西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

一歳児、マンション9階ベランダより転落、大怪我だが助かる

2008-03-31 | 住まい・建築と庭
私は前からマンションなど集合住宅では、超高層は拙い、せいぜい4,5階の階段で上下できる範囲の中層や1,2階の低層が良い、と言っている。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/58eff9c143f6a537d183ec2bb56e6c1c

で、今朝テレビニュースを見ていたら、マンション9階のベランダから一歳の幼児が誤って落ちたが、植え込みがクッションになって骨を折るなど大怪我をしたが一命を取り留めたようだ。高層マンションの周りは柔らかい植栽が良いのはこれからも明らかだ。コンクリートだったら「だめ」だったろう。又、これが大人ならソフトな植栽でもまず無理だろう。

まあ4,5階までが良いと言うのは、地表の状況と五感(はっきり誰か分かるように見える、声をかけられる、草花の匂いが漂ってくる・・・)でつながりうること、仮に大人が落ちても(意識的に飛び降りても)怪我はありうるが一命は取り留めるだろうということだ。

哀悼:足立紀彦君(京大名誉教授、奈良産業大学教授)

2008-03-30 | 京都の思い出(助手時代)
今朝の『朝日新聞』『京都新聞』の訃報欄をみてびっくり、京大名誉教授で、2004年から奈良産業大学に勤めていた足立紀彦君が28日、前立腺がんで亡くなった。享年67歳、新潟県出身(確か新潟高校卒)、私より1歳年上だが、京大工学部の学生、院生時代は同期で「読書サークル」で科学・技術論を一緒に勉強した。

私はその後、京大助手を4年間勤めたが、その時、足立君も助手ではなかったか。数理工学科だったと思う。その後、私は奈良女子大学に転出、足立君は新潟大学に転出、「付き合い」が途切れた。足立君は私よりも背が高く、すらりとしており、余り多言ではないが頭脳明晰、論理的、やはり数理工学は違う、と思っていた。同じ北陸の出身で話のペースは似ていたのではないか。その後、彼は京大に戻ったが、互いに忙しくじっくり話すこともなかった。ご冥福をお祈りする。

「けいはんな市民雑学大学」今日オープン

2008-03-29 | 文化論、科学・技術論
世界最新の「大学」が「けいはんな学研都市」で今日オープンしました。
私が言おうと思っていたのに友人のFUTANさんが先を読んで、そのことを指摘しました。

「けいはんな市民雑学大学」です。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/330ca293164bf997973d4107fcaa409f
明日になると「最新」でないかもしれませんが、今日の14時に産声を上げた当大学は現時点で最新と思います。

実は、その大学の「初代学長」が私なのです。私は既存大学の学生部長、学部長、副学長はやったことがあるのですが、学長は初めてなのです。それも世界最新の大学の・・・です。しかも、国公立でも私立でもなく「市民立」の新しい大学なのです。力不足ですが、宜しくご支援ください。

ところで世界最古の大学は、ヨーロッパでは、イタリアのボローニア大学で11世紀、アジアではインドのナーランダ大学で5世紀、日本では9世紀の空海による種智院大学のようです。

で、我々の「けいはんな市民雑学大学」は世界最新なのです。今しかいえませんね。

今日の初代市民教授は小芝ルリ子さんで62歳、ハーブ園経営のハーブ研究家、講演家、絵本作家等々を自ら切り開いてきた。今日は、その体験談をたっぷり聞いた。普遍的なことも色々あった。

とにかく「やりたい」と思うことに軽やかに第一歩を記せば良いという考え方だ。今後、定年を迎える男女に示唆を与える「一言」ではなかろうか。

とにかく「サイは投げられた」、この大学を強い子に育てていこう!皆様の協力をお願いします。


遥かに遠い日本の皆様、こちらはヘルシンキであります

2008-03-29 | 金沢の思い出
北欧フィンランドのヘルシンキで夏季オリンピックが行われたのは、1952年7月19日から8月3日までである。昭和27年、私は小学校5年生だった。一回前のロンドン大会には日本は戦後すぐで、参加できず、このヘルシンキ大会が日本が戦後初めて参加の夏季オリンピックだった。

当時は、まだテレビ放送は正式にスタートしておらず、ラジオ放送だけだった。NHK派遣のスポーツアナウンサーは志村正順さんが中心だった。1学期の終わりから夏休みにかけてに時期だが、時差の関係で実況放送は、深夜から早朝にかけてもあった。私は、四畳半の茶の間の金庫の上に「鎮座」していたラジオの前で耳をすまして聞いていた。志村アナの「遥かに遠い日本の皆様、こちらはヘルシンキであります」と電波加減で大小に上下する声で始まる放送を熱心に聞いていた。

この頃に、スポーツアナウンサーになりたい、と思っていたのではないか。中学3年生の時にNHK金沢放送局(JOJK)が募集した少年スポーツアナウンサーに応募したのも、そう思っていたことに関係があろう。

ずっと後、1983年、イギリス留学からの帰り道でヨーロッパを回ったが、その時に、ヘルシンキにも行って、オリンピックスタジアムに行き、高い塔にも登った。
「ああ、志村さんはここから放送していたのだな」と感慨深い気分だった。
(写真は、ヘルシンキのオリンピックスタジアム)

ガソリンの暫定税率

2008-03-29 | 時論、雑感
とにかく分かったようで分からないのが、この「暫定税率」、3月31日で期限切れで4月1日から「元売り」ガソリンは暫定税率分だけ値下げになるようだ。

だから直接ガソリンスタンドでの値段に反映するのにはタイム・ラグ(時間的遅れ)が発生するが、お客は4月1日から値下げと思うだろう。事実、家では妻が最近ガソリンを入れに行ったようだが、何時もは「満タン」なのに、今回は10リットルにしておいた、と言っていた。明らかに4月1日から値下げと思っている。

で、単純に考えるとガソリンが値下げになるのは、庶民は歓迎だろうが、暫定税率廃止は今回成立の予算を支える税収全体に「穴」をあけるのは事実で、これをどうするのか、道路特別会計はどうなるのか、大きな山が次に見えているが・・・。

京都帝大と戦争協力

2008-03-28 | 文化論、科学・技術論
今日、京大図書館では、「京都帝大とサイクロトロン」の映写会があったようだ。戦争中に海軍からの委託で、京都帝大(理学部か)ではサイクロトロンも使って「原爆研究」をしていたと言う。うーん、時代が時代だからやむをえないと言えるのだろうか。

また、京都帝大(医学部)関連では、県立千葉中学、四高を経て京都帝大医学部を主席で卒業の石井四郎が卒業後、陸軍731部隊長として満州で人体実験を行い、それに京都帝大医学部関係者も色々協力したようだ。戦後、金沢大学の初代学長となった戸田正三も京都帝大教授として協力したという話もある。これについては、時代が時代だからやむをえない、とはっきり言えないのではないか。

京都大学と言うと、良く東京大学の官僚養成、体制派という言い方(勿論、反体制の宮本顕治、不破哲三など東大卒も多い)に対して自由な研究中心、反体制というイメージがあるが(確かに河上 肇などはそうである)、全体として必ずしもそうではないこともしっかり押えておく必要がある。これが歴史であろう。
(写真は、石井四郎)

21世紀の7年間ほどー寺島実郎さんの話よりー

2008-03-28 | 時論、雑感
今朝、ラジオの「経済展望」で寺島実郎さんが、この21世紀の7年間ほどの世界状況を語っていた。2001年9月11日のニューヨークの「9.11同時多発テロ」で3千人弱が亡くなったが、それに端を発したアフガニスタン、イラクへのアメリカの介入によってアメリカ・多国籍軍の死者は6千人を越え、アフガン、イラクの人々は少なく見ても9万人以上死んでいる。この延長で「テロが押えられる」と本当に言えるのだろうか。

21世紀初頭1ガロン20ドルほどの石油が、最近は需要、供給に大きな変動がないのに100ドルを越え5倍にもなっている。これは、実経済ではなく「マネーゲーム」である。ドルの基軸性も危ない、とのことだ。

うーん、こういう大状況に日本は、我々は何をしたら良いのだろうか。何が出来るのだろうか。

年寄りに冷や水

2008-03-27 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育

世に「年寄りの冷や水」という言葉がある。

辞書では「老人が冷水を浴びるような、高齢に不相応な危ない行為や差し出がましい振る舞いをするのを、警告したり冷やかしたりしていう言葉。」となっている。老人らしからぬ行動、言動をとがめて言う言葉のようだが、しかし、現代的には、老人は好々爺であるよりも「えー」と思わせるような元気なことをしたり言ったりすることこそ、長生きの元ではないだろうか。

それはさておき、ここでの表題は「年寄りに冷や水」であって、「の」が「に」に変わっている。これは、「年寄りに冷や水を飲ませたほうが良い」ということらしい。高齢者の三大死因は、悪性新生物、心疾患、脳血管疾患である。まあ悪性新生物(癌)が一位であるが、他の二つは血液の状況にも依存する死因である。ビールを500ccを飲むと、550ccの尿が出ると言う。ビールには利尿作用があるからだ。だとすると、夜ビールを飲んだから水分を補給したとの考えは間違いで、水を補給しておかねばならないということだ。何故なら、血液に水分が不足すると「どろどろ」となって、心疾患、脳血管疾患に通じるからだ。

昔、和風旅館では枕元に水差しとコップが置かれていたが、これは風呂(温泉)に入って汗を出したり、ビールを飲んでトイレに行ったりして、そのまま寝てしまうと血液が「どろどろ」になって拙いからだった。

それを今朝の5時台のNHKラジオで聞いたので「そうだな」と思い、早速、実行し始めた。皆さんは如何ですか。

視覚でキャッチー形、色そして他の感覚メッセージー

2008-03-26 | 思いつきから仮説へ
人間を含め動物の最も高度な感覚は、やはり視覚であろう。
「百聞は一見に如かず」、見れば、たちどころに全てが分かる、と言うわけだ。その視覚でキャッチする物の属性は、先ず「形」(大小を含め)であり、「色」であろう。形と色の問題は昔から物の大きな属性だ。
過去ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/6e851b5209f61faa8c2a34d79a1428e4

ところで、今日、電車の窓から窓外の風景を見ていて、当たり前だが気づいたことがある。見えている物、家(壁や窓や屋根・・)、樹木、土、自動車、川の流れ等々を見ていて、形や色以外に、というかむしろこっちが強い感じだが、その物の他の感覚が呼び覚まされたのだ。「硬いか柔らかいか」「熱いか冷たいか」「痛いか痛くないか」という触覚を一番感じるのではないか。少なくとも電車窓外に見えるものに関しては、そうだろう。

もし食堂で美味しいものを見れば味覚が刺激され唾がでるだろう。お香を見れば、香りを感じる、即ち嗅覚が刺激される。お寺の鐘を見れば、その音が聞こえる、即ち聴覚が刺激されるのだ。

つまり、視覚が他の感覚もカバーしているのだ。こういうのを私は「視覚○覚」と名づけておきたい。皆さんどうでしょうか。

爆問学問 独創力 京大SP

2008-03-25 | 文化論、科学・技術論
今夕のNHKTVで「爆問学問 独創力 京大SP」を見た。「爆笑問題」の太田、田中の司会、視界良好、尾池総長はじめ教授7人が壇上に、京大生400人が参加。東大出身の教授もいるが、「本郷より京大の雰囲気がいい」と言っている。

京大に来るような教授だからそう言うのだろうな。東大にも上野千鶴子さんのように京大出身の教授もいる。相互乗り入れが「独創力」を生むのではないか。

最初に京大生アンケートによる「独創人」ランキングが発表された。4位に太田 光、で1位が何とイチローだった。たしかにプロ野球選手としては日々努力しつつ、やってることも言ってることも独創的と私も思う。なんせ私も「イチロー」ですよ。

壇上の京大教授の考える、独創的学者は、(マルクス)、ブルーノ・ロッシ(Ⅹ線天文学)、今西錦司(生物共棲論)、メンデル(遺伝学)、小川環樹(湯川秀樹の弟、中国文学)、ウエゲナー(プレート・テクトニクス、大陸移動説)だった。

テレビでは京大生では女子学生が目立った。私が学生だった1960年代には未だ女子学生は、ほんの僅かだった。世の中の「進歩」かな。だが壇上の教授は皆男性、本当に独創的京大になるには女性京大生からの教授が増え、まあノーベル賞も貰わねばなるまい。何時そうなるだろうか。

独創は、独りで創ること、ある意味で孤独だ、そういう孤独に耐える人が独創的になるのかな。

最後に京大生が感想を言っていたが「太田 光」は本当に頭の回転が速い。学んだことを最大限言ってみている。西田幾多郎、ニュートン等々だ。



「けいはんな市民雑学大学」29日にオープン

2008-03-24 | NPO、ボランティア
いよいよ「けいはんな市民雑学大学」を3月29日に立ち上げる。普通の大学が4月1日に新学期だが、そんなことにとらわれない「市民雑学大学」なので3月29日(土)にスタートだ。

今まで、このブログでも「けいはんな市民大学」という言い方で準備過程を書いてきた。復習で以下のコンテンツを見てほしい。(時系列に古い順とした)
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/0324504309b5d8148751fcdf767edd10
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/3972b8339355b6b6bfef779bbf5a20ab
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1d0ca17df7e53c8d9f4547aaeccb7ea4
市民教授の小芝ルリ子さん紹介:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/5a51c17dc1d7738aabb5d8cd8f397f74

皆さんにも参加を呼びかけたい。
「参加」すると、文字通り、参つのことが加わりますよ。第一は、リアルな知り合いの広がりが加わります。第二に、「けいはんな」の生活・文化の広がりが加わります。そして第参に、「けいはんな」の環境・空間の広がり認識が加わりますよ。
(但し、定員は50人強で、溢れると立ち見などになります)

期日:3月29日(土)午後14時から16時
場所:近鉄・高の原駅前イオン4階「こすもすホール」
講義題:心のドアーを開きましょう ~パワフル奥さん人生自分流~
市民教授:小芝ルリ子(木津川市、旧加茂町在住)
参加費 : 100円(資料代)

終了後、「あわさい」の薬膳パブで小芝さん夫妻を交え、交流会(17時から19時)
参加費(薬膳つまみ等と飲み物で3千円の予定)

公式のお知らせ:http://academia.keihanna-city.com/

生木を裂く政略結婚ー薩摩・篤姫ー

2008-03-23 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
NHKTVの大河ドラマ、薩摩・島津家より1700kmも離れた江戸・徳川家へ2ヶ月かかって輿入れする篤姫、明らかに政略結婚である。薩摩を離れるとき、実家の前で実の父母に別れを告げ、故郷の山・桜島に別れを告げ、元の恋人に別れを告げ、二度と薩摩に帰ることはなかった。

うーん、政略結婚って「生木を裂く」ようなものだな、と思った。
世の女性の皆さん、現代に生まれてよかったね。


金沢市立十一屋町小学校、金沢市立野田中学校

2008-03-23 | 金沢の思い出
今日、書斎の段ボール資料を少し整理した。

金沢の小中学校時代の資料が少し出てきた。昔、私が50歳代の時、金沢市や新聞社(北國新聞社)、放送局(NHK,JOJK)等に問い合わせて送ってもらった資料や、私自身が昔から辛うじて残していた資料だ。

もう50年、半世紀以上前の資料なので、歴史資料として記録しておきたい。(私の小中時代は1948年4月から1957年年3月の9年間である)

私が小学校を卒業したのは、1954年(昭和29年)3月である。その時の『昭和二十八年度 卒業式の栞』があるので、紹介する。先ず小学校名であるが、1947年4月から1959年3月まで「金沢市立十一屋町小学校」になっており、以後「金沢市立十一屋小学校」となって現在に至っている。だから、私の在校期間(1948年~1954年)は表記の通りなのである。

1954年卒業生は、7組420名で1組平均60名である。私は6年2組で60名、宮林明次先生が担任だった。校長は、藤田清正先生、教頭は佐藤重友先生だった。当時、卒業受賞として、市長賞・学校長賞、学校長賞、皆出席賞、ロータリー賞があった。市長賞・学校長賞を貰ったのは、各組4名で全部で28名だった。不肖私も貰っている。児童会の副会長をしたせいでもあろう。但し、印刷の名前が「西村一郎」と誤記されている。2組の受賞者は、他に金子輝二君に井上瀬津子さん、松崎以津子さんである。他のクラスの受賞者も殆ど思い出す。松崎以津子さん、石井敦子さん(7組)は、金沢大学付属中学に進学するが、私は野田中を経由して金沢大学付属高校で彼女らと再び同期生となった。松崎さんはお茶の水女子大、石井さんは金沢大に進学した。川島靖宏君(4組)は、中学、高校と同期で彼は北大に進学している。児童会会長だった横山誓一君(7組)も受賞している。横山君は旧制一中の県立泉が丘高校経由で金沢大に進んでいる。現在の大体の動静も分かっている。

担任の宮林先生も校長の藤田先生も鬼籍である。藤田清正先生からいただいた長い手紙(1980年3月22日消印)があるが、何時か、同期生にも披露したい。

野田中学時代、NHK金沢放送局の企画で「少年スポーツアナウンサー募集」があり、私も応募して当選、1956年7月15日付「北國新聞」6面に私の放送中の顔写真が載っている。(この記事でも西村一郎と誤記されている)他に野田中から寺本雄二君、額中から宮川 清君、御祓中から広目 暁君、国府中から中山賢一君、月津中から池田節雄君(池田君のみ二年、他は三年)の計6人が選ばれた。石川県中学野球の決勝戦(鳴和中学-片山津中学)を当時の「兼六園球場」からラジオで実況したのだが、中学野球は7回まで、一人1回として、1回余る。それで、何故か私が1回と7回の実況をやった。

当時は、NHKの志村正順アナに憧れ、スポーツアナウンサー志望だったのだ。
懐かしい50年以上前の思い出である。

(金沢・兼六園球場は、その後、石川厚生年金会館になった。設計したのは、京大・建築学科先輩の建築家・黒川紀章さんである。写真は、外野のカーブをそのまま利用の石川厚生年金会館)

願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃

2008-03-23 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今朝、NHK俳句で宮坂静生さんが「今日は旧暦で2月16日、西行が亡くなった日」といわれた。

有名な表題の「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」は西行の60歳の頃の歌らしい。そして、西行は、事実、このような状況で73歳で亡くなったようだ。この歌は、その後、日本人の死に際しての状況美意識の形成に作用してきた。その後、この歌を受けた俳句も多い。

松尾芭蕉 西行の庵(いほり)もあらん花の庭
与謝蕪村 実ざくらや死にのこりたる庵(あん)の主(ぬし)
小林一茶 穀(ごく)つぶし桜の下にくらしけり
正岡子規 西行庵(さいぎょうあん)花も桜もなかりけり
角川源義 花あれば西行の日とおもふべし
角川春樹 西行の庵の闇に花女郎

西村市路 「爛漫」や西行切に招きたし

「爛漫」とは、小倉遊亀画伯による奈良女子大講堂の緞帳画である。


「思い出の一杯詰まった家」-「ちりとてちん」より-

2008-03-22 | 住まい・建築と庭
NHKの朝ドラ「ちりとてちん」もあと1週間、大詰めである。徒然亭草若一門が大阪で落語の常置小屋をつくろうとしている。そのために資金が要る。亡くなった草若師匠の息子の小草若が、遺産の家を売ろうとする。兄弟弟子の四草が「思い出の一杯詰まったこの家を売ることが出来るんですか」と問い詰める。小草若は「出来へんけど、そないせんとあかんのやって」と泣きながら言う。主人公・若狭の提案で、売る前に最後にこの家で落語会をすることになる。

最初は、屋内で座布団を適当に敷いてやろうとしたが、聞きつけた客が多くて、庭に椅子を置いて、縁側を舞台にして行うことになる。(こういう思わざる使い方も良い)大成功、「これぞ上方落語常置小屋」と天狗芸能の社長が言う。

これを見ていて「思い出の一杯詰まった家」という言葉が耳に残った。この朝ドラの主な舞台が草若邸なので、「そうだな」と思ったが、我々自身もひとりひとりそういう家を持っているだろう。私自身考えてみると、子供時代を日々新鮮な経験ですごした家、学生時代の寮や下宿した家、新婚時代苦労の中にも楽しかった家、右も左も分からず苦労した海外生活の家、現在の「終の住処」等だなあ、と思う。

住宅は、物理的存在だが、中での日々の行動も次々にあり、さらに頭や心に「思い出」を残すものなのだなあーと改めて思った。