一民族なのに・・・」という言い方が出てきた。同席で古代史に関心を持っているY.さんは、「日本人は、南方系、北方系、別の言い方で縄文系や弥生系が交じり合っていて血液型でもバラエティがある。DNA分析では、色々なタイプがあるようなので、単一民族ではない・・・」と。H.さんは「日本人=単一民族は、明治以降のイデオロギーでは・・・」と言う。

私もつい最近テレビで見た「どこから来たのか ニッポンのヒト」http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/79746cbc45afeff4563664059f3acfd1
を引き合いにだして、「遺伝子的には人間、皆兄弟」「国家とか○○家の家系とかいうのは、遺伝子の繋がりを無理にどこかで切断したものだ」と言ってみた。


自然は優しいと共に怖い を認識し教えるべし

2008-07-29 | 時論、雑感
常日頃「優しい」金沢の浅野川や、神戸の都賀川(とががわ)が昨日「暴れた」。前者は、氾濫して家屋に浸水し、後者は急に増水、鉄砲水で4人(結局5人)を押し流してしまった。

我々は「自然は優しいと共に怖い」と認識し、子供たちにも徹底的に教えるべきだ。
・さらさら流れる川は人に優しいが濁流の洪水の川は恐ろしい
・穏やかな海は母なる海だが津波は命を奪う悪魔だ
・きれいな水は正に命の水だが水俣病を起こすのは毒水
・恵みの太陽光線も夏の灼熱の太陽光線、オゾン層の破壊された場合の太陽光線は恐ろしい
・そよそよ吹く風は人に優しいが竜巻、ダウンバーストや台風は怖い
・優しい緑や林は人を惹き付けるが大密林は人を飲み込む
・犬・猫のペット動物は可愛いが猛獣や「ジョーズ」は恐ろしい等々

これらをしっかり子供の頭に刻みこもう!


浅野川の氾濫

2008-07-29 | 金沢の思い出
昨日、金沢で「女川」と言われる浅野川が氾濫したというニュースがあった。浅野川大橋付近の主計町(かずえまち)(重要伝統的建造物群保存地区)付近で、浅野川左岸であり、対岸のやや上流部分には例の「東の廓」がある。早く復旧して欲しい。

私が住んでいた地域は、もう一つの川、「男川」と言われる犀川流域である。ただ寺町台なので仮に犀川が氾濫しても洪水に襲われる心配はほぼないといえよう。

ただ、子供の頃に、大雨の後、寺町台から見下ろして対岸(右岸)が決壊して氾濫したのを目撃した記憶があるのだが、あれは何時だったのだろうか。記録では1961年(昭和36年)9月の第二室戸台風の時、犀川大橋やや上流右岸で氾濫とあるが、私が目撃したのは、もっと上流の桜橋と下菊橋の間だったと思う。

一度、調べてみたい。

(写真は、主計町茶屋街ー重伝建地区ー)

散髪でサッパリと

2008-07-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私は平均月一で散髪に行く。今日がその日である。「カット」だが、何時もより少し短かめにしてもらった。理髪店の椅子ですごす1時間は、リラックスの時であり、今日もうつらうつらした。

この理髪店の名前は、面白くて A:(C) これって何と読むの。「ええ(A:)格好( )しい(C)」つまり「ええ格好しい」なのです。面白いでしょう。洒落で付けた名前のようですね。店の若い衆がつけた、と店長から聞いたことがあります。

「雑学大学」でパレスチナ問題を聴講

2008-07-26 | けいはんな学研都市マター
今日は、夏風邪で声が出ない中、午後にイオンの4階「こすもすホール」で行われた「けいはんな市民雑学大学」に出かけた。何時もなら「代表」の私が初めに挨拶するのだが、声がでないので「副代表格」の「ごろちゃん」さんに挨拶をお願いした。

講師(市民教授)は福田 菊さんだ。福田さんは国連広報センター(東京)に勤めパレスチナ問題を国連の資料で勉強してこられた人である。昭和11年(1936年)生まれの72歳。講義は、簡明直截、うーん「目からうろこ」も幾つかあった。

福田さんは「別にパレスチナ側の肩を持つ訳ではないが、事実経過をみていると対するイスラエル側にしてやられていると思わざるをえない」と言っている。

先ず、イスラエルを生み出したのはイギリスと国連であり、戦前の「パレスチナ」をイスラエルとパレスチナで分割建国の予定だったが、現実にはイスラエルしか建国していない。イギリスの植民地統治は「黄金則」というのがあって、その国の違う二つの民族グループを見つけ、少数派を後押しする。そこで多数派はそういうイギリスの魂胆を見抜けず、横の多数派に「憎しみ」を抱いて紛争になる。そのことで、その国の力を削ぎながら分割統治が可能になるのである。戦前のパレスチナ統治が正にそれだった。他にはインド、パキスタン統治でもアフリカ植民地統治でも見られ、今でもアフリカで内紛があるのはイギリス統治の後遺症のようだった。

イスラエルを建国したユダヤ人は、ナチスの「ホロコースト(大虐殺)」に会って気の毒だから建国もやむを得ないというのがイギリス、フランス、アメリカ等の「考え方」であり、日本も大方はそういう見方ではなかったか。

ところが、1948年にイスラエルが建国するや否やパレスチナ人が250人ほど住む村の全員虐殺を敢行、次の村に行って「人殺し集団が来たぞ」と叫んで回る。パレスチナ人は250人虐殺事件を知っているので着のみ着のままで逃げ出して、イスラエルは労せずしてその村を手に入れる。こうして475ケ村からパレスチナ人を追い出したのだ。で、弁明の段階では「たった250人しか殺していない、あとは彼らが勝手に出て行っただけだ」と。250人の「ホロコースト」であるのは間違いないのに・・・。後で、イスラエルが深井戸を掘って入植し、周りのパレスチナ人井戸(浅い)を枯らして追い出すという手も使っている。他にも「2ヶ月間その土地・家屋を離れた場合、所有権を放棄したとみなす」と言った無茶苦茶な法律も勝手に制定、それを使って「いわば合法的」に土地・家屋を取り上げていったらしい。

西洋社会は昔からユダヤ人を毛嫌いしている。なのにイギリスも最近のアメリカも「肩を持つ」のは何故か。西洋社会にいるユダヤ人を一定地域に押し込めたい。彼らの財力、頭脳力を利用したい等の「思惑」も働いている、と言う。最近ではアメリカの大統領を決めるのはユダヤ人の財力であり、アメリカのノーベル賞受賞も多くはユダヤ系アメリカ人なのである。マスコミ界も主なところ(例:ワシントン・ポスト等)を牛耳っており、パレスチナ問題の真実がマスコミに出ることはない。大学の先生が、多少とも真実に近くイスラエルを批判するような本を書くと、その先生は勿論、所属する大学宛に「大学を辞めろ、辞めさせろ、昇格等させるな」とメールや封書が山ほど来るようだ。アメリカ政府は国民に対しては「イスラエルは中東で唯一の民主国家だから・・・」と支持する理由を言っている。果たしてそうなのか。アメリカに似た政治制度のみ民主主義というのはおかしいのではないか。

結局、戦後決めた「線引き」は無理としても、少なくとも最近合意されている「線引き」に従い「パレスチナ」を早急に建国することが大切、と思った。別の人類史ブログ記事で「DNA分析では、人類は皆つながっている。国家は人為的につながりを断ち切ったものだ」ということを書いたが、現実の問題をみると、中々「人類、皆兄弟」みたいにいかないなあ、とも思う。

日本ではどうか。ユダヤ人は殆どいない。しかし、戦後いち早く「ロックフェラー財団」が金を出して日本の「エリート層」をアメリカに招いた(留学させた)のは、彼らを通じて日本に影響力あるグループをつくろうとしたことがある。「ロックフェラー財団」は、ユダヤ人の息がかかっている。「留学者」の多くは、日本人の顔をした「イスラエル派」であって、首相候補にも注文を付けれるほどになっているのではないか。まあ、中には小田 実さんのような人もいたが・・・。最後の部分は私の推測である。

「けいはんな市民雑学大学」へ是非お越しを:http://academia.keihanna-city.com/


夏休み、孫の来襲にそなえて

2008-07-25 | 訪問場所・調査地
やはり、8月中旬に娘夫婦と三人の孫がやってくる。妻(お祖母ちゃん)は何やかやと名古屋往復しているが、私(お祖父ちゃん)は、今のところ行く間もなく、長期休暇に「迎え撃つ」のみである。一番目の孫(男小六)、二番目の孫(女小一)とは、「付き合いが長く」なりつつあるが、一番下の孫(男一歳四ヶ月弱)は、ハイハイから「立っち」に移行しているが、「立っち」を見るのは初めてだ。どういう風に「付き合い」に入っていったら良いか・・・。

まあ私の娘の場合「一人っ子」だったこともあり、小学校に入った頃より、夏休みに毎年国内旅行をしていた。近くは伊勢志摩、伊根町、少し足を伸ばして広島、大山、箱根、NHK+岩崎ちひろ美術館などに行った。孫対象のそういう旅行は、今後、娘夫婦に任せて、私達祖父母は近場で色々行ったらと思っている。「けいはんな学研都市」の「仕事館」、「水景園」、精華町図書館、京田辺の一休寺、まあイオンのシネマにも上の二人連れて一回は行こうかな。一番下の子に奈良の鹿を見せるのもいいかな・・・、中々「計画案」が固まらない。

ああそうそう、絵本の読み聞かせもしてやらなくっちゃ・・・。


退職される仁田昌邦さんに贈る言葉

2008-07-24 | 友人、付き合い
最近、このブログを通じて友人となった仁田昌邦(にった・まさくに)さんからメールが来て、6月の日本板硝子の株主総会で役員(副社長)の職を解かれ、来年の6月まで顧問で残るが、その後は完全退職と言う。

今までの関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/37e28d0fad250681d289a3f8ce94b986
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/adb9af0d742cee7ab0dc219eceab05a3
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/97575d10ad6113f520f97586deee9084


仁田さん、一寸完全退職には間がありますが、重職ご苦労さんでした。何はともあれ64歳まで健康に恵まれ働くことが出来たことはおめでたい、と思います。毎日、社長や部下とのやりとりで、考えをまとめ、論理的に喋ることがお仕事だったのに、これからそういうことが出来なくなることが一番つらいかもしれません。前にお聞きしましたが、少し前に奥様を亡くされ、家でも気軽に何でも喋る相手がいないのが更につらいかもしれませんね。

しかし、息子さん家族も関東のお近くにおられるので心強いと思います。最近、私は「地域」で「喋る相手」として「地域SNS」という仕組みを活用し、有志で「けいはんな市民雑学大学」を立ち上げました。仁田さんは、町歩きがご趣味なので、東京で、関東で是非そういう仲間を見つけて元気に町歩きをなさってください。それと、運動は「町歩き」として、栄養と休養の健康三大要素に偏りが出ませんよう自立して生活して下さい。私も最近「健康調理教室」に週一で参加して「自立力」をつけようとしています。朝食は二人分、私が作ることになっています。まだ夕食まで及んでいませんが・・・。

私もあと少しで「給料取り」は完全Retireの予定です。そうなったら、イギリスでも日本でも一緒に「町歩き」しませんか。イギリスなら最初のニュータウンとも言うべきレッチワースと一番新しい詩人と経済学者の名前がついている「ミルトン・ケインズ」にでも行きますか。えらい違いですよ。日本なら、千里ニュータウンや高蔵寺ニュータウンに行きますか。ここに日本のニュータウンの発展がみれますが、千里は「無茶苦茶」になろうとしています。

もう一つ、仁田さんと喋れる楽しみは、仁田さんの会社が窓ガラスを生産、販売してきたことで、日本の窓、イギリスの窓みたいなテーマでワイワイ言えることです。

こういうネットの時代ですから、それまで時々メールやコメントで交流しましょう。ではお元気で!

二足歩行のしんどさ

2008-07-24 | 生活描写と読書・観劇等の文化
人間が人間たるゆえんは先ず「二足歩行」ということだ。先日、近所の「鍼灸整骨院」に行って、あちこちの「こり」を見てもらったら、先ず「肩」の辺り、これは肩の上に乗っている頭の重さに耐えているからだろう。次は「腰」の辺り、これは重い胴体を腰で支えているからだろう。そして最後に足の末端、ここは腰、足は勿論、体全体を支えている。

これらの三部位について集中的にマッサージをして貰い、灸もしてもらった。久し振りに「すっきり感」があった。

今までは、歩くことは好きで、長距離歩いても余り苦にならなかったが、最近はそうでもなく、夕方の帰宅時、駅の階段を上がるのに「えーこんなにしんどいの?!」と思ったりする。足を少し鍛えないと、Retire後のRe-tireにならないな、とふと思った。

どこから来たのか ニッポンのヒト

2008-07-23 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
昨日の夜11時からのNHKTV「爆笑問題のニッポンの教養」で「どこから来たのか ニッポンのヒト」をやっていたので、何時もなら寝ている時間帯だが、阪神タイガースにマジックナンバーが出て興奮していたし、目をこすって見ていた。

分子人類学による世界中の「ホモサピエンス」の分布とつながり、特に日本人の来歴の解説が面白かった。既に私のブログで似た内容を書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/cc11b44033402437ca6f37aed6ea972c
 
解説する人は国立科学博物館の篠田謙一さん、15万年ほど前、東アフリカに住んでいた「ホモサピエンス」のうち数百人が氷河時代に氷を渡って今の「サウジアラビア」に至り、更に「インド亜大陸」の沿岸沿いに「インドシナ半島」に着き、島伝いに「オーストラリア」に渡ったもの、「中国」沿いに北上し「朝鮮半島」から「日本列島」にいたったもの等に別れた。又、「インド亜大陸」から「ヨーロッパ」に向かうものもあったが、先住民(?)のネアンデルタール人がヨーロッパにいる間は入り込めなかった。ヒマラヤ山脈の北から「モンゴル」を通り中国、朝鮮を通って日本列島に着いたもの、シベリアからベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡ったもの等に別れ、別の流れが時代と共に交錯して現代に至っている。例えばアメリカ大陸(南北)で考えると、最初にベーリング海峡を越えてやってきて住み着いた人たちに、大航海時代のスペインやポルトガルから海を渡ってきた人たち、その後イギリスやフランスから渡ってきた人たち、そして最近は日本人を含め世界各国から渡って来る人々が交じり合って現代アメリカ人が出来ているのだ。

日本に来た主なルートは、南方系(名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ)と北方系(月の砂漠を はるばると 旅の駱駝がゆきました 金と銀との鞍置いて 二つ並んでゆきました)である。アイヌは、最初に渡ってきた北方系であろう。

現在の世界人類は、皆アフリカ出のホモサピエンスが交じり合ったものであることが、女性(母親)のミトコンドリアのDNA解析(分子人類学)を通じて明らかになった。篠原さんの言葉で耳に残ったのは、世界中の人類のDNA解析をするとDNAの組み合わせに差異が出てくるが、何処にも「国」が現れない。国や家系というものは、どこかでDNAの広がりやつながりを人為的に断ち切ったところに成立するものだ、という言葉である。「爆笑問題」の太田さんも田中さんも、篠原先生も自分のDNA解析をしていた。皆違っていて、篠原さんのはヨーロッパに渡った人類と大昔につながっていたようだ。

私は金沢生まれ、父方は大聖寺出、母方は地元出で遡ると「北方系」ではないか、と勝手に思っているが、とにかく自前(自費)で自分のDNA解析をしてみたい。どうやったらできるのだろうか。誰かしてみた人はいませんか。

横尾義貫先生の最後の問題意識

2008-07-22 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
書斎の整理の続きだが、横尾義貫(よこお・よしつら)先生(当時、京大名誉教授)からの手紙メモ付きの送付資料も出てきた。横尾先生は私が京大学生時代、建築構造を習った先生の一人である。昨年の1月に享年93歳で天寿を全うされた。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/87c6133be3ae4d8f19dd5701fb43650b

実は2000年の10月に亡くなられた奈良女子大名誉教授の扇田 信先生の葬儀の時に久しぶりに横尾先生ともお会いしてお話しした。その時、横尾先生は「最近、子供の遊びに関心を持っているのだよ」と言われたので「へー」と思い、関心領域の広い先生だなと感心した。今度、出てきた送付資料は、その時より少し後に横尾先生から送っていただいたもので、なぜ子供の遊びに関心を持たなければいけないか、を論考として書いておられる。横尾先生自身、子供の遊びに関心を持たれたのは、昭和40年代の学園紛争の時、京大で「ゲバ学生」を目のあたりにして「何故、良家の子供がかくも乱暴なことをするのか、ひょっとして小さい子供時代に十分子供同士遊びまわらなかったのでは・・・(喧嘩の仕方を知らない)」と感じたことである、と述べておられる。

私宛の手紙には、豊橋技科大(横尾先生が一時期副学長をやられた)の三宅 醇さん(現在、同大名誉教授、私の先輩)や京大(当時)の岡崎甚一郎さん(現在、同大名誉教授、私の先輩)にも子供の遊びを取り上げる重要性を話した旨の記述も見える。私は、子供の遊びについては、孫たちの行動を通して、近所での観察を通して考え続けていきたい。そのうち、横尾先生の前で「発表できたら」と思う。

青木正夫先生の住居論よりー将来の住居のあり方論ー

2008-07-20 | 住まい・建築と庭
今日、暑い中、自宅書斎の掃除、整理を一寸した。確か昨年8月に83歳で亡くなられた青木正夫先生(山口県出身、東大建築学科卒、九大教授、名誉教授、九州産大教授歴任)から生前9年前、1999年(平成11年)に送って頂いた論考封筒が出てきた。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ad8c6000fc9549709cea9e928835ab4b

そのなかに九州産大の公開講座冊子「現在の日本住宅はどのように発展してきたか」があり、まとまったものなので、つい読みふけってしまった。書斎整理の「楽しみ」の一つは、思いもかけない本や冊子、雑誌、論考などが出てくることである。過去、買ったり貰ったりしたそれらは、忙しい「現役」時代は「積どく」状態にならざるをえないからである。これからが「楽しみ」なのだ。

で、その青木論考の中の結論部分で、「接客空間」、「椅子座式生活の定着」「子供部屋」「夫婦寝室」の現状と将来にふれていて興味がある。

・接客空間は、どうなるか。今までの主人や主婦の接客から「地域に開かれた接客」が流れになるのでは、と私は思う。大きく言うと、定年退職で人々は職場人間から地域人間にならざるをえないからである。地域の人々と仲良くせざるをえないのだ。接客空間は、一緒に料理するとすれば台所と関係が深くなるだろう。

・椅子座式が定着し、下足で家に入るかも、と言っておられるが、私は賛成しかねる。そのように青木先生が言われるのは、住宅の研究と共に小学校の研究をやられてきたことと関係があると思う。小学校が明治にいち早く椅子座を取り入れると同時に下足許容になった例が多くあるからである。
私は、内外の生活から外内の生活に行動と共に気分も転換するためには、玄関で履物を脱着するのが一番と思うからだ。子供の躾でも、靴を脱いだら揃えなさい、というのが第一だろう。

・子供部屋は設けるべし、ただし現象的には色々問題が色々ある、と述べている。
私も子供部屋は設けるべし、と思うが、親が勝手に与えるのではなく、子供が理由と共に要求を出したら考えれば良いと思う。そうすることで、子供部屋の使いかた、管理の仕方をバーターで指示できるのである。

・夫婦寝室の定着には結構時間がかかるだろう。寝室が「夫婦居間」となり近くに浴室も必要となるべきだからだ。

抗太陽光ー日傘、長手腕袋、帽子、紫外線カットガラス、日焼け止めクリーム・・・-

2008-07-19 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
梅雨もあけ、ぎらぎら太陽の照る季節となった。太陽光線は、恵みの光線ではあるが、同時に紫外線は、皮膚、お肌に悪い。皮膚がん等の原因にもなる。

昔、子供時代、夏休みになると必ずと言ってよいほど海水浴に家族で行った。金沢郊外の金石(かないわ)か粟ヶ崎(あわがさき)海水浴場である。太陽で日焼けすれば秋に風邪をひかないなどと言っていた。それと、海辺でオゾンを吸うといいとも言っていた。でも、最近は、「日焼けは悪い」が定説となっている。

今日は土曜日、色んな理由で、妻が運転の自動車で奈良や「けいはんなプラザ」に行った。で、真夏の太陽の下、観察すると、道行く女性は、日傘をさし、手や腕を隠す「手・腕袋」とでも言うものをして、更に帽子をかぶっている。恐らく日焼け止めクリームも塗っているのではないか。

それに引き換え男性は、日傘や「手・腕袋」はしていない。帽子をかぶっている男性もまれである。日焼け止めクリームも塗っていないに違いない。

これでは、一般的に女性が、しっかり紫外線に対してお肌をガードしていて、皮膚がん等になりにくく、平均余命も男性より高くなるはずだ、と思った。

私は、辛うじて帽子だけはかぶって行った。今後、メガネのガラスを紫外線カットガラスにしようと、はっきり思った。

(写真は、女性用長手袋)

分析的生活から総合的生活へー縄文人生活ルネッサンスー

2008-07-18 | けいはんな学研都市マター
きのう、けいはんな学研都市の片隅で「産声」を上げた「いいもの連合・家基都(かきつ)」の設立の会にオブザーバーで陪席した。

そこに12,3人のメンバー(4人の執行委員含む)が参加して、人生経験を踏まえて熱い自己紹介を聞かせてくれた。年齢は、定年前後が多い、団塊の世代も1/3位だ。

執行委員4人もここ1,2年のうちに知り合った人たちで、「本来の仕事」も皆違う。
Aさん・・・建築出身、長年の経験で「ムクの木」の住宅が健康にも良いと確信し、シックハウス症候群の住宅と闘っている。健康の基礎は食、ということでB.さんとつながった。
Bさん・・・調理師、フランス料理が専門だったが、みづから食べすぎ、高脂血症となり、がらり伝統日本食に転換、治ったようだ、本物の農業とのつながりも目指している。
Cさん・・・元企業戦士で昨年定年退職、地域に戻って回りにまったく知り合いのいないのに愕然、健康を指導する資格を持っている関係で、健康調理教室でB.さんと知り合う。
D.さん・・・アメリカで長年IT関係、ビル・ゲイツとも接点があった。しかし、この業界は成功者一人、累々たる「敗者多数」と言う。日本に戻り異業種交流でB.さんと知り合った。
これを聞くと、「つながり」の中心にB.さんがいる。

私自身も数ヶ月前に知り合って、私自身、健康ー食い物ー農業ー農村・都市・国土計画のつながり整理で付き合い始めている。この4人を見ると、元企業戦士、花形産業勤務者のようなサラリーマンの典型、個々に信ずる方向に進んでいるが、もう少しつながればよいと考える人たち、と日本の現状に愁い、悩んできた典型が手を結んだという感じである。

別の視点から見ると、現代の壮大な制度(市場制度、官僚制度等)にも疑問を呈している集団とも言える。

我々は、乳児から幼児、青少年時代と複雑な環境に適応するため、色々なことをやっていわば総合的に生きてきたのだが、高校、大学等と「無理やり」文系、理系と分れ、更にそれぞれ細かく分かれて専門分化の道に入ってきた。まあ「分析的生活」に突入と言って良い。

それで定年まで来るのが一般的、定年後は「自由」であるはずだが「慣性の法則」が働いて上手くいきにくい。ここで、得意を生かしつつもう一度「総合的生活」に入ったらどうか、と思う。

そのためには、古代の縄文人の採集・狩猟生活をモデルとしたらどうか、と考えてみる。どういうことか、簡単に言えば、我々の周りの環境について一から我々の五感を主に使って探索し、生活を成り立たせていくということです。そうなると、自然観察ー植物、動物(食べれる動植物の所在、危険な動植物の所在・見分ける方法、天体(四季の移り変わり)、天気(嵐の予測等)・・、四季の採集・捕獲カレンダーの作成・・)「錆付いていた五感の感覚」も甦るかもしれませんね。

しかし、一部、栽培生活ー弥生人生活ーも取り入れざるをえませんが・・・。
まあ、一つの「モデル」「夢」ですね。

膨大な「ワープロ日記」の扱い

2008-07-16 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
私は1988年2月10日から、現在まで毎日「ワープロ」OASYS(最近はパソコンのワード・ソフト)で欠かさず日記を書いている。2005年6月頃まで17年間は、結構詳細な日記で、毎年厚さ5cm乃至6cmのファイルに収めている。

2005年7月以降は、少し内容が「摘要」調になった。それは、本来の日記とは別にこのブログをはじめたからである。又2007年2月からは地域でSNSを始め、そこにも日記を書いているので本来の日記は「手薄」になっている。

これらの扱いであるが、とりあえず本来の日記については、2008年2月10日で満20年となった。そこで21年後、つまり2009年2月10日から「別ブログ」でday by dayで公開しようかな、と考えている。普通は30年後からの「公開」は、余り内容(プライバシイ等)チェックをしなくても「一世代前」だから、まあ歴史的事象で許して貰えるのでは・・・、と思うが、そうなると「公開」は9年以上先になってしまい、私の今後の「持ち時間」もあるので、21年前からのものにさせてもらう。そのかわり、内容(プライバシイ等)について私がチェックするとしておく。

ブログや地域SNS日記は、前者は全面公開、後者は地域SNS上で公開しているので、そのまま続けていきたい。少し「気分」が変わるかもしれないが、現在はそのように考えている。

食習慣の原型ー金沢時代の18年ー

2008-07-15 | 金沢の思い出
私の現在の食習慣の原型は、生まれてから高校卒業するまで18年間住んだ金沢での食習慣であるだろう。

で、私が「金沢出身です」と言うと、大抵の人は、兼六園を話題にすると共に「日本海の魚や蟹、海老が美味しいのですよね」と言う。確かにそのとおりだが、動物性蛋白質として魚系統だけでなく、肉も食べていた。天狗中田という有名な肉屋があって、今も天狗中田製の「ソーセージ」を近商・高の原の肉屋で買うことが出来る。

天狗中田本店は、新竪町と竪町の「つなぎ目」辺りにあったが、支店は金沢市内のあちこちにあり、近所の寺町三丁目にもあった。私は、何時もそこに「使い」に行ったが、その「使い」は好きだった。帰ったら美味しい肉が食べられるということの他、肉のスライスなど見ているだけで面白かった。当時は肉の等級が、細切れ、中肉、上肉とあって、大抵は細切れ、たまに中肉があった。今は100g単位で買うが、当時は百「もんめ」単位だった。牛肉が殆どで豚肉はたま、鶏肉は殆ど食べなかった。

肉料理は、大抵は「すき焼き」だった。だから今でもたまに食べたいと言うのは「すき焼き」である。当時、肉は健康に良い、と素朴に信じていた。ただ、魚に比べて高いので、そんなに頻繁には食べられないという感じだった。

その後、祖父、母がなくなった後、祖母が80歳を越えて生きたが、60歳頃から、健康に良いと信じて、何時も肉を食べている感じだったが、75歳を過ぎる頃から殆ど食べなくなった。経験から、肉を多食すると体の調子が変になる、と気づいたせいであると思う。足の関節が痛くなり歩くにくくなったりしていた。

そういう姿も見ているので、私は、魚中心で「ま(豆)・ご(胡麻)・こ(米)・は(若布)・や(野菜)・さ(魚)・し(椎茸)・い(芋)・ヨ(ヨーグルト)」になっている。私は「ヨ」を除いては金沢時代から好きである。金沢市民全体としては当時も今も魚中心であろう。実際、寺町通りには、肉屋一軒に対して魚屋が三軒もあったのである。