西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

いただきます、ご馳走さまでした

2006-11-30 | 言語・字・言語遊戯
「いただきます、ご馳走さまでした」は食事の前後に言う言葉で、私などは小さい頃から言うように「叩き込まれている」。ところが、最近聞いたところによると、学校給食で食べる前に「いただきます」と学校が子どもに言わせているのはけしからんと言い出した親がいると聞いて仰天した。その親の言い分は、ちゃんと給食費用を払っているのだから、ただでいただく時のように「いただきます」と言わなくても良い、とのことだ。何を考えているのだろう、と思う。別に金を払っていようとなかろうと、言うべきことだ、との認識がないとは驚きなのだ。つまり、「いただきます」とは、他の命をいただいている、そのことで我々人間は生かされているという感謝の気持ちを言葉に出して確認することなのだ。ご馳走さまでしたの「ご馳走」とは、辞書によると「 《その準備のために走りまわる意から》食事を出すなどして客をもてなすこと」とある。全体として、料理をするのに走り回って頂き有難う、の意である。こういうことを素直に言える子供達を育てていきたい。

平城・相楽ニュータウン考(2)平城第二団地の人工川

2006-11-30 | 地域居住学
平城ニュータウンの区画整理が着工したのは、1971年(昭和46年)で今から35年も前である。この平城第二団地に恐らく日本住宅公団としては最初の「人工川」が建設された。世の中では、治水、利水の他に保水や親水というコンセプトが出てきた頃である。集会所の横の池から、自然流下で約200m位流れていて、それを池で受けて、地下に落として元(上流)に戻して電動で又汲み上げて循環させているのだ。電気代がかさむので、冬場は流していない。夏になると人工清流が流れ、子供達は裸足で入って大喜びだ。この「団地」に人工川は、例えば京都市住宅供給公社による向島ニュータウンにも取り入れられた。又、団地としては先輩の香里団地(枚方市)でも、その後、下水を処理した中水を流す流路(人工川)を作っている。
まあ、住宅に水(遣り水)を引き込む寝殿造り以来の「伝統」とも言えるが、平城第二団地の「人工川」に対する住民の評判を聞いてみたいと思う。

人権問題の講演ー弁護士・佐賀千恵美さん

2006-11-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、平安女学院大学で人権問題の講演会があり、京都の弁護士・佐賀千恵美さんの講演があった。佐賀さんは1978年に東大法学部卒、現役で司法試験合格、2年間の司法修習を終え検事任官するも1年で退官、結婚して京都へ、1986年から弁護士で20年のキャリアだ。小柄の小母さんという感じ、50歳を越えたあたりである。著書に早稲田経営出版からの『華やぐ女たち』がある。今日のテーマは「大学教育とパワーハラスメント」だ。大学の事例として、福岡高裁、仙台地裁、東京地裁、浦和地裁等での裁判があるが、被告を実刑に追い込むのは至難の業、多くは「棄却」になっている。ふと昔の職場での「セクハラ」問題を取り扱った経験を思い出した。セクハラから最近はアカハラ(アカデミックハラスメント)やパワハラ(パワー(権力)ハラスメント)になっているようだ。

平城・相楽ニュータウン考(1)平城第二団地の住棟

2006-11-29 | 地域居住学
前に平城・相楽ニュータウンに関して、「イオン」のことや、専用歩道のことについて書いた。そういうトピックスも書いていこうと思うが、住む前の昔から何度もこのニュータウンを調べたり歩いたりしているので、今回からそれらを基に気づいたことを書いていく。ご近所の人も、ニュータウンに関心のある人もどうかコメント下さいね。
今日は、平城第二団地について書き出していこう。平城第二団地とは、日本住宅公団(現・都市機構)の供給になる賃貸住宅団地で、近鉄・高の原駅から出て南に見える(といっても最近は奈良市の北部会館や専門学校棟に隠れて見えにくい)中層住棟による団地である。近鉄急行で京都から来ると、高の原駅を出てすぐ右手(西側)を見上げると中層の住棟が見える。この近鉄の対岸(東側)に平城高校やコーポラティブ住宅「つなね」が見える。で、この平城第二団地の住棟が「面白い」のだ。30数年前、初めて見たとき「何じゃらホイ」と思った。5階建てだが、軒の部分が屋根のように傾斜で前に出ているのだ。色も焦げ茶で住棟と変えている。その部分が目立つので、当時、公団の人に「何故あんな軒(というか屋根)にしたんですか?」と聞いてみた。すると、その人は言った。「今までの公団の住棟は豆腐の切ったよう(或いは、蒲鉾板を並べたよう)・・・、等と批判されているので、奈良らしく傾斜屋根風にした」と。確かに、当時、住宅の地方性の尊重も言い出されていた頃だが、あれで奈良らしさ、とは、と「きっこさん」なら「ビックル一気飲み」だった。軒が傾斜屋根のように突き出ているので、最上階の5階は「薄暗く」なる。この住棟のバルコニーが普通のように出ていなくて、住棟の壁の線でおさまって内部に入り込んでいるのでなおさらだ。洗濯物を干すにも不自由で、多くの住戸では、突き出し洗濯竿の工夫を個人的にしている。まあ、一寸した形態変化が大きく生活のし易さに影響を与えた例になるだろう。

ゆったり湯船

2006-11-29 | 金沢の思い出
私の子ども時代、高校卒業まで金沢に住んでいたが、風呂は銭湯だった。冬は途中が寒くて行くのが嫌な日もあった。だけど、銭湯の広い湯船で手足を伸ばしていると本当に幸せな気持ちになった。だから、今でも温泉の大浴場は大好きである。ところが、結婚以来、今の家になるまで、家に風呂は設置されていたが、湯船が狭くて手足がゆったり伸ばせない状況だった。だから、現在の家を作る12年前には、風呂の湯船を手足が伸ばせる位にしたい、というのが一つのささやかな要望だった。昨日も、ゆっくり入っていたら「遠い」金沢時代を思い出した。

寒き夜に 湯船で手足を 伸ばしおり 母の子宮に 帰る気のする  市路

この記事も何処かに書いた気がして検索、あんのじょうだ。だけど短歌は今日の「帰る気のする」を取りたい。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/f68bf1649310da8b65ca710cd013ca86

降圧剤を飲むべきかどうか

2006-11-28 | 色々な仮説や疑問
私自身は特に高血圧ではない。でも世に高血圧の人が「多く」、降圧剤を飲んでいる人も多いようだ。最近、高血圧のSさんに聞いたら、最近は上が140以上を「高血圧」と定義しているが、昔は「年齢+90」以上などを高血圧と言っていたのではないか。だとすると60歳なら150未満は昔は高血圧ではなかったが、今や高血圧の範疇だ。どうも高血圧の「線」を低くすれば(高血圧の人は一般に高齢者に多いので・・)、高血圧の人が多くなって降圧剤は多く売れる。だから高血圧の線を低く定義させたのは、降圧剤薬品メーカーの「陰謀」ではないか、との説もあると言う。それに降圧剤は一旦飲むとずっと飲まなければ、と言われるという。これも正に製薬会社に有利な「処方」であろう。さらに降圧剤を飲み続けると免疫力が低下するという説もあるようだ。こうなってくると、無理に降圧剤を飲まなくて、運動、栄養、休養の組み合わせで血圧を下げたほうがよさそうだが、どんなものでしょうか。

『マンションの安全・安心ー地震・火災への備えー』の講演会及びフォーラム

2006-11-27 | 地域居住学
梶浦恒男・平安女学院大学副学長(大阪市立大学名誉教授、日本マンション学会常務理事、工学博士)、進士善啓・防災まちづくり研究所長(技術士)による『マンションの安全・安心ー地震・火災への備えー』の講演会及びフォーラムが行われます。マンション居住で心配の皆さん、マンション管理に関心のある皆さん、是非ご参加下さい。(平安女学院大学生活福祉学部設立記念フォーラム第三回)
・期日、時間:12月8日(金)午後18時半~20時
・場所:高槻市総合市民学習センター7階第六会議室(JR高槻駅南口を北へ歩3分、エレベーターで7階へ)
・予約その他:fax:072-696-4919 e-mail:kouza-seikatsu3@heian.ac.jp へ、一応12月1日締切ですが、8日当日でも空いていればOKですよ(定員130名)
高槻といわず、近辺、大阪、京都などからもどうぞ。

で、今日、進士さんが梶浦さんとの打ち合わせに来られて、私の部屋にも寄られた。そこで聞いた「さわり」、超高層マンションの防災訓練をした時、2,30階位から消防署の人が「階段使って下に避難してください!」と言ったら、意識の高い住民が「何故エレベーターに乗ったらいけないの?」と突っ込んだようだ。消防隊がそこを使っていたからだ。消防隊は防護服、「防毒マスク」に身を固めて突入してくるが、住民にはそういう備えがないわけで、エレベーターは一般に使用禁止だ。その住民は又「じゃ、屋上のヘリポートに上がれば助けに来てくれるのでは?」と言ったらしい。地上へ下りるより簡単だったからだ。消防隊はおろおろ、「あのー、地震の時はヘリコプターによる救出には順位があって病院が一番、次も公共施設・・、民間のマンションに何時ヘリコプターが来るか分からない」と言ったら住民は激怒「ヘリポートがあるから安全、と業者は言っていたのに」と・・。こういう話がたっぷり聞かれますよ。マンション学の権威、その弟子でマンション防災の権威の話をどうぞ。質疑、懇談もありますよ。
進士さんによる最近のコメント:http://www.kikou.gr.jp/files/mdnews66/mdn66_2.html
(写真は、梶浦恒男さん)

安藤忠雄の新東京タワー610m

2006-11-27 | 住まい・建築と庭
安藤忠雄の新東京タワー610mの設計案が公表されたようだ。mixiの「安藤忠雄」コミで分った。写真の如し、610mという周りに比較するものがない高さなので、遠くから見ると、1本だけ立ち上がっている感じ、水平断面は、下の方が三角形で、上が○といったところ、途中で徐々に変化している。これだけ高いものが必要なのかどうか知らないが、オンリーワンのメモリアル建築ならやむを得ないかな・・。

上段(冗談)、中段(中断)、下段(果断)

2006-11-27 | 言語・字・言語遊戯
昨日、奈良町を皆で歩いた時、奈良市の持つ「格子の家」にも行った。奈良の町家を実地に理解するため、奈良市が持っている家だ。皆2階にまで上がって見学。私は何度も来ているので下で待機、2階からTさんの声が降ってきた。「先生の空間がありますよ!」何だそれは?と思ったら「、座敷に「上段(冗談)の間」があります」と言うものだから「冗談なんて果断に中断してよ!」などと口走ってしまった。
(写真は、格子の家)

レバノン、シリア、イスラエル

2006-11-26 | 時論、雑感
今夕のNHKTVの「海外ネット」で「緊迫 レバノン情勢」をやっていた。表題にあげた「レバノン、シリア、イスラエル」は大体どの辺りにある国か見当はつくが、それらの関係については、それこそ「世界史」を大昔習ったが、よく分からない。レバノンは最近までシリアに占拠されていた。シリアはイスラム教の国、イランとも関係がある。レバノンにはキリスト教徒も多くアメリカ等がバックアップ。だがレバノンにもイスラム教シーア派等の影響のある「ヒズボラ」という強力な組織がある。今、レバノンのシニオラ政権と「ヒズボラ」は対立関係だ。イスラエルもアメリカの後ろ盾、だからレバノンと親近性があるのかな・・。
(写真は、レバノン・バールベック遺跡)

建築とまちづくり展2006in奈良

2006-11-26 | 地域居住学
今日、奈良市のならまちで「建築とまちづくり展2006in奈良」の2日目で、午前に散策、午後に「奈良町のまちづくり・・・いま・むかし」のシンポジュウムがあって私がコーディネーターをした。午前の散策は、近鉄奈良駅を上がって広場の行基像前に集合、東向き通り、三条通りを経て小西通りを南下、墨屋老舗の「古梅園」と向かいの椿井小学校を見る。椿井小学校には地域住民も使える集会室があるようだ、見えている。東西の広い都市計画道路に出て、東に進む、「なら工藝館」を経て、金沢の「21世紀美術館」設計の建築家・妹島和世さん設計と言うトタンに見えるガリバニュウム(白)外壁の商業ビルが出あった。トタンにびっくりだ。そこから南へ、「あしびの郷」向かいの「奈良市史料保存館」を経て「音声館」(奈良市)、南に「変な」タワーが見える。東に入って重要文化財の藤岡家、向かいの「格子の家」(奈良市)を見て、奈良町物語館、今日案内の藤野正文さん(奈良まちづくりセンター副理事長)が説明、最後に奈良女子大学の奈良町セミナーハウスに着いた。
午後は、ここで最初に紹介したシンポジュウムがあった。私が司会、最初に藤野正文さん(前出)が奈良町の「まちづくり運動」の歴史を説明、次に兵庫県の黒田達夫さんが神戸からみた奈良町の話をされた。奈良は「日本最古の歴史都市」、というのは、京都以上の「売り」のキャッチフレーズで押し出すべしと言う。そうだな、と思う。三番目に松山東雲短大の郡司島宏美さんが昔、奈良女子大の院生だった頃と現在の奈良町町並み写真を比較しつつ、現在、結構、昔のものが残っているのでは・・、まちの機能も様々でよいと思うが、その色々な機能を良く考えて・・、と言う。私は、正にこのような「セミナーハウス」を1996年に提案したが10年後に提案どおりに、こういう空間で「セミナー」出来るのは感慨無量と話をした。参加者は15人くらいで、町家一階の座敷と続きの間での「シンポジュウム」はこじんまりして良かった。参加者は「奈良町応援団」たる建築技術者、地方自治体行政パーソン、学生、研究者等で、ただ住民が一人も参加していなかったのは残念だった。次回は多く参加してもらい議論していきたいものである。以下に去年10月31日の「奈良女子大学奈良町セミナーハウス」オープニング記事を再掲。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/28842fff5144ea781c2a62ecaabc97f5

名古屋駅と周辺、徳川園からの景観等

2006-11-26 | 住まい・建築と庭
昨日、久しぶりに名古屋に行って、駅の「ツウィンタワー」、駅前の「トヨタビル」を見て、「なんじゃ、これは」と思った。名古屋ののびやかな広がりに対して窮屈に建ちあがっている感じだ。タクシーで徳川美術館に行く途中、市内の道高く上にある高速道路の「うねうね」を見て、これも「なんじゃ」と思った。
徳川美術館に来て「ほっ」としたのだが、庭園に入って池を巡って、向こうを見て、再度「これは、なんじゃ」と思った。ずらりマンションが見えて庭園景観になっていないのである。まさかマンションを借景と言うわけではあるまい。
うーん、和やかに(名古屋かに)と言っている場合か、とも思った。
(写真は、左の高いのがトヨタビル、真中二つが「ツウィンタワー」)

平安女学院大学生活福祉学部開設記念フォーラム第二回

2006-11-25 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、平安女学院大学生活福祉学部開設記念フォーラム第二回「子どもひとりびとりをみつめて」が高槻市と共催で、JR高槻駅南口を北へ直ぐにある高槻市総合市民交流センター7階第六会議室(大学交流センター、定員130名、無料)で信ケ原千恵子客員教授(だんのう保育園長)の公開講座として行われました。信ケ原先生の基調報告(これが面白い!0歳児から5歳児まで発達段階に応じての保育のエッセンスを具体的に披露、皆そうだな、という顔で聞いていた)の後、高槻市役所の子育て支援部局の人、高槻市の保育師さん(保育所園長)、子育て支援のNPOの人など数人が発表され、清水民子教授の司会で質疑も行われました。最後にフロアから武部 宏さん(フリーアナウンサー)が「昨今のいじめ等、教育の諸問題を見るにつけ幼児教育の重要性を思い知らされる。是非、平安女学院大学生活福祉学部保育コースでしっかりした保育師を育てて欲しい」との意見を言われた。
50数人の参加、フォーラムの後、信ケ原さん、パネリストを交えての懇談会も有意義だった。

名古屋で兄弟(姉妹)会

2006-11-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、名古屋で恒例の兄弟(姉妹)会があった。家内の兄弟4人(家内を含めて)の夫婦が年に一度集まる会で10年ほど前からやっている。(金沢の妹夫婦との会は未だ始まっていない)大抵は年末である。家内は末っ子で、上に兄貴が4人いたが一番上が亡くなって、今は3人で奥さん共々健在だ。皆、名古屋圏に住んでいる。で、今年も名古屋で集まった。久しぶりに徳川美術館、徳川園(元々は御三家の尾張徳川家の空間)に行ってから近くの料亭で会食した。元気で今年も会えたことを皆で喜んだ。皆60歳以上、一番年配は、77歳である。私は65歳で、8人のうち下から三番目だ。でも65歳になったので、「ジパング倶楽部」会員になり、新幹線も2割引である。もうすぐ3割引となる。徳川美術館の入場料も200円引きだった。

感慨:和やかに 兄弟で飲む 師走酒  市路
(注:和やかに は「名古屋かに」も含意。まだ師走でないが、気分は師走なので、師走酒 とした。)
(写真は、徳川美術館)

「おもいつき」は「かろやかに」

2006-11-25 | 言語・字・言語遊戯
思いつきを次々言うと、軽い人間と思われる風潮がある。でも、考えてみると、どんな偉大な思想や理論も、「思いつき」から発している。千の「思いつき」から一つの有効な「理論」が生まれれば「よし」としなければなるまい。だから「思いつき」は、どんなものでも忘れないうちに発してみて、出来れば記録しておくべきではないか。今日、新幹線で名古屋に行く途中に「おもいつき(思いつき、重いつき)」は「かろやかに(軽やかに)」というフレーズを思いついた。